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2006/02/28

日本が危ない:年金の危機 まとめにかえて

提案への若干の補足的・蛇足的説明

今回の改革によっても、年金制度は、破綻を回避することはおろか、国民からの信頼を回復することすらできないことは明らかである。
年金を、国が責任を持つ社会保障部分と、個々の国民が自己責任で行う個人保険部分に明確に分離すべきであると言うのが、今回の提案の要である。
特に重要なのは、社会保障部分については、個人としての国民のみが年金の財源を負担するのではなく、企業や関税など幅広い税財源により、その給付を担うべきとの考えである。
積立や相互扶助的な仕組みと意図的に混同させることで、労働者が相互に支え合うかのごとき説明がなされていることには、政府の悪意さえ感じられる。
国が責任を持つとは、言葉どおり国家を運営する組織体として、その構成員であり主権者である国民に対して、あらゆる歳入から給付額を捻出するとの意味である。
一方で、どれだけの年金額を給付すべきかについては、財源の制約からではなく、国と個人が負うべき責任の割合を前提に決定するべきである。
すべてを国の責任とすれば、今はなき社会主義国と同様に国家財政の破綻と国民の勤労意欲の減退を招くかもしれない。またすべてを個人の責任とするなら、それは19世紀の荒々しい初期資本主義社会への回帰であり、20世紀の社会の進歩の成果を放棄することに他ならない。
いずれにせよ、それを決定するのは主権者であり、当事者である国民であり、官僚でないことを、国民自身が認識することこそ重要であろう。

改革は出来る

日本においては、その歴史的背景なのか、民族性なのかは不明だが、自らの生活設計に真剣に取り組む国民が多いことは救いである。
貯蓄率の高さはもちろん、生命保険加入率の高さは世界的にも異常ともいえる水準である。
年金も基礎部分を国が保障しても、多くの国民が自らの老後のために自主的に年金保険に加入することは、ほぼ間違いがないだろう。
国として税制などにより的確に誘導すれば、保険料の徴収などに苦労することもなく、また将来国が給付の責任を負うこともなく、必要十分な年金システムが民間ベースで構築可能であるに違いない。
控除により失われる税金=歳入と、非効率的な公的年金機構を維持するための費用=歳出のどちらが大きいかは詳細な検討することなく明らかである。
個人が自らの将来のために掛金を払うことには十分な動機があり、その費用対効果を最大限にするため、各人は努力を惜しまない。
一方で、所詮は他人の金を漫然と集めて給付するに過ぎない公的機構には、事務の効率化を図る内的要因すらない。支払いたくない人から金銭を徴収することには多大なコストが必要であり、給付を公平に行うための努力は形だけのものにならざるを得ないのである。

改革を妨げるもの

なぜ、そのような抜本的改革案が俎上にすらのらないのか。
理由は一つである。現在の年金制度で利益を得ている者がいて、現行制度の廃止によって致命的打撃を受けることを知っているからである。
一昔前に「パワーエリート」というアメリカの権力構造を分析した名著があった。官僚・軍・軍事産業が相互の利益を図るために権力の複合体を構成していて、その維持と拡大が自己目的化していることを指摘したものである。
日本の公的年金制度においても、そのような利益複合体が形成されていて、改革を妨げているのである。
現行制度に深く関わっている当局からは、その根幹を否定するような代案は決して提出されないことは十分認識しておかなければならない。
さらに、その複合体の主たる構成員である官僚のみが、改革の実質的に唯一の実行者である以上、年金改革の失敗は明らかなのである。

すべての政治家へ

巨大で優秀なシンクタンクである日本の官僚機構が、国民の利益のためでなく自らの利益を維持し拡大するためにその能力を発揮するとき、主権者たる国民はどうすれば良いのか。
官僚機構を直接統制する手段を国民が持たない現状では、政治を通じてそれを実現するしか方法はない。
最後に与野党、中央地方を問わず政治に身を置く人達にお願いしたい。官僚に依存せず政策を立案する能力を獲得してほしい。個人として困難なら連携して、党として独自に優秀なシンクタンクを持ってほしい。
日本において必要なのは、多様な国民のニーズを具体化するための多様な具体的な選択肢である。
政治家が、官僚が立案する唯一の政策を支持し、または反対するだけでは、国民の期待に応えることはできない時代はすでに到来しているのだから。

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2006/02/27

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 6


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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エピソード6 旅人の物語   Travellers'Tales 
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第6話は、宇宙の大海原の探検を大航海時代に重ねた物語である。

いかにも旧式な大型コンピューターが並んでいるNASAの管制室が、
四半世紀の時の流れを感じさせる。
ボイジャーに搭載された金のレコード盤も登場する。
既にアナログレコードを見ることもないことを考えると、
ほんの偶然によって一瞬だけ存在したテクノロジー自体をメッセージとする
博士のアイディアの秀逸さには驚かされる。

空想の宇宙船が、太陽系に入ってくる。
大きな窓を、冥王星・天王星・土星など巨大惑星の魅惑的で美しい姿が通り過ぎる。
青い地球に近づく光り輝く宇宙船。
その住人が、今、宇宙の航海術を覚え始めたとのナレーションで物語は始まる。
太陽系の他の惑星の探検が、いよいよ始まる時代が来たのである。

NASAのジェット推進研究所に入っていく博士。
当時の最先端の宇宙研究施設である。
今見ると設備も所員の服装にも時代を感じる。
そこでは、ボイジャー宇宙船が管制されている。
CRTに映される様々な情報、ボイジャーの仕組みが説明される。
ボイジャーが原子力を動力源としていることも説明される。

ボイジャーを載せたロケットが木星の衛星に近づいていく。
撮影された写真は鮮明である。
ボイジャー1号、2号が撮影した鮮明な木星の映像は美しい。
ボイジャーの旅が、土星から更に外側へ、そして太陽系を遠く飛び出し続くことを
説明する博士。

宇宙船に搭載された金のレコードが、いずれ出会うかもしれない未知の存在への
メッセージであることが説明される。

惑星探査の旅が、大航海時代の旅と重ねられる。
大海原を航海する帆船。
大航海時代、アメリカまで要した数ヶ月で、今は火星か金星まで行けること。
中国まで要した1〜2年で、木星まで行けることが。
そして、当時航海に要する費用が、宇宙船打ち上げより高価だったことが。

地球を巡る冒険の大航海。大洋をくまなく網羅している探検の記録。
輝かしい冒険の歴史。
それは、初めての惑星の探査、すなわち惑星地球の発見だった。
数世紀前の冒険家と同様、今の宇宙探査が宇宙への大航海時代の始まりだと博士は語る。

場面は17世紀、大航海時代のオランダである。
スペイン帝国から独立したオランダの自由で創造的な気風が語られる。
なぜ、大洋航路の開拓が必要だったかが、簡単に説明される。
貿易は、この新しい小さな国が生き残るのに必要だったのである。
そして好奇心が冒険を支えたとも指摘する。

東方貿易の莫大な富で築かれたアムステルダムの市庁舎。
光があふれる豪壮なホールで博士は説明を続ける。
新時代の到来を告げる明るい建築。ヨーロッパ啓蒙主義の始まり。
床の象眼細工の世界地図には、遠くの国々への貿易航路が描かれている。

オランダが武力ではなく、平和を国の基本としたことが語られる。
文化人や学者、知識人がオランダに集まってきたことが。
オランダに住んだ数々の知識人。
アメリカ独立の父達も、オランダに住んだ。
第二次世界大戦前のアメリカのようだと博士は語る。

大航海時代を支えた、航海術が説明される。
時計と天体観測による経度の算出方法などのテクノロジーの数々。
それらが、迷信に惑わされない正しい知識の尊重につながったことが指摘される。
専制君主のいない、自由で豊かな人民の国、オランダである。

豊かな市民、ホイヘンスの話が始まる。
芸術や知識を愛し保護した人は、オランダ市民の模範であり理想である。

顕微鏡の発明。観察された微小な世界。イラストで描かれた不思議な世界。
望遠鏡の発明。ホイヘンスは火星に人がいるに違いないと考えた。
望遠鏡による天体の観測の再現ドラマ。
素朴な望遠鏡も、当時の最先端のテクノロジーである。
火星の観測、金星の雲、土星の輪の発見。土星の衛星も発見される。

時計の発明者でもあるホイヘンス。
地動説に基づく天体の運行模型も、時計の技術でつくられた。
地動説はオランダで常識となった。
オランダでテクノロジーが発達し、科学が定着した。

ホイヘンスの書斎で、彼が著した書物を説明する博士。
地球と似た惑星世界のことが書かれている書物。
木星の海を衛星の助けを借りて航海する木星の人々。
博士の感想は好意的である。

長閑なオランダの海を帆船が出航していく。
ボイジャーが17世紀オランダ人の夢をかなえるのだと博士は言う。
航海から帰った船員の魅力的な話を語る博士。
大航海時代の不思議な異国の話。奇妙な動物や植物。

ボイジャーが教えてくれた魅力的な事実の数々を語る博士。
ボイジャーは、新たな謎を提供し、好奇心を刺激すると博士は語る。
ボイジャーの撮影した美しい写真と映像の数々。
木星の内部構造を、模型で説明する博士。
ただ眺めるしかなかった木星が、探査できる場所となったと喜びを語る博士。

ボイジャーによってもたらされた新たな情報を検討する科学者達。
仮説につぐ仮説。各人が知識を持ち寄り真実を見つける生き生きした科学の現場。

当時最先端のコンピューターシステム。
点滅するランプ。積み上げれる磁気テープ。磁気ドラムもある。
膨大な数値の羅列。
デジタル処理された映像が地球に到着し、伝送される仕組みの説明は分かりやすい。

木星の衛星の様々な不思議。
ボイジャーによる観測は終わりでなく、始まりであることが強調される。
博士を囲むブレーンストーミング。
まだまだ謎が多いことを示す博士。
ボイジャーに続く探査が必要なことが強く示唆されている。

ボイジャーの旅の航海日誌が読み上げられる。
もちろん無人宇宙船に実際には航海日誌などないが。
まるでスタートレックのような宇宙の航海日誌。
ただし、その内容は事実だけである。
木星への長い旅。
ボイジャー衛星、管制システム、そして星空を背景に、日誌が読み上げられる。

木星への到着、あまりに幻想的で美しい木星の映像。
木星の表面に渦巻く巨大な雲は赤い色である。
神秘的な木星の衛星の映像も美しい。

数万年もの航海を続けるボイジャー。
土星、冥王星、海王星、そして太陽系の外へ。

空想の宇宙船が土星へと近づく、まもなくボイジャーが接近する土星へ。
探査機が到達したことのない土星の想像画は不鮮明である。

土星の輪に接近する空想の宇宙船。
氷で出来た輪を、博士が驚きと感動で見つめる。
博士の夢見るような瞳が印象的である。。
驚くべき発見への期待に満ちた博士の眼差し。
タイタンの想像図。生命発見への期待。将来の有人探査への期待。

最初の惑星探査機ボイジャーが、大航海時代の帆船に変わる
幻想的なシーンで物語は終わる。

アップデートでは、その後のボイジャーの観測結果が報告される。
コンピューターの進化で動きを与えられた画像。
土星で観測された成分から、生命存在の可能性が示唆される。
博士の次期探査計画への大きな期待が語られる。
最後に、太陽系の外辺からボイジャーにより撮影された、
あまりに小さい地球の姿が紹介される。
博士は言う。「大切にしましょう。命の宿るたった一つの惑星なのですから」と。

 


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2006/02/26

日本が危ない:年金の危機 3

年金についての第3回をお届けします。いよいよ本題の改革案です。
次回・最終回で若干の補足説明を予定しているので意見やコメントなどよろしくお願いします。

21世紀を支える新しい年金制度の提案

現在提案されている年金改革は、抜本的な制度改革とはほど遠い破綻先延ばし策に過ぎない。
今必要なのは21世紀中、破綻しない新しい年金システムのアイディアである。
ここで一つの新しい仕組みと理念を提案したい。細部についての検討はまだまだ不十分な正に「骨太な案」である。

新しい年金案

公的年金は、現在の基礎年金部分に相当する部分のみとし「国民権利年金」と呼称する。
*国民権利年金額は、生活保護費の額を下回らないよう法律で定める。
*年金給付は、債務負担行為として概ね10年を単位として国の予算により行う。
*財源は全額を国税とし、特別会計を設定する。
*消費税と法人税の一定割合を国民権利年金の財源にあてる。また、その割合は5対5とする。
*国民権利年金は、国民であることを持って、一定年齢に達した場合全員が受給できる。ただし、特に所得が多い場合にあっては、税額控除により実質的に交付する。
*年金事務は、税務署と社会保険事務所を統合して設置する国民生活事務所(仮称)で行う。
*生活保護制度との整合を図り、国民権利年金対象者への給付は年金に一元化する。

厚生年金、共済年金等の現行の公的年金制度は廃止・清算する。

*現在の年金制度運用機関は、運営主体ごとに加入者の意向により解散又は存続する。
解散する場合は残余財産を各加入者に分配し清算する。清算金が既に支払った掛金を下回るときは、特別立法により国費において補填する。
*存続する場合は、改めて他の民間事業者と同様に免許を受け民間保険事業者として存続する。
個人年金保険契約を各加入者と締結することができるが、民営化時の各加入者には当然に契約を締結しない自由が認められる。その場合、既に支払った掛金は保険掛金と看做して各加入者に返還される。
*既に年金を受給している者に対する給付は、特別立法により現在の水準を下回らないよう国が債務を引き継ぎ継続して行う。

民間事業者による個人年金保険を育成強化し、任意の加入を促進する。

*個人年金掛金は、全額を所得から控除する優遇措置を恒久的に行う。
*個人年金給付金は、所得課税を免除する。
*民間事業者の破綻を防止するため、国による再保険制度を創設する。

改革の理念

国民の老後の生活を保証するのは、国の基本的な役目である。
年金の性格を巡っては、有力な2つの考え方がある。
一つは公的な強制貯蓄制度的なものとみる考え方であり、もう一つは公的な相互扶助制度的なものとする考え方である。
貯蓄と考えると死亡により権利が失われ、相続もできない点が不合理である。一方、相互扶助であるなら、掛金と受給額に関連性が強い点が不合理であり、公的資金を投入する根拠が不明朗であるなど、いずれの説も一長一短があると言わざるを得ない。
しかし、年金とは独立して完結する制度ではなく、社会福祉的側面を有していることを十分認識しなければならない。年金の給付が一定年齢以上の国民に限って給付され、所得によって給付に制限があることからも、それは明らかである。
仮に何らかの理由で年金制度に加入せず、年金が給付されない国民があれば、それは生活保護などの形で国が救済する。それが20世紀的福祉国家の原則である。
国とは抽象的存在でも国民と対立する存在でもない。国が行うとは、国民の総意により税金により給付が担保されることに他ならない。
そのような認識を前提として、自らの選択により所得を浪費し、悲惨な老後を迎えている個々人に対して、救済の手を差し伸べるべきかは十分に議論の余地はある。 だれでもが知っている欧米の寓話「アリとキリギリス」そのものであり、国家や社会の存在とともにある課題に違いない。(貴方はキリギリスを見殺しにするアリを非情と思うだろうか。あるいはキリギリスの自業自得と思うのだろうか。)
しかし、現状はそれを「是」としていることは十分認識をしてしかるべきである。
すなわち、日本が今後も福祉国家であることを標榜する限り、最低限度の生活を保証する年金制度は、国民の総意により全額を税金で賄うことが適当である。

基礎的な年金の財源は、労働者=勤労者のみが負担するものではない。

国民の老後に責任を負うのは国である。国を構成するのは、自然人である個人だけではなく、法人も存在する。
国の責任である以上、年金の財源は現役の労働者のみが負担する必要はない。
年金の財源となる税金を誰からとるかに合理的絶対的なものはない。乱暴な話ではあるが、雇用保険や社会保険などは伝統的に労使折半を原則としてきた。当面同様に法人の所得と個人の所得(消費)から折半で負担することで良いのではないか。
いずれにせよ、労働者間の相互扶助的に制度設計を行うことは誤りである。

自助努力と競争原理の導入

個人個人が自らの生涯について責任を持ち、自助努力を基本に生活設計を行うことは絶対に必要である。老後や失業に対して国が責任を持ち、生活保証に万全であった社会主義国において、それは安心をもたらす一方で、競争を消滅させ社会に必要な活力を失わせた。
自らの努力が正当に報われてこそ、個人は努力をするという、人類の本質とも言うべき性質が改めて実証されたのである。
年金制度についても、国民が全体として合意する水準の公的年金を整備し、税金で賄うことは異論がないところであろう。水準が高すぎるなら国民が十分に議論をして、公平を確保しながら給付と負担の水準を定めればよいのだから。
一方で自助努力を促進する仕組みは重要である。
若いうちに多くを使い老後にリスクを残すのか。若いうちに我慢して安泰な老後を確保するのか。個人の価値観や環境によってどちらが良いとは一概に言えないが、そのための選択肢は豊富に用意されなければならない。価値が多様なとき、価値を統一するのではなく、それに応える多様な選択肢を用意するべきなのである。
われわれはそのために民間事業者を活用することが有効であることを既に知っている。ニーズがあるところにサービスが発生するのが資本主義社会の素晴らしいところである。
個人年金保険についての規制を大幅に緩和して多様なサービスが提供可能な環境を作ることで、概ね目標は達成可能である。もし、国がそれを望ましいと考えるのであれば、税制面で優遇することで一層の促進を図ることができるはずである。また、破綻が危惧されるなら公的な再保険制度が有効であろう。
いずれにせよ、年金制度に選択の余地がなく、競争原理が働かないことは重要な問題である。
年金運営主体に競争原理を導入することで、多様な価値に見合った豊富な選択肢の提供と運営コストの削減が同時に実現されるのである。

追伸:
配信後、最終回を執筆のため改めてサイトを検索していたところ、既に1年半以上前に提案した改革案に良く似た案が提示され、活発に議論されていることを発見した。
自らの不勉強を反省するとともに、敬意をこめてご紹介させていただく。
参考になる意見が多数掲載されているので、併せてご一読いただきたい。

「週刊!木村剛」

なお、これだけの議論が行われながらも、何ら政府案に反映されなかった事実に日本の政策立案過程の深刻な問題を改めて認識するのである。

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2006/02/25

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 5


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エピソード5 赤い惑星のブルース   Blues for a Red Planet
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第5話は火星の話である。

宇宙空間に赤く輝く火星。
火星を背景に、火星を語る博士。
火星探検の歴史、有用性など。

有名なウェルズの「宇宙戦争」が、ホルストの「惑星=火星」をBGMにして語られる。
はるか火星から地球を観察する火星人。
その火星人が地球を侵略する話である。
19世紀の平和な英国の田園風景と平和な生活風景の再現ドラマ。
そんな平和なビクトリア時代にこの物語は生まれたのである。

場面は、古い天文台に変わる。
暗闇の中を歩く博士。
木造の古いドームのなかに、大きな光学望遠鏡がある。
アメリカ人のローウェルがアリゾナに個人で造った天文台である。
電球に照らされた天文台の中で語り始める博士。

ローウェルの人生の物語。
実業家として成功したローウェルは、残りの人生を火星の観測に捧げた。
火星に運河があるとの観測に興味を惹かれたローウェルは、その観測のために
天文台を造り、毎夜のように火星を観測し続けたのである。
彼の残した膨大な火星のスケッチ。
さまざまな運河の模様が描かれている火星の詳細なスケッチである。

ローウェルは、火星には知的で人間と同じような人々が住んでいると結論した。
滅亡に瀕した善良な火星人の世界が、彼の想像した火星にはあったのである。
砂漠化する火星、運河も役立たず滅んでいく火星人達。

荒涼たる岩山を歩く博士は語る。
ウェルズとローウェルの、それぞれの想像が、その後の火星人像を造り上げていったことを。
博士が子供の頃読んだバローズの火星小説の内容が語られる。
幻想的で魅惑的な火星での冒険物語。
その挿絵は、さながら古代ローマかイスラム帝国のようである。
博士が子供のころ、まだ火星は夢とともにあった。

場面は、20世紀初頭のアメリカに変わる。
ゴダードのロケット開発の物語である。
独立祭の花火、そしてローウェルの仮説が、ロケット開発のきっかけであった。
高い木に登る青年がいる。
青年の目には、遠い火星への旅立ちの夢が映る。
古い記録フィルム、ロケット開発失敗の記録である。
徐々に成功をおさめるロケットの発射。
ゴダードによって、現在に続くロケットの基本技術の基礎が確立されたのである。
巨大なサターンロケットの打ち上げ風景が印象的である。

場面は、宇宙から見る地球の写真映像に変わる。
解像度を高めると、人口の構造物が見えてくることがわかる。
生物の存在を、地表の構造物を観察することで発見できることが説明される。
それは、ある惑星に文明があるかの識別方法の説明にほかならない。

火星を望遠鏡で観察することで、その巨大な運河を生物の存在と結論したローウェル。
その方法論は正しかったのである。
現在の観測器が撮影した火星の詳細な写真の数々。
そこには自然の多様な地形はあっても、人工的な運河はなかった。
観測の精度の低さを想像で補ったことが、間違いであったと博士は結論する。

バイキングの成果が語られる。
高空から撮影された詳細な写真。
そこには、クレーターや大きな渓谷があり、水の存在した痕跡がある。
火星に吹き荒れる風、砂漠と風化。
観察により生まれる新たな謎。
精巧なCG映像によって、火星の上空を飛び回る博士の乗った架空の宇宙船。
赤みを帯びた大気の中、広がる風景はグランドキャニオンのようである。

バイキングの着陸地点の選定方法が語られる。
たった2機の観測器である。
安全で退屈な地点が選ばれ、より魅力的な場所へは着陸させられなかったことが説明される。
それは、別の場所に生命が存在する可能性を示唆しているようでもある。

バイキングのよく工夫された無人自動実験装置の説明が続く。
独創的な実験装置の数々。
鮮明に撮影された地表の写真は、赤みを帯びているほかは、地球にあまりに似ている。
火星人はおろか、いかなる生命の証拠も発見されなかったことが報告される。
バイキングが映す荒涼たる風景。そのカメラが博士を捉える。
実は、テストに使われた地球上の原野の風景なのである。

生命がいたとしても、その進化には何十億年もの時間がかかることを、博士は語る。
火星に何らかの生命がいるのかどうかの何種類かの実験が行われた。
実験装置が当初想定していなかった可能性が発見されたことで、
次回の探検まで、火星に生命があるかの最終的な結論は持ち越しなのであった。

ある事実を証明するには、慎重にあらゆる可能性が検討されることの重要性が、
具体的に説明される。
ある現象が生物が存在する証拠となるか、証拠がないことが存在しないことを示すのか。
博士は、火星に生命が存在しないとは結論しない。
火星の生物は炭素を基本としない(有機体ではない)可能性を博士は否定する。
炭素ほど豊富で優れた基本元素はない理由を語る博士。

机の上に、生物を構成する元素が集められている。
次々混合していく博士。
決してそのような方法では、生物を造り上げることは出来ないことを示す、
実に分かりやすく簡単な実験である。
炭素との単純な結合が、長い年月に複雑化して、最終的に今日の人類を作ったという、
生命の誕生と進化の仕組みが改めて語られる。
そして火星の生命もあるとすれば有機体であろうことが指摘される。

次回の火星探索のアイディアが示される。
無人の荒野を移動していく不思議な車両。
自動制御で探検をするロボット車両。
赤い砂漠で火星探査の歴史と意義、そして
「火星人」を探す旅の魅力を熱く語る博士。

バイキング計画に参加した一人の科学者の物語が語られる。
懸命に開発した実験装置がバイキングに搭載されなかったこと。
南極での生命発見に、その装置が成功したこと。
そして、南極で命を落としたことが。
その物語は、火星での生命存在の可能性を印象づけるとともに、
今は亡き友人への追悼にほかならない。

砂漠を歩きながら、遠い将来の火星改造の夢を語る博士。
火星に氷として存在するはずの水を活用する方法。
火星に植物の種を蒔き、水と空気を再生させれば、
何百年かで地球のような環境を作れると語る博士。
「運河」を造るのも有効だと語る博士。
この壮大な構想力こそが、夢想家であり、現実家でもある
セーガン博士の面目躍如たるものである。
幻想的な火星を見下ろすように彷徨う映像で物語は終わる。

巻末のアップデートは、オゾン層破壊と核の冬の話である。
火星探査は、地球環境の研究に役立つことが説明される。
国際協力によって行われるべき、有人火星探査の計画の夢が語られる。
その必要性、重要性そして有用性が特に強調されている。


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2006/02/24

日本が危ない:年金の危機 2

複雑な年金制度、歴史と課題

戦時体制が生み出した厚生年金制度

日本の一般の国民を対象にした年金制度が誕生したのは昭和16年(1941年)の「労働者年金保険法」による。
太平洋戦争が不可避との状況で、国内のあらゆる制度が戦時体制に一斉に移行している真っ最中である。
この年金制度が戦争の激化とともに、対象を拡大して現在に続く厚生年金となっている。
厚生年金制度は当初から積立方式を採用していて、その基金は戦前には戦費に、そして戦後は財政投融資の財源として国家により運用されていた。
明治維新以来の日本は、かなり純粋な形での資本主義社会であり、国の役割は極めて小さかった。
病気や老後の生活の保証は基本的に国の関与しない自助・共助に任されていて、公的な制度はほぼなかったに等しい。
大正期に入って、国自体が豊かになったことに加え、福祉国家的思想が欧米から流入することで、いわゆる社会政策が展開の兆しを見せるが、先駆的・実験的色彩が強く一般的な傾向とは言えないものであった。
戦争直前の段階で年金制度が創設されたのは、徴兵制度により少なからず影響を受ける国民の生活基盤を安定させ、戦争遂行の障害を除去する必要のためであったことは言うまでもない。
やや先行する形で健康保険制度が拡充された背景も同様である。
厚生年金は、戦後の高度成長下で、所得の上昇と労働人口の増加により、一時的に莫大な基金を造成することに成功した。しかし、それらは将来の給付のための財源であったにも関わらず、さまざまな理由をつけて「消費」されてしまったのはご案内のとおりである。

公務員の年金制度

それとは別に官僚や軍人を対象とする恩給制度が、明治時代からあった。
一定の要件を満たした国の役人や軍人には退職後も、現役時代の役職に応じて国から年金が支給された。
その詳細な制度の内容は省略するが、基本的には国による一方的な給付制度であり、民間の積立を基本とする保険制度とは異なっていた。また、市町村など自治体の職員は、国の官僚(官員)とは明確に区分され吏員と称されていて、恩給の対象ではなかった。
この恩給制度が母体となって、戦後の公務員を対象とする共済組合が発足する。
共済に対して国費(税金)が支出されているような誤解があるが、それは戦前の恩給受給者が共済組合に引き継がれたことで、その費用を繰り入れているのであり、現在の公務員の給付を補助しているものではないことに注意しなければならない。
恩給の給付は敗戦によっても廃止されず、共済組合を経由して今も国の責任で続いているのである。

国民皆年金は高度成長期に成立

以上のように勤労者=労働者に対する年金は、まがりなりにも戦前からあったが、個人商店主や自営業者などの年金制度が成立したのは、「もはや戦後ではない」昭和36年になってからのことである。
他の細かな制度も含め、国民年金制度の発足により、日本の歴史上初めて国民皆年金制度が成立したことになる。
戦前から戦後も高度成長期に至るまで、相当数の国民には年金制度がなかったことは重要である。
すなわち、健全だった年金制度が破綻に瀕しているのではなく、日本において健全な年金制度は一度もなく、制度が新しいため受給者が少ないため制度の欠陥がわからなかっただけなのである。その制度設計を行ったのは、国自身であり責任は当初の制度設計と運用にあることは明らかである。
国民年金制度は、発足当初は小額の定額掛金で、給付もそれに見合ってわずかなものであった。一括納付の特例を含めても受給資格者は少なく、積立方式の年金制度としては、当面問題のない制度設計がされていたように思われる。
その国民年金制度が、将来的な展望を欠くままに、給付水準の引き上げ・物価スライド制の導入などによって、給付額のみを増大させたことが、今日の年金制度の危機の根本的な原因である。
多くの国民にとって「国が払う」年金が増えることは、日本が豊かになったことを実感できる証拠であり、多くの政治家にとっても魅力的な公約に違いない。
結果として、将来の収支を厳密に精査することもなく、意図的な推計に基づいて、掛金は据え置きながら給付額の引き上げが安易に行われたのである。

無年金者への対応

もう一つ注目すべきことは、国民皆年金を制度上の建前としながら、相当数の無年金者が存在していることである。
今日問題になっているような故意による未加入者もいるが、その多くは制度の発足時期や変遷などにより年金を受給できない人々である。
その原因は様々であるが、代表的なものでは、所得が少なく掛金を払えなかった人、終戦により国籍を失うこととなった旧植民地出身者、制度そのものがなくなった軍人・軍属などである。
それらの無年金者への国の対応は鈍く、その多くは戦後悲惨な生活を余儀なくされたことは、よく認識されなければならない。旧軍人などに対しては、国が造成した基金などにより比較的手厚い対応がなされたことはご承知のとおりである。
無年金者については、結果として他の生活困窮者と同様に社会保障制度=生活保護により対応がなされている。
生活保護は、今般の三位一体改革で広く認識されたように、国と地方公共団体の市町村が共同で運用している公的事業である。
その基本は、原則として原因の如何を問わず、現実に生活に困窮しているとの状況にのみ着目して、憲法が保証する最低限度の生活を確保するために、税金により運用されている。
一見すると年金制度とは異質に思われるが、実は年金制度の対象外の国民を最後に救済するのは全額が公費によりまかなわれている社会保障制度なのである。
国家が国民の福祉と生活を保証することを基本原理とする以上、どんな国民であれ国家が見殺しにすることが許されないのが、現代福祉国家のセントラルドグマ(基本教義)なのである。

基礎年金制度の意義と問題

このように、歴史的背景も制度内容も異なる各種の公的年金制度が、分立しているのが日本の年金制度である。
各国民は主として職業により、どの年金制度の対象となるかが法律で決定されていて選択の余地はない。あるサラリーマンにとって、運用成績や対応などを総合的に検討して、どの年金制度に加入するかを選択する余地はない。ある企業に勤めるかによって厚生年金の加入者に強制的になり、失業することで資格を失う。無業者は国民年金しか選択の余地はない。
言い替えれば、各年金制度は法律によって加入者が保障されていて、しかも競争から保護されていることになる。
そのような形で、「国民」を分け合ってきた各年金制度は相互に独立していたが、基礎年金制度の導入によって、その仕組みが大きく変わったことは重要である。
各制度は自らの加入者に対して将来の給付を保証すれば良かったものが、基礎年金制度によって、自ら運営に直接関与できない他制度での損失(赤字)を分担することとされた。
基本的には国民年金での赤字を厚生年金・共済年金が補填する仕組みであるが、制度上は各制度相互の財源を調整する仕組みである。
すべての制度が、法律により統制され、外郭団体や地方公共団体に独占されている日本の年金制度だからこそ、霞ヶ関に官僚の主導によって実現しえた制度と言わざるを得ない。
詳しく論じる余地はないが、責任の分散と不明確さが、年金収支に対する各制度の責任ある態度に大きな影響を与えたであろうことは疑いはない。
加入者から集めて加入者に責任を負って運用すべき資金が、安易に他制度の赤字の穴埋めに使われてしまうのでは、各制度の担当者のモラル低下は不可避である。逆に言えば、いい加減な運用をしても他制度により補填される制度の元で、真摯に業務を行う担当者などいないのである。
結果として、各年金制度の運用は、いずれも急速に悪化し、その帳尻は各加入者である国民か、納税者としての国民が、あわせるしかないのが現状なのである。

このブロクの目的

まだ始まったばかりの「日本が危ない」ブログだが、ここで取り上げる問題や課題については、分析や批判に終ることなく、建設的な提案をし、現在の政策に対する対案を提示することを基本にしたいと考えている。
時の政府・政権の政策を批判するのは易しい。テレビの討論番組の評論家のように、問題点や失策のみを強調するだけでは、実は何も変わらない。
政策は、多様な利害の調整の結果生み出される総合的な判断と対応の体系である。
重視する利益の違いが、多様な政策の選択肢を生み出すのであり、利益が異なることで、政策は評価もされ批判もされる宿命にある。

その政策を生み出す巨大な頭脳は、今や多くの人が承知するように、中央省庁の官僚機構である。
現在日本の危機の本質には、その利益調整機能を実質的に担保していた官僚組織の変質があるように思われてしかたがない。
古くは江戸時代の武士道から始まり、明治・大正・昭和と脈々と受け継がれてきた官僚達の「公」の精神。
私利私欲や無責任を憎み、良い国を造るのだという良い意味でのエリートの気概が失われたように思われる。
もともと財界・政界・関係業界などと密接な関係を持ちつつも、国民総体の利益との調整を行ってきたことに、日本の官僚機構の独自性と優秀性があった。
欧米であれば、議会とその立法を通じて実現される国民の利益の集約が、内部的に処理されてきたことで、日本の政策は一貫性を保ち時代によく適応してきたように思う。
21世紀の今、官僚機構から、そのような「公」の守護者としてのプライドが消滅したことが、国民不在の政策立案、政策体系の迷走の原因であると断定したい。

純粋に国民の一人として最も重視すべきは、国民一人ひとりの利益に他ならない。
従って、このブログでは政策が、国民総体の利益のために立案されているかとの観点に常に留意しつつ、具体的な対案を提示することを心がけていきたい。

巨大な官僚機構が生み出す政策に対抗することは容易ではない。
国会で野党の追求が瑣末な揚げ足取りに終るのも、ある意味でやむを得ないところもある。
十分な情報と企画力があるシンクタンクが必要であるとの認識が広まりつつある。
真に政権を担うことを考えるなら、霞ヶ関の官僚機構に対抗できる知識・情報・人材の集約は不可欠なのである。

次回は、現時点ではアイディアに過ぎないが、現在の年金改革とは全く別の改革プランを提示してみたい。
今回の配信およびブロクをご覧の方々において、現状認識や解決の糸口、具体的改革案などお考えがあれば、トラックバックやコメントでご呈示いただければと思う。
インターネットの世界で仮想のシンクタンクが成立すれば、日本の危機を回避する大きな力となるに違いないのだから。

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2006/02/23

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 4


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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エピソード4  天国と地獄   Heaven and Hell
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第4話は、彗星と惑星そして金星の話である。
緑深い森から物語は始まる。
博士は語る、地球は生物にとって天国であると。
そして、宇宙には天国と地獄があるのだと。
長い地球の歴史には破滅の歴史もあったことが。

古い記録フィルムが映し出される。
前世紀のシベリアでの素朴な生活風景。
10世紀初頭のシベリアでの、彗星衝突の調査風景である。
シベリアの森林が一面になぎ倒されている場所が、彗星の衝突場所である。
現場には、隕石の破片も何もなかった。
彗星の衝突が、広い範囲の気象台の気圧計に記録されていたことが語られる。

現場の荒涼とした森を歩きく博士。
何の痕跡も残さなかった大爆発を説明する、様々な仮説が紹介されていく。
具体的な証拠に裏付けられた仮説のみが真実だと力説する博士。
証拠によってのみ事実は語られるという、
方法論としての科学の重要性がここで再び確認されている。
博士が最後に提示する仮説。
氷で出来た彗星が地球に衝突する場面が再現される。
核爆発並みの彗星の衝突。過去何回もの衝突があった。
衝突とともに樹木はなぎ倒される、氷は蒸発しクレーターはできない、
何の痕跡も残らないなど、この仮説が状況証拠と一致することが検証される。

話は、彗星について昔からどのような仮説や迷信があったかに変わる。
彗星の出現は、災いの前兆と信じられ、さまざまな歴史的事件や伝説を生んだことが語られる。
記録された彗星の絵や版画。
最も有名なハレー彗星。ごく最近の接近でも、いろいろな風説や根拠のない噂が生まれた。
当時の人々の滑稽な言動の数々、科学の進化とマスコミの発達が恐怖を増幅する。
彗星の毒ガスを防ぐガスマスクや飲み薬などを手にする博士。

楕円軌道を描く彗星が長い尾をつくる仕組みなどが、CGで説明されていく。
美しい太陽系を横切る彗星。長楕円軌道を描く彗星は惑星軌道を横切っていく。
木星などの引力で軌道が変化する様子などは、改めて図示されると実にわかりやすい。
巨大な太陽系の模型のなかを、彗星になったつもりで歩いていく博士。

ハレー彗星が惑星に衝突する確率は10億年に1回。
すなわち、大きな彗星の衝突はめったに起こらないのである。

あわせて太陽系の構造も説明されていく。
木星の模型に近づく博士。
木星が巨大であること、そして気体で出来た、地球とは構造の違う惑星であることが。
木星には地表はないのである。そこには衝突の証拠であるクレーターはない。
しかし、木星の衛星にはクレーターも地表もあることが説明される。

場面は12世紀の修道院に変わる。
月に彗星が衝突したことを目撃した貴重な記録が、ここに残されている。
キリスト教の教義に反する事実を、見なかったことにしてしまった多くの修道士達。
そこに、事実を記録した唯一の修道士がいたことが語られる。
「月が燃えた」その意味を考える修道士。記録は正確に事実を記録していた。
そのような態度こそが、科学の態度だと博士は暗黙のうちに語っている。

800年後、アポロ計画によってその衝突が確認されたという驚くべき事実が、
今や懐かしいアポロ着陸船の映像をバックに語られる。
衝突の振動が未だ残っているのである。
レーザー光線による月面観測の仕組みが説明されていく。
月面の詳細な写真で、その場所までが明らかにされていく。

太陽系の惑星の誕生を巡る何の根拠もない仮説が紹介され、
その荒唐無稽さが科学的・論理的に否定されていく。
金星の誕生に関する仮説である。
金星が木星で生まれ、地球上の出来事の原因となり、今の軌道に落ち着いたと言う仮説。
いかにありえないかが、説明されていく。

再び模型の太陽系を説明する博士。
太陽系の大きさと惑星の大きさの模型が正確でないことが、はじめて説明される。
太陽系の大きさに較べて、惑星はあまりに小さく、衝突や相互の干渉がほとんど起こりえないことが。

最後に、あらゆる科学の仮説を証拠によって証明する大切さが語られ、たとえ常識や感情に反するものでも、
それを抑圧したり弾圧したりしてはならないことが、強調される。
太陽系や惑星をめぐって過去に様々な説が生まれ信じられたこと、
そしてそのほとんどが事実ではなかったことが語られる。

金星の話である。
地球に近く、地球に似ていると思われていた金星。
金星観察の歴史と、その姿を巡る様々な仮説が紹介される。
星の光学的観察によって、様々な事実がわかる仕組みが説明される。
虹の解体、プリズムによるスペクトル解析である。
特定の原子や分子が光を吸収する。
可視・不可視の光線や電波を分析することで、星の大気などの組成がわかるのである。
最近の金星探査機による観測によって、それらの仮説がいずれも間違っていた事実が示される。
科学においては、多様な仮説が認められることと事実による証明が重要なのである。

厚い雲に覆われ、雷鳴轟く高熱の金星。
その映像は、実によく出来ている。
ごく最近まで天国のように思われていた金星が、実は地獄のような場所である事実。
金星の灼熱の原因が温室効果であることが語られ、地球での温室効果の危険が指摘される。

青く美しい地球。
天国のような地球の自然。
高空から見た美しい地表の映像。
それを、地獄に変えてしまうかもしれないのが、人類自身であることが指摘される。

エジプトのスフィンクスの前足の上(!)で博士は語る。
その姿が風化によってゆっくり変化してきたことを。
そして、ニューヨークに運ばれたオベリスクがわずか100年の内に、
排気ガスなどで浸食されたてしまったことを。
現代文明が地球にとって有害なことが暗示される。

人類の生活を破壊する自然の脅威。
竜巻や火山の噴火の映像。
自然の破壊が、地球にもたらす深刻な影響が指摘される。
現在に生きる我々の自覚を促す博士。
積み上げられる廃棄物の山や排煙などが、その破壊のすさまじさを示していく。
爆撃、核実験など。
(しかし、博士自身はそのことに絶望も悲観もしていない。それは克服できると博士は信じている。
博士はアメリカ人なのである。)

われわれにとって、地球は唯一の故郷である重要な事実を、博士は指摘する。
金星にも火星にも、人類の住む場所がないことを。
青く輝きゆっくり回転する地球の映像。
地球を天国のままでありつづけさせることが出来るのは、
今生きている我々自身であることが指摘される。
それを地獄に変えるのかもしれないのが、我々自身であることも。

我々が、将来の子孫と地球に対して、責任を持つべきことを、
博士は最後に異星人の質問に答える形で語り、物語は終わる。

巻末の最新情報では、温室効果の危険性が改めて指摘されている。
その対策として、燃費の良い自動車の開発など至って現実的な4つの方策が提案される。
セーガン博士が実践的で現実的な科学者であることの証明である。
一方で、その程度の方策さえ実施されていないことに、人類文明の危機を改めて感じるのである。

 


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2006/02/22

日本が危ない:年金の危機 1

日本の年金制度の危機的状況

積み立て方式?賦課方式?

年金の各制度は、創設以来長く積立方式であると政府により説明されてきた。国民一人ひとりが毎月掛金を払い、その積立金と運用利益が将来年金として支払われると言われていた。
現実にも、戦争を挟んで高齢者人口のうち年金受給資格がある国民が少なく、所得が急速に伸びて年金掛金が豊富に集まった高度成長期には、そのとおりであるように思われた。
重要なのは、その年金収入が将来の給付に備えて確実かつ的確に積み立てられ、運用されていなかったことである。そのような積立金が存在しないことが明らかになったのは、確か1980年代だったように思う。
一時は大問題になった年金積立金(基金)だが、原因や責任の追及もついに曖昧なまま、浪費された掛け金が補填されることもなく、年金は附加方式であると政府・運営主体が説明を一転したのは、ご承知のとおりである。
賦課方式とは、現在必要とされる退職者の年金支給を、将来受給資格を得る現役世代が共同で負担する方式である。
すなわち、今支払う年金保険料は自らの給付のためではなく、今の給付に使用されてしまう。では、今の加入者の給付の費用は誰が負担するのか。それは、将来その制度に加入する若い構成員が支払うことになるのである。

増大する給付、減少する保険料

両方式の違いは、単純には運用益の有無程度の違いがないように思われるが、実は重大な違いがある。
積立方式であれば、常に1人分の支給は1人の掛金と対応する。将来加入者が減少しても、対応して受給者も減少するので、大きな問題は生じない制度である。
一方で、賦課方式の場合、加入者が増大するならともかく、減少した場合には重大な問題が生じる。
増加する受給総額と減少する保険料総額、すなわち赤字である。制度が独立しているとの前提であれば、解決策は2つしかない。すでに退職した受給資格者の年金額を減少させるか、保険料を引き上げるかである。何十年かの間、将来の年金受給を信じて保険料をおさめ続け、すでに収入のなくなっている受給資格者の年金額を削減することは、信義則に反すると言わざるを得ない。
もし、そのようなことを行えば、現在保険料を納めている加入者の年金制度への不信を増大させ、保険料の徴収に支障を生じることは明らかである。
そのため、加入者が減少する状況にあっては、年金保険料の引き上げは不可避なのである。
現役の加入者にとっては、支払っている保険料が給付にまわされている以上、自らの給付は将来の加入者に頼るしかない。自らの老後を支える年金の給付が確約されないなか、制度への加入を躊躇うのは自然である。
少子高齢社会の将来展望が不透明な状況にあって、年金保険料が源泉徴収されるサラリーマンはともかくとして、国民年金の未加入・不払いが顕在化するのは必然なのである。

失われた信頼、繰り返された裏切り

国の官僚の不正や不祥事が起きるたびに、国民やマスコミが非難し糾弾する。それを裏返せば、国民は行政機構に大きな信頼を置いていることに他ならない。
議員が特殊な利益を代表していて、国や国民全体の利益を代表していないと、多くの国民が認識していることは、日本にとって本質的に不幸なことである。
議会が国民の利益を代表しない結果、行政には高度な中立性と公平性と聡明さが求められてきた。
その優秀な官僚機構が今危機的な状況にあることは、いずれ別に論じたいが、年金制度については、その国=中央行政庁に対する国民の信頼が根本から崩れさっていることが、年金の問題の解決が極めて困難である重要な理由である。
日本において国民年金はともかくとして、サラリーマンが加入する厚生年金、公務員の共済年金とも、直接に国・地方公共団体が運営主体でないことは、ご存知のとおりである。
しかし、その制度設計は中央省庁(旧労働省)でなされたもので、法律によって設置された公的主体が、法令に従い運営しているものである。
実質的に国が作り運営しているに他ならない制度が破綻すること自体が信頼に対する裏切りに他ならないが、年金については何度となく信頼を裏切ることが国民に記憶されている。
まずは、高度成長期に潤沢だった年金保険料が、加入者への還元との建前のもとで、国の高級官僚が天下る外郭団体などが運営する施設建設と運営費に使用されてしまい、将来の給付に備えた積立が行われていなかったこと。
その事実が隠蔽されたあげく、短い期間に次々天下り官僚がトップを勤めたことから、その浪費と不誠実な運営の責任を、実質的に誰も負わずに済ましてしまったこと。
赤字補填に使用された本来積み立てられるべき保険料は永久に失われ、高額な費用で建築された施設は廃棄され、異常な低額で処分されて、年金の財源に決定的な打撃を与えたが、その補填は全く行われないままである。
そのような加入者の信頼を決定的に失った年金運営主体が、抜本的な見直しもされないまま年金制度を運営していくことに国民は全く納得していないのである。
また、ここに来て意図的とも言えるほど政府によって強調されている年金の危機であるが、所管省庁はもとより民間シンクタンクの公表された分析によっても、年金制度は近い将来破綻することは20年以上も前から明らかであった。
国民の側の無関心も重要であるが、当時曲りなりにも収支が均衡するような推計が可能であったのは、低下を続けていた出生率の急速な上昇を前提としていたからであった。
原因の明確な分析もされず、実効ある対策もとられていないことから考えても、出生率の予測は年金財政の均衡のためだけに恣意的に設定されたことは、今となってはあまりに明らかである。
厚生年金と共済年金が健全と宣伝される一方、国民年金の危機的状況を誇張して、今に続く基礎年金制度の導入を図った行政庁の手法は、国民に対してあまりに不誠実である。
実際に、出生率は低下の一途を辿り、ついには国の総人口が減少するに至って、まるで初めて年金制度が危機に陥っているかのごとく主張するのは国民に対する欺瞞と言わざるを得ない。

年金の危機、官僚機構の危機

事ここに至っても、政府=行政庁の示す年金制度改革案は不明朗である。
厚生年金・共済年金・国民年金・基礎年金などに分かれている現行制度を段階的に一元化することで、特定の制度が先行して破綻することを防ぐとの意図は明らかである。
ある制度の受給者の問題ではなく、全国民共通の危機とすることが、行政にとっては対応が楽だからであるとしか思われない。
その上でも、収支改善の基本策は一切示されていない。ただ将来(決して現在のではない)の給付水準の引き下げと保険料の引き上げが提示されているだけである。
具体的な運営主体の改革も約束していなければ、未加入者問題にも解決策がない。普及定着しつつある民間が運営する個人年金保険との連携も検討されてはいない。
年金制度への国民の信頼を回復することは何より重要である。元官僚の責任により年金の財源が失われた事実を真っすぐに認め、制度上は独立している年金基金に対して、その責任分を補填する誠実さが必要である。
そのうえで、将来の年金支給に対して国として改めて約束をする必要もある。
改めて言うまでもなく近代民主国家において国と国民は契約により関係を結ぶのであり、契約は相互の信頼があって初めて成立するのである。
払った保険料が責任を持って年金として支払われるなら、誰に文句があろうはずもない。年金を巡る不信は、国=行政自らが生み出したことを真摯に反省すべきなのである。

年金という国の根幹にかかる制度の破綻に際して、年金受給者と加入者の関係を安易に親子の問題に擬製して「親の面倒をみるのは子としての当然の義務である」がごときの精神論を説くようでは、世界に誇った優秀たる日本の官僚機構もまた崩壊の瀬戸際にあると言わざるを得ないのである。

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2006/02/21

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 3


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エピソード3  宇宙の調和    The Harmony Of The Worlds
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第3話は、天文学の歴史の話である。
古代の占星術から始まった天文学が、真の科学となる歴史である。
スポットがあてられたのは、コペルニクスでもガリレオでもなく、意外にもケプラーである。
惑星の運行法則、そう「ケプラーの法則」を発見した人である。
研究のスタイルが、方法論としての科学そのものであったことが、
ケプラーが選ばれた理由の一つであろう。
ここでも再現ドラマが繰り広げられるが、ケプラーが生きた時代が、
まだまだ迷信と暗黒の中世の延長であったことには驚かされる。
ほんの少し早く生まれていれば、ケプラーの研究は教会の異端審問で糾弾されていたに違いない。

大宇宙から物語は始まる。
スバル星団、土星、木星などの美しい画像と古めかしい星座表が交互に現れる。
占星術は、星と人の運命や社会現象の関係を解明する学問である。
太陽系の惑星は、占星術ではそれぞれに役割を与えられている。
古くから惑星や星座が、占星術のために研究されていたことが語られる。
その占星術を、科学としての天文学としたのがケプラーである。
ナレーションは語る「彼は初の物理天文学者で最後の科学占星術師でした」と。

場面は、現在ニューヨークに変わる。
セーガン博士が地下鉄を街を歩きながら、現代になお生きる占星術を語る。
ニューヨークの人々の日常の風景を背景に、星占いが、
いかに多くの人々に信じられているかが語られる。
占星術の歴史が語られ、人と星の関係が語られる。

星占いがいかに根拠がないかを明らかにするのが、ここでのテーマである。
同じ日の新聞の星占い欄の比較、同じ日同じ場所で生まれた双子の運命の違いなど、
星占いに、いかに根拠がないかが示されていく。
さらには、星と人の間に働く可能性のある物理的な「力」が指摘される。
光と引力である。
星の光の届かない産室で、生まれたばかりの赤ん坊に対して働く引力が、
火星のものより、産婦人科医のもののほうが、はるかに強いとの博士の指摘は、
科学的な装いをした現代の占星術への強烈な皮肉である。

太陽が、地球のあらゆる生物に対して大きな影響を与え続けてきたことが語られる。
そして、天体のすべてが自然の法則に従っていることが。

荒涼たる原野を、博士は歩きながら語る。
自然の法則、自然の一定の秩序を。
人類の歴史は、その初期のころから夜空とともにあり、人々は星のことを考えてきたことを。
世界各地でそれぞれに発見された星座。
原野でのたき火を前に、ロマンチックな星空の物語が次々に語られていく。
漆黒の闇に瞬く星に、古今東西のさまざまな星座が重ねられていく、美しい映像。
人々の想像力は多様でユニークである。
星空に観察できる「自然の法則」。

ネイティブアメリカンと太陽の物語。
あまり知られていない珍しい遺跡が紹介される。
星の運行と季節の移り変わりの関係が語られ、
生活のためにその法則を知ることの大切さが指摘される。
博士は、そこに天文学の始まりを見ているのである。

惑星の発見。星空を彷徨うように不規則に動く惑星達。
日々、星空を見上げることのない現代人には発見されることがないであろう、惑う星達。
改めて示されると、とても不思議な動きである。
その惑星の動きを説明するために、研究が始まったことが。

惑星の動きを説明するための、天動説に基づく精巧な模型。
実に複雑な構造の模型である。
この模型が造られたことで天動説が根拠を得たこと、
そして、真実の発見が大きく遅れたことが指摘される。
コペルニクスによる地動説。
地動説による模型は、ずっとシンプルである。
しかし、その説はキリスト教会と当時の知識人により否定された。
この時代、キリスト教の権威は絶対であり、科学としての天文学はまだない。

16世紀後半に生まれ、修道院に学ぶケプラー。
彼の科学的な考え方が語られる。
真実を知るために、根拠のないものを信じず、観察の結果と思索を重視する考え方である。
幾何学に魅せられるケプラー。幾何学と神は一体であると彼は考える。

まだまだ迷信の中世に生きる当時の人々にとって、
占星術は生活の基礎であった事実が語られる。
その占星術を、彼が科学的に研究することから、天文学が始まるのである。

大学に学び、教師となったケプラー。
惑星の運動と幾何学の関係に気づき、その理論化と模型づくりに没頭するケプラー。
しかし、観察の結果と理論が一致しないとわかると、自らの理論を放棄し、
新たな理論を発見しようとする彼の態度の大切さが語られる。
仮説を立て、観察結果によって証明する。方法論としての科学そのものである。

ブラーエの詳細な観測結果を求めて、ケプラーは東欧プラハに赴く。
中世そのままの異端弾圧を逃れて。
ケプラーの放浪の始まりである。

東欧貴族の贅沢な生活になじめないケプラー、観測結果を知ることを許されない失望の日々。
豪華で賑やかな食事風景と苦悶するケプラーの表情が対照的である。
観察結果の理論化、理論のデータによる裏付けの重要さが語られていく。

ようやく火星の詳細な観察記録を手に入れたケプラーは、研究に熱中し火星の軌道と周期を計算する。
しかし、どうしても一致しないデータがある。
データの誤差と安易に結論しない彼は、データの不一致を解消させるため、修正を粘り強く続ける。
そして、惑星が正円ではなく、楕円軌道を運行していることを、ついに発見するのである。
有名な第一法則の発見である。
有名なケプラーの3つの法則が説明される。
続けて、ケプラーの法則が今なお重要であることが語られる。

万有引力と惑星運行の関係が、第三法則の要である。
惑星の運動を、初めて物理学で説明したのがケプラーなのである。

戦乱の時代に生きたケプラーのその後の人生が語られる。
彼の人生は波乱に満ちている。魔女として捉えられた母親の話。
そして、あまり知られることのないケプラーの書いた月旅行の小説「ソムニウム」。
彼の夢のような小説に、アポロ計画の映像が重ねられる。

宇宙の調和の法則を探求し続けたケプラー。
惑星の軌道と物理的力を関係づけたケプラー。
自然の法則を科学の方法によって発見したケプラー。
遠くを見つめ歩くケプラーと月面の映像。
現在の科学の発展は、ケプラーなくしてはありえなかったのである。
理論を観察結果で証明するケプラーの方法論こそ、科学なのだと指摘して物語は終わる。

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2006/02/20

日本が危ない:少子化問題の真実  3

少子化の是非

少子化問題について、2回にわたり論じてきた。
結論として、少子化には基本的に賛成である。

一人ひとりの国民が豊かに暮らすために、過大な日本の人口を減少させることは、極めて有効な方法である。
現に生存して暮らしている国民を、海外に強制移住させることも、粛正することも出来ない「民主国家日本」にとって、選択肢は生まれてくる子供の数を減らす以外にない。

過渡的な問題として年齢構成が歪(いびつ)になることの弊害が生じることは事実である。
しかし、現時点で日本の年齢構成は十分に歪であり、しかも現在の少子化対策が功を奏したとしても、ここ数十年にわたって、その歪が解消されないことも同様に事実なのである。

第1回で検証したとおり、人口構成の歪み(ひずみ)が生み出す課題は、少子化に無関係なものを含め、いずれも解決可能であるし、解決しなければならない。
重要なのは、子供の数を増やすことが、唯一且つ絶対的解決策ではないことである。

一方で、少子化により数十年のうちに人口の総数は急減する。
そのメリットは想像以上に大きい。
少子化のメリットを具体的確認していくとともに、過渡的段階での課題についての解決策を具体的に考えていきたい。

少子化、人口減少のメリット

土地・住宅不足の解消
戦後60年、特に高度成長期以降の一般国民最大の課題の一つは、住宅をいかに確保するかにあったと言える。
団塊の世代の流入と核家族化の進行は、都市周辺部に広大なニュータウンを生み出した。
それでも宅地の絶対量は常に不足してきた。
住宅価格は高騰し、1戸あたりの面積は極小とならざる得なかった。
「うさぎ小屋」の誕生である。
遠距離通勤と高額な住宅ローンは、サラリーマン世帯から生活の余裕を奪ってきたのである。

この課題を抜本的に解決するのが少子化である。
今後長期にわたる若年人口の減少は、世帯数の減少に他ならない。
世帯数の減少により、住宅に対する需要は継続的に低下する。
既に住宅の総数は、世帯数を上回っているが、これから住宅淘汰が始まるのである。

それは、短期的には住宅価格や家賃の低下となって現れる。
より便利なところに安く住宅を買ったり、借りたりできる時代が到来するのである。
そして、長期的には、都市近郊に良質で広い住宅が新築されることで、狭小で遠隔地の住宅が一気に消滅することになる。
いずれも、少子化時代に生活する少数の若年者にとっても、また高齢期を迎えて年金生活をしている高齢者にとっても、メリットそのものである。

都市問題の解消

日本における都市問題の根本的な原因は、過度の人口集中による都市の過密化にある。
少子化による住宅環境の改善は、この都市問題解決の切り札でもある。
住宅価格を基準に押し上げられている、都市地域の地価が低下する結果、土地区画整理など様々な手法による都市改造が可能となるからである。
遅々として進まなかった、道路・鉄道などの都市基盤整備、職住分離を基本とする高機能都市への再生が、一気に実現する可能性は高い。

教育費の縮小

高齢化に伴う施設等の不足は大きく取り上げられているが、少子化に伴う学校と教員の余剰はあまり認識されていない。
概ね500メートル四方に1校の割合である小学校や中学校、さらに上級学校の敷地だけでも膨大な面積である。
教育は基本的に労働集約的性格のものであり、教職員の余剰も、また膨大である。
裏返せば、そのための予算が不要となるのであり、その額は巨額である。

戦後の人口急増期を通じて、教育費負担は国や公共団体の予算、そして家計を圧迫し続けてきた。
余剰となる土地や人・予算を、より必要な政策に転用することが可能である。
もちろん行政改革の一環として、削減することもできる。

全国の義務教育課程の教員を、児童・生徒の減少と同率で削減すれば、公務員の削減目標5%など一気にクリアできる。
義務的経費が減少することは、政策の自由度を大きく上昇させ、柔軟な予算編成を可能とするのである。

不足するものは声高に主張し予算を獲得し、余剰には沈黙して予算を温存するのは、官僚機構の本質的病理である。
余剰となる教育費を的確に削減し、国民の税負担を減少させることは可能であり、また必要である。

大切に育てられる子供たちの増加

少子化社会において、子供は貴重である。
貴重なものは、大切にされる。
大切に育てられた子供は、良い社会人となると信じるのは個人的願望に過ぎないのかもしれない。
しかし、家庭においても、地域社会においても、企業内においてさえ、子供や若年者に十分な関心・費用そして労力をかけられる少子化社会は、子供達にとって悪い社会であるはずはない。
子供の密度が低くなることによる弊害が仮にあるとすれば、子育てに特化した都市を造り、人工的に密度をあげれば良いだけのことである。
大切に育てられた子供が、良き大人となり、未来の日本の中心層となったとき、現代日本社会の病理現象は自ずから消滅するように思う。

少子化と労働者

少子化による就業適齢人口の長期的減少、という経済的課題を考えていきたい。

社会構造を理解するために、様々な経済社会モデルが考案されてきた。
資本家と労働者と生産手段の関係に整理したのはマルクスである。
あるいは、人と技術の相互関係、法人と自然人の相互関係で理解することも可能である。

いずれのモデルによっても、就業人口の減少が意味することは同じである。
生産活動に必要な他の資源に対して、労働力と言う自然人のみが提供できる資源が稀少化し高価になるのである。
特定の資源が不足したり、高価になることは、製品の原価が上昇することを意味する。
原価の上昇は、競争的な環境では、利益の減少か競争力の低下をもたらすため、避けなければならない。
すなわち、少子化の経済的問題は、企業活動上の問題なのである。

企業あるいは法人、広く言えば資本主義国家の利益の観点からは、少子化は避けるべきである。
安く安定的に供給される豊富な労働者は、企業活動にとって有益であり、利益の源泉である。
労働力が不足したり、高価になれば、企業活動は低下するか、新たな投資が必要となるのである。

一方で、一人の国民、自然人としての個人として、その意味することは正反対である。
マルクスが指摘するように、労働力しかもたないプロレタリアート(労働者)にとって、労働力が稀少化し貴重になることは望ましいことである。

市場原理に従い、労働者が減少することは、その価値が上昇することにほかならないからである。
具体的には、賃金が上昇し、労働条件が良くなり、所得が増大するのである。
好景気の時に、アルバイトの賃金や初任給などが、敏感に反応して上昇することは、だれでも経験があるだろう。
個々の労働者としての国民は、少子化によって長期にわたり恒常的に高い賃金を労せずして手に入れられることとなるのである。

労働者である国民、特に賃金労働者である国民は、少子化を促進させることで利益を得ることができる。
もちろん、家族を持ち子を育てる喜びは、別ではあるが。
自分は子を持ちつつ、子供の絶対数は減少させることができるなら、それが理想である。

少子化と企業

少子化について、企業と労働者の利害が一致しない。
むしろ、相反しているのである。
しかし、少子化は既に進行しており、労働力の減少は現実の問題である。

第1回で取り上げた藻谷氏の講演にもあったが、今すぐに出生率が反転して、出生数が増加しても、就業年齢に達するのは遙か20年近くも先のことなのである。
減少を続ける就業者人口に、各企業は当然対応をせざるを得ない。

ヒントは、生産力は労働者の数だけで決定しないことにある。
生産力は他の複数の要素との乗算によって決定されることである。
労働力が5、技術力が3で、15の製品が生み出されていると仮定する。
労働力が3に減少したとき、技術力を5にすれば、同量の製品を生み出すことが可能なのである。(あくまでイメージで正確ではないが。)

最大の利益を生み出すことが企業の目的であり、存在理由である以上、労働力の減少に何の手も打たない企業などありえない。
もちろん、今までどおり安くて優秀な労働者が安定的に供給されることが、最も望ましい。
しかし、それが困難なら、省力化投資を行い、少ない労働力でも、利益を生み出さざるを得ないのが企業の宿命にほかならない。

少子化が進行することで、賃金は相当程度上昇するが、賃金総額は人数の減少により減少する。
賃金は、生産活動において相当割合を占めるコストである。
賃金コストの減少分を、機械化や技術開発など他の要素へ投資することで、日本企業は、逞しく生き残っていくにことが予測できる。

少子化社会が経済の衰退を招くという主張は、企業にとって望ましくない未来を牽制するためのものに過ぎないことを理解することが重要である。

少子化時代の都市づくり

子供の密度が下がることが、子供の健全な発育の障害になるとの主張には、科学的根拠が低いように思われる。
しかし、それが必要ならば対応は可能である。

基本的に土地に定着する農耕民族であった日本人の多くにとって、自らは定住し都市環境を改変していくことは、一般的であり当然のことのように思われてきた。
江戸時代から明治・大正・昭和そして平成と時代が変化し、世帯構成や生活スタイルが変化しても、その意識は変わることはなかった。

産業化と情報化の結果として、日本の都市は地域的特徴を失い、どこもが均質なものとなった。
ノーマライゼーションの概念がどこまで適当であるかはともかく、あらゆる人のニーズに応える都市を造ることは難しくコストがかかる。
特に短期的に住民の年齢構成が変わる場合などは、そのロスは極めて大きい。

例えば、子供の増加に対応し多額の費用を投入して整備した学校などの施設が、子供が減少すれば無駄になる。
この先30年ほどの、高齢者人口の増加に対応して必要となる施設は、数十年後には、過剰となることが現時点で既に明らかなのである。
それぞれの都市が、特定の居住者を想定して、特化したインフラ整備を行うことは、都市経営の観点からも、都市居住者の観点からも望ましい。

保育園・教育施設・子育て支援施設や機能を強化し、子育てを支援する税制をとる都市が建設されるなら、より良い子育てを行おうとする世帯の移動が起こるだろう。
その結果、相対的な子供の数が増え、少子化社会においても必要な「子供密度」を確保できるはずである。
同様に高齢者都市・勤労者都市など住民層を明確にした都市群が形成されることが望ましい。

社会インフラとしての都市は、長期にわたって利用されるべき資本ストックである。
都市を改造するより、一人ひとりの国民が自らの選択とライフステージに応じて居住地を変えるほうが、合理的なのである。

少子化社会はバラ色に

神の見えざる手を再び
経済について「神の見えざる手」による自然の調和を説いたのはアダム・スミスである。
神は、宗教上の存在としてではなく「国民の暗黙的集合的意志」と考えるとわかりやすい。

人口についても、同様に「神の見えざる手」が存在するように思う。
人口が減少した場合の、メリットとデメリットが科学的に検証され、具体的にイメージされれば、国民一人ひとりの選択に大きな影響を与えるからである。

子供を持つか持たないか、何人の子供を持つかについて、現在の技術社会において、各個人はほぼ完全な選択権を持っている。
日本においては、子供を持つ選択をする国民の数が減少を続けている。
国民の意識として、子供を持つメリットをデメリットが上回っているからである。

民主国家日本において、意識の変革は、強制ではなく、合理的説得により行われるべきである。
北風と太陽の寓話にあるように、子供を持たない国民を犯罪者にすることではなく、子供を持つメリットを具体化することが重要である。

人口減少社会において、子供を持つ選択をすることは、ある種の残存者利益を得ることを意味する。
情報が正しく伝達され、事実がそれを裏付けるなら、子供の数が無制限に減少することはありえないのである。
出生率の変動を通じて、出生数と総人口数は「神の見えざる手」によって、ある社会的合意点にゆっくりと到達するはずである。
人の寿命が80年を超え、生まれた子が成人するまで20年もかかる以上、その変動はいたって長期なものである。

現在に至る深刻で長期的な出生率の低下は、国家の将来ビジョンの具体化に失敗した政治の責任と言えるだろう。
出生率の低下は、わずか20年後の国の在り方も理想像も提示できない国家への、国民の失望と不信任の意思表示に他ならない。

少子化が築く豊かな日本
年金問題と連携するように少子化を問題視する議論が盛んである。
その内容は悲しいほど浅い。
少子化は社会システムを破壊する。子供を生まないのは反社会的である。結婚すらしないのは犯罪的ある。とでも言わんばかりである。
対策も、月数千円の児童手当の支給年齢を引き上げるとか、子育てしやすい社会を皆でつくりましょうとか、何ら抜本的なものがない。

なぜ少子化しているのかの原因が把握できていないのである。

少子化のメリット・デメリットを正確に把握し分析する必要がある。
そして、将来の日本社会のビジョンを明確にしなければならない。

そのビジョンに国民的コンセンサスが形成されてこそ、個々の国民は正しい選択を行える。
少子化が問題なのか、福音なのかは、国民の総意が決めることなのである。

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2006/02/19

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 2


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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エピソード2 宇宙の音楽  One Voice in the Cosmic Fugue
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壮大な宇宙の物語の第2話は、意外にも生命の誕生と生物の進化の話である。

この広い宇宙のなかに、生命が誕生し、進化し、人類が誕生し、文明を生んだ。
そのことを、天文学における重要なテーマと認識したのが、セーガン博士である。
宇宙の広さと悠久さと共に語るべきは、地球での生命の誕生と進化の謎なのである。
進化論は、多くの日本人にとっては仮説ではなく常識である。
しかし、神が一週間で全世界を創り上げたと信じるキリスト教徒が多い欧米では、
今なお進化論は議論を巻き起こす重要なテーマの一つである。
創造説は、博士が強く否定する非科学的仮説の最大のものであり、
多くの人々に科学的思考がどのようなものかを示すのに最適な反面教師なのである。
化学的反応で生命が誕生する可能性が述べられたり、
わざわざ動植物の多様さが、突然変異と自然選択、すなわち進化によりなされたことが語られるのは、
そのような背景を予め理解していなければ分かりにくい。

物語は宇宙船の中から始まる。
壮大な銀河を背景に「私たちは何なのか」博士は問いかける。
地球外の生命の可能性を探求することは、
人類の謎を解明することにほかならない。

宇宙には、地球の生命の基本的要素である炭素が豊富にある。
そして、地球上の全生命はすべて同じ生命体なのかと、今回のテーマが提示される。
どうやって生命は誕生したのか、そしてどうやって多様な生物体系がつくられたのかと。
生物の原料となる物質は宇宙に豊富にある。
十分な時間があれば生命は誕生する可能性がある。
しかし、必ずしも進化するとは限らないことが語られる。

場面は、中世の日本、源平の時代へと一転する。
海辺にたたずむ鎧の武士。
源氏と平家の争いがドラマで語られる。
日本版だけではないテレビ番組で、なぜ日本なのか。
エキゾチックな日本を取り上げることで、
視聴者の興味をひくための緻密な計算がある。

平家物語の悲しい歴史が語られた後、平家蟹がクローズアップされる。
そう、甲羅の模様が武士の顔に似ている、あの蟹である。

浜辺で博士が語る。どうして蟹の甲羅に武士の顔が現れるのか。
平家の歴史を知る漁師が、ほんの少し武士の顔に似た甲羅を持つ蟹を、
哀れんで又は恐れて海に戻す。
武士の顔に似た甲羅の蟹は、他の蟹より、よく生き延びる。
それが平家蟹が沢山いる理由だと。

この源平のドラマは、自然選択とともに進化の大きな要因である人為選択の仕組みを、
解説するための工夫である。
生物の自然な進化に、人が介入する。すなわち、人為選択である。

同様の人為選択の例として、家畜・食物などのが続けて語られる。
人類による人為選択によって、家畜などの急速に変化することを述べたあと、
悠久の歴史的時間に、自然淘汰がどれだけのことを成し遂げられるだろうと、
博士は語る。

地球の変化に富む動植物の世界が、自然淘汰によってつくられたことが語られる。
進化論である。
沢山の種類の動植物が生まれ、選択され、滅びたことが語られる。

長い歴史のなかで、生物に突然変異がおこり、環境が変化する、
よりよく生き延びたもののみが生き残るのである。

現在の複雑な自然は、決して創造主(神)がつくったものではなく、
自然の選択が造り上げたことが強調される。

場面は、有名な宇宙カレンダーに変わる。
地球での生命の進化が再び語られる。
単純な生命が誕生し、複雑で多様な生物に変化していったことが。

自己複製する分子の誕生。それが生命の誕生にほかならない。
DNA分子の構造が、巨大な模型で示される。
分子がいかにして、生物になっていくかの仮説が模型によって説明されていく。

博士は太古の地球を歩きながら、宇宙カレンダーにより生命の長い歴史を語っていく。
地球での生物の誕生と進化が、幸運な偶然の積み重ねであることが語られる。
分子から人類まで、単純だが的確なイラストで、その変化の歴史が示されていく。

場面は、美しい森へと変わる。
有名なキューガーデンの温室に入る博士。
植物と動物の共生関係が語られる。
そして、すべての植物と動物が、もともとは一つの生命から分かれたものである
ことが説明されていく。

すべての動物に共通の、細胞の構造の説明。
細胞を構成する様々な物質の役割が次々に説明される。
最後に遺伝子に、生物に必要なすべての情報が含まれていることが説明される。
DNAの自己複製の仕組みの、カラフルな模型。
番組制作当時の最新知識により作成された模型が、今ではやや物足りないのは、
四半世紀も前ゆえに、やむを得ないだろう。
最後に博士が予言する遺伝子操作による人類改造への危惧は、21世紀の今
すでに現実となっている。

話は、生命の誕生の謎へと変わる。
地球上に、過去にたった一つの生命が誕生したことが。

いかにも我々がイメージするとおりの試験管だらけの実験室で、
白衣の学者が生命誕生の実験をしている。
1950年代の大学での実験風景の再現ドラマである。

生命誕生の化学的仕組みが簡単に語られ、実験が進行する。
実験の結果はご承知のとおり、研究室での生命誕生は失敗であった。

そこでは、生命の原料ともいうべき有機化合物が合成されたにすぎない。
なぜ失敗したのかは語られず、有機化合物から生命が誕生する可能性のみが、
強調される。

地球での生命の誕生と同様、他の天体でも生命が誕生する可能性が語られる
そして進化がさまざまであり、生物は地球と全く異なった形に進化する可能性が。

木星に誕生し存在するかもしれない不思議な「降下性生物」。
そこで繰り広げられているかもしれない生存競争。
このあたりは空想的であり、やや脱線ぎみであるが、
想像図とともに語られる物語は興味深い。

最後に、宇宙の他の生命体を一つでも研究することができれば、
地球の生命の謎を知る大きな手がかりになることを博士は語る。
宇宙探索は、同時に地球生命の謎を知ることでもあるのだと。

2000年に発売されたDVD版「COSMOS」には追録がついている。
20年の間に、新たに発見されたり、解明された事実を説明するためである。

白髪が増え、少し歳をとったセーガン博士が、カメラに向かって解説をする。

この回では、RNAの話、地球の生命が地球に落下した彗星から誕生した可能性、
そして、巨大彗星落下による大規模な生物の絶滅の可能性が語られている。

このDVDはアマゾンで購入できます。

 


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

DVD
Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

発売日:2002/10/22

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2006/02/18

BraveLife:スティーブ・ジョブズの卒業祝賀スピーチ

このカテゴリーの説明は難しいのです。
「充実した人生を生きる。」とか「我が人生に悔いなし」とか。
その答えが見つからないのです。
妙に気ばかり焦る今日この頃なのです。

アップルコンピューター創業者のスティーブ・ジョブズのスピーチを紹介することで、テーマの説明とさせていただきたいと思います。
話題になったので、すでにお読みになった方も多いと思います。
ちょっと長いですが、一気に掲載させていただきます。
2005年6月、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチです。

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ジョブズの卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日、スタンフォード大学
****************************

 PART 1 BIRTH

 ありがとう。
世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。
実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。
それだけです。
どうってことないですよね、たった3つです。
最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。
が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。
じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。
育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。
ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。
で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。
「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。
彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。
そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。
そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。
やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。
そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。
自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。
なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。
だから退学を決めた。
全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。
ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。
だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。
寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。
日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。
キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。
私は退学した身。
もう普通のクラスには出なくていい。
そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。
それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。
だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。
で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。
そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、
ウィンドウズはマックの単なるパクリに過ぎないので、
パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。
だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。
もう一度言います。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。
点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。
結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。
信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。
実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。
がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。
そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。
アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。
そして最初の1年かそこらはうまく行った。
けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。
いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。
しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。
数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。
自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、
自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。
このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。
知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。
私はまだ自分のやった仕事が好きでした。
アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。
振られても、まだ好きなんですね。
だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。
成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。
そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。
NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。
ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。
そりゃひどい味の薬でしたよ。
でも患者にはそれが必要なんだろうね。
人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。
だけど、信念を放り投げちゃいけない。
私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。
皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。
それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。
そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。
まだ見つかってないなら探し続ければいい。
落ち着いてしまっちゃ駄目です。
心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。
だから探し続けること。
落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17才の時、こんなような言葉をどこかで読みました。
確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。
それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。
これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。
何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。
そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。
自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。
自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。
これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。
生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。
主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。
これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。
たった数ヶ月でね。
それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。
それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。
内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。
私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。
何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。
こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。
この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。
でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。
天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。
にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。
 かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。

そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。
何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。
それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。
今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。
しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。
とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。
ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。
それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。
その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。
自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。
だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。

時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。
だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。
それが70年代半ば。
私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。
君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。
写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。

それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。

「Stay hungry, stay foolish.」 

それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。
そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

*************************************
The Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
*************************************

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2006/02/16

MacLife:iTunes,iPod用動画の管理Tips


Apple Mac mini (1.25GHz, 40G, 512, Combo, 56k, E) [M9686J/B]


前回のDVDからiPod用動画を作る方法、沢山のアクセスをいただきありがとうございます。
うまく作れたでしょうか?

今回は、作った動画をより便利に管理する方法です。

iTunesに取り込んだ動画は、「ビデオ」ソース、「ムービー」、「すべて」に表示されていると思います。
これを、ミュージックプロモーションビデオなら「ミュージックビデオ」などに変更することができます。

目的の動画を選択したら「ファイルメニュー」から「情報を見る」を選択します。
表示されるダイアログポックスで、変更していきます。

まず「オプション」タブを選び、「ビデオの種類」で希望のものをプルダウンメニューで選びます。
音楽ビデオなら「イコライザプリセット」で音質を選択しておくと便利です。
「再生位置を記憶」にチェックを入れておけば、映画など長い動画が続きから再生されます。
「開始時間」「停止時間」を入れておけば、タイトルロールやエンドロールが省略できます。

「情報」タブでは、名前の付け替えやアーティストなどが設定できます。
日本語も利用できますので、分かりやすい名前に変更しておきましょう。
「アーティスト」に歌手名や主演俳優を入力しておくと、iTunesの分類に反映され選択が楽になります。


意外と知られていないTipsを最後に一つ。
iPodでの動画の再生ですが、「早送り」や「巻き戻し」は左右のボタン以外でもできます。
まず、中央のボタンをワンクリック。
画面下にタイムスケールが表示されます。
ここでスクロールホイールを回転させれば、任意の位置まで移動が可能。
画面は早送りされません。
表示されている時間を目安にして、スクロールホイールから指を離せばOK。
目的のシーンの時間などをDVDで確認しておけば、とても便利に使えます。

MacとiPodの相性はさすがに万全。
iPodのためだけにMacを買うのもありなのでは?
MacMiniならとても安いし!
ご購入は下のリンクからどうぞ。
マックユーザー繁殖計画実施中。





Apple Mac mini (1.25GHz, 40G, 512, Combo, 56k, E) [M9686J/B]


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2006/02/14

MacLife:iPodでお気に入りDVDを楽しもう


Apple iPod 30GB ホワイト [MA002J/A]



Apple Mac mini (1.42GHz, 80G, 512, Combo, AM, BT, E) [M9687J/B]


お気に入りのDVD、ありますよね。
懐かしの名画から最新作まで。
ロードショーより安く買えるので、ついつい増えてしまいます。
ということで、今回はDVDをiPodで見る方法です。

「あの小さな画面で見てどうするんだ!」などと言ってはいけません。
字幕もしっかり読めますし、日本語吹き替え版なら問題なし。
大画面・大音響のアクション映画はともかく、ちょい古名画など独特の味わいで最高です。
そして、ミュージカルならiPodとベストマッチ。

あ!この記事は「MacLife」の名前のとおり、少し前まで「絶滅危惧種」とまでいわれた誇り高きマックユーザー専用です。 
Windowsユーザーの方は、沢山いるお友達に聞いてくださいね。

マックで、DVDをiPodに取り込む手順はいたって簡単。
必要なのは、iTunesが動作するマックと、最新の動画対応iPod、そしてたった一つのフリーウェアだけ。

フリーウェアは「HandBrake」
http://handbrake.m0k.org/
でダウンロードできます。
全て英語ですが、義務教育程度の学力でも大丈夫。十分理解できます。

1 マックにDVDを挿入
2 HandBrakeを起動して、動画を選択して変換。
3 iTunesにドラッグコピーして、iPodに転送

たった、これだけです。

1 マックにDVDを挿入
マックを初期状態のままで使用していると、自動的にDVDプレーヤーが起動します。
メニューからDVDプレーヤー終了して、DVDのアイコンがデスクトップに表示されていればOK。

2 HandBrakeを起動して、動画を選択して変換。
HandBrakeを起動すると、変換するディスクを選択するダイアログが開きます。
ディスクの名称が違っていても「OK」を押してください。
HandBrakeウインドウで取込の設定をしていきます。
左上の「Title」プルダウンメニューから一番長いものを選びます。
映画などのDVDなら「本編を再生」「すべてを再生」にあたるソースです。
(それ以外はチャプター別や特典映像などです、だぶん。)
次に左下の「Average bitrate(kbps)」を変更します。
初期設定は1000ですが、iPodでの再生なら400で十分です。
高いままだと時間がかかります。
最後に、画面サイズの変更。
右下の「Picture settings..」ボタンをクリックで別ウインドウが開きます。
右上のサイズ設定で横320×縦240に変更します。
これ以上大きいサイズだとiPodで再生されないので要注意です。
以上、3つの設定をしたら、「Rip」ボタンを押す。
それだけです。
あとは待つだけ。
機種やDVDによって違うようですが、我が愛機MacMiniで名作「ローマの休日」本編120分を取り込んだところ、約90分で完了しました。
出来上がったファイルは約430MB、小さくて保管にも便利です。

3 iTunesにドラッグコピーして、iPodに転送
変換が終了すると、デスクトップに「movie.mp4」ファイルが出来ます。
名前は短めの日本語に変更してもOK、拡張子はそのままにしておきましょう。
iTunesを起動して、ライブラリーを選択したら、曲表示スペースにドラッグすれば、取込完了。
iPodを接続すると、ムービーメニューに表示されるはずです。

わかりにくいところは、コメントにご記入ください。
可能な限りお答えします。

マックユーザーの皆さん。
iPod生活を満喫しましょう。
ウインドウズユーザーの皆さん。
マックも1台どうですか。
マックユーザー繁殖計画実施中です。




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2006/02/13

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS 1


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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エピソード1  宇宙の浜辺で
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7枚組DVDで2000年に発売された「COSMOS」は、1980年にテレビ番組として制作されたカール・セーガン博士の代表的著書「コスモス」をほぼ忠実に映像化したものである。
全13話で構成される壮大な科学ドラマは、四半世紀を経た今も、斬新な映像と緻密で工夫の凝らしたストーリーで、我々を、宇宙そして人類と文明の魅力的な旅に誘い込むのである。
なお、全編を通じて、著者であるカール・セーガン博士自身がナビゲーターを努めている。

第1話となる「宇宙の浜辺で」は、この壮大なドラマの序章であり、このあと展開されるドラマのアウトラインが示される。

ドラマは、風の強い荒涼たる海岸での博士の独白から始まる。
博士は語る「宇宙は大きな海原であり、我々はその浜辺にようやく立っている」と。
「人類は宇宙(コスモス)の一部であり、ようやくその大海原への冒険の第一歩を踏み出す時を迎えつつある。」とのコメントは、今我々が生きる時代が、悠久の歴史でどのような位置にあるかを良く示している。
長い歴史を辿った人類が、20世紀の末になり、ようやく宇宙の探査を始めたのである。

海岸で大空に舞い上がるタンポポの種、その小ささと大海原の壮大さの対比が、宇宙における人類の位置づけを良く示している。

タンポポの種が、宇宙空間を航行する光輝く宇宙船へ。場面は星の輝く宇宙空間に変わる。
カール・セーガン博士は語り続ける。
壮大な宇宙空間の限りない広さ。全宇宙を支配する物理学の法則。そして未だ解き明かされていない宇宙の神秘。

光速で航行する宇宙船から、宇宙に関する専門的知識が次々に説明される。
宇宙船の窓に流れる光は、恒星ではなく銀河である。
星や銀河が生まれ死滅する事実が説明され、観察された事実が映像化され示される。
本からでは伝わりきらない星の物語が、映像で明確に説明される。
退屈になりがちな数学的事実の羅列も、美しく豊富な画像に圧倒され、このあとの展開を期待させる見事な導入部である。

壮大な宇宙空間と、そこに存在するかもしれない生命・文明の指摘は、後に詳細に検討される重要なテーマの一つである。
宇宙船は様々な出来事に遭遇し、つぎつぎと解説がなされる。

宇宙の果てを探検し、宇宙船は太陽系に戻ってくる。
太陽系の惑星を説明しつつ地球に接近する宇宙船。
各惑星の映像は特に美しく魅力的である。
宇宙船は最後に青く輝く地球に接近する。壮大な宇宙にたった一つの地球に。

場面は緑深い地球に戻る。
世界各地の様々な人々の姿や生活が次々に映し出される。
カール・セーガン博士の全著書に共通する人間賛歌ともいうべき印象的な場面である。

ストーリーは一転して、古代へと変わる。
アレキサンドリアなどの古代文明が偉大な科学文明を築き上げていたこと。
仮説をたて実験をし証明をする方法論としての科学が、いかに大切なことか。
そして遥かの昔に、その科学的方法によっていかに人類が真実に近づいていたかが語られる。
科学的思考の重要性を訴えることは、博士のもう一つの重要なテーマである。

古代における大海への冒険が果敢に行われたことが語られる。
それは、今我々が同様に宇宙への冒険を行う必要があることを強調するためなのであろう。

現在のアレキサンドリアを歩きながら、その後人類が歩んだ歴史を振り返り、全てが失われたことを語る博士。
古代アレキサンドリア図書館の中を歩きつづけながら博士は語り続ける。
そこがあらゆる科学研究の場であったこと、
当時のあらゆる知識が積極的に収集されていたこと。
その集大成が図書館に納められた膨大であった書物であったことを。

はるか昔、人類の知識があるいは現在の我々の知識を越えていたかのように、次々とその知識の一端が明らかにされる。
そして、科学が再発見されたのが、ごく最近であることが語られる。
ここ数百年の西洋近代史が簡潔に説明されていく。
現代科学の基礎となった発見が行われた時代が、精巧に再現された寸劇で説明されていく。

最後にあの有名な宇宙カレンダーが登場する。
悠久の宇宙の歴史に比して、人類の歴史はあまりに短い。
人類が誕生したのが、12月31日の1年が終わろうとする、わずか数分前であることが指摘される。
有史以来の歴史に至っては、わずか数秒にすぎない事実が。
人間の通常の感覚では理解しがたい、あまりに長い宇宙の歴史。
わずか数十年しか生きない人間が、その時間を理解することは難しい。
宇宙の誕生から今日までを1年間に置き換えて、カレンダーに例えた博士のアイディアは秀逸である。
多くの人は、このカレンダーによって、はじめて人類の歩んだ時間と宇宙の悠久の時間を感覚的に理解できるはずである。
ここでは、その時間の比較を、面積に置き換えることで、理解を助ける工夫もなされている。

壮大な宇宙の広さと悠久の宇宙の時間。
あまりに小さい地球と、あまりに短い人類の歴史。
この宇宙のたった一つの場所と、一瞬の時に存在している地球の人類と文明の奇跡ともいえる希少性。
その大切さを指摘し第1話は終わる。


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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発売日:2002/10/22

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日本が危ない:少子化問題の真実 2

人口増加の歴史

日本において人口が急増することとなったのは、戦後のことである。
明治5年、初の調査で約3500万人だった人口は、60年後の昭和7年の時点で約6700万人と3000万人強が増えたに過ぎない。
一方で、昭和19年から平成16年までの60年間で、人口は1億2700万人を超え、5300万人以上も増加している。
高度成長期以降でも、明治時代の総人口分の人口が増えているのである。

良く知られているように、人口は基本的に食料の生産(供給)能力に比例する。
有史以来、極めてゆっくりと増加してきた日本の人口は、何回かの画期的な技術革新により急増した。

最初は、弥生時代の稲作の普及である。
不安定な採集生活から、安定した食糧を確保できる定住生活に移行したことで、人口は急増した。

次は、室町時代末期から江戸初期にかけてである。
封建制が確立され、基本的には平和な時代であった室町時代には農業生産の技術革新が進んだ。
徳川幕府が成立し政情が安定したことで、一気に人口は倍増している。

江戸時代初期に急増した人口は、元禄以降はほとんど変化していない。
封建体制の確立によって、技術の進化が停滞したと考えるのは誤りである。
平和な江戸時代は、停滞の時代ではなく、むしろ革新の時代であった。
稲を中心とする品種改良は盛んであったし、新田開発による耕地面積の拡大も著しい。
街道網の整備や水運網の発達によって、居住可能な地域自体も大きく広がっているのである。
人口が増加しなかった理由は、鎖国体制にあって、渡来技術による画期的な技術革新が望めないなかで、
日本の耕地面積で生産できる食物量が限界に達した結果と言えるだろう。
結果として、明治維新前の200年あまり、日本の総人口は約3000万人強であった。

その均衡が破れて、再び人口が増加しはじめるきっかけは、明治維新である。
開国により欧米の農業技術や新しい品種の導入が進んだことや、高速交通網の整備が整備されて食糧供給力が高くなったのである。
明治維新後、現在に至るまで人口は一貫して急増し続けている。
人口は一旦増加しはじめると、環境が変化しない限りネズミ算式に増加を続ける。

戦後の人口増加は、安定して大量の食糧を海外から調達することが可能であったことが大きい。
経済成長により獲得した外貨の多くが食糧輸入にあてられたのである。
戦後、日本の政情が安定し、経済の拡大に伴う国民の所得が向上したこと、
そして医療技術の進歩により幼児死亡率や高齢者の死亡率が激減したことも重要である。

人口増加がもたらしたもの

昭和40年頃から公害や都市問題が顕在化したのは、当時の産業技術や法体系の不備に原因を求めることが一般的である。
しかし、当時既に1億人に達していた人口が、国土面積に不相応に多くなったことも、大きな原因の一つである。

人口の絶対的増加に加え、大都市圏への人口集中が、高度成長期以降は特に顕著になった。
東京を始めとする大都市圏は、限りなく拡大を続け、何十キロにも及ぶ広大な住宅地を形成した。
中心部の業務地区に通勤する労働者が密集する地区は、緑地面積が極度に少なく、宅地そのものも狭小な劣悪な環境であった。
近郊住宅街や中心部に、いわゆる都市型犯罪が多発する原因から、人口密集を除いて考えることはできない。

狭い鳥小屋で大量に飼育されるブロイラーを考えるといい。
自然な方法で飼育可能なニワトリの数を100羽とすると、同じ面積に巨大なケージ(鳥かご)を作り
400羽も飼育しているのが、現在の日本である。
不足する飼料は輸入し、運動不足と過密から生じる疾病には各種の薬剤を投与し、
極限まで土地の利用効率を上げ、生産効率を高めているのである。

本来、約3000万人なら平和に暮らせる国土である。
そこに1億2000万人以上が暮らしている。
その過大な人口を支える食糧を輸入し、人口過密による病理に苦しんでいるのが現代日本なのである。

しかも、食糧輸入に必要な外貨獲得のために、国民がひたすら長時間の労働を強いられているのは、本末転倒で滑稽ですらある。
人口が減少することは、そこに暮らす国民にとって、そのような異常な状況から抜け出す大きなチャンスなのである。


世界と較べる人口密度

明治5年に91.2人/?だった日本の人口密度は、平成16年現在342.4人/?となっている。
離島から原野まで含めた日本全国あらゆる1キロ四方に、340人以上の人がまんべんなく暮らしている計算である。
過密と過疎が併存しているのが、日本の人口分布の特徴であり、大都市圏は遥かに人口密度が高い。

人口密度を世界各国と比較してみたい。

隣の韓国は、日本を上回る476。台湾は620。シンガポールや香港は、桁が違っていずれも6000以上。
しかし、韓国や台湾においては日本ほど都市への人口集中が極端ではなく、都市部の人口密度は日本のほうが高い。
シンガポールや香港は、いわば東京の中心部だけが独立しているようなものであり、ごく特殊な地域である。

いかにも人口が多そうなインドは、314。フィリピンは260に過ぎない。
アメリカは、わずかに30。
ヨーロッパではイギリスが246、イタリアは192、フランスは107である。
オランダが386で唯一日本を上回るが、北欧3国にいたっては一桁低い10〜20人/?でしかない。

全世界の人口密度は45人/?であり、日本の人口密度は、先進国・発展途上国を通じて最も高い国の一つである。

国土の狭さを、人口の多さでカバーしている一群の国家があることが、この数字から解る。
経済力を国力と考えたとき、人口、国土面積、技術力は、その大きな要素なのであろう。

豊かさと人口

しかし、国力と国民一人ひとりの豊かさは必ずしも比例していないことは重要である。

西欧各国、特に北欧諸国の国民は総じて豊かな生活を送っていると言って良いだろう。
莫大な貿易黒字がなくても、国民の豊かさは実現できるのである。

まず、人口密度の低さゆえの自然環境の良さがあげられるだろう。
日本に顕著な土地不足や住宅不足が生じないことも、大きな要素である。
住宅面積が大きいだけでなく、土地や住宅の値段が低いことが、国民の生活に経済的余裕を生むのである。

実際、日本における生活の豊かさを損なう大きな原因の一つは、住宅取得のための費用の高さにある。
政策的に公共住宅の供給が抑制され、持家政策がとられていることもあるが、
人口に対して絶対的に国土面積が不足していることは否定できない。

日本の大都市の環境が、徐々に悪化し始めたのは大正時代と言われる。
明治時代から昭和初期まで、東京の都心にあっても相当量の貸家の供給があり、
ごく一般のサラリーマンが無理なく借家生活を送っていた。
関東大震災により、それら都内の貸家が消滅し、首都圏への人口の集中が一層顕著になったのが昭和初期である。
山手線外周に劣悪な住宅地がスプロール状に広がり、都市問題が一気に噴出したのである。
都市への人口流入と住宅地の無秩序な拡大は、現在まで続く日本の大都市圏の基本的病理である。

大正初めの人口密度は約140人/?、ヨーロッパ主要国の現在の人口密度とほぼ同じである。
自然と共存して、人が豊かに暮らすための限界はこのあたりなのだろう。
その2.5倍の人口密度に達している現在は、やはり人が多すぎると言わざるを得ないのである。

(続く)

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2006/02/12

素晴らしき科学の世界:DVD版COSMOS


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

天文学者カール・セーガン博士の代表的著書の一つ「コスモス」
全世界でベストセラーとなった啓蒙的科学書です。
ほぼ原著を忠実に映像化した13話からなるテレビシリーズを、DVD化したのがDVD版COSMOS。
日本語をはじめ各国語の字幕がついたコレクターエディションが発売中です。
1980年制作で日本でも高視聴率をとった番組が、7枚組DVDの高画質で見られるのは感動的。
CGを多様した美しい映像は、今見ても十分に美しく、内容も古さを感じさせない充実した内容です。
高解像度、大画面で見てこそ、一層感動的とも言える出来映えです。

20年以上を経て、放送当時を知る人も少ない今。
詩的で抽象的な各話のタイトルのみでは、1万円以上のセットの購入を躊躇うこともあると思います。
「素晴らしき科学の世界」では、そんな方のために言葉では表現しきれないことを承知のうえで、各話のストーリーをご紹介します。

1話を1回でお送りします。
ご購入は、リンクからアマゾンの利用が便利で確実です。

 


Cosmos Collector's Edition (7pc) (Coll Box)

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発売日:2002/10/22

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日本が危ない:少子化問題の真実 1

「日本が危ないカテゴリー」では現代日本が直面する様々な問題を論じていく。
(内容が固いので、文体もこんな感じです。)
いくつか気になるテーマがあるが、新聞などの論説さえ誤解や勉強不足と思わざるを得ないものを、重点的に取り上げていきたい。
猪口大臣に代表される最も誤解されている、少子高齢化問題を最初に取り上げる。
一括して語られることが多いが、少子化と高齢化は、本来別の問題である。
原因も、背景も、対策も異なるものを一括して論じることは適当ではない。
まずは、少子化問題から論じていたきい。

少子化問題とはなにか。

先日、日本政策投資銀行参事役 藻谷浩介氏の講演を聞く機会があった。
通常、出生率の低下として語られることの多い少子化問題を、年齢別の人口数とその中長期的変動により分析する斬新な視点には、大いに学ぶところがあった。
藻谷氏も、多くの識者と同様に少子化を問題とし、何らかの対策が必要であると結論づけていた。

しかし、少子化は必ずしも日本の将来にとって、望ましくないとは断言できないと思われる。
過密で住みにくい日本の都市が抱える多くの問題は、少子化によって自然に解消される。
その他にも、少子化には多くのメリットがあることは、後に詳細に論じたい。

まずは、一般に語られる少子化問題の課題を整理しておきたい。

*労働力人口の減少
*経済活力の低下
*地域活力の低下
*子供の健全な成長への影響
*社会保障制度の破綻

ネットで検索すると国や国立研究所の公式サイトをはじめ、少子化問題を取り上げたページがヒットするが、以上の5つでほぼ全ての課題を網羅するようである。
一見してわかるとおり、少子化の最大の問題は、現在の日本の経済構造と社会システムが維持できなくなることにある。

少子化問題は、少なくとも一義的には、子を持たない親や数少なく生まれてくる子供自身の問題ではないのである。

労働力人口の減少・経済活力の低下

この二つは関連した課題である。
少子化による若年人口の減少は、就業人口=労働力人口の減少をもたらす。
サービス産業化が進行しつつある日本において、労働力の高齢化そして絶対的な減少が、産業活動の低下と衰退を招く。
労働力人口の減少は、同時に消費人口の減少であり、内需の減少により、国内の経済が縮小することとなる。というのが、その主張の要点である。

この認識には、いくつかの致命的な見落としがあるように思う。
企業の生産活動は、必ずしも労働者数に比例するわけではなく、生産手段の改良=技術革新など他の要素が関連するからである。

高度成長時代の労働力不足を、企業は「省力化投資」と名付けられた機械化と技術革新で乗り切った。
2007年問題と言われる団塊世代の大量退職にあたっても、同数の人員の補充をする企業は稀であり、多くは事務の合理化や一層のOA化により対応するはずである。
少子化に伴う労働力の減少が、後に詳細に説明するとおり、今後20年以上にわたり継続することが確定している以上、企業は労働力人口が増加するまで、待つことは出来ないのである。

また、労働者=豊かな消費者、高齢者=貧しい消費者との図式も過去のものとなりつつある。
団塊の世代に代表されるこれからの高齢者は、平均的には多額の貯蓄と資産を保有する豊かな国民なのである。
フローの所得に偏った現行税制において、高齢者のストックとしての富は退職後も維持される。
労働力人口の減少にも関わらず、高齢者が国内需要を支える可能性は高いのである。

また、遺産として世代垂直的に移動する富も大きい。
富の総量が変動しない限り、経済活力は変動しないはずである。

地域活力の低下

この課題は、やや曖昧であり意味が多様である。
地方自治体の税収不足から行政サービスが低下するとの観点から論じていたり、子供が少ない地域コミュニティーの活力を論じていたりする。

前者は基本的に労働力人口の減少と同一の観点のものである。
後者は、戦後日本の大都市周辺特有の現象の変化を論じているように思われる。

高度成長期の大都市圏への人口集中とベッドタウンの形成は、両親と子供2人の核家族すなわち「標準世帯」が集中する特殊な地域を出現させた。
多くの労働者が都市に通勤するサラリーマンであるため、昼間には子供と専業主婦ばかりが多い特殊な地域が、数多く出現したのである。
学校の教育、学童保育、少年非行、進学競争など、行政サービスの優先順位が子供に偏っているのはベッドタウン特有の現象である。
一方で、大都市圏に若年人口が流出した過疎地域では、地域活力の低下は戦後一貫した行政課題である。

経済問題を切り離して考えると、地域に若年人口が少ないことは、大きな問題ではないことに気付く。
一人ひとりの国民にとって、自らのライフステージに見合ったサービスが地域で提供されていれば良いのであって、あらゆる年齢層が均等に分布していることには、積極的な意味はない。
むしろ、特定の年齢階層が地域的に集中していたほうが、行政の効率は良くなるのである。

高齢者の極端に少ないベッドタウンに、高齢者福祉施設が必要なかったように、子供の少ない地域には学校も保育園も不要である。
少なくとも特定の個人にとって、同じサービスを必要とする人だけがいる地域のほうが、税負担に代表される各種の負担が少なくて済み、受けられるサービスの向上が期待できるのである。

子供の賑やかな声がしない街は、街として不自然であり、活力がないとの意見は、情緒的で郷愁に満ちた単なる幻想にすぎない。

子供の健全な成長への影響

子供の数が少ないことで、子供相互の交流が減少して社会性が育たない。親が過度に子供に干渉するなど子供の人格形成に支障が出る。などと言う見解である。
もっともらしく聞こえる意見ではあるが、ではどのくらいの子供の数がいれば良いか、大人と子供の適正な比率はどのくらいかと考えると、ほとんど根拠のない意見であることがわかる。

子供の数が少ないことは、長い間、文明度・文化度を図る重要な指標であった。
多くの国民は忘れてしまったようだが、文明国・先進国と呼ばれる国は、いずれも出生率が低く、日本の出生率の高さを後進国の証拠と決めつけてきた歴史が、日本にはある。
今でも、国民生活を向上させるために、産児制限を推奨するのは、発展途上国では一般的で、極めて効果的な政策なのである。

「引きこもり」「ニート」「青少年の凶悪犯罪」など、現代日本の青少年の病理現象を、少子化と過度に結びつける傾向があるが、科学的根拠は薄い。
むしろ、産業構造や社会構造の変化、教育理念の混乱など多様な要因が複合していると考えるほうが自然である。

中国において、長く「一人っ子政策」が行われているのは承知のとおりであるが、同様な現象は報告されていない。
それどころか、十分な教育の機会が与えられた優秀な人材が輩出され、経済成長の原動力となっているのは事実である。

子供を健全に成長させるのに必要なのは、優れた教育システムであり、子供の数ではないと言えるだろう。

社会保障制度の破綻

この課題は既に別に論じたように、少子化問題と切り離して解決可能である。
それどころか、今後、出生率が回復したところで、現行年金制度の破綻は回避不能である。
藻谷氏が鋭く分析するように、すぐに出生率が増加に転じたとしても、その生まれた子供が年金掛金を払うようになるのは20年近くも先のことなのである。

しかも、団塊ジュニア層がすでに40代に近づきつつある現在、出産適齢期にある人口は今後とも長期に渡って急速に減少を続けることが確定している。
当然、生まれてくる子供の絶対数も減り続けるのである。

一方で、年金受給年齢に達した団塊の世代以下の高齢人口は、わずかに自然減をしながらも、20年以上にわたって急増し続ける。

既に生まれている人口構成は、戦災などの特殊な社会的要因がない限り、ほぼ変化することはないのである。
平均寿命が80歳を超える日本にあって、今の50代はほぼ全員が20年後には70代となるのである。

すなわち、現行の社会保障制度の破綻は厳然として不可避な事実であり、出生率を向上させる少子化対策で回避可能な課題ではないのである。

この問題を論じているブログがいくつかありました。

明日を拓く
http://blog.so-net.ne.jp/metro/2006-01-15/trackback

栗原潔のテクノロジー時評Ver2
http://app.blogs.itmedia.co.jp/t/trackback/98423

(続く)

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素晴らしき科学の世界:HAL伝説


HAL(ハル)伝説―2001年コンピュータの夢と現実

素晴らしき科学の世界、お薦めの一冊は「HAL伝説」。

科学ファンなら知らない人はいない「2001年宇宙の旅」
解説本も数多く出版されていますが、この本はもう一人(?)の主人公、コンピューターのHAL2000に焦点をあてています。

テーマは、映画のなかでHAL2000が誕生した1997年。現実のコンピューターがどこまでHAL2000に近づいたかを検証すること。
映画の場面から推測できるHAL2000のさまざまな能力を、その分野の専門家が詳細に検証していきます。

音声認識や画像認識、コンピューターの感情や倫理観まで。
HAL2000の全能力について、緻密に検証がなされています。
何気なく描かれた一場面が、どのような技術に裏付けられたものなのか。
映画を見る眼が大きく変わります。

序には原作者アーサー.C.クラークが寄稿していて、本書の構想と着眼点を絶賛しています。

専門書として、コンピューター関連技術の入門書として、そして「2001年宇宙の旅」をより楽しむための一冊としてお薦めします。


HAL(ハル)伝説―2001年コンピュータの夢と現実

HAL(ハル)伝説―2001年コンピュータの夢と現実

販売元:早川書房

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東京絵葉書:お薦め本


東京の戦前 昔恋しい散歩地図

古今の東京の比較がテーマの一冊です。
この本をお薦めする理由は、着眼点の鋭さ。
実は、現代の東京には江戸や明治は、ほぼ全くと言って良いほど残っていません。

木と紙の文化だから? いえ、それもありますが、明治時代は煉瓦の時代。
その理由は、大正末の関東大震災と太平洋戦争の大空襲です。

江戸から残るものといえば、ほぼ神社仏閣に限られる東京。
川や道路でさえ、多くの場所で変化しているのが東京です。

現在の東京は、関東大震災後の復興事業によって造られたと言って良いでしょう。
地震と火災で全滅した下町を中心に、区画整理や大規模な都市計画事業が行われ、東京から江戸が消えたのが昭和初期なのです。

この本では、それら復興事業がほぼ完成した昭和6年と現代を左右に対象しています。
そこに、昭和初期の名所やテーマに沿った見所をポイントしていて、散歩コースが設定されています。
散歩レポートもあって、待ち歩き初心者にはとても便利。

各地図ごとに、散歩テーマが設定されていて、昭和初期の時代背景を語るコラムも味わいがあります。

東京絵葉書お薦めの一冊です。
続編も発売されています。




東京の戦前 昔恋しい散歩地図


東京の戦前 昔恋しい散歩地図


販売元:草思社

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東京の戦前 昔恋しい散歩地図〈2〉


東京の戦前 昔恋しい散歩地図〈2〉


著者:アイランズ

販売元:草思社

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2006/02/11

素晴らしき科学の世界:火星年代記


火星年代記 メモリアル・エディション

SF作家の巨匠ブラッドベリの名作「火星年代記」。
2005年末に、ハヤカワSFシリーズ復刻本とDVD3枚組で発売されました。

40年以上も前の1963年に日本語版が出版された「火星年代記」
多くのSF作品とは違って、科学フィクション(SF)と言うより火星を舞台とした哲学小説の趣があります。
小説は、26編のショートストーリーから構成されています。
1999年1月の火星ロケット打ち上げから、2026年10月の最終話まで、長短織り交ぜてオムニバス形式で物語りが進行します。

描かれる火星の物語は、少しクラシックで幻想的。
テーマは、人はなぜ生きるのか。異文化との相互理解。家族愛。文明批判など多様です。

復刻本は、63年発行当時の装丁です。
ページの周りが赤く着色され、ビニールカバーがかかっています。
真鍋博の幾何学的な独特の挿絵も当時のままで、クラシックな本文の活字が良い雰囲気です。

DVD化されたのは、20年ほど前のアメリカのテレビドラマ。
基本的には原作に忠実に展開するストーリーですが、エピソードが大幅に少なくなっています。
独立した物語が続く原作とは違い、ロック・ハドソン演じる隊長の物語に再構成されています。

日本で放送された当時も、その独特な雰囲気が圧倒的でしたが、今でも十分見るに耐える作品です。
大型ディスプレイでDVDの高解像度で見ると、セットや模型が悲しくなるほど安普請なのは残念ですが、脚本の出来も良くて、出演者の演技も確かです。
何より、原作の持つノスタルジックで幻想的な雰囲気が、火星の風景などに良く表現されています。

科学探査機が送り込まれ、火星の真の姿を知ってしまった今でも、この作品は、なお輝きを失なっていないのです。

限定発売のようですが現在のところ在庫があるようです。
細かなストーリーの紹介はしないのがマナーでしょうが、下のリンクから購入者のレビューを読むことができます。


火星年代記 メモリアル・エディション

火星年代記 メモリアル・エディション

販売元:紀伊國屋書店

発売日:2005/12/22

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2006/02/10

MacLife: iPod生活は最高


Apple iPod 30GB ブラック [MA146J/A]

黒く輝く iPod30GB を買ったのは、発売直後。
2世代前のiPodでも十分満足していたのですが、その美しさに一目惚れでした。
艶やかな漆のような深みのある筐体は、本当に美しいのです。
カラーになった液晶も、想像以上に解像度が高くて鮮明。
取り込んだ映画の字幕さえ、はっきり読めるのは感激でした。

その発売にあわせるように、iTuneMusicStore(iTMS)でミュージックビデオの発売が始まり、
PodCastのサービスも開始され、VideoPodCastまで登場したのです。

手持ちのCDを取り込んで聞くだけだったiPodの活用範囲が一気に広がりました。

仕事に出かける平日は、iPodとともにあるとさえ言える今日このごろ。
そんな一日をご紹介しましょう。

6:30
起床。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、トーストを焼く。
マックを起動して、メールと新聞サイトのチェック。
iPodを接続すると、iTunesが自動起動して登録済みのPodCastを更新して、自動でシンクロしてくれます。

7:30
通勤時間は約1時間。
電車に乗ったら、さっそくiPodの出番です。
まずは、最近始まった「読売ニュース ビデオ ポッドキャスト」をチェック。
日替わりで女子アナが読み上げる5分ほどのミニニュースです。
ダビングしたテレビ番組を1本。
続いて、読売と日経のいくつかのPodCastをチェック。
PodCastは週1回程度更新も多いので、曜日によって聞くものは様々。
現在登録中は20程度でしょうか。落語などもあって新鮮です。
時間が残れば、お気に入りの曲を聞いています。

9:00
会社に到着。
自分のPCにUSBでこっそり接続。バッテリーの充電です。
ずいぶん長くなったとはいえ、映像中心に使用するとバッテリーは3時間は持ちません。

12:00
昼食。
一人のときは、iPodを持って公園やバーガーショップが多いのです。
昼休みには、テレビの連続ドラマかお気に入りの映画。
HDDビデオからDVDに焼いて、マックでiPod に、どんな番組でも取り込めます。
詳しい説明は、いずれいたしましょう。
iPodには購入したミュージックビデオしか取り込めないと思っている人! もったいないですよ!

18:00
退社。
帰り道は、新しく購入したアルバムを聞くことが多いのです。
お酒を飲んだときなど、ぼんやりお気に入りを聞くのは最高です。
新しいiPod、明らかに音質が良くなったように思います。

20:00
iPod 最後の仕事は、翌日に備えての新しいビデオの取り込みです。
見終わったビデオを手動で削除し、マックでiPodサイズに変更したビデオを取り込みます。
あるいは、購入したDVDから取り込みをすることも可能です。
自宅の大画面で見なくても良いような、トーク番組などを通勤途中にiPodでチェック。
便利な時代になったものです。




Apple iPod 30GB ブラック [MA146J/A]


Apple iPod 30GB ブラック [MA146J/A]


販売元:アップルコンピュータ

発売日:2005/10/20

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2006/02/08

東京絵葉書:食糧ビル

9903013096すでに解体されてしまった食糧ビルです。
道路に面する1階にはアーチ窓が連続して、中庭側にもアーチの回廊が設けられた昭和初期の味わいのあるビルでした。
米穀取引所として建築されたビルは、日本橋の問屋街にほど近い隅田川の対岸にありました。
中庭を囲む2階部分が回廊になっていて、米の取引が行われたビルです。
戦前まで米穀は自由取引されていて、日々の相場がここで決められていたのです。

バブル当時、そのお洒落な雰囲気が着目され、ギャラリーやカフェがオープンして注目をあびたこともありました。最近でも加藤あいのコマーシャルの舞台になっていたビルなのです。

下町にあって、どこか華麗で上品な佇まいが美しいビル。
昭和初期の建築遺産として保存されていくべきだっただけに、安易な解体が残念です。

撮影:1999.3.13
場所:江東区佐賀町1丁目

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東京絵葉書:お薦め本


江戸散歩・東京散歩―切り絵図・古地図で楽しむ、最新東京地図で歩く100の町と道

持ってて役立つお薦め東京本をご紹介します。
1冊目にご紹介するのは、「江戸散歩・東京散歩」(成美堂出版)です。

ここ暫くの江戸ブームで、随分と東京に残る江戸を楽しむ本が出版されました。
江戸から続く老舗を特集したものや、名所旧跡を紹介したもの、歴史小説の場所を紹介する地図など。
その中でも、今回紹介する「江戸散歩・東京散歩」は、ぜひ入手したい一冊です。

江戸と現代を対比した地図は沢山出版されていますが、この本は相当の力作です。
ほぼ江戸市中を網羅して、江戸切絵図を右側、現代地図を左側に配置してあって、江戸の名所旧跡などが現代地図に正確に記されています。
切絵図にも、鉄道路線と駅が書き加えられていて、相互の対応が一目瞭然。

しかも、江戸切絵図を実際の縮尺にほぼ正確にトレースし直したこだわりが凄い。
ご存知の方も多いと思いますが江戸切絵図は、相当ディフォルメされていて、実際の場所を現地で特定するのは、相当難しいのです。
この地図さえあれば、時代小説に出てくる横町や長屋の位置までが、ほぼ正確に特定できて、とっても便利。

さらに、江戸の風物・名物・名所案内から、細々した蘊蓄が読み切れないほど満載です。
これだけ、手間ひまかかったムックは、そうそうありません。

これで1400円+税は絶対に安い。
東京絵葉書、絶対のお薦め本です。





江戸散歩・東京散歩―切り絵図・古地図で楽しむ、最新東京地図で歩く100の町と道


江戸散歩・東京散歩―切り絵図・古地図で楽しむ、最新東京地図で歩く100の町と道


販売元:成美堂出版

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はじめまして

ニフティのココログが無料になったとのことで
初ブログをはじめました。
コメント・トラックバック楽しみにしています。

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