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2006/02/22

日本が危ない:年金の危機 1

日本の年金制度の危機的状況

積み立て方式?賦課方式?

年金の各制度は、創設以来長く積立方式であると政府により説明されてきた。国民一人ひとりが毎月掛金を払い、その積立金と運用利益が将来年金として支払われると言われていた。
現実にも、戦争を挟んで高齢者人口のうち年金受給資格がある国民が少なく、所得が急速に伸びて年金掛金が豊富に集まった高度成長期には、そのとおりであるように思われた。
重要なのは、その年金収入が将来の給付に備えて確実かつ的確に積み立てられ、運用されていなかったことである。そのような積立金が存在しないことが明らかになったのは、確か1980年代だったように思う。
一時は大問題になった年金積立金(基金)だが、原因や責任の追及もついに曖昧なまま、浪費された掛け金が補填されることもなく、年金は附加方式であると政府・運営主体が説明を一転したのは、ご承知のとおりである。
賦課方式とは、現在必要とされる退職者の年金支給を、将来受給資格を得る現役世代が共同で負担する方式である。
すなわち、今支払う年金保険料は自らの給付のためではなく、今の給付に使用されてしまう。では、今の加入者の給付の費用は誰が負担するのか。それは、将来その制度に加入する若い構成員が支払うことになるのである。

増大する給付、減少する保険料

両方式の違いは、単純には運用益の有無程度の違いがないように思われるが、実は重大な違いがある。
積立方式であれば、常に1人分の支給は1人の掛金と対応する。将来加入者が減少しても、対応して受給者も減少するので、大きな問題は生じない制度である。
一方で、賦課方式の場合、加入者が増大するならともかく、減少した場合には重大な問題が生じる。
増加する受給総額と減少する保険料総額、すなわち赤字である。制度が独立しているとの前提であれば、解決策は2つしかない。すでに退職した受給資格者の年金額を減少させるか、保険料を引き上げるかである。何十年かの間、将来の年金受給を信じて保険料をおさめ続け、すでに収入のなくなっている受給資格者の年金額を削減することは、信義則に反すると言わざるを得ない。
もし、そのようなことを行えば、現在保険料を納めている加入者の年金制度への不信を増大させ、保険料の徴収に支障を生じることは明らかである。
そのため、加入者が減少する状況にあっては、年金保険料の引き上げは不可避なのである。
現役の加入者にとっては、支払っている保険料が給付にまわされている以上、自らの給付は将来の加入者に頼るしかない。自らの老後を支える年金の給付が確約されないなか、制度への加入を躊躇うのは自然である。
少子高齢社会の将来展望が不透明な状況にあって、年金保険料が源泉徴収されるサラリーマンはともかくとして、国民年金の未加入・不払いが顕在化するのは必然なのである。

失われた信頼、繰り返された裏切り

国の官僚の不正や不祥事が起きるたびに、国民やマスコミが非難し糾弾する。それを裏返せば、国民は行政機構に大きな信頼を置いていることに他ならない。
議員が特殊な利益を代表していて、国や国民全体の利益を代表していないと、多くの国民が認識していることは、日本にとって本質的に不幸なことである。
議会が国民の利益を代表しない結果、行政には高度な中立性と公平性と聡明さが求められてきた。
その優秀な官僚機構が今危機的な状況にあることは、いずれ別に論じたいが、年金制度については、その国=中央行政庁に対する国民の信頼が根本から崩れさっていることが、年金の問題の解決が極めて困難である重要な理由である。
日本において国民年金はともかくとして、サラリーマンが加入する厚生年金、公務員の共済年金とも、直接に国・地方公共団体が運営主体でないことは、ご存知のとおりである。
しかし、その制度設計は中央省庁(旧労働省)でなされたもので、法律によって設置された公的主体が、法令に従い運営しているものである。
実質的に国が作り運営しているに他ならない制度が破綻すること自体が信頼に対する裏切りに他ならないが、年金については何度となく信頼を裏切ることが国民に記憶されている。
まずは、高度成長期に潤沢だった年金保険料が、加入者への還元との建前のもとで、国の高級官僚が天下る外郭団体などが運営する施設建設と運営費に使用されてしまい、将来の給付に備えた積立が行われていなかったこと。
その事実が隠蔽されたあげく、短い期間に次々天下り官僚がトップを勤めたことから、その浪費と不誠実な運営の責任を、実質的に誰も負わずに済ましてしまったこと。
赤字補填に使用された本来積み立てられるべき保険料は永久に失われ、高額な費用で建築された施設は廃棄され、異常な低額で処分されて、年金の財源に決定的な打撃を与えたが、その補填は全く行われないままである。
そのような加入者の信頼を決定的に失った年金運営主体が、抜本的な見直しもされないまま年金制度を運営していくことに国民は全く納得していないのである。
また、ここに来て意図的とも言えるほど政府によって強調されている年金の危機であるが、所管省庁はもとより民間シンクタンクの公表された分析によっても、年金制度は近い将来破綻することは20年以上も前から明らかであった。
国民の側の無関心も重要であるが、当時曲りなりにも収支が均衡するような推計が可能であったのは、低下を続けていた出生率の急速な上昇を前提としていたからであった。
原因の明確な分析もされず、実効ある対策もとられていないことから考えても、出生率の予測は年金財政の均衡のためだけに恣意的に設定されたことは、今となってはあまりに明らかである。
厚生年金と共済年金が健全と宣伝される一方、国民年金の危機的状況を誇張して、今に続く基礎年金制度の導入を図った行政庁の手法は、国民に対してあまりに不誠実である。
実際に、出生率は低下の一途を辿り、ついには国の総人口が減少するに至って、まるで初めて年金制度が危機に陥っているかのごとく主張するのは国民に対する欺瞞と言わざるを得ない。

年金の危機、官僚機構の危機

事ここに至っても、政府=行政庁の示す年金制度改革案は不明朗である。
厚生年金・共済年金・国民年金・基礎年金などに分かれている現行制度を段階的に一元化することで、特定の制度が先行して破綻することを防ぐとの意図は明らかである。
ある制度の受給者の問題ではなく、全国民共通の危機とすることが、行政にとっては対応が楽だからであるとしか思われない。
その上でも、収支改善の基本策は一切示されていない。ただ将来(決して現在のではない)の給付水準の引き下げと保険料の引き上げが提示されているだけである。
具体的な運営主体の改革も約束していなければ、未加入者問題にも解決策がない。普及定着しつつある民間が運営する個人年金保険との連携も検討されてはいない。
年金制度への国民の信頼を回復することは何より重要である。元官僚の責任により年金の財源が失われた事実を真っすぐに認め、制度上は独立している年金基金に対して、その責任分を補填する誠実さが必要である。
そのうえで、将来の年金支給に対して国として改めて約束をする必要もある。
改めて言うまでもなく近代民主国家において国と国民は契約により関係を結ぶのであり、契約は相互の信頼があって初めて成立するのである。
払った保険料が責任を持って年金として支払われるなら、誰に文句があろうはずもない。年金を巡る不信は、国=行政自らが生み出したことを真摯に反省すべきなのである。

年金という国の根幹にかかる制度の破綻に際して、年金受給者と加入者の関係を安易に親子の問題に擬製して「親の面倒をみるのは子としての当然の義務である」がごときの精神論を説くようでは、世界に誇った優秀たる日本の官僚機構もまた崩壊の瀬戸際にあると言わざるを得ないのである。

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