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2006/02/24

日本が危ない:年金の危機 2

複雑な年金制度、歴史と課題

戦時体制が生み出した厚生年金制度

日本の一般の国民を対象にした年金制度が誕生したのは昭和16年(1941年)の「労働者年金保険法」による。
太平洋戦争が不可避との状況で、国内のあらゆる制度が戦時体制に一斉に移行している真っ最中である。
この年金制度が戦争の激化とともに、対象を拡大して現在に続く厚生年金となっている。
厚生年金制度は当初から積立方式を採用していて、その基金は戦前には戦費に、そして戦後は財政投融資の財源として国家により運用されていた。
明治維新以来の日本は、かなり純粋な形での資本主義社会であり、国の役割は極めて小さかった。
病気や老後の生活の保証は基本的に国の関与しない自助・共助に任されていて、公的な制度はほぼなかったに等しい。
大正期に入って、国自体が豊かになったことに加え、福祉国家的思想が欧米から流入することで、いわゆる社会政策が展開の兆しを見せるが、先駆的・実験的色彩が強く一般的な傾向とは言えないものであった。
戦争直前の段階で年金制度が創設されたのは、徴兵制度により少なからず影響を受ける国民の生活基盤を安定させ、戦争遂行の障害を除去する必要のためであったことは言うまでもない。
やや先行する形で健康保険制度が拡充された背景も同様である。
厚生年金は、戦後の高度成長下で、所得の上昇と労働人口の増加により、一時的に莫大な基金を造成することに成功した。しかし、それらは将来の給付のための財源であったにも関わらず、さまざまな理由をつけて「消費」されてしまったのはご案内のとおりである。

公務員の年金制度

それとは別に官僚や軍人を対象とする恩給制度が、明治時代からあった。
一定の要件を満たした国の役人や軍人には退職後も、現役時代の役職に応じて国から年金が支給された。
その詳細な制度の内容は省略するが、基本的には国による一方的な給付制度であり、民間の積立を基本とする保険制度とは異なっていた。また、市町村など自治体の職員は、国の官僚(官員)とは明確に区分され吏員と称されていて、恩給の対象ではなかった。
この恩給制度が母体となって、戦後の公務員を対象とする共済組合が発足する。
共済に対して国費(税金)が支出されているような誤解があるが、それは戦前の恩給受給者が共済組合に引き継がれたことで、その費用を繰り入れているのであり、現在の公務員の給付を補助しているものではないことに注意しなければならない。
恩給の給付は敗戦によっても廃止されず、共済組合を経由して今も国の責任で続いているのである。

国民皆年金は高度成長期に成立

以上のように勤労者=労働者に対する年金は、まがりなりにも戦前からあったが、個人商店主や自営業者などの年金制度が成立したのは、「もはや戦後ではない」昭和36年になってからのことである。
他の細かな制度も含め、国民年金制度の発足により、日本の歴史上初めて国民皆年金制度が成立したことになる。
戦前から戦後も高度成長期に至るまで、相当数の国民には年金制度がなかったことは重要である。
すなわち、健全だった年金制度が破綻に瀕しているのではなく、日本において健全な年金制度は一度もなく、制度が新しいため受給者が少ないため制度の欠陥がわからなかっただけなのである。その制度設計を行ったのは、国自身であり責任は当初の制度設計と運用にあることは明らかである。
国民年金制度は、発足当初は小額の定額掛金で、給付もそれに見合ってわずかなものであった。一括納付の特例を含めても受給資格者は少なく、積立方式の年金制度としては、当面問題のない制度設計がされていたように思われる。
その国民年金制度が、将来的な展望を欠くままに、給付水準の引き上げ・物価スライド制の導入などによって、給付額のみを増大させたことが、今日の年金制度の危機の根本的な原因である。
多くの国民にとって「国が払う」年金が増えることは、日本が豊かになったことを実感できる証拠であり、多くの政治家にとっても魅力的な公約に違いない。
結果として、将来の収支を厳密に精査することもなく、意図的な推計に基づいて、掛金は据え置きながら給付額の引き上げが安易に行われたのである。

無年金者への対応

もう一つ注目すべきことは、国民皆年金を制度上の建前としながら、相当数の無年金者が存在していることである。
今日問題になっているような故意による未加入者もいるが、その多くは制度の発足時期や変遷などにより年金を受給できない人々である。
その原因は様々であるが、代表的なものでは、所得が少なく掛金を払えなかった人、終戦により国籍を失うこととなった旧植民地出身者、制度そのものがなくなった軍人・軍属などである。
それらの無年金者への国の対応は鈍く、その多くは戦後悲惨な生活を余儀なくされたことは、よく認識されなければならない。旧軍人などに対しては、国が造成した基金などにより比較的手厚い対応がなされたことはご承知のとおりである。
無年金者については、結果として他の生活困窮者と同様に社会保障制度=生活保護により対応がなされている。
生活保護は、今般の三位一体改革で広く認識されたように、国と地方公共団体の市町村が共同で運用している公的事業である。
その基本は、原則として原因の如何を問わず、現実に生活に困窮しているとの状況にのみ着目して、憲法が保証する最低限度の生活を確保するために、税金により運用されている。
一見すると年金制度とは異質に思われるが、実は年金制度の対象外の国民を最後に救済するのは全額が公費によりまかなわれている社会保障制度なのである。
国家が国民の福祉と生活を保証することを基本原理とする以上、どんな国民であれ国家が見殺しにすることが許されないのが、現代福祉国家のセントラルドグマ(基本教義)なのである。

基礎年金制度の意義と問題

このように、歴史的背景も制度内容も異なる各種の公的年金制度が、分立しているのが日本の年金制度である。
各国民は主として職業により、どの年金制度の対象となるかが法律で決定されていて選択の余地はない。あるサラリーマンにとって、運用成績や対応などを総合的に検討して、どの年金制度に加入するかを選択する余地はない。ある企業に勤めるかによって厚生年金の加入者に強制的になり、失業することで資格を失う。無業者は国民年金しか選択の余地はない。
言い替えれば、各年金制度は法律によって加入者が保障されていて、しかも競争から保護されていることになる。
そのような形で、「国民」を分け合ってきた各年金制度は相互に独立していたが、基礎年金制度の導入によって、その仕組みが大きく変わったことは重要である。
各制度は自らの加入者に対して将来の給付を保証すれば良かったものが、基礎年金制度によって、自ら運営に直接関与できない他制度での損失(赤字)を分担することとされた。
基本的には国民年金での赤字を厚生年金・共済年金が補填する仕組みであるが、制度上は各制度相互の財源を調整する仕組みである。
すべての制度が、法律により統制され、外郭団体や地方公共団体に独占されている日本の年金制度だからこそ、霞ヶ関に官僚の主導によって実現しえた制度と言わざるを得ない。
詳しく論じる余地はないが、責任の分散と不明確さが、年金収支に対する各制度の責任ある態度に大きな影響を与えたであろうことは疑いはない。
加入者から集めて加入者に責任を負って運用すべき資金が、安易に他制度の赤字の穴埋めに使われてしまうのでは、各制度の担当者のモラル低下は不可避である。逆に言えば、いい加減な運用をしても他制度により補填される制度の元で、真摯に業務を行う担当者などいないのである。
結果として、各年金制度の運用は、いずれも急速に悪化し、その帳尻は各加入者である国民か、納税者としての国民が、あわせるしかないのが現状なのである。

このブロクの目的

まだ始まったばかりの「日本が危ない」ブログだが、ここで取り上げる問題や課題については、分析や批判に終ることなく、建設的な提案をし、現在の政策に対する対案を提示することを基本にしたいと考えている。
時の政府・政権の政策を批判するのは易しい。テレビの討論番組の評論家のように、問題点や失策のみを強調するだけでは、実は何も変わらない。
政策は、多様な利害の調整の結果生み出される総合的な判断と対応の体系である。
重視する利益の違いが、多様な政策の選択肢を生み出すのであり、利益が異なることで、政策は評価もされ批判もされる宿命にある。

その政策を生み出す巨大な頭脳は、今や多くの人が承知するように、中央省庁の官僚機構である。
現在日本の危機の本質には、その利益調整機能を実質的に担保していた官僚組織の変質があるように思われてしかたがない。
古くは江戸時代の武士道から始まり、明治・大正・昭和と脈々と受け継がれてきた官僚達の「公」の精神。
私利私欲や無責任を憎み、良い国を造るのだという良い意味でのエリートの気概が失われたように思われる。
もともと財界・政界・関係業界などと密接な関係を持ちつつも、国民総体の利益との調整を行ってきたことに、日本の官僚機構の独自性と優秀性があった。
欧米であれば、議会とその立法を通じて実現される国民の利益の集約が、内部的に処理されてきたことで、日本の政策は一貫性を保ち時代によく適応してきたように思う。
21世紀の今、官僚機構から、そのような「公」の守護者としてのプライドが消滅したことが、国民不在の政策立案、政策体系の迷走の原因であると断定したい。

純粋に国民の一人として最も重視すべきは、国民一人ひとりの利益に他ならない。
従って、このブログでは政策が、国民総体の利益のために立案されているかとの観点に常に留意しつつ、具体的な対案を提示することを心がけていきたい。

巨大な官僚機構が生み出す政策に対抗することは容易ではない。
国会で野党の追求が瑣末な揚げ足取りに終るのも、ある意味でやむを得ないところもある。
十分な情報と企画力があるシンクタンクが必要であるとの認識が広まりつつある。
真に政権を担うことを考えるなら、霞ヶ関の官僚機構に対抗できる知識・情報・人材の集約は不可欠なのである。

次回は、現時点ではアイディアに過ぎないが、現在の年金改革とは全く別の改革プランを提示してみたい。
今回の配信およびブロクをご覧の方々において、現状認識や解決の糸口、具体的改革案などお考えがあれば、トラックバックやコメントでご呈示いただければと思う。
インターネットの世界で仮想のシンクタンクが成立すれば、日本の危機を回避する大きな力となるに違いないのだから。

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