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2006/02/20

日本が危ない:少子化問題の真実  3

少子化の是非

少子化問題について、2回にわたり論じてきた。
結論として、少子化には基本的に賛成である。

一人ひとりの国民が豊かに暮らすために、過大な日本の人口を減少させることは、極めて有効な方法である。
現に生存して暮らしている国民を、海外に強制移住させることも、粛正することも出来ない「民主国家日本」にとって、選択肢は生まれてくる子供の数を減らす以外にない。

過渡的な問題として年齢構成が歪(いびつ)になることの弊害が生じることは事実である。
しかし、現時点で日本の年齢構成は十分に歪であり、しかも現在の少子化対策が功を奏したとしても、ここ数十年にわたって、その歪が解消されないことも同様に事実なのである。

第1回で検証したとおり、人口構成の歪み(ひずみ)が生み出す課題は、少子化に無関係なものを含め、いずれも解決可能であるし、解決しなければならない。
重要なのは、子供の数を増やすことが、唯一且つ絶対的解決策ではないことである。

一方で、少子化により数十年のうちに人口の総数は急減する。
そのメリットは想像以上に大きい。
少子化のメリットを具体的確認していくとともに、過渡的段階での課題についての解決策を具体的に考えていきたい。

少子化、人口減少のメリット

土地・住宅不足の解消
戦後60年、特に高度成長期以降の一般国民最大の課題の一つは、住宅をいかに確保するかにあったと言える。
団塊の世代の流入と核家族化の進行は、都市周辺部に広大なニュータウンを生み出した。
それでも宅地の絶対量は常に不足してきた。
住宅価格は高騰し、1戸あたりの面積は極小とならざる得なかった。
「うさぎ小屋」の誕生である。
遠距離通勤と高額な住宅ローンは、サラリーマン世帯から生活の余裕を奪ってきたのである。

この課題を抜本的に解決するのが少子化である。
今後長期にわたる若年人口の減少は、世帯数の減少に他ならない。
世帯数の減少により、住宅に対する需要は継続的に低下する。
既に住宅の総数は、世帯数を上回っているが、これから住宅淘汰が始まるのである。

それは、短期的には住宅価格や家賃の低下となって現れる。
より便利なところに安く住宅を買ったり、借りたりできる時代が到来するのである。
そして、長期的には、都市近郊に良質で広い住宅が新築されることで、狭小で遠隔地の住宅が一気に消滅することになる。
いずれも、少子化時代に生活する少数の若年者にとっても、また高齢期を迎えて年金生活をしている高齢者にとっても、メリットそのものである。

都市問題の解消

日本における都市問題の根本的な原因は、過度の人口集中による都市の過密化にある。
少子化による住宅環境の改善は、この都市問題解決の切り札でもある。
住宅価格を基準に押し上げられている、都市地域の地価が低下する結果、土地区画整理など様々な手法による都市改造が可能となるからである。
遅々として進まなかった、道路・鉄道などの都市基盤整備、職住分離を基本とする高機能都市への再生が、一気に実現する可能性は高い。

教育費の縮小

高齢化に伴う施設等の不足は大きく取り上げられているが、少子化に伴う学校と教員の余剰はあまり認識されていない。
概ね500メートル四方に1校の割合である小学校や中学校、さらに上級学校の敷地だけでも膨大な面積である。
教育は基本的に労働集約的性格のものであり、教職員の余剰も、また膨大である。
裏返せば、そのための予算が不要となるのであり、その額は巨額である。

戦後の人口急増期を通じて、教育費負担は国や公共団体の予算、そして家計を圧迫し続けてきた。
余剰となる土地や人・予算を、より必要な政策に転用することが可能である。
もちろん行政改革の一環として、削減することもできる。

全国の義務教育課程の教員を、児童・生徒の減少と同率で削減すれば、公務員の削減目標5%など一気にクリアできる。
義務的経費が減少することは、政策の自由度を大きく上昇させ、柔軟な予算編成を可能とするのである。

不足するものは声高に主張し予算を獲得し、余剰には沈黙して予算を温存するのは、官僚機構の本質的病理である。
余剰となる教育費を的確に削減し、国民の税負担を減少させることは可能であり、また必要である。

大切に育てられる子供たちの増加

少子化社会において、子供は貴重である。
貴重なものは、大切にされる。
大切に育てられた子供は、良い社会人となると信じるのは個人的願望に過ぎないのかもしれない。
しかし、家庭においても、地域社会においても、企業内においてさえ、子供や若年者に十分な関心・費用そして労力をかけられる少子化社会は、子供達にとって悪い社会であるはずはない。
子供の密度が低くなることによる弊害が仮にあるとすれば、子育てに特化した都市を造り、人工的に密度をあげれば良いだけのことである。
大切に育てられた子供が、良き大人となり、未来の日本の中心層となったとき、現代日本社会の病理現象は自ずから消滅するように思う。

少子化と労働者

少子化による就業適齢人口の長期的減少、という経済的課題を考えていきたい。

社会構造を理解するために、様々な経済社会モデルが考案されてきた。
資本家と労働者と生産手段の関係に整理したのはマルクスである。
あるいは、人と技術の相互関係、法人と自然人の相互関係で理解することも可能である。

いずれのモデルによっても、就業人口の減少が意味することは同じである。
生産活動に必要な他の資源に対して、労働力と言う自然人のみが提供できる資源が稀少化し高価になるのである。
特定の資源が不足したり、高価になることは、製品の原価が上昇することを意味する。
原価の上昇は、競争的な環境では、利益の減少か競争力の低下をもたらすため、避けなければならない。
すなわち、少子化の経済的問題は、企業活動上の問題なのである。

企業あるいは法人、広く言えば資本主義国家の利益の観点からは、少子化は避けるべきである。
安く安定的に供給される豊富な労働者は、企業活動にとって有益であり、利益の源泉である。
労働力が不足したり、高価になれば、企業活動は低下するか、新たな投資が必要となるのである。

一方で、一人の国民、自然人としての個人として、その意味することは正反対である。
マルクスが指摘するように、労働力しかもたないプロレタリアート(労働者)にとって、労働力が稀少化し貴重になることは望ましいことである。

市場原理に従い、労働者が減少することは、その価値が上昇することにほかならないからである。
具体的には、賃金が上昇し、労働条件が良くなり、所得が増大するのである。
好景気の時に、アルバイトの賃金や初任給などが、敏感に反応して上昇することは、だれでも経験があるだろう。
個々の労働者としての国民は、少子化によって長期にわたり恒常的に高い賃金を労せずして手に入れられることとなるのである。

労働者である国民、特に賃金労働者である国民は、少子化を促進させることで利益を得ることができる。
もちろん、家族を持ち子を育てる喜びは、別ではあるが。
自分は子を持ちつつ、子供の絶対数は減少させることができるなら、それが理想である。

少子化と企業

少子化について、企業と労働者の利害が一致しない。
むしろ、相反しているのである。
しかし、少子化は既に進行しており、労働力の減少は現実の問題である。

第1回で取り上げた藻谷氏の講演にもあったが、今すぐに出生率が反転して、出生数が増加しても、就業年齢に達するのは遙か20年近くも先のことなのである。
減少を続ける就業者人口に、各企業は当然対応をせざるを得ない。

ヒントは、生産力は労働者の数だけで決定しないことにある。
生産力は他の複数の要素との乗算によって決定されることである。
労働力が5、技術力が3で、15の製品が生み出されていると仮定する。
労働力が3に減少したとき、技術力を5にすれば、同量の製品を生み出すことが可能なのである。(あくまでイメージで正確ではないが。)

最大の利益を生み出すことが企業の目的であり、存在理由である以上、労働力の減少に何の手も打たない企業などありえない。
もちろん、今までどおり安くて優秀な労働者が安定的に供給されることが、最も望ましい。
しかし、それが困難なら、省力化投資を行い、少ない労働力でも、利益を生み出さざるを得ないのが企業の宿命にほかならない。

少子化が進行することで、賃金は相当程度上昇するが、賃金総額は人数の減少により減少する。
賃金は、生産活動において相当割合を占めるコストである。
賃金コストの減少分を、機械化や技術開発など他の要素へ投資することで、日本企業は、逞しく生き残っていくにことが予測できる。

少子化社会が経済の衰退を招くという主張は、企業にとって望ましくない未来を牽制するためのものに過ぎないことを理解することが重要である。

少子化時代の都市づくり

子供の密度が下がることが、子供の健全な発育の障害になるとの主張には、科学的根拠が低いように思われる。
しかし、それが必要ならば対応は可能である。

基本的に土地に定着する農耕民族であった日本人の多くにとって、自らは定住し都市環境を改変していくことは、一般的であり当然のことのように思われてきた。
江戸時代から明治・大正・昭和そして平成と時代が変化し、世帯構成や生活スタイルが変化しても、その意識は変わることはなかった。

産業化と情報化の結果として、日本の都市は地域的特徴を失い、どこもが均質なものとなった。
ノーマライゼーションの概念がどこまで適当であるかはともかく、あらゆる人のニーズに応える都市を造ることは難しくコストがかかる。
特に短期的に住民の年齢構成が変わる場合などは、そのロスは極めて大きい。

例えば、子供の増加に対応し多額の費用を投入して整備した学校などの施設が、子供が減少すれば無駄になる。
この先30年ほどの、高齢者人口の増加に対応して必要となる施設は、数十年後には、過剰となることが現時点で既に明らかなのである。
それぞれの都市が、特定の居住者を想定して、特化したインフラ整備を行うことは、都市経営の観点からも、都市居住者の観点からも望ましい。

保育園・教育施設・子育て支援施設や機能を強化し、子育てを支援する税制をとる都市が建設されるなら、より良い子育てを行おうとする世帯の移動が起こるだろう。
その結果、相対的な子供の数が増え、少子化社会においても必要な「子供密度」を確保できるはずである。
同様に高齢者都市・勤労者都市など住民層を明確にした都市群が形成されることが望ましい。

社会インフラとしての都市は、長期にわたって利用されるべき資本ストックである。
都市を改造するより、一人ひとりの国民が自らの選択とライフステージに応じて居住地を変えるほうが、合理的なのである。

少子化社会はバラ色に

神の見えざる手を再び
経済について「神の見えざる手」による自然の調和を説いたのはアダム・スミスである。
神は、宗教上の存在としてではなく「国民の暗黙的集合的意志」と考えるとわかりやすい。

人口についても、同様に「神の見えざる手」が存在するように思う。
人口が減少した場合の、メリットとデメリットが科学的に検証され、具体的にイメージされれば、国民一人ひとりの選択に大きな影響を与えるからである。

子供を持つか持たないか、何人の子供を持つかについて、現在の技術社会において、各個人はほぼ完全な選択権を持っている。
日本においては、子供を持つ選択をする国民の数が減少を続けている。
国民の意識として、子供を持つメリットをデメリットが上回っているからである。

民主国家日本において、意識の変革は、強制ではなく、合理的説得により行われるべきである。
北風と太陽の寓話にあるように、子供を持たない国民を犯罪者にすることではなく、子供を持つメリットを具体化することが重要である。

人口減少社会において、子供を持つ選択をすることは、ある種の残存者利益を得ることを意味する。
情報が正しく伝達され、事実がそれを裏付けるなら、子供の数が無制限に減少することはありえないのである。
出生率の変動を通じて、出生数と総人口数は「神の見えざる手」によって、ある社会的合意点にゆっくりと到達するはずである。
人の寿命が80年を超え、生まれた子が成人するまで20年もかかる以上、その変動はいたって長期なものである。

現在に至る深刻で長期的な出生率の低下は、国家の将来ビジョンの具体化に失敗した政治の責任と言えるだろう。
出生率の低下は、わずか20年後の国の在り方も理想像も提示できない国家への、国民の失望と不信任の意思表示に他ならない。

少子化が築く豊かな日本
年金問題と連携するように少子化を問題視する議論が盛んである。
その内容は悲しいほど浅い。
少子化は社会システムを破壊する。子供を生まないのは反社会的である。結婚すらしないのは犯罪的ある。とでも言わんばかりである。
対策も、月数千円の児童手当の支給年齢を引き上げるとか、子育てしやすい社会を皆でつくりましょうとか、何ら抜本的なものがない。

なぜ少子化しているのかの原因が把握できていないのである。

少子化のメリット・デメリットを正確に把握し分析する必要がある。
そして、将来の日本社会のビジョンを明確にしなければならない。

そのビジョンに国民的コンセンサスが形成されてこそ、個々の国民は正しい選択を行える。
少子化が問題なのか、福音なのかは、国民の総意が決めることなのである。

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