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2006/04/30

東京絵葉書:つつじの季節

Img_1163ゴールデン・ウィークです。
東京は晴れて初夏のような陽気でした。
桜の終ったこの季節は、つつじが見頃です。

東京でつつじと言えば、根津神社。
江戸時代からの名所で、大勢の見物客で混雑していました。今年は、寒さが長かったのですが、つつじはすでに満開で、例年より少し早いようです。
年によっては、色とりどりに一斉に開花するのですが、今年は赤やピンクの花が目立ちます。

幕府に厚く保護された根津神社は、社殿も立派で見応え十分。
ゴールデン・ウィーク中は、さまざまな歌舞楽曲の奉納もあって、江戸気分を満喫できます。
戦前からの雰囲気を色濃く残す根津や谷中、老舗も多くて手軽に充実した一日が満喫できます。

撮影:2006/4/30
場所:文京区根津神社境内

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東京絵葉書:アサヒビール本社ビル

990303003280年代、田中康夫言うところの「キラキラの80年代」。
東京には実に沢山の奇をてらった建築が出現しました。
その最たるものが、このアサヒビール。
ビールジョッキをイメージした金色の高層ビルと上層部の泡風の意匠。隣接する黒い立方体の上の、金色の雲のオブジェ。下町浅草のイメージなど関係なく出現した異空間です。20年を経た今も、街に溶け込むことなく、違和感があるままなのが、かえって凄さを感じさせます。
写真は対岸の浅草側からですが、下まで行くと見上げる大きさは巨大な一言。
しかも、近づくと全体が見えない不思議な建物配置で、だれに対して、何のメッセージを伝えたいのか。
当初は、金の高層ビルに絡み付くような雲を建築する予定だったものが、技術と法規制の制約で現在の設計になったとのことです。

撮影:1999.3.30
場所:墨田区吾妻橋1丁目

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2006/04/29

東京絵葉書:自由学園南沢キャンパス

1997008池袋に本部のある自由学園。ライト風の建築は重要文化財にも指定され大切に保存されていますが、メインキャンパスは東久留米市にあります。
建物はどれも大正末から昭和初期に建築され、本部と同じくライト風の建築です。
定期的に公開されているようですが、校舎内部は非公開では写真撮影禁止です。
どの建築も、のびやかで名前どおり自由な雰囲気の明るく落ち着いた建築。
ライトが直接手がけたものではありませんが、ライトの建築様式が良くわかる建築群です。
キャンパスの外からでも、いくつかの建物の一部が見えます。

撮影:1997
場所:東久留米市学園町

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2006/04/28

東京絵葉書:京王閣

1997009現在では競輪場の京王閣ですが、元々は京王電鉄の沿線開発の一環として、昭和初期に開発された綜合レジャーランドでした。
多摩川沿いの風光明媚な台地に遊園地、温泉、ボート池などが大規模に建設され家族づれの健康的な休日の娯楽の場でした。
今では、すべてが撤去され、昔からあった小さな神社が残るばかりで当時の姿を想像することすらできません。
わりと最近まで廃墟寸前になった、モダン建築の名建築とも言われていた大温泉浴場のあったビルが残っていましたが、97年当時は既に撤去されていました。

撮影:1997
場所:調布市多摩川4-30

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2006/04/27

東京絵葉書:佃島

19990807スカッと抜けた青空。
夏の隅田川下流は開放的で気持ちが良いのです。
佃大橋から佃島を見ると、元造船所を再開発してリバーシティ21の高層ビルが一望できます。80年代に始まった再開発も、21世紀を前にほぼ完了しています。
江戸の雰囲気を残す佃島の住宅と、超近代的なタワーマンションのコントラストは、80年代のバブル開発の象徴的風景として記憶されています。
今は、周辺に高層マンションも多くなり、一層佃島の一画のみが取り残された印象です。
その佃島も、よく観察すると道路がタイル張りになったり、長屋がなくなって公園になったりと、観光地化が進み、生活感がなくなりつつあります。

撮影:1999.8.9
場所:中央区佃、佃大橋上

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2006/04/26

東京絵葉書:交詢社ビル

19960103交詢社ビルは、銀座6丁目の裏通りに建っていた古色蒼然とした独特の様式のビルでした。複雑な曲面の出窓と装飾豊かな外壁、ドマー窓が見事でした。
昭和4年建築で、様式建築でもない独創的な様式の由来は不明です。
元々は倶楽部建築で、非公開の内部空間も見事なものだったと言います。最近は1階にビアホールなど店舗が入っていて付近の雑居ビルにとけ込むようでした。
既に解体され、ガラスの箱の今どきはやりのビルになってしまいました。
入口に申し訳程度に旧ビルの石の装飾が残っているのがむしろ哀れです。

撮影:1996
場所:中央区銀座6-8

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2006/04/25

東京絵葉書:銀座松屋

19980705日曜日、歩行者天国の銀座。
松屋はインターナショナルスタイルの大建築です。横長の連窓スタイルが印象的でしたが、その後大規模改修され、今流行のガラス張りの外観に変わっています。
常に流行の先端の様式に改修されるのが、日本のデパートなど商業建築の宿命なのでしょう。
イギリスの老舗デパートがビクトリア朝風のクラシックな外観を頑に守り、その歴史と伝統を誇りにしているのとは対象的です。
司馬遼太郎風に言えば「文化の違いと言うしかない。」のです。
ちなみに、左端の住友銀行は、今は日本初のアップルストアに変わっています。

撮影:1998.7.5
場所:中央区銀座3丁目

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2006/04/24

東京絵葉書:晴海通りの地下道

199807050銀座から東銀座へ晴海通りを歩くと、ちょうど真ん中あたりに古めかしい建築が残る不思議な雰囲気の一画があります。そして、怪しげな階段を下りれば歩行者専用の横断地下道。
飲み屋などがあって、戦後すぐ「昭和の雰囲気」が残っていました。
上野駅などにあった地下街と同じ猥雑でレトロな空間です。
その後、訪れることもありませんが、今はどうなっているのでしょう。

撮影:1998.7.5
場所:中央区銀座4丁目、7丁目、晴海通り下

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2006/04/23

東京絵葉書:築地本願寺

1997010地下鉄築地駅前に今も健在の築地本願寺。
巨匠伊東忠太の怪作とも傑作とも言われる汎アジア様式なる不思議な様式で建築された、押しも押されぬ築地のランドマークです。比較的古い建築が残って来た築地・東銀座地区ですが、最近になって建替えが目立つようになりました。
東洋風でも西洋風でもインド風でもない独特な建築で、ノートルダム寺院風の怪物の装飾などがあったりと伊東忠太独特の世界を満喫できるはずです。
内部にはご覧のとおりパイプオルガンが設置されていて、本願寺独特の仏のための賛美歌が演奏されていたこともあるといいます。
基本的には内部を見学することは可能ですので、建築好きならぜひ一度じっくり観察してみてください。
堂内での本格的な写真撮影には了解を得ることをお薦めします。

撮影:1997
場所:中央区築地3-15

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2006/04/22

BraveLife:ネビル・シュート「渚にて」

渚にて―人類最後の日

「渚にて」は、今から半世紀も前に書かれたSF小説である。
北半球が世界的規模の核戦争により壊滅した近未来が舞台である。
南半球のアフリカ・南米・ニュージーランドそしてオーストラリアには、直接核爆弾が投下されることはなく、徐々に南下する核汚染により人々は死滅するのを待っている。
オーストラリア・メルボルンは、事実上最後に滅亡が予想される都市である。
核戦争を生き延び、その軍港に寄港した米軍原子力潜水艦「スコーピオン号」、その艦長が主人公である。
長編の小説は、オーストラリアの連絡将校の家族と艦長の物語を中心として、ゆっくりと進んで行く。
交わされる紳士的で平凡な会話。核汚染により死滅することが確実であるのに、そのようなことが、まるでないかのごとく営まれている日常の平和な生活が、丁寧に描き込まれる。
核戦争による人類の終末をテーマにしているにも関わらず、先端兵器による壮烈な戦闘シーンも、核戦争の凄惨な情景もない、不思議な未来小説なのである。
「予告された死」こそがテーマである。
実感がないまま、確実に死を迎えることを告知されたら、社会はどうなり、人はどう行動するのか。ネビル・シュートは、その情景を見事に描き出している。
北の都市が次々と滅亡していくなか、その事実を信じようとせず、この都市そして自分には「そのようなこと」が起きるはずがないと人々は思う。
核汚染が近づいても、社会の動揺はごくごくわずかである。
キリスト教徒の国であるオーストラリアであればこその特殊性かもしれない。いよいよその時を迎えても、登場人物達はすべて立派で紳士的である。

多くの人にとって「死」は突然である。そして「予告された死」は日本人にとってあまりに残酷に思われる。
平安期末そして幕末に世の終わりを確信した民衆が、一種の暴動を引き起こした日本人である。日本人の多くにとって、死は恐怖であり平静さを失うに十分すぎるからである。

しかし、「死」はすべての人にとって、いずれ直面する不可避の出来事なのである。事実、自殺を罪悪視するキリスト教以前のヨーロッパ、ギリシャなどの都市国家において、知識人の多くは「死すべき時」を自ら決定し自殺するのが通常だったと言う。

静かで深くそして暖かい「渚にて」を読みながら、そんなことを考えてみることも必要だと思うのである。


渚にて―人類最後の日 渚にて―人類最後の日

著者:井上 勇,ネビル・シュート
販売元:東京創元社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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東京絵葉書:聖路加病院

1997011築地の隅田川近くにある聖路加国際病院。
中央に高い塔と礼拝堂があって左右シンメトリーな風格のある建築でした。
中央部分のみ残して、病院部分は解体され現在は全く構成の異なる建築に再生され、看護学校として利用されています。
階段室や塔部分、礼拝堂などは保存復元がされたようですが内部を見学することはできません。
病院当時には自由に入れましたが、精巧な彫刻が施され、礼拝堂も古びていながらも開放的で魅力的な空間でした。礼拝堂のミサに参加できるように、病室の配置が工夫されていたと言います。

撮影:1997
場所:中央区明石町10

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2006/04/21

東京絵葉書:歌舞伎座

1997012東銀座にある歌舞伎座は、本願寺と並ぶ銀座のランドマークです。
最近のニュースで、この歌舞伎座の解体が決まったことを知りました。
コンクリート造ながら純和風の歴史ある建築が無雑作に壊されてしまうのは誠に残念です。
純民間の建築ゆえに規制は難しいのかもしれませんが、建物は地域の共有財産とも言うべきもので、所有者の自由に任せるのはどうかと思います。
昭和初期の名建築が次々に解体されている現在、抜本的な法体系の見直しが必要であると感じざるを得ません。
イギリスのように民間団体が歴史遺産を購入するような方式も、大いに検討されるべきであるように思われます。一度失われた建築は永久に元には戻らないのですから。

追伸:
丸の内に三菱一号館が復元されるそうです。昭和40年代まであった建物をレプリカで復元する滑稽さ。なぜ安普請のビルに建替えたのかを深く考えることもないのでしょう。わずか数十年後に後悔するなら解体などしなければ良いのです。日本人が賢くなる日はくるのでしょうか。

撮影:1997
場所:中央区銀座4-12

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2006/04/20

東京絵葉書:東急日本橋店

990218_221世紀を目前にして閉店した東急百貨店日本橋店です。
江戸時代以来の老舗「白木屋」を東急が買収したもので、浮世絵にも描かれていて名水と言われた井戸があることでも有名でした。
日本橋のすぐそば、三越と高島屋の中間にあって、昭和初期のインターナショナルスタイルの名建築といわれましたが、相次ぐ改装で建築当時の外装はほとんど失われていました。
暫く広大な空地になっていましたが、現在は日本橋コレドの高層ビルに変わっています。

撮影:1999.2.18
場所:中央区日本橋1丁目

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2006/04/18

日本が危ない:靖国神社問題の本質 6

靖国神社参拝を超えて

今回のテーマは、知識を確認しつつ記述するだけでも気持ちの沈む重いものであった。
このブログでは、問題点や課題を指摘するだけのものではなく、具体的対策を提案することを重視している。
この問題は、単なる靖国神社参拝だけの問題ではなく、国の指導理念や国民の権利にも影響する幅広い課題を含んでいることを改めて認識した。
まとめとして、いくつかの提言をしてみたい。

靖国神社公式参拝と戦死者慰霊

公人として靖国神社を参拝することは、禁止すべきである。
一方で、私人としての参拝は、信教の自由との関係で自由に認められるべきである。
公式参拝が禁止される公人の範囲及び期間は法律により明確に定められるべきである。

宗教法人である靖国神社を公式参拝することは、明らかに宗教行為であり政教分離原則との抵触は避けられない。靖国神社参拝を宗教行為ではないとすることは、政教分離原則を有名無実化する。

更に、戦前と同様に学校教育などに特定の思想信仰に基づく行事を導入する論理的根拠を与え、教育の中立性が失われる危惧さえある

政教分離原則自体を撤廃することは、例え可能性は低くても戦前の国家神道体制の復活の危惧を内外に呼び起こすものであり適当ではないことは言うまでもない。

「戦死者慰霊法」の制定

過去の戦死者の慰霊を行いたいのであれば、既に報告書が出ている国立慰霊施設(追悼・平和祈念施設)を早期に建設するべきである。
報告書は、国家神道体制の復活の危惧を除去しつつ、且つ信教の自由と抵触しないための施設のあり方を具体的に提言しており、評価に値するものである。
また、国の指導者の慰霊行為の場所・方法等は法律により明確に定められるべきである。
政府・行政機関が恣意的に行うことは不安定であり、不適当である。
国会において十分な議論を行い、恒久的に内外に方針を明示するためにも、法定化することが適当である。

将来の戦死者の慰霊の法制化

首相の公式参拝に固執する団体等のなかには、国のために国民は死すべきであるとの国家神道的発想を肯定し、国家神道体制の復興を図る意図が感じられるものが多い。
靖国神社への公式参拝の禁止を法律により明確にするとともに、将来の戦死者の慰霊方法についても法定することが望まれる。

憲法の規程如何によらず、現実に自衛隊が存在し、海外に派兵されている状況にあって、今後戦死者が発生したときの取り扱いを、現時点で明確に論議することは重要である。

一宗教法人である靖国神社での合祀如何に関わらず、国として慰霊方法を明確に定めることにより、靖国神社に関する国民的論議も深まることが期待できると考える。

「思想信条の自由法」の制定

国歌斉唱などが安易に規則や服務命令で強制されることがあってはならない。
憲法並びに法律に保障された権利が、下位の法規範により侵害されることが、日本社会において常態化しつつあることは問題である。
憲法上の思想信条の自由、宗教の自由を具体的に確保するための法律の制定が望まれる。
国民に認められる自由の範囲を定めるのではなく、国・地方公共団体・企業・施設管理者などに禁止されるべき侵害行為を具体的に定めた法律が必要である。
それによって、侵害を受けた国民が司法的救済をより的確に迅速に受けることが期待できる。

学校教育での愛国心そして国旗国歌

愛国心の定義は具体化されるべきである。
公明党が主張するとおり愛国心に現在の統治機構への服従の観念が含まれるべきではない。
国家神道体制下の教育において、愛国心が天皇崇拝と不可分であったこと、国歌斉唱、国旗拝仰が重要な儀式であった歴史に学ぶ必要がある。
国民の思想信条並びに信教の自由に抵触することのない、愛国心教育のあり方について、有識者間での検討などを通じて、幅広く国民的コンセンサスが形成されることが重要である。

※※※※※※※ 参考図書 ※※※※※※
靖国神社への公式参拝が続くなか、関連図書の出版も多くなった。
しかし、本質を理解しない著者による安易な扇動的著作も少なくない。
歴史的背景にも詳しい大江氏の一冊を特に推薦したい。

靖国神社

著者:大江 志乃夫
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2006/04/17

日本が危ない:景山民夫「窮極クン物語」

景山民夫は放送作家として活躍した人である。
後に多くの小説を著す一方で、マスコミの裏面などを可笑しく紹介した多数のコラムも残した。
「イルカの恋、カンガルーの友情」もそんな一冊である。内容は、業界一流の下ネタ満載で誰にもお勧めできるとは言い難いが、あのバブリーな80年代の時代を思い出させる「歴史記録」としての価値は小さくない。
「窮極クン物語」と題した一文がある。日本人が変化した一瞬の貴重な記録である。一部をご紹介したい。

「窮極クン物語」(景山民夫著「イルカの恋、カンガルーの友情」より)
 究極の新人類、というのが増えてきている。字の感じからすると、窮極と書いた方が当っているかもしれない。
 高橋章子さんあたりに「またそやって分類して片付けようとするぅ。新人類って言葉を”ワケの分らん人種”の代名詞として使うなんてイージーすぎるわよ」と叱られそうだが、確かに身のまわりに増えているのだから仕方がない。
 別に昭和40年前後に生まれた世代の人を、総て新人類だといっているのではないのです。その中の、特に顕著な例に”窮極の”という形容詞をつけて呼称にしているだけ。
 この”窮極”の人たちは、まず第一に他人に対して気を遣うというこをしない。自分が興味をもつことにしか目を向けようとしない。
 テレビ番組の企画会議や構成会議なんかで、アシスタント・ディレクターに窮極クンがいると会議が滞ることが多い。建設的な意見は何も吐かず、意味なく人の目をずっと見ていたりする(これをやられると相当に気持ちが悪い。ホモなのかとおもってしまう)くせに、一旦自分の興味があることに話が向くと、とどまることを知らず本論を外れて喋り続ける。
 「でね、ゲストのバンドは聖飢魔Ⅱか米々クラブあたりを入れたいんだけどね」
 「あ、米々クラブはですねえ、あの踊ってる女の子の三人のうち二人までが僕と同郷なんですよね。中学がすぐ近くだったんです。水戸なんですけどね。それで、ギターがやっぱり近所でね、だからホラ僕も昔バンドやってたでしょ、それで前に楽屋が同じで話してだら分ったんですけども、水戸だったんです。そういえばどっかで見たことあるなあって思ってあたんですけどね、水戸です。自転車で十分くらいの距離に住んでたんです。で、ギターの子が前に付き合ってた女の子もやっぱり近所だったんです。」
 「だから何なの?」
 「え?」
 「だから何なんだよ、同郷のよしみで出演交渉がしやすいのか?」
 「いえ、別にそういうことじゃないんです。そこまで親しいわけじゃなくて、ただ水戸だってことです」
 「それじゃ、お前が今ベラベラと喋ったことに何の意味があったんだ?なんで俺たちは忙しい時間をさいて、お宅の話を聞かされたわけ?それも会議の席でさ」
 「え?あの、僕、なんか変なことを言いましたか?」
 自分が興味を持っていることは、みんなも聞きたがっていることだ、と思い込んでいる。ま、いいか。そういうタイプは昔からいたからな。ま、しょうがないか。
 「じゃ、そういう線で仕込んでみてよ。全体の構成はそんなところでいいんじゃないの」
 会議が終る。帰り支度をしていると窮極クンが「ガッ!グエエエー!ケーッ!グォッ!」と喉にからまった痰を凄まじい音を立てて切りながら歩み寄ってくる。この窮極クンは、会議の席で皆がアイディアを練るために腕組みをして考え込んでいる時でも平気でこれをやる。打合せで目上の人のオフィスに伺ったりしている時でもやる。ま、いいか。ま、おじさん達の中にもそういうことする人はいるもんな。ま、しょうがないか。
 「あの、それで台本は今日の夜一杯で上がりますか?」
 「え?」
 びっくりする。ゲストも出演バンドも、イメージキャストを会議でリストアップしただけで、まだ出演交渉もしていない筈なのである。
 「上がるわけないだろ、ゲストは出演OKとれたのか?バンドはスケジュールくたのか?」
 「あ、いえ、それはこれから僕がやるんですけどぉ」
 「あーのねー、出演者が決まらないで、どうやって台本書くの?ミスターXか?俺はプロレスの台本書いているわけじゃないの。そっちがタレントのスケジュールおさえて、誰々さんでOKになりましたからそれで本を書いて下さいって、お前が連絡してこないと、台本は書き始められないの。ゲストにしたって、山本晋也監督がもらえなけりゃ稲川淳二サンを当たれって言ったろ?両方とも駄目ならガラッと構成変えて三遊亭小遊三と桂米助でパロディ路線にするからって言ったろ?誰がとれたかによって内容が違ってくるの。それに第一、ロケ場所だってまだ決定はでてないんだろ?」
 「ええまあ、それも僕がこれから回るんですけどぉ」
 「でしょ?台本ってのは”都内某所”じゃ一寸まずいんじゃないの?そういう条件が揃ったら書かせていただくからさ」
 「でもですねえ、それはそれとしましてですねえ、印刷所に一応、今日の夜ということで予約入れてあるもんですから」
 「あーのねー、それはそっちの都合。第一、どーして今日が会議なのに今日の予約を入れちゃうの?」
 「いえ、先週も火曜日に印刷入れましたから、一応今週もと思って」
 「あーのねー、俺たちは週刊誌の編集やってんじゃないのよー」
 「分りました。それじゃ一応、印刷所に連絡入れて予約キャンセルします」
 「そうしてくださいよ」
 「その際にですね、先生のお名前出してよろしいですか?」
 「なんで?」
 「いえ、印刷所の担当者が怖い人なもんで、景山先生の都合でキャンセルになったって言うと僕が怒られないですみますから」
 「あーのねー.....」
 ま、いいか。ま、誰だって怒鳴られるのは好きじゃないし、僕だって若い頃は原稿が遅れて自分で印刷所に入れに行った時、恐いからウィスキー1本下げて行ったもんな。待てよ、それじゃ僕はちゃんと自分で処理したんじゃないか。ま、ま、しょうがないか。
 で、この窮極クンは翌日の朝十一時頃に、僕の、事務所ではなく自宅に電話をかけてくるのである。
 「もしもし、あのぉ、台本の本はどうなっていますでしょうか」

 以下、延々とこんな調子で「窮極クン」の物語が続いていく。
戦後の日本社会を作ってきた戦前教育の濃密な影響下にある上の世代とも、平成不況の氷河期に鍛えられた下の世代とも違う特異な世代が「バブルの落とし子=窮極クン」である。
このエッセイが書かれたのは1986年、大学を卒業して入社したての窮極クンはたぶん23〜4歳だろう。あれから丁度20年、窮極クンは今40歳を超えたあたり。

いるのである
言葉の調子までも当時のままで、年をとって元気こそないが言動とも当時のままの窮極クンが。
年功序列の最後の世代である窮極クン達は、若年リストラの直撃を受けながらも男女を問わず少なからず生き残っていて、今も会社内で団塊世代に継ぐボリューム層を形成している。
この20年に窮極クンが何も学ばなかった事実には、驚愕せざるを得ない。
団塊世代が大量に退職していく時期をむかえて、もはや窮極クンを叱る上司もいない。
そのことだけでも、日本の将来に不安を覚えるのに十分なのである。

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2006/04/16

日本が危ない:靖国神社問題の本質 5

失われた記憶

失われた国家神道の記憶

国家神道は、敗戦により占領軍により徹底的に否定された。
靖国神社などあらゆる神社に対する国家の援助や保護は廃止され、宗教法人への衣替えをした。
義務教育過程から排除はもちろん、社会教育システムは徹底的に破壊され、国家神道的内容は一掃された。
軍隊や在郷軍人会も廃止されたため、国家神道体制を支えた全ての機能が失われたと言って良いだろう。

しかし、徹底した国家神道的教育を受けた多くの国民にとって、靖国神社の精神面での位置づけは容易には変化しない。
靖国神社において慰霊を続けることは約束された国の義務であるとの思いは、戦争によって家族を失った多くの遺族の共通の認識であった。

国が責任を放棄することは到底認められることではなかったし、国家神道の形式によらない慰霊では納得できない遺族も多かった。

結果として、靖国神社の位置づけは戦後半世紀もの間、曖昧のままであった。
靖国神社を国営化することも出来ず、宗教色を排除した慰霊も行えない膠着状態が続き、政治の場からも教育の場からも、靖国神社と国家神道はタブーとなり意図的に排除されていったのである。

国民を支配した国家神道体制は、わずか60年で多くの日本国民にとって未知のものとなった。
自らが受けた影響も、そして加害者としての記憶も忘れられてしまったのである。
特に加害者としての記憶は、当事者によって語られることも少なく、本格的に研究されることもないまま歴史の流れのなかで、少なくとも日本においては失われたのである。

継承された記憶

日本で忘れられた国家神道と靖国神社は、その最大の被害者であった東南アジアや中国・韓国などに、しっかりと記憶されていた。
加害者より被害者において記憶が継続されることは、ある意味で当然である。

母国語の利用や古来からの宗教が禁止され、日本語の使用や神社参拝などが強制された記憶。
支配者として君臨した天皇の官吏の残虐さ、死を持って抵抗した親族や同胞の記憶。
それらが自らの体験として、また語り継がれる歴史として継承されているのである。
日の丸と神社は、その苦しく悲しい記憶の象徴的存在に他ならない。

その記憶に照らすとき、日本政府の指導者が靖国神社を公式参拝する行為は、単なる慰霊とは理解されえないことを、日本人は改めて認識しなければならないのである。

臥薪嘗胆の国、中国で、愛国心教育の一環として過去に日本が行った行為の数々が次の世代に伝承されることは、決して否定されるべきではない。
ナチスの虐殺の記憶が、強制収容所の保存により伝承されるように、間違った行為、否定すべき行為は、次の世代に確実に伝えられ、再び行われることがないように措置されなければならない。

日本人は忘却の民族である。被害者としてそして加害者として、その記憶を客観化して、組織的に伝承することが求められていることが認識しなければならないのである。

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BraveCD:本田美奈子.「I love You」

I LOVE YOU

本田美奈子.の新しいCDが発売された。
収録されているのは、アイドル歌手からミュージカルスターへ転身した90年代の楽曲である。
ミュージカルに新たな活躍の場を見出したこの時期も、彼女の音楽への情熱が少しも衰えていなかったことを、改めて感じることのできる素晴らしい楽曲ばかりである。マスコミへの露出も少なく、オリジナルCDが発売されることもなかった彼女の音楽活動の場は、アニメ番組やCMなどに限られていて、初めて聞く曲も少なくない。

様々なジャンルの曲が収録されていて統一感には欠けるが、むしろそれが彼女の歌手としての幅の広さと才能を改めて感じさせる。

ファンタジーの世界に、夢と勇気と希望を表現力豊かに歌いあげるソプラノは、アニメの主題歌としてレベルを遥かに超えた素晴らしい完成度である。
デビュー当時からちょっぴり背伸びしてセクシーな女を演じ大人の恋愛を歌ってきた彼女だが、90年代を象徴するクールで都会的な男女の愛も等身大で表現できる大人の女性に確かな成長を遂げていた。
20歳後半から30歳を超えたこの時期の本田美奈子.は、間違いなく「いい女」である。

ソフィストケイトされ大人となった本田美奈子.のPV映像のDVD化をぜひお願いしたい。既に発売されている「LIFE」の特典DVDに収録された「ら・ら・ば・い〜優しく抱かせて」の彼女の姿を見ると、本田美奈子.という歌手が優れた表現者であることがわかる。「聴く」だけでなく「見る」ことで彼女のメッセージはより強力に伝わってくるのである。

彼女の悲劇的な死がなければ、このCDが発売されることはなかったと思うと、どの楽曲も、切なく愛おしい。ぜひ手元に置いてほしい1枚である。


I LOVE YOU I LOVE YOU

アーティスト:本田美奈子.
販売元:マーベラスエンターテイメントLDC
発売日:2006/03/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

このCDの売上の一部は、彼女が最後まで情熱を傾けた「LIVE FOR LIFE」へ寄附されると記載されている。


LIFE~本田美奈子プレミアムベスト~(初回限定盤)(DVD付) LIFE~本田美奈子プレミアムベスト~(初回限定盤)(DVD付)

アーティスト:本田美奈子
販売元:ユニバーサル・シグマ
発売日:2005/05/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/04/14

日本が危ない:靖国神社問題の本質 4

国家神道を学ぶ 2

教育における国家神道

戦前の義務教育の特徴は、皇国史観による歴史教育と修身にある。
また、国家神道の祭祀行事が全国統一的に行われた。

国家神道の祝日には全生徒を一同に集め、全国的に統一形式に従って、天皇や皇祖皇宗を礼拝する行事が校長により行われていた。
教育勅語の奉読や国旗拝礼などの厳粛な行事は、幼い子供の宗教心から道徳観・国家観までを国家神道へと一元化するのに大きな役割を果たしたのである。
義務教育こそが国家神道体制を確立する要であり、各家庭の宗教に関わらず全児童・生徒が行事に参加し、神社の参拝や国旗国歌への礼拝などをすることが強制された。

このような強制には、当然キリスト教派の学校などから強い反対があったが、あくまで宗教行事ではなく児童・生徒として、そして国民としての義務であるとの文部省の強引な見解により、公立私立を問わず徹底されていたのであった。

それを強化し補完したのが、青年団・婦人会などを通じた社会教育活動であった。
防空演習など直接的なもののほかに、慰問袋の作成や社会奉仕活動などによって、皇国史観的国民意識が醸成され、防諜活動、反政府的活動の監視などに住民組織が活用されていた。
自治会活動もそのような観点から、国家行政組織の一部として組み入れられていたため、戦後長くその活動への行政の関与が禁止されてきたのである。

軍隊における国家神道

義務教育において植え付けられた国家神道的思想と皇国史観は、徴兵制の軍隊教育で強化された。

軍隊とは本質的に多様な価値を否定し、統一的な思考と行動を強制されるものであるが、旧日本軍においてはそれが徹底されていた。日本民族そして天皇の軍隊の優秀性が徹底的に教育され、八紘一宇・神州不滅などの神話的精神教育も重視されていた。
天皇の軍隊が、占領地などにおいて他民族に対し非人道的行為などを組織的に行ったのは、そのような教育の当然の帰結と言って良いだろう。

皇国史観に基づく教育が、軍の幹部教育においても徹底された結果、科学的合理性より精神性を重視する風潮が戦術や戦略レベルにも影響を与えることとなった。
数学的科学的に検討されるべき戦略が「必勝の信念」など精神的要素に影響された結果、無理な動員・玉砕・特攻など大戦末期の悲惨な状況を生み出すこととなったのである。

退役後においても在郷軍人会・青年団・婦人会活動などの社会教育活動を通じて継続的に教育が継続される仕組みも構築されていた。

また、昭和に入ってからは現役軍人が各学校に配属され、より直接的に教育活動に関与する仕組みが整えられ、学校教育と軍隊教育の緊密な連携が強化されたのである。

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2006/04/12

日本が危ない:靖国神社問題の本質 3

国家神道を学ぶ 1

靖国神社そして国家神道
基本的に日本人が無宗教であることの原因を、明治維新後の仏教の抑圧と国家神道体制に求める識者は多い。
国家神道について多少とも知識がないと、靖国神社問題の本質を理解することは難しい。
より深く靖国神社問題を理解するためには、明治から敗戦まで強力に国民の精神面を支配していた、国家が構築した統治システムである国家神道体制について知っておく必要がある。
国家神道体制を、正確且つ詳細に論ずることは難しいが、靖国神社を理解するのに必要な範囲で、その概要を確認しておきたい。

統治システムとしての国家神道体制

やや乱暴であるが、まずは簡単に国家神道を定義する。
「国家神道の神は、天照大神と歴代の天皇である。日本国が神により造られ、天皇によって統治されてきたとの認識を元に、神社神道流の教義と儀式により国を統治する祭政一致の統治システムである。」
国家の主権は当然に天皇にあり(国家と天皇が同一と考えたほうが解りやすいように思われる)、国家それ自身が維持・発展していくことが、国家の目的そのものである。
国家主権の考え方によれば、国民は国家の構成要素の一つであり、土地などと同様に必要であれば、国家が自由に利用し、国家に貢献することこそが国民の最大の義務である。
欧米各国と同様に国民主権を基本とする戦後日本の体制とは、全く基本原理が異なる体制である。

国家神道には、日本民族並びにその国家体制が、他の民族や国家より優れているとの基本教義があり、結果として他国への覇権確立や軍事進出を肯定する帝国主義的性格を有していた。
民族の優秀性を指導原理とした、ナチスドイツのファシズムとの類似性が指摘される所以である。

その教義に従い、明治維新以降に台湾・南洋諸島・朝鮮へと領土を拡張していった大日本帝国だが、基本的な統治方針は同化政策である。
すなわち、血統としての日本民族の優秀性を否定しないものの、天皇を頂点とする神道教義、生活習慣、言語、果ては名前までをも、日本化していったことが、特徴的である。

そのために、支配地域には国家神道の神社が創建され、日本語教育が実施され、日本におけるのと同様の宗教祭祀が強制された。
特に地理的に隣接する朝鮮においては、創氏改名など強引な同化政策が実施されるとともに、強制連行などにより今に続く深刻な問題の原因を作ったのである。

国家神道と靖国神社

国家神道体制は、義務教育・徴兵制軍隊・地域活動を通じて、国民の思想や行動を統制する総合的なシステムであった。
その中で、特に重要な位置を占めたのが靖国神社である。国家への死を持って最大の美徳とする国家神道において、その死者を神格化し祀るのが靖国神社である。

国民の価値感を、国家神道の価値観と一致させる為にも、靖国神社の祭祀に最高の価値を与え、国家の責任で丁重に祀ることは最重要課題であった。軍が管轄する神社であって、別格官弊社の一つでありながら、何度も天皇が参拝をし、教科書においても、その重要性が特に強調されていることからも、それは明らかである。

国家神道体制において国民の多くは、国民(臣民)は天皇の為、その国のため良く働き、より良い国より豊かな国を造るべきであると教えられた。
一旦、国の危機となれば、生活もそして命さえも、天皇と国の為に捧げるべきだと教えられた。
もしその為に死すことがあっても、その者は天皇と同様に国の神となり、国を守ると教えられた。その神は、国により、そして国民(臣民)により、丁重に敬意を持って祀られるのである。
その祭祀は国により制度化され、さまざまな機会に国民はそれに参加する仕組みが作られていたのである。

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2006/04/10

日本が危ない:靖国神社問題の本質 2

靖国神社を学ぶ

別格官弊社としての靖国神社

問題の深刻化に伴い詳細な歴史を掲載したサイトも多くなっているので、ここではごく簡単に靖国神社の歴史を振り返ってみたい。
靖国神社は、明治維新の新政府軍死者を慰霊するため創建された招魂社を起源とする。
祭神は二柱あり、複数の皇族が神格化した一柱、そして国の為に殉死したその他全ての国民(臣民)が神格化した一柱である。
戦死者を祀る特殊性から、管轄は他の神社と異なり、陸海軍が共同で管理していた。
戦前の神社は、その社格に応じて伊勢神宮を頂点にヒエラルキー(階層)構造に構成されていたが、靖国神社は体系上も別格官弊社として特殊な位置づけにあった。

靖国神社への合祀が意味するもの

国家神道体制において、靖国神社は特別な役割を与えられていた。国の為に戦士した全ての国民(臣民)を神として祀る役割である。
明治維新後、段階的に整備構築されていった国家神道体制においては、極論すれば国は天皇のものであり、国民はその構成要素に過ぎない。
国民の最大の義務は国すなわち天皇を守ることにあって、戦争において命を投げ出すことは、国家によって顕彰されるべき最大の美徳にほかならなかった。

その具体化した象徴が靖国神社を頂点とする国家神道の装置としての神社である。
国民は戦死することで靖国神社の神となる。神である以上、各家庭において先祖として祀るのではなく、国の責任において祭祀を行い慰霊するのが、国家神道体制の特徴である。
実際には戦死した国民は、各家庭や菩提寺において昔どおりに祀られていたのであるが、建前上はあくまで神格化した霊は、靖国の神と一体化することとされていた。

そこには、各国民の選択の余地はない。国が国の為に死んだと一方的に認めることで合祀が行われ、個人の宗教上の理由は認められないのである。
国家神道は宗教ではなく、国家の「仕組み」に他ならない。したがって、国内のキリスト教徒や仏教徒はもちろん、日本に併合され国籍を有していた植民地の住民までもが、その宗教や信条に関わらず、靖国神社に一方的に合祀されていたのである。

実はこの仕組みは現在も生き続けている。宗教法人として靖国神社は独自の基準により一方的に合祀を続けていて、合祀される側にはそれを拒否する方法はない。
さらには、自衛隊員が公務死(戦死)した場合にも同様に合祀されていて、キリスト教徒である遺族から訴訟が提起されても、戦前とほとんど変わらない理論構成によって、今も合祀が続けられている事実はもっと知られてもよい。

護国神社そして忠魂碑

現在、靖国神社は全国で唯一つ、東京の九段にある単独の宗教法人に過ぎない。
しかし、戦前の国家神道体制においては、戦死者慰霊祭祀システムの頂点に立つ特殊な神社であった。
各都道府県に一社づつ定められた護国神社を直接の末社とし、市町村・部落単位で建立された忠魂碑を末端とする、戦死者を慰霊する国家システムであった。

護国神社の祭神は、靖国神社の祭神と同一とされ、靖国神社への参拝を代替する機能を担うものである。その観念的仕組みは、富士山信仰において、各地に築造された富士塚の機能と類似している。護国神社を参拝することで、靖国神社を参拝したのと同様の意味があるとの位置づけである。
当時、国の地方機関であった県庁所在地にある護国神社は、宮城(皇居)拝搖台や国旗掲揚台などと一体となって、全国各地での軍事に関する国家神道行事の中核を形成していた。

各地に建立された忠魂碑は、まさに村落の靖国とも言える存在である。神社の形式をとらず、遺骨が納められているわけでもない石碑であるが、主に在郷軍人会が設置管理していて、出征兵の壮行会など戦争と軍事に係る地域の行事の舞台として活用された。
碑には戦死者名簿などが納められることが一般的であったようで、各家庭における慰霊にかえて、戦死した親族の墓標機能も期待されたものであった。
この忠魂碑については、戦後数多くの判例が積み重ねられることで、単なる記念碑的存在ではないことが明らかにされている。
忠魂碑は、まさに国家神道体制の装置として機能した存在であった。

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2006/04/02

BraveLife:中島らも「わが葬儀」

固いおとうふ

中島らも、コピーライター、コラムニスト、小説家、劇団主宰、その他多芸多才。
2004年7月24日、酒に酔って頭部を強打し死去、享年52歳。
まことに彼らしい死様と言わざるを得ない。

ユーモア溢れる独特のコラムに今もファンは多い。
時とともに彼のコラムの読者が減ってしまうのを残念に思う。
数多い著書の一冊「固いおとうふ」に自らの死を語った一編がある。
あえて引用させていただくことで、より多くの人に改めて中島らもを知っていただきたい。


わが葬儀

 僕は自分が三十五歳で死ぬものと決めてかかっていた。知人にそう言われたのと、易者にそう言われたのがきっかけになっての思いこみだった。永年の睡眠薬中毒とブロン中毒、それに深酒。こうしたご乱行の蓄積があったから、三十五歳で死ぬのは当たり前のように思われた。
 当の三十五歳になってみると、きっちりとアルコール性肝炎で倒れた。これで自分は死ぬと覚悟をきめて入院したのだが、人間の体というのはいやしいくらい回復力のあるもので、めきめきと元気になり、五十日間入院してから退院した。このへんのいきさつは『今夜、すべてのバーで』(講談社)にほぼノンフィクションで書いてある。
 今、四十四歳で、あれから約十年たったわけだ。その十年間にいろいろと病気をしたが、今はかなり元気に暮らしている。
 さて、ではいつ死ぬのか、再予測になるわけだが、どうも五十五、六くらいが怪しいのではないか、と思う。先に述べたように、二十代三十代でムチャをしているので、そのツケがどこかに出て、そう長生きはしないように思うのだ。
 五十六歳のある日。朝からどうも頭が激しく痛む。ラジオの出演があるので、ムリをして放送局へ。ラジオが終った後、トイレにたつ。大きい方をすませた後、手を洗っていると、急にクラクラッとなって床に倒れてしまう。脳こうそくである。救急車の車中でそのままあの世へ。
 ま、そんなことではないかと思うのだ。
 もし、この五十六歳を乗り越えたら自分は長生きするだろう。いつも杖を手に町内をうろつき、子供を見たら杖をふりかざして、わーっと追いかける。そういうきらわれもののじじいになるだろう。
 そして、八十六歳でノドのガンで死ぬ。
 晩年は、もう書きものなんかしない。毎日二合くらいの昼酒を飲んで、いい気持ちになったところで町内の見まわりに。
 話は変わるが、この前、モンゴルの遊牧民に関する本をたくさん読んだ。遊牧民たちの羊のほふり方には独特のノウハウがある。ノドのあたりを小さく切開して、そこから手を突っ込んで首の動脈をひきちぎってしまうのである。こうすれば羊は苦しまずにすむ。
 殺したあとの羊は頭から足首まで、徹底的に利用する。血まで無駄にせず使ってしまう。
 僕の死体も、できればそういう風に使ってほしいものだ。目玉、内蔵、せきずい、使えるところはみんな他の人のために使ってほしい。残った部分はミンチにして海に投げ込み、魚のエサにしてほしい。
 お墓はいらない。金がムダである。
 僕という存在の喪失が、しばらくの間人々の間に影を落とし、やがてその影が薄れていって、僕はほんとうの「無」になる。そういうのがいい。

中島らも公式ホームページ

固いおとうふ 固いおとうふ

著者:中島 らも
販売元:双葉社
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