« BraveCD:本田美奈子.「I love You」 | トップページ | 日本が危ない:景山民夫「窮極クン物語」 »

2006/04/16

日本が危ない:靖国神社問題の本質 5

失われた記憶

失われた国家神道の記憶

国家神道は、敗戦により占領軍により徹底的に否定された。
靖国神社などあらゆる神社に対する国家の援助や保護は廃止され、宗教法人への衣替えをした。
義務教育過程から排除はもちろん、社会教育システムは徹底的に破壊され、国家神道的内容は一掃された。
軍隊や在郷軍人会も廃止されたため、国家神道体制を支えた全ての機能が失われたと言って良いだろう。

しかし、徹底した国家神道的教育を受けた多くの国民にとって、靖国神社の精神面での位置づけは容易には変化しない。
靖国神社において慰霊を続けることは約束された国の義務であるとの思いは、戦争によって家族を失った多くの遺族の共通の認識であった。

国が責任を放棄することは到底認められることではなかったし、国家神道の形式によらない慰霊では納得できない遺族も多かった。

結果として、靖国神社の位置づけは戦後半世紀もの間、曖昧のままであった。
靖国神社を国営化することも出来ず、宗教色を排除した慰霊も行えない膠着状態が続き、政治の場からも教育の場からも、靖国神社と国家神道はタブーとなり意図的に排除されていったのである。

国民を支配した国家神道体制は、わずか60年で多くの日本国民にとって未知のものとなった。
自らが受けた影響も、そして加害者としての記憶も忘れられてしまったのである。
特に加害者としての記憶は、当事者によって語られることも少なく、本格的に研究されることもないまま歴史の流れのなかで、少なくとも日本においては失われたのである。

継承された記憶

日本で忘れられた国家神道と靖国神社は、その最大の被害者であった東南アジアや中国・韓国などに、しっかりと記憶されていた。
加害者より被害者において記憶が継続されることは、ある意味で当然である。

母国語の利用や古来からの宗教が禁止され、日本語の使用や神社参拝などが強制された記憶。
支配者として君臨した天皇の官吏の残虐さ、死を持って抵抗した親族や同胞の記憶。
それらが自らの体験として、また語り継がれる歴史として継承されているのである。
日の丸と神社は、その苦しく悲しい記憶の象徴的存在に他ならない。

その記憶に照らすとき、日本政府の指導者が靖国神社を公式参拝する行為は、単なる慰霊とは理解されえないことを、日本人は改めて認識しなければならないのである。

臥薪嘗胆の国、中国で、愛国心教育の一環として過去に日本が行った行為の数々が次の世代に伝承されることは、決して否定されるべきではない。
ナチスの虐殺の記憶が、強制収容所の保存により伝承されるように、間違った行為、否定すべき行為は、次の世代に確実に伝えられ、再び行われることがないように措置されなければならない。

日本人は忘却の民族である。被害者としてそして加害者として、その記憶を客観化して、組織的に伝承することが求められていることが認識しなければならないのである。

|

« BraveCD:本田美奈子.「I love You」 | トップページ | 日本が危ない:景山民夫「窮極クン物語」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/46036/1357637

この記事へのトラックバック一覧です: 日本が危ない:靖国神社問題の本質 5:

« BraveCD:本田美奈子.「I love You」 | トップページ | 日本が危ない:景山民夫「窮極クン物語」 »