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2006/05/19

BraveLife:ボブ・グリーン「書きつづける理由」

書きつづける理由 チーズバーガーズ4

「105円の本達」で紹介したこともあるボブ・グリーンのコラム集である。
ボブのコラムの特徴は着眼点の良さと切り口の見事さにあると思っていた。しかし、チーズバーガーシリーズ4作目にあたる本書では、ボブ自身の意見や主張がはっきりとは読み取れない少し毛色の違ったコラムが多い。40歳を迎えた彼が、心の内面や価値観・考え方について自分自身に問いかけるようなコラムである。
少し長いが、ある男の生き方を紹介した一編をご紹介したい。

「牛追いの旅」
 人には誰にでも忘れられない人間がいる。
 あれは1970年のことだった。当時、グレート・ウェスタン・ランド&キャトルという会社が、ニューメキシコ州のグランツからコロラド州のパゴサ・スプリングズまで、砂漠を越えて七百頭のシャロレー牛を移動させていた。私は、それに同行する形で、牛追いの旅に出た。カウボーイたちはほとんどがプロの職人たちだった。つまりは、子供のころから馬に乗って生活の糧を稼いで来た、筋金入りの西部の男たちだった。
 だが、そのなかにひとりだけ、得体の知れない男がいた。ジョー・ヘンリーという名前の男で彼にはどことなく....人とちがうところがあった。
 黒髪で、驚くほど目鼻立ちが整っていた。彼はまだそのころ二十七歳だったが、いつも他人とのあいだに距離を置いているように私には思えた。牛追いの旅のあいだ、ほかの人間はみな火のまわりに集まって夕食を食べたが、ジョーはたいていひとりで黙々と食べていた。牛が休息をとっているあいだも、ほかの男たちはひとつ場所に集まって話をしていたが、ジョーは馬を降りて、ひとりでまわりの景色を眺めていた。
 彼はしょっちゅう、牛追いの旅の責任者だったロン・ワイルダーと口論していた。その牛追いの旅にはトラックが数台伴走していて、ワイルダーはジョーにそのなかの一台を運転するように命じていた。だがジョーにはそれが不満だった。彼は馬の背にまたがって、牛を追いたがっていた。
 ロン・ワイルダーが(牛の囲いを乗せた)トラックを運転するようにジョーにいうと、ジョーはいつもワイルダーにこういい返した。
「俺は馬に乗りたいんだ。金なんか欲しくない。給料なんか一銭もいらない。だが俺には馬だけは必要なんだ」
 ジョーがそういうのを聞いて、私はいつも不思議に思っていた。カウボーイたちはみな、主として金のために牛を追っている。馬に乗るかわりにトラックを運転したからといって、給料の額が変わるわけではない。
 だが、いっしょに牛追いの旅を続けているうちに、私はジョー・ヘンリーという人間を少しずつ理解するようになっていった。
 世の中にはなんでも自分でやってみないと気がすまない好奇心旺盛な人間がいるが、彼はまさしくそういうタイプの男だったのだ。彼の人生の目的は、毎日新しい体験をすることだった。彼は、ビールのコマーシャルに出てくるような男たちの白眉のごとき人物だったが、彼がそうした男たちとちがうのは、あくまでも彼が現実の世界の人間だということだった。
 ジョーはカウボーイではなかった。彼はただ、カウボーイの仕事を体験してみたかったから、牛追いの旅に出たにすぎなかった。
 彼は詩人であり、作詞家でもあった。アイオワ大学の創作科で修士号もとっていた。工事現場で働いたこともあったし、炭坑に勤めていたこともあった。プロのボクサーになろうとして修業をしていたこともあった。「ブラウン・アームズ・イン・ヒューストン」という、地元では大ヒットしたご当地ソングを作ったこともあった。彼が持っていたダッフル地のバッグには、二冊の厚いファイル・ホルダーが入っていて、そこには彼が書きためた詩が綴じてあった。彼はときどき、その詩を私に読ませてくれた。
 旅を続けていくうちに、私たちは友達になった。彼は、コロラドに着いたら、今度はヨーロッパへ行って、プロのホッケー選手になりたいといっていた。
 私たちは旅の途中で別れた。そして彼とはそれ以来一度も会わなかった。
 それからまたたく間に時が流れた。そして、数日前のある日の午後、コロラド州のウッディ・クリークから一通の手紙が私のもとに届いた。差出人は、ジョー・ヘンリーだった。
 あの牛追いの旅を終えたあと、彼がどこでなにをしていたのかをその手紙は教えてくれた。
 彼はその後、ジョン・デンヴァーのためにいくつか歌詞を書いていた。何人かの有名な作家が彼の書いた詩を本にできるように力を貸すと約束してくれたが、残念なことに、まだ実現の運びにはなっていなかった。
 彼はその手紙のなかで、私が彼のことを覚えているかどうかわからないが.....と書いていた。
 私はすぐに彼に電話をかけた。そして私はまず、彼がヨーロッパに渡ってホッケーのチームに入れたのかどうかをたずねた。
「もちろんだとも」と彼はいった。「あれからデンマークとスイスでプレーしたよ。おかげで身体のほうはメチャメチャさ。膝と鼻の手術を三回ずつやって、鼻と顔を合わせて九十針縫ったよ。だけど、それでも最高に面白かった。」
 現在の彼は作詞家としてはあまり成功していなかった。
「テレビのコマーシャル用になにか書かないかという誘いを何度か受けたことはあるんだ。これから一生遊んで暮らせるような金をくれるらしいんだが、俺にはそういう仕事はできない。俺には、人になにか物を売りつけたいなんて気はさらさらないからね。車や煙草やヨーグルトを売るために詞を書くのかと考えただけで、俺にはとてもできないと思っちまうんだ」
 そんな彼も、もう四十代になっているはずだった。
「四十二歳だよ。だが人生がそれほど変わったようには思えないね。俺はいまでも相変らず、絶対に妥協をしない頑固な男として通っているよ。俺の人生は、ほかの人間なら間髪入れずに飛びつくようなチャンスを棒に振りつづけてきた歴史だといってもいいかもしれない。」
「だが俺は、自分では自分のやりたいことをとことんやってきたつもりなんだ。結婚は一度もしなかった。いまでも相変らずその日暮らしで、いま持ってるのも、ジープが一台に、馬が三頭に、あとは身のまわりの品ぐらいのものさ。俺はいまでも、自分の好きなように人生を生きてるつもりだよ。」
 だがそのことは、四十二歳という年齢になっても、二十七歳のときと同じように素晴らしいことなのだろうか?みずからの好奇心を満足させるだけのためになんにでも進んでトライしてみることは、たしかに若いうちは素晴らしい人生かもしれない。だが、つぎにくる自分の人生の節目が五十歳で、同世代の人間はもういまの自分がやっているようなことをやっていないということがわかったときにも、それは素晴らしい人生なのだろうか。
「そのことは俺もよく考えるよ」と彼はいった。「以前俺は、冬場には人が住んだことがないといわれていた標高三千三百メートルの山のなかで生活してたことがある。そこには俺ひとりきりで、一日に三回は雪崩があった。俺はその生活がとても気に入ってたんだが、ときどきその雪崩を見ながら、人生について考えさせられることがあったよ」
「だが、俺が自分の将来を不安に思ったことがあったかっていえば、これまで本気で心配したことは一度もなかったといわざるをえない。俺はたぶんいまでも、一日を朝から晩まで自分の好きなように生きて、それからまた新しい一日を迎えてた時代にどっぷりと足をつけて生きているんだろうな。ほかの人間がもうそんなふうには生きてないってことは俺にだってよくわかってる。だが俺の人生はどうやらこれからもいまのまま一生かわりそうにはないよ」

書きつづける理由 チーズバーガーズ4
ボブ・グリーン 井上一馬[編・訳]
文芸春秋刊

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