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2006/05/30

105円の本達:景山民夫「どんな人生にも雨の日はある」

D0065324_2232761 どんな人生にも雨の日はある
景山民夫

探偵物やアクション物など、日本人作家には珍しい分野の小説を得意とした景山民夫は、雑誌などに連載されたコラムも数多く残している。
放送作家当時や「お坊ちゃま」として育った少年時代の想い出など、なかなか面白いものが多い。
本書に納められたコラムは、そんな昔ばなしを中心に雑多なテーマを扱っている。はっきり言って量はともかく質は玉石混交で良くも悪くも景山民夫らしい一冊である。東京で生まれ育った読者には懐かしく面白いものが多いが、地方出身者には不愉快に感じるものも少なくないのではと、人ごとながら心配になる「地方差別的」コラムが多いのである。
傑作なのは、巻末を飾る内藤陳、いとうせいこう、中島らもとの対談である。景山氏の知識と興味の広さはもちろん、その頭の回転の良さを痛感する抱腹絶倒の対談集である。105円ならお買い得である。見かけたらぜひ一読してほしい。

どんな人生にも雨の日はある

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2006/05/28

日本が危ない:共謀罪は絶対に危ない

共謀罪は極めて危ない「犯罪」なのです。

 ほとんどの人にとって突然提出された「共謀罪」法案なのですが、その本当の危なさが理解されないまま成立しそうな雰囲気に、いよいよ日本が危ないと感じるのです。
 共謀罪の詳しい説明はウィキペディアに詳しく載っているのでお読みいただくとして、簡単に言えば複数の人が犯罪をしようと話し合うことを犯罪としましょうということで、刑は実際にその犯罪を行った場合の概ね半分です。
 もちろん、法案を読むと団体の定義や運用について乱用されないための文言があって、一見すると問題がないと誤解されやすいところが、実は危険だなと思うのです。
 その危険とは、今すぐ共謀罪が乱用されると言うものではなくて、将来(ごく近いかもしれないですが)、独裁的性格の政府が成立したり国内の情勢が不穏さを帯びたときなどに、共謀罪が国際テロの事前抑制という本来の目的を逸脱して運用されるのではないかとの危なさなのです。
 古くは戦前の治安維持法、戦後なら凶器準備集合罪、オーム事件の際には破壊活動防止法が「弾力的且つ柔軟に運用」されて、政治活動や学生運動などの抑制に活用されたことは、少しでも歴史を学んだ人なら良く知るところです。法は制定された当時の目的を離れて、時々の状況に応じて運用される宿命を持つものなのです。共謀罪が同じような危険性をはらんでいることは、もっと良く認識されなければなりません。

共謀罪の危険性とは
共謀罪の最大の危険性は「物的証拠」が必要ないことにあります。
現在の刑法体系は、欧米での長い歴史的教訓により構成されたものと言って良いでしょう。その最も重要な教訓とは魔女裁判によって得られたものです。
中世ヨーロッパ全土で何百年も行われた魔女裁判では、男女を問わず無実の人々が魔女として処刑されました。魔女は証拠を残さないとされたため、証人の証言と自白により犯罪が成立しました。自白が重要とされたがゆえに、極めて残虐な拷問が行われ、一旦魔女の疑いをかけられると次々と拷問が続けられ、結果として自白をして魔女として処刑されるか、自白せず拷問により死ぬしかないと言う、何とも酷い状況が生まれたのです。
その裁判では、魔女の疑いを受けたものは、自ら魔女でないことを証明することを求められました。魔女であることを告発者が証明するのではなく、本人が魔女でないことを証明するのです。少し考えればわかりますが、これは極めて困難な課題です。
その結果、近代刑法体系においては、犯罪は実行に着手して初めて犯罪となり、物的証拠が必要との原則が確立されました。また、犯罪は裁判する者とは独立して、告発する者を置き(すなわち検察です。)、告発する者が犯罪を行ったことを証明することとされたのです。
共謀罪は、これら歴史的教訓により確立された原則を根底から覆してしまう「犯罪」なのです。

悪意を持った共謀罪の運用方法
共謀罪が、現在の法案提案趣旨のとおり適正かつ厳正に運用されるならば、確かに国際テロの防止に大きな効果を発揮するでしょう。しかし、共謀罪が悪意を持って運用されるなら、それは自由と平和そして民主主義にとって大きな脅威となってしまいます。
一つの決してあってほしくはないが、十分想定される運用例を示してみましょう。

未来のあるとき、自由と民主主義を愛さない人物が権力を合法的に握ったとします。退廃した政界や社会を憎むその人物は、世論の後押しを受けつつ刑法や政治資金規正法の刑罰を引き上げる一方で、共謀罪の適用範囲を拡大する法案を国会に提出します。支持者が過半を占める国会で法案は速やかに成立します。
その人物の意向を受けて共謀罪の厳格な運用を始めた警察は、争って腐敗した政党下部組織などの一斉摘発を始めるのです。初めは野党そして与党の対抗勢力が標的となります。その支部の一員である複数の党員が幹部職員の違法行為の共謀を証言します。その証人達は実はその意図を受けて組織に潜入した警察の協力者であっても良いわけです。共謀罪は自首したものの刑が免除されます。したがって協力者は自らが刑に問われる恐れなく安心して共謀を図ることが可能なのです。そのような複数の自首と証言をもとに、対抗勢力の幹部を次々に逮捕していくのです。
日本の刑事訴訟法においては、逮捕事由以外を拘留中に取り調べることは適法です。一旦逮捕さえしてしまえば、事務所の捜索も書類の押収も自由自在なのが日本の法律。その結果、たとえ虚偽の証言による逮捕事由となった犯罪が立件できなくても、押収した書類や取調べによって、他の犯罪を見つけ出して決定的なダメージを対抗勢力に与えることが可能となるのです。まったく共謀の事実がなくても、事前に打合せをした複数の協力者が「共謀の事実」を証言した場合、その証言が虚偽であることを証明することはほとんど困難です。求められるのは何の物的証拠も残らない「話していないこと」なのですから。イメージしてみればわかりますが、実際に「話していてウソをついて否定している」ものと「話していない真実を述べている」ことは、第三者からはまったく区別がつかないからです。
では、本人の自白を絶対条件とすればどうでしょう。「無罪の人は自白しない」と言うことがいかに事実と異なるかは歴史が証明しています。あらゆる冤罪事件で最終的に無実を証明された人が自白をしています。ビデオテープで録画することが出来ないほど、警察の取り調べは精神的肉体的に被疑者を痛めつけ、無実の人に犯罪を告白させるものであるからです。自白を条件とすることは、共謀罪による被疑者の被害をより深刻にするだけのことなのです。
かくして対抗勢力を一掃することで、その人物の独裁体制は確立するのです。

この例え話があり得ないものだとは、到底思えないところが怖いのです。
第一次世界大戦後、当時世界で最も民主的な憲法を持っていた国はドイツでした。
共謀罪などないその国で、これとほぼ同じことが起こったことは歴史を学ぶものが良く知るところだからです。

拝啓 国会議員様
権力者に無制限の権力とそれを裏付ける法的権限を与えてはいけないことは、歴史の強く教えるところです。
日本において誰が権力者であるかは、なかなか分りにくいものですが、国会議員は権力者の一員ではなく、国民の側から「権力」を監視する大きな権限が信託されていることはもっと自覚していただきたいところなのです。

今回の論考は、検索できた限りの選良たる多くの国会議員の皆様のホームページにトラックバックさせていただきました。(とは言うものの国会議員のブログは本当に少ない。ましてトラックバックできるページはいくつもない。皆さん、国民の声を聴く気持ちがあるのでしょうか?)
党の方針だからというだけで、十分に考えもせず賛否の投票をすることだけはないよう、国民の一人として納税者として、それぞれの議員の皆様に強くお願いするところなのです。

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2006/05/27

105円の本達:秋元康「人生には好きなことしかやる時間がない」

441303225x09_pe00_ou09_scmzzzzzzz__1 人生には好きなことしかやる時間がない
秋元康
  



105円コーナーでこの本を見つけた。「人生には好きなことしかやる時間がない」良いタイトルである。どう生きていくべきか、人にとって幸せとは何かなど大切なことを語っていることを期待させるタイトルである。出版は青春出版社、いかにも若者が読むに相応しい本に思える。
手に取って目次を確かめる。「1 大成功ができるまで 僕が考える仕事の楽しみ方 2 憎めない人がスゴイ理由 人間関係のヒケツについて 3 本当の自分を探して なりたい自分と今の自分 4 人生には好きなことしかやる時間がない 後悔なき人生のために」まさに期待したとおりの項目が並んでいる。
著者は、放送作家からイベントプロデューサー、作詞家などマルチな活躍をみせる大金持ちの秋元康。ちなみに奥様は元ニャンのアイドルである。
さっそく購入して、なにがしかを期待して読んでみた。

結果は.......残念!! である。
確かに、それらしいことを書いたコラムが並んでいる。どれも文章としては良く書けていて、いくつかを覚えて10代か20代の若者に自分の言葉のように語れば、それなりに尊敬を受けそうな内容ではある。
しかし、しかしである。言葉に深みがない。自らの体験や哲学に基づくものではなく、どこか別のだれかが書いたものを、表面だけすくって再構成したような薄っぺらさを感じるのである。
さすがは、生き馬の目を抜くと言われる芸能界を20年もトップで走りつづけてきた辣腕プロデューサーであり構成作家であると、変なところに関心してしまった。
 もちろん、この手のテーマの本を初めて読む読者にはそれで十分なのだろうとも思うし、105円なら一読して損はない程度の内容であることは間違いない。

 ここまで書いて、「本書は「サンデー毎日」に連載された「どいつもこいつも」に加筆、再編集したものです。」との巻末の一文に目に留まった。秋元氏はそんなことは百も承知で、わざと薄っぺらな人生論を書いたのかもしれないと気がついた。「エッセイだって読者の人気がなければ、連載終了ということになる」と本書のなかで著者自身が書いている。だれが上目線で人生を説くコラムを週刊誌で読みたいものか。
金持ちで美人の奥方を持つ売れっ子の有名人が、愚にもつかないコラムを書いてこそ、読者は優越感をもってコラムを読み続けることを、秋元氏は知り抜いているからである。

441303225x09_pe00_ou09_scmzzzzzzz__3 人生には好きなことしかやる時間がない


 

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2006/05/19

BraveLife:ボブ・グリーン「書きつづける理由」

書きつづける理由 チーズバーガーズ4

「105円の本達」で紹介したこともあるボブ・グリーンのコラム集である。
ボブのコラムの特徴は着眼点の良さと切り口の見事さにあると思っていた。しかし、チーズバーガーシリーズ4作目にあたる本書では、ボブ自身の意見や主張がはっきりとは読み取れない少し毛色の違ったコラムが多い。40歳を迎えた彼が、心の内面や価値観・考え方について自分自身に問いかけるようなコラムである。
少し長いが、ある男の生き方を紹介した一編をご紹介したい。

「牛追いの旅」
 人には誰にでも忘れられない人間がいる。
 あれは1970年のことだった。当時、グレート・ウェスタン・ランド&キャトルという会社が、ニューメキシコ州のグランツからコロラド州のパゴサ・スプリングズまで、砂漠を越えて七百頭のシャロレー牛を移動させていた。私は、それに同行する形で、牛追いの旅に出た。カウボーイたちはほとんどがプロの職人たちだった。つまりは、子供のころから馬に乗って生活の糧を稼いで来た、筋金入りの西部の男たちだった。
 だが、そのなかにひとりだけ、得体の知れない男がいた。ジョー・ヘンリーという名前の男で彼にはどことなく....人とちがうところがあった。
 黒髪で、驚くほど目鼻立ちが整っていた。彼はまだそのころ二十七歳だったが、いつも他人とのあいだに距離を置いているように私には思えた。牛追いの旅のあいだ、ほかの人間はみな火のまわりに集まって夕食を食べたが、ジョーはたいていひとりで黙々と食べていた。牛が休息をとっているあいだも、ほかの男たちはひとつ場所に集まって話をしていたが、ジョーは馬を降りて、ひとりでまわりの景色を眺めていた。
 彼はしょっちゅう、牛追いの旅の責任者だったロン・ワイルダーと口論していた。その牛追いの旅にはトラックが数台伴走していて、ワイルダーはジョーにそのなかの一台を運転するように命じていた。だがジョーにはそれが不満だった。彼は馬の背にまたがって、牛を追いたがっていた。
 ロン・ワイルダーが(牛の囲いを乗せた)トラックを運転するようにジョーにいうと、ジョーはいつもワイルダーにこういい返した。
「俺は馬に乗りたいんだ。金なんか欲しくない。給料なんか一銭もいらない。だが俺には馬だけは必要なんだ」
 ジョーがそういうのを聞いて、私はいつも不思議に思っていた。カウボーイたちはみな、主として金のために牛を追っている。馬に乗るかわりにトラックを運転したからといって、給料の額が変わるわけではない。
 だが、いっしょに牛追いの旅を続けているうちに、私はジョー・ヘンリーという人間を少しずつ理解するようになっていった。
 世の中にはなんでも自分でやってみないと気がすまない好奇心旺盛な人間がいるが、彼はまさしくそういうタイプの男だったのだ。彼の人生の目的は、毎日新しい体験をすることだった。彼は、ビールのコマーシャルに出てくるような男たちの白眉のごとき人物だったが、彼がそうした男たちとちがうのは、あくまでも彼が現実の世界の人間だということだった。
 ジョーはカウボーイではなかった。彼はただ、カウボーイの仕事を体験してみたかったから、牛追いの旅に出たにすぎなかった。
 彼は詩人であり、作詞家でもあった。アイオワ大学の創作科で修士号もとっていた。工事現場で働いたこともあったし、炭坑に勤めていたこともあった。プロのボクサーになろうとして修業をしていたこともあった。「ブラウン・アームズ・イン・ヒューストン」という、地元では大ヒットしたご当地ソングを作ったこともあった。彼が持っていたダッフル地のバッグには、二冊の厚いファイル・ホルダーが入っていて、そこには彼が書きためた詩が綴じてあった。彼はときどき、その詩を私に読ませてくれた。
 旅を続けていくうちに、私たちは友達になった。彼は、コロラドに着いたら、今度はヨーロッパへ行って、プロのホッケー選手になりたいといっていた。
 私たちは旅の途中で別れた。そして彼とはそれ以来一度も会わなかった。
 それからまたたく間に時が流れた。そして、数日前のある日の午後、コロラド州のウッディ・クリークから一通の手紙が私のもとに届いた。差出人は、ジョー・ヘンリーだった。
 あの牛追いの旅を終えたあと、彼がどこでなにをしていたのかをその手紙は教えてくれた。
 彼はその後、ジョン・デンヴァーのためにいくつか歌詞を書いていた。何人かの有名な作家が彼の書いた詩を本にできるように力を貸すと約束してくれたが、残念なことに、まだ実現の運びにはなっていなかった。
 彼はその手紙のなかで、私が彼のことを覚えているかどうかわからないが.....と書いていた。
 私はすぐに彼に電話をかけた。そして私はまず、彼がヨーロッパに渡ってホッケーのチームに入れたのかどうかをたずねた。
「もちろんだとも」と彼はいった。「あれからデンマークとスイスでプレーしたよ。おかげで身体のほうはメチャメチャさ。膝と鼻の手術を三回ずつやって、鼻と顔を合わせて九十針縫ったよ。だけど、それでも最高に面白かった。」
 現在の彼は作詞家としてはあまり成功していなかった。
「テレビのコマーシャル用になにか書かないかという誘いを何度か受けたことはあるんだ。これから一生遊んで暮らせるような金をくれるらしいんだが、俺にはそういう仕事はできない。俺には、人になにか物を売りつけたいなんて気はさらさらないからね。車や煙草やヨーグルトを売るために詞を書くのかと考えただけで、俺にはとてもできないと思っちまうんだ」
 そんな彼も、もう四十代になっているはずだった。
「四十二歳だよ。だが人生がそれほど変わったようには思えないね。俺はいまでも相変らず、絶対に妥協をしない頑固な男として通っているよ。俺の人生は、ほかの人間なら間髪入れずに飛びつくようなチャンスを棒に振りつづけてきた歴史だといってもいいかもしれない。」
「だが俺は、自分では自分のやりたいことをとことんやってきたつもりなんだ。結婚は一度もしなかった。いまでも相変らずその日暮らしで、いま持ってるのも、ジープが一台に、馬が三頭に、あとは身のまわりの品ぐらいのものさ。俺はいまでも、自分の好きなように人生を生きてるつもりだよ。」
 だがそのことは、四十二歳という年齢になっても、二十七歳のときと同じように素晴らしいことなのだろうか?みずからの好奇心を満足させるだけのためになんにでも進んでトライしてみることは、たしかに若いうちは素晴らしい人生かもしれない。だが、つぎにくる自分の人生の節目が五十歳で、同世代の人間はもういまの自分がやっているようなことをやっていないということがわかったときにも、それは素晴らしい人生なのだろうか。
「そのことは俺もよく考えるよ」と彼はいった。「以前俺は、冬場には人が住んだことがないといわれていた標高三千三百メートルの山のなかで生活してたことがある。そこには俺ひとりきりで、一日に三回は雪崩があった。俺はその生活がとても気に入ってたんだが、ときどきその雪崩を見ながら、人生について考えさせられることがあったよ」
「だが、俺が自分の将来を不安に思ったことがあったかっていえば、これまで本気で心配したことは一度もなかったといわざるをえない。俺はたぶんいまでも、一日を朝から晩まで自分の好きなように生きて、それからまた新しい一日を迎えてた時代にどっぷりと足をつけて生きているんだろうな。ほかの人間がもうそんなふうには生きてないってことは俺にだってよくわかってる。だが俺の人生はどうやらこれからもいまのまま一生かわりそうにはないよ」

書きつづける理由 チーズバーガーズ4
ボブ・グリーン 井上一馬[編・訳]
文芸春秋刊

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2006/05/18

105円の本達:日下公人「私が「この国」を好きな理由」

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私が「この国」を好きな理由




昭和5年生まれの著者は、この本を執筆した2001年当時すでに70歳である。
雑誌などに掲載されたコラムを再録した本書だが、テーマや切り口は鋭く論旨も明快である。石原慎太郎都知事など昭和初めの生まれの論客の活躍は目覚ましい。
本書は、題名からもわかるとおり「日本」をテーマにしたコラムを中心にしているが、著者自身が認めるとおり司馬遼太郎の「この国のかたち」も意識したタイトルとなっている。
著者の関心の中心は、日本はどうあるべきか、日本人はどうすべきか、であり、その主張するところは、いわゆる「右寄り」であり「国粋主義的」である。
しかし、その主張するところは、感覚的で懐古的で非論理的な同種の書物と異なり、著書の深く広い知識と認識に基づく論理的展開が鮮やかで一読に値するものである。
司馬遼太郎のコラムは、歴史的事実などとの比較を通じて理論的科学的であり、その主張は「左寄り」「国際的(相対論的!?)」である。
対照的に日下公人のコラムは、著書自身の認識や意見による断定的なものが多く、論旨もやや飛躍がちであるため、その真意が相手方によっては正しく理解されないであろうことは残念である。
「国家の品格」で、日本論・日本人論が再び脚光を浴びつつある今日、幅広い主張や意見を客観的に学ぶことは重要である。
日下公人はもっと注目されてよい一人に違いない。今も活発に活動をしている同氏だが、日経BP社のSafetyJapanホームページの連載コラムは示唆に富み学ぶところが多いので併せて推薦したい。
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私が「この国」を好きな理由


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2006/05/17

BraveDVD:「アメリカングラフィティ」

アメリカン・グラフィティ
青春映画の名作といえば「アメリカングラフィティ」。
舞台はアメリカの中西部にある典型的な田舎町。開拓時代に作られた大陸横断鉄道の駅を中心に無数に作られた町の一つ。
時代は60年代はじめ、ベトナム戦争の敗北と退廃を知らないアメリカが一番輝いていた時代である。
高校生の卒業パーティーが開かれた一晩の出来事の物語である。一人の主役がいるわけではなく、感動的な結末があるわけではない。細かな何気ないエピソードの積み重ね、同じ時代を過ごしたアメリカ人なら誰もが体験したような出来事が主役である。懐かしい過去の出来事、失われた古き良きアメリカへのノスタルジーが、この映画を名作と呼ばせるのだろう。
まったく体験したこともない極東の島国「日本」にも多くのファンがいるのは意外とも思えるが、この時代こそが戦後の日本人が憧れ目標としたアメリカそのものだと言うことが出来るのだろう。
眩しく輝くドライブインに、ハンバーガーとコーラを求めて大型車で集まる若者達。女の子は女の子らしく可愛く着飾り、男の子はニキビを気にしつつアイビールックかちょっと不良っぽく大人ぶっている。ビートルズを知らないグループサウンズは、明るく楽しく恋愛こそ青春だとコーラスする。ワックスで磨き上げらたアメ車が、夜の町のネオンを映して徘徊する。誰もが経験した甘酸っぱいような恋愛体験が夜毎にそれぞれに繰り広げられている平和な町と時代なのである。
古き良きアメリカの田舎町では、不良グループさえ町の構成要素であって決してアウトローではない。アフリカのサバンナで、カモシカやヌーの群れとライオン達が共に午後の退屈を持て余しているような平和な風景。
今や定番の青春映画のスタイルが、この映画によって創造されたのである。

アメリカン・グラフィティ アメリカン・グラフィティ

販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
発売日:2005/12/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2006/05/16

105円の本達:司馬遼太郎「この国のかたち」

この国のかたち〈6〉1996
「掘り出し物」これぞまさに105円コーナーの楽しみである。
ご存知、司馬遼太郎最後の随筆集「この国のかたち」があった、一巻と六巻。
全六巻の「この国のかたち」は司馬遼太郎最後の随筆集であり、六巻途中で絶筆となっている。基本的には各巻ごとに独立しているので、1冊のみ購入してもいっこうに差し支えない。見つけたときは迷わず購入されることをお薦めする。
「この国のかたち」は、司馬遼太郎が生涯を通じて興味を持ち続けた日本そして日本人がどのように形作られたのかを、様々な歴史的出来事などにより分析した野心作である。日本をより深く理解するための優れた研究書であり、また司馬遼太郎の数多い歴史小説の背景となる思想や事実の理解のための最良の脚注である。
取り上げられる主題は広く且つ深い。そこに語られる知識と認識は、相互に関連づけられ「日本」「日本人」という抽象的で漠然とした存在の輪郭を描きだしていく。
この随筆集を読むと、司馬遼太郎という人物が単なる歴史小説家であるだけではなく、優れた思想家・評論家・民俗学者であったことを思い知らされる。
この短い人生に、どのようにして、このような膨大な知の体系を習得しうるのか、凡人には想像もつかないのである。

この国のかたち〈6〉1996 この国のかたち〈6〉1996

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/15

BraveDVD:「ブレードランナー」

ブレードランナー(サントラ)
(リンクはサントラCDのものです。)
もはや名作と言うべき一作である。
リドリー・スコット監督が創造した「レトロ・フューチャー」の世界は数多くの追随者を生み、それでいて今なお新しい。この作品がなければ、その後のSF映画ブームもなく、また人々が描く未来社会の風景もまったく違ったものとなっていたに違いない。
インターネットを含め数限りないレビューや評論がなされている、この作品に追加すべきコメントは見当たらない。

ブレードランナー(サントラ) ブレードランナー(サントラ)

アーティスト:バンゲリス
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1994/07/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/14

105円の本達:司馬遼太郎「アメリカ素描」

アメリカ素描
珍しい本である。
司馬遼太郎といえば歴史小説であり、随筆も多く残した人気作家であり、105円コーナーで見つけることも少なくない。
しかし、彼の紀行文さらにはアメリカ旅行の随筆となると貴重である。
鋭い観察と切れの良い文体は、やはり司馬遼太郎そのものである。
しかし、そこは司馬遼太郎。たとえアメリカの街を歩き人と話していても、興味は日本の幕末へ、そして古代への飛躍する。
アメリカを旅しても日本を憂い、アメリカ人と話しても日本人を考えている、それが司馬遼太郎なのである。

アメリカ素描 アメリカ素描

著者:司馬 遼太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/13

BraveDVD:「トータル・リコール」

トータル・リコール
アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF映画。
実際の宇宙旅行と仮想の宇宙旅行が、それぞれにレジャーとして実現している未来社会が舞台。
仮想の火星旅行に旅立つはずだった、建築作業員ダグことシュワルツェネッガーは機械のトラブルから現実に火星へと向かうことになる.....
科学的検証はともかく、アクションもの娯楽作品として実に楽しめる一作である。

ところでこの作品、はじめてレンタルビデオで見たときには、エンドロールの最後に気の利いた思わぬオチが確かにあった。(何人かの友人に聞いたが、あの長いエンドロールを最後まで見たような酔狂な者はおらず確認できないのだが)そう、火星での陰謀を見事に解決したラストシーンの後、流れるエンドロールを終わりまで見ると、ごく短いシーンが登場するのである。
何と映画の最初のころに登場した、故障して強引に脱出したはずの仮想旅行マシンの椅子から、ストレス解消した実に清々しい表情をしたシュワルツェネッガーがにっこりと微笑んで起き上がってくるのである。(すなわち、映画の全編そのものが仮想旅行として提供されたプログラムであったと言う、秀逸なオチである。)
このDVDにも、その幻のシーンは収録されていない。だれか真実をご存知の方はいないだろうか。

トータル・リコール トータル・リコール

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2004/11/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/12

105円の本達:カール・セーガン「コンタクト」

コンタクト 特別版
(画像はDVDのものです。)
日本でも大変人気のあったカール・セーガン博士が、初めて書き上げた科学小説。
科学知識の啓蒙に熱心だった博士だが、相対性理論・ブラックホール・ワームホールなど科学的仮説の数々を駆使して、実に魅力的で夢のある小説になっている。
より多くの人に科学のもたらすものを理解させることが、博士の生涯のテーマだった。
遙か宇宙から送られて来た電波メッセージ、その解読には一定レベルに達した科学文明が必要であった。正にその段階にある地球において、そのメッセージに従って「宇宙船」が建造される。ここまでのプロットは、既に博士のベストセラー「コスモス」に紹介済みのものである。
その「宇宙船」による恒星間旅行は、想像もよらない奇抜さである。
ちなみに、ストーリーを大幅に簡略化し娯楽色を強めた映画が、ジョディー・フォスター主演でハリウッドで製作されヒットしたことも記憶に新しい。

コンタクト 特別版 コンタクト 特別版

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2005/10/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/11

105円の本達:ポール・ケネディ「大国の興亡」

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉
決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉

ポール・ケネディ「大国の興亡」は、その副題にもあるとおり5世紀に渡る長大な歴史テキストである。
西欧が中世の暗黒から抜け出して現在に続く繁栄を始める16世紀から、アメリカそしてバブル崩壊前の日本の台頭までを、簡明に記述した通史である。
あらゆる学問が高度に専門化している現代にあって、これほどの期間を縦断的に記述してなお全体が体系を維持し破綻を見せていないのが、まず素晴らしい。
西欧の歩んだ歴史を改めて概観するには最適な一冊を言えるだろう。
しかし、単行本2冊900ページもの記述とはいえ、専門の学者が一生を費やして何本もの論文を書き上げるほどの歴史事実がある以上、あくまで「西欧史の目次」でしかないことは事実である。
この本を読み500年の時を思う時、個人そして国家の儚さを感じるのである。

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

著者:ポール ケネディ
販売元:草思社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/10

BraveDVD:「地獄の黙示録」

地獄の黙示録 特別完全版
フランシス・コッポラの名作である。
初公開当初、その描こうとする主題を巡って様々な議論があったように記憶しているが、ベトナム戦争の意義についての歴史的評価も概ね定着した21世紀にこそ、じっくりと鑑賞すべき作品なのである。
特別完全版(なんと3時間を超える長編!)でこそ、監督の意図がわかるのであるが、ベトナムの川を遡って行く度に巡り会う出来事の積み重ねこそが重要な、実は「ロードムービー」に他ならないのである。
印象的な戦場でのサーフボード。その大切なボードを盗むコミカルなシーンが追加されている。
公開版では、前線基地の幻想的で猥雑なステージショーにしか登場しないプレイメイト達だが、ヘリが上流に不時着していて再会する。土砂降りの雨のなか、彼女達の生き様が語られる。
フランス支配時代のまま古びた館で頑にフランス流生活を守る農園主との出会いがある。時が止まった農園が仏領インドシナのもう一つの姿を象徴する。
そして、ウィラード大尉自身の性格描写も追加され、その価値観などが明確化されている。
それぞれの場面に、異なった価値観に基づく人生と生活がある。
公開版ではやや唐突な印象が強いカーツ大佐の独白が、別の生き方と対比可能になることによって、その言おうとすることが鮮明になっていることは重要である。
限りなく美しいシーンとともに、そんな深い主題をもった映画なのである。
改めて名作であると断言しよう。

地獄の黙示録 特別完全版 地獄の黙示録 特別完全版

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2002/07/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/09

BraveCD:「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」

Buena Vista Social Club

アメリカのすぐ南、カリブ海にあるキューバ。
植民地支配から共産主義革命の成功と歴史に翻弄されたキューバ。
40年代のまま時が止まったような古びた街並とクラシックな大きなアメリカ車。
そんな歴史を思い出させるような哀愁を帯びたサウンド。
南カルフォルニアの陽気な明るさとも、レゲエの南国的気怠さとも違った、それでいてカリブ海を感じさせる独特の世界が広がる珠玉のアルバム。
一時注目され、DVDも発売された。
日本の梅雨の季節に似合う不思議な名盤をぜひ聞いてみていただきたい。

Buena Vista Social Club Buena Vista Social Club

アーティスト:Buena Vista Social Club
販売元:World Circuit/Nonesuch
発売日:1997/09/16
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2006/05/08

105円の本達:景山民夫「トラブルバスター3」

トラブルバスター3 国境の南

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景山民夫は放送作家から転身した作家である。
著書はコラム、随筆、小説と幅広く「遠い海から来たクー」で一躍注目された。
初期のコラムには、良き時代のテレビ業界を扱ったものが多く、下ネタやキツい冗談満載のお気軽なものも多い。
日本では珍しいハードボイルドタッチの探偵物などを得意としていて、住居や服装、車や銃器などの詳細な描写、一人称での記述など、欧米流探偵小説の王道をしっかりと抑えた魅力的な作品を多く残している。
トラブルバスターは、関東テレビ総務部総務課制作庶務係のトラブルバスター宇賀神を主人公とする探偵物語である。日本の法制上、刑事事件を取り扱う探偵業は存在しないが、テレビ局所属のトラブル解決担当社員を想定することで、さもありなんと探偵を創造したのは、作者のアイディア勝ちである。
テレビ局に発生する各種のトラブルを解決していく宇賀神は、バツイチの冴えない中年男性である。一人暮らす古びたアパートの描写、事件の真相にせまる手法や登場人物までが、アメリカの探偵ドラマを彷彿させ実に懐かしくて楽しい。40歳以上の方なら往年のジェームス・ガーナー主演の「ロックフォード氏の事件メモ」を思い出すことだろう。
第3作の本編では、これもこの手のドラマでは定番の魅力的な女子高校生・瞳が登場しペアを組むことで物語に幅が出ている。ラストの麻薬シンジケートとのカーチェイス場面などシーンが目に浮かぶようである。

トラブルバスター3 国境の南

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2006/05/07

BraveDVD:「ローマの休日」

ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 (初回生産限定版)
最も愛しい洋画を選ぶなら「ローマの休日」です。
古の歴史の街ローマが舞台。たった一日の王女と新聞記者の出会いと別れ。
シンプルすぎるストーリーと数少ない登場人物、ささやかな冒険と控えめなアクション。それでも「ローマの休日」は不朽の名作なのです。
なんといってもオードリー・へプバーンの気品と愛くるしさ、豊かな表情が素晴らしい。そして、グレゴリー・ペック演じるアメリカ人記者の無骨さと控えめなユーモアも好もしい。淡い恋心をお互い感じながら、小さなエピソードを重ねつつローマの街を巡っていく脚本の巧みさ。
現実にはあり得ないのに(滞在先の王宮から王女が清掃車に隠れて抜け出すなんて...道端のベンチで寝込んでいるなんて...ねえ)、自然に物語に入り込めて登場人物に感情移入できる洋画など、そうはありません。
何回見ても心が和んで温かくなる作品なのです。

ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 (初回生産限定版) ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 (初回生産限定版)

販売元:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
発売日:2003/12/17
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2006/05/06

105円の本達:司馬遼太郎「最後の将軍」

最後の将軍―徳川慶喜
今も昔と変わらぬ人気の司馬遼太郎である。
ベストセラーが多いこともあって、105円コーナーでも良く見かけることが出来る。
「最後の将軍」とは、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜のことである。司馬遼太郎が特に好んで題材とした幕末から明治にかけてであるが、徳川慶喜はその重要な登場人物の一人にほかならない。98年にはNHK大河ドラマにもなったので、ご覧になった方も多いだろう。
司馬遼太郎といえば「司馬史観」とも言われる独自の歴史観に基づく歴史小説が人気である。皇国史観に縛られた日本人にとって、まさに目から鱗が落ちるような新しい日本の歴史が、司馬遼太郎によって小説のなかで繰り広げられたのである。
戦後に教育を受けた世代にとって「司馬史観」は「正しい日本の歴史」にほかならない。NHKの歴史番組など、それの否定にこそ新しさを見つけ出しているほどである。
司馬遼太郎の手にかかると、今まで歴史的存在に過ぎなかった人物達が、明確な意思をもって歴史を動かし始める。簡潔に迷いなく描き出される時代の空気のなかで、語るべくして語られる台詞と必然的な行動が、実に鮮やかに歴史を作っていくのである。司馬遼太郎が一つの小説を書き始める時、すでに登場人物は独自に意思を持った存在であるに違いない。そう思わせるほど、司馬遼太郎の筆に迷いがないのである。
しかし、この「最後の将軍」に限っては、司馬遼太郎の迷いが感じられる。想定外の言動をする徳川慶喜が、司馬遼太郎の理解を超えているのである。司馬遼太郎の歴史小説において、このような迷いを感じるのはこの一冊のみである。それはとりもなおさず、徳川慶喜その人の不可思議さの結果なのだと思う。
司馬遼太郎らしからぬ、やや混迷した展開ではあるが、江戸がどう終わり明治がどう始まったかを知るのに最良の一冊であろう。

最後の将軍―徳川慶喜 最後の将軍―徳川慶喜

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
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2006/05/05

BraveDVD:「フレンチ・コネクション」

フレンチ・コネクション

フレンチ・コネクションは、古典と言っても良い刑事ドラマの名作である。
舞台はニューヨーク。アメリカの栄光に翳りが見え始めた70年代初めの、クスんだような古びた街並が印象的である。
フランスから密輸される麻薬、その組織を執拗に追うのが、ポパイことドイル刑事。荒っぽさが信条の熱血漢の刑事であるが、最近のド派手なアクション映画を見慣れた目には、むしろ地道で真面目な刑事に思われる。35年の歳月の間に、現実はフィクションを超えたと言うこともできるだろう。
無骨な大男のドイル刑事を演じるのは、名優ジーン・ハックマン。とりたてて美男でも肉体派でもないが、その存在感あってこそのフレンチ・コネクションである。
その演技を見ていると、「ダイ・ハード」のブルース・ウィルスを感じる。あの大雑把そうでいて繊細な演技、ちょっとした仕草や台詞に含まれるウィット溢れるユーモア。
いや、勘違いしてはいけない。単なる偶然ではなくブルース・ウィルスがジーン・ハックマンに学んだのに違いないのである。
最近復活を遂げて綺羅綺羅と輝きを取り戻したニューヨークだが、こんな時代もあったことを、この映画を見ると思い出すのである。

フレンチ・コネクション フレンチ・コネクション

販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日:2005/10/28
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2006/05/04

BraveDVD:「カサブランカ」

カサブランカ 特別版
あまりに有名で改めて語るのも憚られる「カサブランカ」
ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマン共演の名作中の名作で。
洋画ファンなら絶対に所蔵しておきたい名作の一つです。
舞台は、第二次世界大戦中の仏領カサブランカ、天井にゆっくりと扇風機が回るエキゾチックなリックの店。
ヨーロッパ各国からアメリカへ亡命する人々が集まっているカサブランカ。
描かれるのは、男と女の愛、国への愛、勇気、友情、優しさなど。

こんな名作がいつでも高画質で大画面で見られる幸せ。
しかも、DVDはわずか1500円。
技術の進歩に乾杯!

カサブランカ 特別版 カサブランカ 特別版

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2006/02/03
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105円の本達:桐生操「本当は恐ろしいグリム童話」

本当は恐ろしいグリム童話
3冊目に紹介するのは、105円で買い取って速やかに処分してほしい一冊、桐生操著「本当は恐ろしいグリム童話」です。
ベストセラーだけに105円コーナーを含め相当数が出回っています。
世界中で親しまれているグリム童話の原典(初版)を復刻したように誤解されているむきも多いのですが、オリジナルはごくごく一部に過ぎず、著者の卑猥な妄想が創造した原典とは似ても似つかない下品な作品です。
巻末に多数の参考文典が掲載されていますが、どこに何を引用しているのか、どこが創作部分かもわからない、真に読むに値しない一冊です。
洋の東西を問わず童話となる過程で、性的な主題や残酷な場面が省略され歪曲されることがあることは事実ですが、原典を逸脱してまで性的描写などをスキャンダラスに強調することは、オリジナルに対する冒涜以外の何ものでもないと断言します。
善良な青少年達がグリム童話の原典と誤解することがないよう、この本は永遠に抹殺すべきでしょう。
見つけ次第買い取って、だれの目にも触れないよう確実に処分してください。

本当は恐ろしいグリム童話 本当は恐ろしいグリム童話

著者:桐生 操
販売元:ベストセラーズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 本当は恐ろしいグリム童話〈2〉

著者:桐生 操
販売元:ベストセラーズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/03

105円の本達:林望「イギリスは愉快だ」

 イギリスは愉快だ

105円コーナーで「発見」して嬉しい作者の一人が林望である。
彼のコラムは、いっこうに古びることなく何度読んでも楽しくて愉快な気持ちになる。従って、彼の本を発見したときは、既に所有していても必ず購入して、親しい友人や図書館に寄贈することにしている。
彼のコラムで秀逸なのは、やはり彼が愛してやまないイギリス・大英帝国を扱った初期のもののように思う。日本とイギリスの比較文化人類学とでも呼ぶべき、イギリス人のものの考え方や文化、気候風土から不思議な伝統や道具などを取り上げたコラムは、まことに興味がつきないものである。
イギリス好きが多い日本にあって、同種のコラムや随筆は少なくないが、林望のそれは、独特の上品なユーモアがあって文章自体が格段に魅力的である。更には、時として辛辣なイギリス批判のようであっても、真にイギリスを理解し深く愛していることが伝わってくるのが心地よい。
「イギリスはおいしい」は処女作とは思えない出来映えだし、第2作にあたる本書も、林氏のその後の人気を約束する面白さである。
時がゆっくり流れている大英帝国は、15年経た今もこの本に描かれたままの姿の、不思議で魅力的な国のままであるに違いない。

 

イギリスは愉快だ イギリスは愉快だ

著者:林 望
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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東京絵葉書:春木屋

19960105今も続くラーメンブームですが、その先駆けは荻窪でした。当時「荻窪ラーメン戦争」とマスコミで紹介され、大勢の人が行列をつくりました。その急先鋒が春木屋。
いつも歩道に行列ができていて、1時間近く待った覚えがあります。
荻窪ラーメンは魚のダシを使った独特の風味が特徴の東京風醤油ラーメン。
結構通いつめた思いでがあります。

撮影:1996
場所:杉並区上荻1丁目

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2006/05/02

東京絵葉書:都庁遠望

19960104中野区の神田川沿いは戦後の古めかしい住宅が密集する、ちょっと懐かしい雰囲気のエリアです。
96年当時、神田川の都市型洪水を解消するため大規模な改修工事が行われていましたが、完成した水路は、もはや川ではなく巨大な排水路そのものです。
殺伐とした水路と密集したアパートと古めかしい低層住宅。遠くに見える未来的な都庁とのコントラストが印象的でした。

撮影:1996
場所:中野区弥生町1丁目付近

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105円の本達:ボブ・グリーン「アメリカン・ドリーム」

アメリカン・ドリーム

105円コーナーに並ぶ単行本には、いくつかの特徴がある。
まず、日本がバブル景気であった80年代の本が多いこと。インターネットが普及する以前は、単行本やムックなどで今とは比べものにならないほど実に多様な出版物が出版され、しかも売れていたのである。
目立つのは、各種のコラムや随筆系出版物である。どちらかといえば、たわいもないものが多い。
何かのきっかけで脚光を浴びて、数冊の単行本がベストセラーとなり消えていった作者の単行本が、その数の多さゆえ105円コーナーに登場することになるのである。

ボブ・グリーンは80年代に人気者となったコラムニストである。
シカゴ・トリビューン紙に掲載されたコラムを翻訳したものが何冊も発売されている。典型的なアメリカンコラムで、その時代を写す名コラムは今読んでも感動的なものが多い。
ボブのコラムは、鋭い社会批判を特徴とするものではなく、哲学的なものでもない。得意とするのは、名もない一市民の感動的な行動などを取り上げたものである。
ボブの語り口は平易で分りやすい。それでいてユーモア溢れ知性を感じさせる。
彼が伝えるのは詳細の事実であり、意見や感想ではない。どこにでもあるが誰もが見過ごしてしまうような事実が、彼の手にかかると感動と勇気そして正義を示すすばらしいコラムに生まれ変わるのである。
ボブ・グリーンのコラム集を見つけたら迷わず購入してほしい。その一冊は、缶コーヒーより確実な満足をあなたに与えれくれるはずである。

アメリカン・ドリーム アメリカン・ドリーム

著者:ボブ グリーン
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/05/01

東京絵葉書:北十間川

9903030093墨田区から江東区にかけては、江戸から昭和初期までに整備された水路が縦横に張り巡らされています。
江戸に資材を運び、明治から昭和初めには工場の原料や製品を運ぶのに使われた水路です。
使命を終えた現在、かなりの水路が埋め立てられ高速道路や親水公園、宅地などに変わっていますが、いくつかは今も現役です。
北十間川もその一つ。隅田川と中川・江戸川を東西に結びます。
漁船や屋形船が係留され、水の都・江戸の風情を僅かに今に伝えます。
左の高架は東武鉄道、この近辺は特に戦前の雰囲気が残っていました。

撮影:1999.3.30
場所:墨田区吾妻橋2丁目 源森橋上から

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105円の本達:哀れな本に愛の手を

最近、都内のあちこちに目立つようになった古本量販店。
派手な黄色に赤と青の看板を、ほんとうに良く見かけるようになりました。
コミックやCDが充実していて、いつも店内は混雑しています。
そんななかで、比較的空いているのが古い単行本を扱っている一画。
ジャンル別に整理された単行本は基本的には定価の半額なのですが、奥まったところには、なんと105円コーナーがあります。
缶コーヒーが120円の時代に、わずか105円!
確かに玉石混淆というべきですが、一人の作家が書き上げ曲がりなりにも大手出版社が発売した本が、読み捨てられる夕刊紙より安いのは、あまりに哀れなのです。
例えてみれば、道端に「飼ってください。名前はミーです。」と捨て猫を見つけてしまったような気持ちになるのです。
拾い集めた猫達は数えきれず、血統書付きから性悪なものまで実に雑多。
このカテゴリーでは、そんな「捨て猫」達をご紹介していこうと思います。
新刊本と違って、少し前のものは書評もなかなか読めません。購入の参考となれば幸いです。なお、アマゾンでの取り扱いがあればリンクも併せて掲載していきます。

ちなみに、105円で買い集めた本達は次の4つの運命を辿っています。
愛蔵本へ:絶版などで手に入らなかったものが、ごく稀にあるのです。
図書館へ:いつか再び読むこともあるかと思えば、近所の図書館に寄附します。予算縮減で図書館では単行本を購入することは難しいので、案外歓迎されます。
古本屋へ:まあこんなものでしょうと言うときは再び売却。基本的に10円で引き取ってくれます。
ゴミ箱へ:なかには性悪で世の中から抹殺すべきと思う本もあります。そんな本は迷うことなく処分します。

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