日本が危ない:共謀罪は絶対に危ない
共謀罪は極めて危ない「犯罪」なのです。
ほとんどの人にとって突然提出された「共謀罪」法案なのですが、その本当の危なさが理解されないまま成立しそうな雰囲気に、いよいよ日本が危ないと感じるのです。
共謀罪の詳しい説明はウィキペディアに詳しく載っているのでお読みいただくとして、簡単に言えば複数の人が犯罪をしようと話し合うことを犯罪としましょうということで、刑は実際にその犯罪を行った場合の概ね半分です。
もちろん、法案を読むと団体の定義や運用について乱用されないための文言があって、一見すると問題がないと誤解されやすいところが、実は危険だなと思うのです。
その危険とは、今すぐ共謀罪が乱用されると言うものではなくて、将来(ごく近いかもしれないですが)、独裁的性格の政府が成立したり国内の情勢が不穏さを帯びたときなどに、共謀罪が国際テロの事前抑制という本来の目的を逸脱して運用されるのではないかとの危なさなのです。
古くは戦前の治安維持法、戦後なら凶器準備集合罪、オーム事件の際には破壊活動防止法が「弾力的且つ柔軟に運用」されて、政治活動や学生運動などの抑制に活用されたことは、少しでも歴史を学んだ人なら良く知るところです。法は制定された当時の目的を離れて、時々の状況に応じて運用される宿命を持つものなのです。共謀罪が同じような危険性をはらんでいることは、もっと良く認識されなければなりません。
共謀罪の危険性とは
共謀罪の最大の危険性は「物的証拠」が必要ないことにあります。
現在の刑法体系は、欧米での長い歴史的教訓により構成されたものと言って良いでしょう。その最も重要な教訓とは魔女裁判によって得られたものです。
中世ヨーロッパ全土で何百年も行われた魔女裁判では、男女を問わず無実の人々が魔女として処刑されました。魔女は証拠を残さないとされたため、証人の証言と自白により犯罪が成立しました。自白が重要とされたがゆえに、極めて残虐な拷問が行われ、一旦魔女の疑いをかけられると次々と拷問が続けられ、結果として自白をして魔女として処刑されるか、自白せず拷問により死ぬしかないと言う、何とも酷い状況が生まれたのです。
その裁判では、魔女の疑いを受けたものは、自ら魔女でないことを証明することを求められました。魔女であることを告発者が証明するのではなく、本人が魔女でないことを証明するのです。少し考えればわかりますが、これは極めて困難な課題です。
その結果、近代刑法体系においては、犯罪は実行に着手して初めて犯罪となり、物的証拠が必要との原則が確立されました。また、犯罪は裁判する者とは独立して、告発する者を置き(すなわち検察です。)、告発する者が犯罪を行ったことを証明することとされたのです。
共謀罪は、これら歴史的教訓により確立された原則を根底から覆してしまう「犯罪」なのです。
悪意を持った共謀罪の運用方法
共謀罪が、現在の法案提案趣旨のとおり適正かつ厳正に運用されるならば、確かに国際テロの防止に大きな効果を発揮するでしょう。しかし、共謀罪が悪意を持って運用されるなら、それは自由と平和そして民主主義にとって大きな脅威となってしまいます。
一つの決してあってほしくはないが、十分想定される運用例を示してみましょう。
未来のあるとき、自由と民主主義を愛さない人物が権力を合法的に握ったとします。退廃した政界や社会を憎むその人物は、世論の後押しを受けつつ刑法や政治資金規正法の刑罰を引き上げる一方で、共謀罪の適用範囲を拡大する法案を国会に提出します。支持者が過半を占める国会で法案は速やかに成立します。
その人物の意向を受けて共謀罪の厳格な運用を始めた警察は、争って腐敗した政党下部組織などの一斉摘発を始めるのです。初めは野党そして与党の対抗勢力が標的となります。その支部の一員である複数の党員が幹部職員の違法行為の共謀を証言します。その証人達は実はその意図を受けて組織に潜入した警察の協力者であっても良いわけです。共謀罪は自首したものの刑が免除されます。したがって協力者は自らが刑に問われる恐れなく安心して共謀を図ることが可能なのです。そのような複数の自首と証言をもとに、対抗勢力の幹部を次々に逮捕していくのです。
日本の刑事訴訟法においては、逮捕事由以外を拘留中に取り調べることは適法です。一旦逮捕さえしてしまえば、事務所の捜索も書類の押収も自由自在なのが日本の法律。その結果、たとえ虚偽の証言による逮捕事由となった犯罪が立件できなくても、押収した書類や取調べによって、他の犯罪を見つけ出して決定的なダメージを対抗勢力に与えることが可能となるのです。まったく共謀の事実がなくても、事前に打合せをした複数の協力者が「共謀の事実」を証言した場合、その証言が虚偽であることを証明することはほとんど困難です。求められるのは何の物的証拠も残らない「話していないこと」なのですから。イメージしてみればわかりますが、実際に「話していてウソをついて否定している」ものと「話していない真実を述べている」ことは、第三者からはまったく区別がつかないからです。
では、本人の自白を絶対条件とすればどうでしょう。「無罪の人は自白しない」と言うことがいかに事実と異なるかは歴史が証明しています。あらゆる冤罪事件で最終的に無実を証明された人が自白をしています。ビデオテープで録画することが出来ないほど、警察の取り調べは精神的肉体的に被疑者を痛めつけ、無実の人に犯罪を告白させるものであるからです。自白を条件とすることは、共謀罪による被疑者の被害をより深刻にするだけのことなのです。
かくして対抗勢力を一掃することで、その人物の独裁体制は確立するのです。
この例え話があり得ないものだとは、到底思えないところが怖いのです。
第一次世界大戦後、当時世界で最も民主的な憲法を持っていた国はドイツでした。
共謀罪などないその国で、これとほぼ同じことが起こったことは歴史を学ぶものが良く知るところだからです。
拝啓 国会議員様
権力者に無制限の権力とそれを裏付ける法的権限を与えてはいけないことは、歴史の強く教えるところです。
日本において誰が権力者であるかは、なかなか分りにくいものですが、国会議員は権力者の一員ではなく、国民の側から「権力」を監視する大きな権限が信託されていることはもっと自覚していただきたいところなのです。
今回の論考は、検索できた限りの選良たる多くの国会議員の皆様のホームページにトラックバックさせていただきました。(とは言うものの国会議員のブログは本当に少ない。ましてトラックバックできるページはいくつもない。皆さん、国民の声を聴く気持ちがあるのでしょうか?)
党の方針だからというだけで、十分に考えもせず賛否の投票をすることだけはないよう、国民の一人として納税者として、それぞれの議員の皆様に強くお願いするところなのです。
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