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2006/06/16

日本が危ない:吉田向学「部落学序説」を読む 2

「部落学序説」で解く江戸時代の謎

 前回ご紹介した吉田向学氏の「部落学序説」で論証されている穢多像を利用すると、これまで解けなかった江戸時代の不思議を合理的に説明できる。「文部省史観」とも言える学校教育を原因とする江戸時代に対する誤解の多くは、ここ10年以上続いている江戸ブームによってほぼ解消された。杉浦日向子や石川英輔ら江戸研究者の活躍によって、暗くて惨めな江戸庶民像は大きく修正され、天下太平300年の実像が明らかになりつつある。
 それでも、まだいくつもの大きな謎が江戸時代には残っている。「部落学序説」が提示する視座は、残された謎を解く大きなヒントを与えてくれるのである。

なぜ被差別部落が必要だったのか?
 最大の謎は被差別部落を全国にまんべんなく配置していた理由である。定説では、農民と被差別部落民である穢多を対立させ分断することで支配をしやすくした、あるいは農民より低い身分を設定し悲壮感を和らげたなどとするが、もう一つ納得できないものがある。
 最近の江戸研究の明らかにするところによれば、江戸時代の農民の生活は予想より豊かであり飢饉などによる餓死などは、ほぼ例外に過ぎないことである。政治も安定していて、武士階級の横暴が日常的などということもない。江戸はともかく、農民が住む村落には代官などごく少数の武士が住んでいたに過ぎず、ほとんどの武士は城下町に密集して住んでいて、貧しく慎ましい生活をしていて、一般の農民と接触する機会すらほとんどなかったからである。
 そのような社会状況にあって、貴重な労働力である相当数の人々をただ「差別される」ためだけに分離することは不合理と言わざるを得ない。
「部落学序説」によれば、その理由は穢多の職務にあると言う。司法警察、すなわち地域の治安維持と行刑業務のために穢多と穢多村があったと説明する。穢多村とは今日で言う警察署であり、穢多とは警察官なのである。適正な法の執行を確保し癒着を防ぐため、農民と穢多は居住地が分けられたと言う。今日、差別として捉えられている穢多に対する厳しい規定や刑罰は「警察官」としての職務に伴う当然のものだったのだと言う。村のはずれには番屋があり番人がいたと言う。番人は穢多が勤めた。番人はそこに暮らすのではなく、毎日穢多村から「通勤」していたそうである。
 穢多村の数の多さ、配置、そして穢多が日々なにをしていたか(定説の死牛馬の処理は、その人数を考えると仕事量があまりに少ない)を考えると、実に納得のゆく説明である。
 民衆の分断支配のための差別にも理由はない。太平の世にあって、社会不安の要因となる対立感情を意図的に煽る必要など全くないからである。

治安の良さの不思議
 文部省史観によれば、江戸の農村は貧しさからくる社会不安が蔓延し、一揆などは武力により鎮圧される人々が抑圧された前近代的社会だとされた。その姿が間違いであることは、最近の江戸研究で明らかになったが、わずかな武士と村役人による自治で平穏が保たれたとする見方にも不自然さが残る。
 いくつもの村を担当する代官屋敷のわずかな武士、村に数人しかいない庄屋などの村役人で、大小さまざまな農民間や旅人などとのトラブルが解決できるとは思われない。代官や村役人は徴税などの行政事務も行う行政官である。火付・盗賊・喧嘩など人間が集団生活する以上必ず発生する様々な犯罪やトラブルを解決するには、現代社会と同様に強制力を行使する役人が必要である。
 定説では、それらを代官からの指揮を受けた被差別部落民が行ったとされる。しかし、日頃差別されているだけの穢多の人々がそのような職務を忠実に執行するとは思えない。日頃の差別に対する報復心だけで、自らの身を危険にさらして代官に協力するだろうか。圧倒的に少ない武士階級に対して、実力行使をした任務とする穢多が組織的に反抗した記録はない。
 ごく稀にだが発生する百姓一揆に際しても、その鎮圧を行うのは基本的には武士ではなく、警察を担当する代官と手下である穢多である。そして、その鎮圧はきわめて的確に行われ、幕藩体制が揺らぐほどの反乱に発展することは、幕末に至るまでついになかったのである。
 「部落学序説」の、穢多は司法警察官として高い職業意識を持って、自主的に職務遂行にあたっていたとの説明は説得的である。代官は今で言うところのキャリア警察官、穢多はノンキャリの叩き上げ警察官だとの認識は正しいと思われる。
 城下町の武士が政治と行政を行い、現場の代官屋敷がその出先である。村役人が一般行政を、穢多村が警察事務を分担する。それが、徳川時代の政治行政システムだったに違いない。今日、警察署を廃止すれば、社会の秩序は維持できない。同様に江戸時代においても、穢多と言う警察が存在してこそ、太平の世が実現していたのである。

被差別部落の豊かさの謎

 定説では、穢多などの被差別部落は最下層の民として差別されていたと言う。普通に考えれば差別と貧困は表裏一体の関係である。豊かな者に対する差別は一般に不可能であり、それは通常「妬み」とか「やっかみ」と表現される。
 「部落学序説」にも指摘があるように、被差別階級であったはずの穢多が貧困どころか裕福階級だったとの記録は多い。穢多頭が壮麗な屋敷を構えていたり、帯刀や駕篭の使用が許されていたことは多く記録されている。その富は、賎業といわれた皮革業が穢多に独占されていたことで生み出されたようである。しかし、定説による賤民史観を肯定するなら、農民を上回る富の蓄積がなぜ黙認されるのかは多いに疑問である。差別されるべき穢多が武士なみに豊かである必要はない。穢多が被支配階級であるなら、富の蓄積は支配体制を揺るがしかねない危険である。
 「部落学序説」が説く通り、穢多階級は支配階級にあったのだと思う。治安維持にあたると言う重要な役にあるからこそ、その報酬として皮革業の独占が許されたのだと考えられる。警察のような権力行政の末端は、贈収賄の最先端である。経済的に恵まれなければ、容易に買収され適正な職務執行が行われないのは、多くの発展途上国の警察が一般に腐敗しやすいことからも明らかである。穢多階級の経済基盤を盤石なものにしてこそ、台頭しつつあった裕福な商人階層や富農に対して厳正な法の適用が行えたのに違いない。

次回は、明治維新の謎を「部落学序説」により解いてみたい。

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