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2006/08/31

105円の本達:田中康夫「ぼくたちの時代」

ぼくたちの時代   
 田中康夫著
 太田出版

105円コーナーで田中康夫氏の珍しい1冊を発見した。
長野県知事選に落選した今、改めて読んでみても良いのではと手にしてみた。
「ぼくたちの時代」は、「なんとなくクリスタル」でデビューを飾った80年から86年まで、同氏がファッション雑誌などに掲載したコラムを収録したものである。

ファッション・現代論・若者論など内容は様々だが、あのバブルの時代にその先端で物書きをしていた同氏が、前バブル期の80年代初頭古き日本の青春が急速に崩壊し、今に繋がる時代の変化を察知していたこと世に示すために「中間とりまとめ」をしたかのような一冊である。
文体も試行錯誤でテーマも切り口も一流とはいえないが、将来バブル時代の東京を研究する学者には、初期バブル期の貴重な記録となるに違いない。
わずか20年。若者のそして日本人の意識や行動の変化を改めて感じさせるコラムが多い。そこに取り上げられたファッションやショップなどの多くが、記憶のかなたに消え去っていることも驚きである。

今の30代未満の読者には、その内容を理解するには、明治・大正時代の随筆を読むのと同様の苦労があることだろう。「ボディコン」「ニュートラ」「レイヤーヘアー」「コンサバ」などのファッションはもちろん、先端スポットの多くはもはや存在しない。詳細な用語解説とイラストや写真なしには、その言おうとするところは既に理解不能である。

時代と言う不定形なものを理解するのは難しい。その時代に生きていたものには当然の「時代の雰囲気」ほど保存と再生が難しいものはない。そんなことに気がついていた同氏が無理を承知で「バブル前期の保存」を試みたのが、この一冊なのだろう。

ぼくたちの時代   
 田中康夫著
 太田出版

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2006/08/30

MacLife:Logicool mm50をもう一台

mm-50BK Portable Speakers for ipod ブラック

ロジクールmm50のホワイトを購入して2週間。期待したとおりに大活躍です。
他の方のレビューにあるように低音はやや貧弱ですが、ベランダでベットサイドでと家ではあまり活躍していなかったiPodが、大活躍の今日この頃です。

実はiPodは2台目でして、先代はホイールとは独立した4つボタンの赤いLEDが美しい第3世代でした。15Gの初号機は、購入1年ほどでバッテリーが弱ってしまい長らく冬眠中だったのです。

そこで3Gをベットサイド専用機として復活させるためmm50ブラックを追加購入しました。最初に買ったホワイトを3G用に転用して、5Gはブラックです。
mm50に3Gを装着すれば、それはほとんどラジカセ状態。お気に入りのアルバムだけを厳選してプレイリストをいくつか作成。3Gに一旦転送してしまえば、マックとシンクロする必要はありません。

基本的にはバッテリー駆動で「おやすみ・おはよう専用機」として、見事復活を果たしました。但しmm50の電源とはうまく連動しないので夜中オンなのが今いちなのですが(ロジクールさん何とかなりませんか?)

バッテリー交換が高額なだけに古いiPodをどうしたものかとお悩みの貴方。
「古いiPodはmm50に固定して使う」これ、とてもお薦めです。


mm-50BK Portable Speakers for ipod ブラック mm-50BK Portable Speakers for ipod ブラック

販売元:ロジクール
発売日:2006/06/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2006/08/27

105円の本達:沢木耕太郎「深夜特急」

深夜特急〈第一便〉黄金宮殿

アールデコ時代の代表的デザイナー、カッサンドラの幾何学的に抽象化された列車の装丁が一際印象的な「深夜特急」。単行本で3冊組の世界紀行は、今も文庫本で売れ続けている。
香港からロンドンまで長距離バスを乗り継いで旅をする。若者なら誰でも一度は憧れるであろう旅の記録である。
一人称で綴られる日記は、旅の記録であるとともに、著者自身の心との対話の記録でもある。数限りない出会いと別れ、どちらかと言えば淡白でドライな文体は、何気なく読んでしまえば、それだけの印象しか残らない。
この単調とも言える長い旅の記録を名作としたのは、優れた編集者を得たところが極めて大きい。1年を超える旅である。鋭い観察眼を持つ著者の詳細にわたる記述にメリハリとスピード感を与えることで、読者は「旅」を楽しめるのである。

この紀行は、ぜひ単行本を入手して楽しんでほしい。ゆったりと居間でくつろぎながら、手元に大判の世界地図を広げて、著者の旅を追体験してほしい。旅を続けることで変化して行く著者の心を感じるためには、文庫本ではあまりに手軽である。

手軽に楽しむなら、DVD化された「劇的紀行 深夜特急」も良いだろう。大陸の乾いた空気や雰囲気が大沢たかおの名演技と相まって、原作の雰囲気を良く伝えている。


深夜特急〈第一便〉黄金宮殿 深夜特急〈第一便〉黄金宮殿

著者:沢木 耕太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


劇的紀行 深夜特急 DVD 劇的紀行 深夜特急

販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2002/03/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/08/24

日本が危ない:共謀罪は絶対に危ない5

国際テロを防ぐためには
 共謀罪の新設を提案する政府は、あくまで国際テロを防止するためであると、その理由を説明する。真の目的を国民に示すことなく、何となく納得してしまいそうな説明をするのは、誠に不誠実だと言わざるを得ないが、最近では常套手段となっている。少し前に話題となった「個人情報保護法」は、実は「民間における個人情報管理制限及び漏洩禁止法」であるし、「国民保護法」に至っては、その内容は「戦時における個人の緒権利の制限法」に他ならない。さすがに、共謀罪新設法については、適当な名称が見つからなかったらしいが、内容は「各種犯罪の共謀を新たに犯罪とする刑法等改正案」である。
 最終回となる今回は、現在提案されている共謀罪新設では国際テロは防止できないことを前提として、国際テロを防止するための法整備について対案を提案することとしたい。

国際テロ防止の仕組みとは
 国際テロとは、2国以上の範囲において企画・実行されるテロ行為である。テロの実行は1国内の場合も複数国に及ぶこともあるが、その実行組織は基本的に複数国に股がって組織されており、1国の警察機構では有効に取り締まりが行えないことから、国際間の連携強化を図ることを目的に条約が締結されることとなった。
 政府が意図的に説明を避けている点として、条約の主眼は共謀罪の新設にあるのではなく、むしろ共謀を罰することを法定するにあたっては各国の法制度に反しない限りとの旨が特に留保されていることがある。ご存知の方も多いように、各国の刑法体系は多様であり実行行為のみを罰することを原則とする国(日本もそうである。)もあれば、予備・陰謀までも網羅的に犯罪とする国もある。条約文案の詳細な検討過程は不明であるが、実行行為のみを刑法犯罪とする西欧諸国から留保条件が付されたに違いない。よって、実は共謀罪を新設しなくても同条約の批准は可能であると、条文解釈上は推測される。
 では、国際テロを効果的に防止するための仕組みはどうするべきであろうか。

国際テロ監視機構の新設
 国際テロを事前防止するためには、各国間でテロに関する情報を効率的に交換し連携して対応するための常設機関の設置は不可欠である。そのような機構の新設は、同条約には含まれていないが、日本が本心から国際テロ防止に取り組もうとするならば、常設機構設置の条約改正案を提案するべきである。
国際テロ監視機構(仮称)の機能
・条約加盟各国から提供される情報の整理と分析
・加盟各国への国際テロ情報の提供
・国際テロ団体の認定と統一対応方針の決定
・独自での国際テロ情報の収集

国内法及び制度の整備
 
国際テロ監視機構と連携した、国内での監視取締活動を一元的に行うための組織が必要である。ただし、組織を新設する必要はなく公安調査庁を組織変更することで対応可能である。国際規模で活動するテロ組織の監視活動と、国内団体を監視することは基本的に差異はない。むしろ、国内団体が外国の団体と連携してテロ行為を行うことのほうが現実的であり、可能性が高いことからも、公安調査庁を「テロ監視防止機構(仮称)」などに改組したうえで、国会の直接の管理下におくことが良いと思われる。
 テロ防止のための新たな法整備は、基本的に必要ない。破壊活動防止法(破防法)の枠組みをそのまま利用して、団体指定に係る手続きについて国際テロ監視機構が認定した団体を指定団体と看做すように改正することで、充分に組織犯罪を監視することが可能である。破壊活動防止法はその制定過程で、暴走することのないよう慎重な手続き規程が設けられた。しかも、所管が警察ではなく独立した公安調査庁とされたことで、警察官僚には潜在的な不満があるようである。しかし、国家の安全を脅かすような国際テロであるからこそ、国民的コンセンサスの元で国民が信頼できる組織でこそ、その対応を図ることが重要なのである。
 間違っても国際テロに名を借りた冤罪事件など発生してはならないし、テロ防止を名目とした国民の思想弾圧が行われてはならない。
 国際テロを防止するためには、まず団体を特定し公表することである。その団体に加盟することが犯罪であることを広く知らせなければならない。その上で、加盟したこと又はテロ行為に着手したことで、罪を問う手順が重要である。いくら国民を徹底的に監視してもテロは防止できないことは、歴史が証明している。テロは、実行行為に対する厳罰による抑止するしかないのである。そして、テロに及ぶような不満を民主的手続きにより解消するべきなのである。(徹底した話し合い、その長く地道な積み重ねによってイギリスはアイルランド問題をついに解決した!)

通信傍受及び盗聴

 憲法は通信の秘密を保障する。しかし、情報伝達管理技術の進歩はその範囲をあいまいにしてしまった。インターネットやメール、ブログは憲法上の保護を受けられるのか。これは立法的解決を図るべき課題である。
 例えば、多くの人が自由に通行する道路上で、国際テロの共謀を大声で行う犯罪者は、制服の警官を警戒するだろう。もし、通行人の通報によって警察に逮捕されても、その行為は許されるべきであるように思われる。(もちろん、共謀が犯罪とされるならばだが) しかし、あるマンションの一室でそれが行われたとして、一斉に逮捕が行われたとしたら、それが事実であるかどうかは至って不透明である。言い替えれば、警察によって犯罪が捏造される怖れは否定できない。
 もともとが1対1の通信を基本とするインターネットの世界において、マンション内での会話と同様に、その内容は保護されるべきものであると考えられる。
 通信の秘密の保護は、権力者=為政者が常に正しくなく、圧政者や独裁者であることも少ないないとの歴史の教訓によるものである。そこには、国民に正義があるときは、為政者は倒されるべきであるとの哲学がある。為政者にとって好ましからざる事であっても、正義のための行いは保護されなければならないとの信念が、通信の秘密を保護し革命を正当化するのである。
 したがって、憲法の通信の秘密規程は、それを現在の情報通信手段にも適用されるよう拡大されるべきである。一方で、現行法制度上の犯罪が実行された場合には、速やかに犯人は逮捕され刑罰に処せられなければならない。法の改廃が充分に民主的な手順で保障されているならば、それで充分なはずである。

 次期国会での共謀罪新設法案の討論過程には、充分な注意をはらっていこうと思う。この稿を執筆するにあたって多くの国会議員のブログを確認させていただいたが、共謀罪について何らかのコメントを掲載しているものは、ほとんどなかった。
国会議員は党員である前に、選挙区の国民の「代議員」であるはずである。党が決めたことに、自ら考えることもなく賛成するのであれば、こんなに多くの議員など必要ない。自分がなにに賛成しなぜ賛成するのかを考えることは可能なはずである。選挙における有権者の信託に応えるための、議員諸兄の自己研鑽を強く求めたい。
次は参議院選挙である。共謀罪に関する認識と公約を確かめて投票を行うべきであることを、読者の皆様には訴えたい。

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2006/08/21

日本が危ない:共謀罪は絶対に危ない4

戦後日本の崩壊
 「日本は平和な国であり、国民が幸せな国である。」戦後半世紀以上にわたって、多くの国民はそう考えてきたし、事実も概ねそうであったように思う。
 ここにきて、その「共同幻想」が崩壊の危機を迎えている。ほとんどの国民ははっきりとは認識していないが、優秀なる官僚群を中心とする為政者はそれを不可避なものとして明確に認知したに違いない。
 日本は戦後も、あの野口教授が鋭くも指摘した「1940年体制=国家総動員体制」による基盤的統治システムにより実にうまく運営されてきた。表面的には自由主義的資本主義体制であり、国民や企業に対する法的規制は最小限であるように見えながら、その実態は官僚がすべてを企画し統制する「最もうまく運営されている社会主義国家」とさえ指摘されることもある国家システムである。

1940年体制―さらば戦時経済 1940年体制―さらば戦時経済

著者:野口 悠紀雄
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

それが小泉構造改革の鬼っ子とも言うべき投資ファンドの自由闊達な活動や新興起業家の勃興により足下から崩れ始めたのに加え、年金制度や医療制度の破綻が明確になったことによって、そのシステムの崩壊を国民の目から隠しきれない状況になったと言えるだろう。
 ここ最近の急激ともいえる国家システムの根幹にかかわる新規立法ラッシュは、そのような状況判断抜きには理解することができない。
 公的年金制度を一元化するとともに、将来に向けて高負担・低給付をプログラム化した年金法改正。同じく医療負担を一方的に増加させる医療保健法改正。高福祉国家の象徴であった障害者福祉を切り捨てた自立支援法。増税の伏線としての財政危機の演出。三位一体改革と称する増税・福祉切り捨て改革など。どれ一つをとっても国民に不満を与えこそすれ、決して歓迎されることないものばかりである。
 国民が世界で最も優秀だと信頼してきた官僚システムが、実に頼りなく無能で無責任な存在であったかを、今や多くの国民がはっきり認識してしまったのである。
 真の民主主義国家であれば、そのような中長期的失政に対してさえ責任を負うのは政治である。どの政党に政治を任せるかを国民は選択することによって、その失政の責任を最終的には受容するのが民主主義の基本原理である。
 しかし、日本においては中長期的失政はもちろん短期的なものにさえ政治は責任を負おうとはしない。長く自由民主党が行ってきた政治とは、国家官僚群が企画立案した政策群を形式的に承認してきたに過ぎないのである。従って、何十年も前から明確であった年金制度が、いよいよ破綻することになっても、誰一人として責任を負わないのである。官僚とは個人ではなくシステムであり、議員も政党システムの一構成員にすぎない。その無責任への国民の怒りと失望は極めて大きい。
 そして国民の不満に対して、為政者としての国家官僚システム(霞ヶ関の各省庁からなる政策立案決定機構群)が決定した対応策は、不幸にして最悪なものなのである。

「不幸な国」の「不幸な犯罪」

 暴対法、非常事態法、盗聴法、組織犯罪防止法、前科者観察制度そして共謀罪新設など、一連の治安強化立法が、その答えである。
 国家官僚システムは、謙虚に過去の失政を反省し国民に謝罪と補償を行うのではなく、国民への抑圧と為政者への沈黙を求めることを決定したようである。
 政治や統治機構が、国民の信頼と信託により運営されている民主国家には、治安立法は不要である。統治機構に失政があれば、国民は合法的にその責任を追求し構成員の変更を行うことがルールだからである。
 統治機構の存在自体が最大の目的となり、国民が「国家の構成要素の一つ」になってしまうような国家においてのみ、統治機構と国民とに価値や意見の対立が生じるのであり、国民が優勢であれば革命が、統治機構が優勢であれば治安強化が図られるのである。そのような国家は「不幸な国家」である。
 日本が太平洋戦争の敗戦によって放棄したものこそ、そのような「不幸な国家」に他ならなかったのである。戦前、治安維持法に代表される網の目のような治安立法によって、国民は言論・行動はもちろん思想の自由までが徹底的に国家によって、統制されてきた。その網を一気に取り除いたのが敗戦であり、アメリカだったのである。
 戦後、独立を回復して以来の保守政権の課題の一つは、治安国家の再構築であったことは否定できない。公選制教育委員会制度の廃止・自治体警察の廃止と国家警察制度の再構築、公安条例の設置、青少年健全育成条例の設置など、戦前回帰を指向した制度改正が続いてきた。しかし、ここ10年ほどの加速ぶりは異常とも感じられるのである。
 統治機構=政府=官僚=政治家と国民が相互信頼を失った時、国家の不幸は始まる。統治機構が国民を監視し、健全な批判や具体的な活動を恐れ、任意に恣意的に国民を抑圧する社会は、不幸で不健全である。
 国民の行動や言動そして思想を、統治機構が常時監視する。統治機構が不適切を思うとき、自由に逮捕し犯罪者と認める。国民は、常に統治機構の考えを意識的に理解し、それに一致するように言動や思想を自主規制する。そんな国家は、到底民主国家とは呼べないのである。
 共謀罪が新設され、実際に運用されるようになれば、必ずしやその心配は現実になる。現在は裁判所の許可が必要な警察による盗聴が、共謀の事実の効率的な把握のために弾力運用できるようになる。盗聴による抽象的な通話記録が、重大な犯罪の証拠とされ、警察の協力者による密告が奨励される。共謀の事実を証明する唯一の証拠である「証言」は、プライバシー保護を名目に証言者の氏名も明らかにされず、非公開の法廷で証拠採用される。一旦、共謀罪により有罪とされれば、刑期満了後も再犯の怖れが高いとされ、ほぼ永久的に警察の保護観察下におかれる。国民は沈黙し、統治機構に対する統制は不可能になり、国民を不幸に導く国家の暴走が始まる。
 そんな最悪なシナリオを否定することが出来ない。だから、共謀罪新設に反対するのである。

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2006/08/18

105円の本達:ボブ・グリーン「オール・サマー・ロング 下」

410533302x09_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ボブ・グリーン「オール・サマー・ロング 下 夏がいっぱい」

井上一馬訳 新潮社




ボブ・グリーン初の長編小説の下巻をようやく読み終えた。
70年代、アメリカで青春を過ごした高校の親友3人がひと夏のバカンスを共に過ごす。なんとはなしにテレビドラマ「ルート66」を彷彿とさせる物語である。
新たな出会いがあり、それぞれの家庭・家族の微妙な関係が描きだされ、少年時代の夢の実現があり、懐かしい再会があるなど、ボブ・グリーンが長年コラムにしてきた題材が巧みにコラージュされた素晴らしい出来映えだった。
極東の島国で、もっと遅い時期に青春を過ごした者でさえ、懐かしさを感じることは素直な驚きである。
アメリカで同時代を生きたアメリカ版「団塊の世代」なら感涙ものの物語であるに違いない。
北米版アトラス地図帳を手元に用意して、ビートルズの懐かしいアルバムを聞きながら読めば、感動も一層であること間違いない。

410533302x09_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ボブ・グリーン「オール・サマー・ロング 下 夏がいっぱい」

井上一馬訳 新潮社

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2006/08/16

105円の本達:中島らも「今夜すべてのバーで」

今夜、すべてのバーで

中島らもは、アル中で薬中であった。
その壮絶なまでの中毒ぶりは、何度も本人がエッセイに書いている。
「今夜すべてのバーで」は、アル中による入院体験を元に書かれた小説である。
自覚的にアル中になった主人公は、死を恐れるわけでもなく、冷静に死と隣り合わせの入院生活を客観的に観察している。異色で不思議な雰囲気をもった闘病小説なのである。
この作品はドキュメンタリーではない。あくまで、小説である。
したがって、中島らも独特のユーモアが全編に散りばめられつつも、後半にしっかりと感動的なエピソードが準備されている。
中島らもの小説家としての才能をはっきりと世に示した秀作である。


今夜、すべてのバーで 今夜、すべてのバーで

著者:中島 らも
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

追伸:
書籍を紹介する際に可能な限りAmazon.co.jpへのリンクを作成しています。
読者の皆様の購入に便利なことももちろんですが、単にそれだけではありません。
Amazon.co.jpで詳細を確認する」をクリックすると、数多くの購入者が投稿したレビューを読むことができるのです。
したがって、「すばらしき新世界」では基本的には簡単な感想しか掲載していません。詳細な目次や書評はぜひAmazon.co.jpへのリンクを利用してご確認ください。なお、Amazon.co.jpへのリンクをクリックしただけでは購入手続きは行われませんのでご安心ください。

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2006/08/15

日本が危ない:大日本帝国敗戦の日

8月15日「終戦記念日」である。
すでに60年が過ぎ、太平洋戦争はほぼ「歴史上出来事」になった。

いつだれのエッセイで読んだのかも定かではないが、日本がアメリカを中心とする連合国側に無条件降伏をした昭和20年8月15日を「敗戦の日」と呼ばず「終戦の日」と名付けたことから、戦後日本の不幸が始まったと言う論説を読んだことがある。

アメリカに日本が敗れたのだと言う客観的事実が「終戦」という言葉には含まれない。「敗戦」を直視してこそ、その原因を追求できるし取り除くことができるのだという趣旨だったように記憶している。

敗戦とその戦後の出来事の数々は、左右を問わず日本の有識者に深い傷を負わせ、「その戦争」の理解について国民的コンセンサスを形成する努力は失敗した。
その間に「その戦争」を学ぶこともなく、知ることもなかった若者は増え続け、いまや国民の過半数が「戦争を知らない」のである。

明治維新後、日清・日露と対外戦争を勝ち続けた大日本帝国。帝国の臣民はその強力な軍事力を誇り、経済的繁栄を謳歌した。日々豊かになる国と自らの生活を誇る気持ちは、政治や軍事への過信と無関心を普通のものとし、国民は自ら考えることを放棄した。その結果が太平洋戦争とその敗戦である。

戦前を国民が抑圧された軍事国家であり、すべての国民が政府と軍部の独善を憎んでいたとの認識は、あまりに一面的で幼稚である。多くの国民は8月15日を迎えるまで日本が負けると思っていなかった。勝利を信じて日々を懸命に生き、政府や軍部を信頼していたのである。

戦後すぐ敗戦の反省にたって「科学する心」の重要性が説かれた。
何ごとも、自らの責任で事実を確認し、客観的に把握し、自らの意見を持つことが大切だとの指摘にほかならない。


自衛隊について。靖国神社について。隣国との関係について。「この国のかたち」について。

いったい何人の人が自らのこととして考えたことがあるのだろう。

「科学する心」は健在か?
今、声を大きくして問いかけたい。

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2006/08/14

日本が危ない:「帝都復興せり」

458254410x09_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ 帝都復興せり!―「建築の東京」を歩く1986‐1997






今回のご紹介するのは、ちょっぴり違った側面から太平洋戦争を見る一冊です。
太平洋戦争末期、米軍の無差別都市爆撃によって東京はほぼ壊滅しました。
当時の戦時国際法でさえ、軍事施設以外の都市に対する攻撃は違法とされていましたが、硫黄島・沖縄での上陸戦での甚大な被害に直面した米軍は日本国民の戦意喪失と戦争基盤の破壊のため、あえて都市爆撃を選択したと言います。
今に至もその犯罪が問われないのは、まさに「勝てば官軍」といったところでしょう。
住宅が散在する山手地区の被害こそ小さかったものの、住工混在の下町や湾岸工業地域が一面に焼け野原になった姿は、空襲の象徴的風景として今も記憶されています。

空襲により帝都・東京から、江戸以来の長屋や明治の煉瓦作りの街並が消失したと思われているのは、大変な誤解です。
昭和20年の空襲により消失したのは、アールデコ様式に飾られたモダン東京とも称すべき昭和初期の建築群なのです。

将軍のお膝元である城下町としての江戸の街並みは、明治維新後も煉瓦作りの西洋風の建築と混在しつつ長く残っていたと言われます。明治・大正と、江戸の都市基盤に鉄道など明治維新以降の新しい機能を追加したのが、帝都・東京の姿でした。

その「木に竹を継いだような」帝都・東京が壊滅したのは、大正12年関東大震災でした。地震に引き続き発生した火災により明治以来約半世紀の蓄積はほぼ完全に失われてしまったのです。

関東大震災からの復興は劇的でした。有名な後藤新平の指揮のもと、都市基盤から橋梁・道路・公園・建築などが総合的な計画のもと完成されていったのです。
時代は第一次大戦後のベル・エポック、世界中が平和を謳歌し、近代技術の進歩により国家や国民が急速に豊かになりつつある時代でした。
日清・日露戦争以来の連戦連勝で世界の一等国入りを自負していた日本にとっては、それに相応しい帝都建設は国民的コンセンサスであり願望であったのでしょう。

本書は、震災復興完成を記念して出版された写真集を元に、そのコンセプトや特徴を解説するとともに、半世紀後の状況を調査した野心的な著書です。
関東大震災後の帝都建設がいかに大掛かりで高い志のもと官民一体で行われたかがわかる貴重な一冊なのです。。

わずか20年後、空襲によりその多くが失われた建築群は「忘れられた帝都・東京」にほかなりません。

それにもまして衝撃的なのは、本書出版から20年も経ていない今日、当時わずかに残存していた建築がほぼ完全に消滅していまっていることです。大地震も戦争もないのに東京では古いだけですべてが失われていくことが、驚きであり悲しみでもあります。
欧米の都市が、その最も華やかだった時代の記憶を多くの建築物とともに何百年も留め続けるのと、なんと対照的なのでしょうか。
今、戦争が起きるなら、我々は何を失うのかを考える手がかりを、本書は与えてくれるように思われます。



Book 帝都復興せり!―「建築の東京」を歩く1986‐1997

著者:松葉 一清
販売元:朝日新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2006/08/13

日本が危ない:「戦争の日本近現代史」

戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで

歴史を学ぶとき、よく注意していないと陥りやすい誤りがある。歴史は過去の出来事であり結果を知っているために、その原因があまりにハッキリと見えてしまうことである。そのため、時として歴史を学ぶことが、過去の人々の愚かしさを再確認するだけに終ってしまうのである。
歴史は、その時代に生きる人にとっては現在そのものであり、将来には無数の可能性があり、どの将来が「歴史」となるかは、まさに今の選択にかかっている、と言うあまりに当然の事実が忘れられてしまうのである。

多くの日本人が太平洋戦争を語るとき「なぜあんな無謀な戦争を行ったのか」「もともと勝てるわけがない戦争を始めたのは愚かだ」など、悲惨は結末を知るが故の批判をすることは、その例に他ならない。

客観的な事実はともかく、明治維新から連戦連勝を続けてきた大日本帝国にとって、政府や軍部はもちろん一般国民にとっても「アメリカと戦うこと」は、今我々が考えるほど非常識でも無謀でもなかったのである。真珠湾攻撃を皮切りにした緒戦の勝利に国民は歓喜し、その決断を賞賛する国民は多く、その愚かさを指摘する声は無いに等しかった。(マスコミが権力に統制されており、国民の自由な言論が権力の弾圧により不可能であったとの指摘は必ずしも事実と一致していないように思う。)

歴史を過去の視点から見て、その時点でどんな選択肢があり、未来から見ると時に愚かなその選択が行われたのかを分析する。それが「戦争の日本近現代史」の著者の意図に他ならない。当然でありながら忘れられがちな明確な視点を持って、明治維新後の日本の歴史を見直してみると、予想もしなかった発見がある。
詳しくは、ぜひ本書をお読みいただくとして、素直な感想はこうである。
「日本の政治家や軍人は思ったよりもずっと賢明で、正しい選択をしている。」

人は「未来」を知ることはできない。人が選択するときの貴重で唯一の基準は「過去」なのである。そして、そこに歴史学本来の必要性と目的がある。
「過去」により行う「今の選択」が「未来」を造りあげる。そんな当たり前の事実を、本書は気づかせてくれるのである。


戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで Book 戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで

著者:加藤 陽子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/08/12

日本が危ない:「靖国神社」

靖国神社

著者:大江 志乃夫
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

太平洋戦争の意味を考える時、決して避けて通れないのが靖国神社である。
大日本帝国の敗戦とは、近代天皇制国家の消滅すなわち国家神道体制の消滅に他ならない。その国家神道体制の中心的装置が靖国神社なのである。

敗戦により解体された国家神道体制は、戦後60年の間に日本国民の記憶のなかから、見事なまでに完全に忘れ去られてしまった。
結果として、東京九段の靖国神社も、全国各地の護国神社も、そして町役場の敷地などに数多く残る忠魂碑などは、現代を生きる我々にとって特に何の意味も持たない存在になってしまっている。例えれば飛鳥時代の古墳や銅鐸などが考古学的興味以上の存在でないのと同様である。

昨今マスコミを賑わす靖国神社問題とは、中国を中心とする東南アジア各国からの戦犯参拝(崇拝)への非難を指すに過ぎないような誤解すら一般的であることに少なからず危惧を覚えるのである。

本書が発行された昭和末期には、まだ靖国神社=国家神道が戦前に果たししていた役割は、多くの国民に実感を伴って認識されていた。
靖国神社や忠魂碑などについての政教分離違反を問う裁判が多く争われていたし、自由民主党が繰り返し提出していた靖国神社国営化法案は与野党の重要対決法案であった。

戦後の保守長期政権は、敗戦に伴う国家神道体制=靖国神社を巡る問題の根本的解決を延々と先送りし続けてきた。より正確に表現するなら先送りせざるを得なかったのである。戦前の体制への回帰を目指す極右勢力はもちろん、太平洋戦争で戦死した軍人達の遺族からなる日本遺族会の多数の会員は保守政党の重要な支持基盤であった。一方で、戦災の被害者であった一般の国民の戦前体制への憎悪は強く、特に国民の精神生活を拘束し戦争協力を強制した国家神道への拒否反応は強烈であった。靖国神社はまさにその象徴であり、そこに手をつけることは一歩間違えば政権の崩壊を招きかねない危険な賭けであったからである。

政府の選択は、靖国神社について何もしないことであった。戦後、一宗教法人になった靖国神社に保護も与えず干渉もしない、それが選択であった。学校教育や政策でも、戦前の国家神道や靖国神社についての価値判断的要素のあるものは意図的に排除されてきた。
そして、戦後60年を経て国民からほぼすべての記憶が失われたのである。

さて、本書は日本国民が経験としても知識として失った「国家神道体制」を簡潔・明瞭に解説していて、その問題点の所在を学ぶのに最適な一冊である。
総理大臣の靖国神社公式参拝を機会として、数多くの出版がなされている。しかし、その多くは靖国神社と国家神道の仕組みや構造についての本質的な理解を欠いている半端なものである。特に戦後の靖国神社に関する裁判や事件の理解は、戦前の国家システムの理解なくして不可能だからである。

靖国神社問題の解決 = A級戦犯の分祀 と言う単純極まりない論理で、拙速な議論を行わないため、ぜひ一読いただきたい一冊である。

なお、この問題についてはすでに「靖国神社問題の本質」で6回にわたり詳しく論じたので併せてお読みいただければと思う。(「日本が危ない」カテゴリーを選択すると一括でお読みいただけます。)


靖国神社

著者:大江 志乃夫
販売元:岩波書店
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2006/08/11

日本が危ない:「失敗の本質」

失敗の本質―日本軍の組織論的研究

なぜ日本は太平洋戦争に敗れたのか。戦後、数限りない著書が執筆され出版されてきた。
日本で「戦記物」と言えば太平洋戦争の記録を指すといっても過言ではない。
元参謀、元兵士の体験談から経営コンサルタントによる組織論まで、実に幅広い内容の多数の図書が今も手に入る。
では、どの一冊がよいのか。それが問題である。
理不尽な戦争の犠牲になった戦友達への哀悼のために書かれた書物は、感傷的でそれなりに得るものはある。戦略や戦術を企業の経営戦略に反映させようと書かれたものは、平成の今となってはかえって解りにくい。

この一冊は副題に「日本軍の組織論的研究」とあるとおり、いくつかの重要な作戦において日本軍の戦略や戦術がどのような考えや人間関係によって決定されたかに焦点をあてて研究している点が独創的である。それを関係した個人のパーソナリティーの問題ではなく組織と役職・立場の違いから解明している点が、今読むに値する一冊としているのである。
第二章で帰納法的に日本軍の組織や日本人の考え方の特徴を抽出し、第三章において現代における教訓を導きだすことに成功している。
結論は、日本人も日本人が作る組織も何も変わっていないということである。
国を滅ぼし多くの国民の生命が失なわれた太平洋戦争から、われわれ日本人は何も学ばなかったのだと知ることは、とても悲しい。


失敗の本質―日本軍の組織論的研究 失敗の本質―日本軍の組織論的研究

著者:戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
販売元:中央公論社
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2006/08/10

日本が危ない:「ジパング」

ジパング (20)    モーニングKC

まもなく終戦記念日が来る。
自衛隊が海外派兵され、靖国神社が議論される昨今、改めて太平洋戦争を考えるのは無駄なことではないだろう。
すばらしき新世界ブログでは、何回かにわけて関連図書をご紹介していきたい。

最初に紹介するのが「ジパング」である。
日本においては漫画や劇画が独自の進化をとげ、下手な論文より思想やイメージを伝達するメディアとして一分野を確立していることを象徴するのが、かわぐちかいじ氏の一連の作品である。
「沈黙の艦隊」において、世界平和の姿と国際政治の世界を描き出すことに成功したかわぐち氏だが、現在も連載が続く「ジパング」が描きだしつつあるのが、太平洋戦争の真実である。とは言っても詳細な作戦計画や戦闘状況を描く戦記物ではもちろんない。まして戦後の一時期、少年漫画誌に多数連載された戦争物とも大きく違って、壮絶な戦闘シーンも死に行く者への哀悼や友情もない。(「零戦ハヤト」や「紫電改の鷹」など好戦的な戦争漫画が連載されていたのは昭和40年代の頃だっただろうか)
描かれるのは、大きな時代の流れのなかで、戦争に能動的にあるいは受動的に取り込まれて行った人々の姿である。軍人として戦艦に乗り、南洋の島々に送られた兵士、満州や大陸に生きる軍属や商人の群像劇である。
「ジパング」を読むと、戦争が複雑な状況のなかで開始され進展していくことがよくわかる。善悪の対決などという単純な構図でもなく、日本国内でも立場により様々な認識や意見がある。日本軍内部でさえ一枚岩にはほど遠く、謀略さえ飛び交うのが真実の姿なのである。時代は個人の意見など無視するように変化していくことが、感覚的にわかるのが「ジパング」である。
次回以降にご紹介する予定の専門的な図書を読みこなすのは難しい。
せめて、この「ジパング」であの時代の「雰囲気」や「空気」を感じてほしいと思うのである。


ジパング (20)    モーニングKC ジパング (20)    モーニングKC

著者:かわぐち かいじ
販売元:講談社
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2006/08/08

MacLife:目からウロコのLogicool mm50

Logicool MM50 Portable Speakers for ipod

はっきり言ってiPod用のパワードスピーカーなど何で必要なのかと思っていたのです。
家にはパソコンがあるわけで、iPodと同じ楽曲が聞けるiTunesが当然利用できるわけです。それならばパソコンのマルチメディアモニターで音楽を聞けばよいわけで、なんで小さなスピーカーを接続するのだろうかと、素朴に疑問に思っていたわけです。

先日ちょっとした用があって新宿に出かけてみると、iPod専用のパワードスピーカーはますます人気のようで、種類も増えてBlackバージョンがあるモデルも数多く揃っていました。買う気もなしにちょっぴりMacな店員と雑談していると「目から鱗」の大発見が。そう今回ご紹介のLogicool mm50などいくつかはバッテリーを内蔵していることに今更ながら気がついたのでした。
室内で手軽にiPodを再生するだけではなく「どこにでも持って行ける」のです。例えば、洗面所やベランダ、ビニール袋に入れてしまえば風呂場にも持ち込みOKと言うことです。
夏の夕暮れなどテラスに机を出して冷えたビール、そこで手軽に且つじっくりと音楽が楽しめるのは魅力です。ヘッドホン独特の圧迫感なく音楽が聞ける、さらにはミュージックビデオをバッテリー残量を気にせずに再生できる。これはまったく想定の範囲外の利用法でした。Logicool mm50は内蔵バッテリーでスピーカーのみでなくiPodも駆動できるので、電源アダプターを使わず何時間もビデオが再生できるわけなのです。
と言うわけでLogicool mm50 Black を購入しました。他のパワードスピーカーのようなラジオチューナーも時計も内蔵していないので操作は簡単そのもの。付属のリモコンも7つのボタンがあるだけ。
そのMac使い好みの潔い割り切りと予想以上の音の良さに星☆☆☆☆☆です。


Logicool MM50 Portable Speakers for ipod Logicool MM50 Portable Speakers for ipod

販売元:ロジクール
発売日:2005/10/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 

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