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2006/10/28

日本が危ない:献策十講「自由・権利そして民主主義」

戦前日本は名実ともに治安国家であった。主権は天皇にあり、国民は臣民であった。日本帝国が主体であり、国民はその構成要素の一つに過ぎなかった。
臣民としての国民は、国家に忠実であることが求められ、国家が求めるなら死をも厭わないことが当然とされた。日本民族は他民族に優越した歴史的伝統を持ち、その政体は広く普遍性を持つと教育された。そして、国家の安寧秩序が第一であり、治安を害する思想や人物は容赦なく弾圧された。
以上は非常に荒っぽい明治維新が建設した国家についての概略である。その文脈で考えるとき、靖国神社や国家神道の本質が理解できるし、東南アジア各国の反発の背景を理解することができる。

戦後日本は、その全面的な否定により誕生した。その経緯は、自発的なものであったか押し付けであったかはともかくとして、事実として帝国憲法は合法的に改正され、日本国憲法は制定された。天皇は象徴となり、国民主権の民主国家の枠組みが憲法で保障された。軍備は放棄され、国民の権利と自由は20世紀の西欧国家の水準で保障された。戦前日本の国民生活を覆い尽くしていた治安放棄は一斉に廃止され、国民は占領下の特殊な状況下で、突然に無限の自由を手に入れたのである。

戦後日本の歩みは反動か
最近とみに研究が進みつつある戦後政治史だが、その歩みは予想外に複雑である。
戦前日本の解体と民主主義の定着に熱心だったとされる、アメリカ軍を中心とする占領軍の「軍政」についての再評価も進みつつある。55年体制確立後の革新勢力側が言う「保守反動政策」も、政治主導で一方方向に進展したものでないことも、明らかになりつつある。
しかし、国民の自由と権利そして民主主義の観点から考えるとき、その歩みは「戦前回帰」すなわち「行き過ぎた自由化への反動」であると総括するのが適当であろう。

戦後改革の重点の一つは教育改革であった。戦前日本の思想を実際的に国民に普及定着させたのは義務教育と社会教育を中心とした教育システムである。教育は国家から地方自治体である市町村に主体が変更され、政治的に中立な公選制教育委員会の責任により運営されることとされた。否、正確に言うなら運営されるはずだった。実は教育委員会委員の選挙は実質的には一回しか行われることがなかった。法律改正により委員は首長の任命制となり、教科書検定の導入や広域採択制の採用などを通じて、実質的に国が全面的に統制する体制に早々と「復帰」してしまったからである。
同様に、戦前の国家警察を解体し、自治体警察を創設し公安委員会の管理下に置く警察機構改革も頓挫している。上級警察官を国家公務員とする警察法改正により、都道府県警察の名の下に実質的に国家警察が復活し、公安警察も再生している。
政治的中立を確保するために、広範に導入された米英法的な行政委員会制度も年を追って廃止され、現在では本来の形で存続機能しているものは皆無と言える状況である。
国民の自由と権利を保障した憲法だが、その具体化のための立法もほとんど行われることはなかった。憲法の保障する権利と現状との乖離は、当初から憲法学上も問題であって、プログラム規定説など不可思議な後付けの理屈が必要とされる状況が放置されつづけた。
55年の保守合同の当初から、現行憲法は廃棄され自主憲法の制定が党公約であった自由民主党にとって、現行憲法の規程を積極的に現実化することはあり得ない選択だったのである。
一方で、治安立法の復活は着実に進行した。戦後民主主義の象徴とも言うべきデモを規制する「公安条例」(法律でなく条例によったのは当時の政治情勢の結果である。)の制定を皮切りに、道路交通法の運用強化などにより、国民の権利は急速に法律により狭められていった。破壊活動防止法・屋外広告規制法・暴対法など、憲法上認められた言論・表現・行動の自由などが実質的に制限されてきた。ほとんど議論らしい議論もないまま、国民保護法を含む戦時規制法が制定されたのは、ごく最近であるが、戦争状態にあたって憲法上の権利を停止する効力のある法律の制定が、違憲立法の可能性が高いことすら話題にならない寒い状況である。ましてや、共謀罪の新設にいたっては、戦前の悪法である治安維持法以上に、国民の思想信条の自由を決定的に抑圧することは疑いない。

自由と権利そして民主主義が守られる国へ
「自由と権利は獲得し、自ら守るものである。」暴君との戦いを通じて、自らの自由と権利を獲得した歴史のある欧米各国では常識である。自由も権利も、ただ恩恵的に与えられるものではなく、黙っていても保障されるものではないのである。
権力とは我侭なものであり、一たび権力を握った者は、その権力を託した人々のためではなく、自らの権力を維持するため、人々の自由と権利を奪おうとするものなのである。
権力の本質を明確に認識していた18世紀以降の政治学者が、その権力をいかに人々民主的統制に従わせるかを熟考した結果が、三権分立であり憲法制定である。
最近の政治情勢を見るとき、権力にある人々の自制が失われているように思われる。政治家の言動、次々と治安立法案の実現を画策する法務官僚、その目的とするところは、国民の自由と権利を抑制し、政治権力の恒久的安定にあるように思われてしょうがない。
権力が、国民を信頼しその幸福を最大化するために努力するより、自らの保身と権力の維持拡大のみに熱心であるように思われるのである。それが誤解であることを、心から願わざるを得ない。
権力が、主権者である国民を統制しようと考えることは、日本にとって究極の不幸に他ならない。国民が政治的に無関心であることを、政治は非難すべきではない。無関心を生んだ自らの不徳を反省すべきなのである。官僚は自らの政策が世論の反発を受けることを敵視するべきではない。民意に沿う政策を立案する努力が不足していることを謙虚に反省するべきなのである。

「マグナカルタ(大憲章)」を
政治不信・官僚不信は、戦後60年の行為の結果である。権力は、今こそ戦後日本が再出発した原点に復帰することを明確に国民に宣言しなければならないと考える。
憲法が保障した国民の自由と権利、判例に積み重ねにより新たに認められた権利を具体的且つ総合的に保障する実定法を制定するべきである。法形式としては、それらの自由と権利を侵害する立法を含む行為を禁止する形となるだろう。すなわち、基本法ではなく規制法が望ましい。国会・地方議会の権利侵害立法を規制し、官庁の行為を制限する、準憲法的法律が必要である。
現行憲法の規程のみを根拠に、個々の国民が強大な国家権力の確信犯的権利侵害に対抗することは、あまりに困難である。しかも、現行法において違憲判決の効力は違憲立法を無効にすることすらない。議会も行政も、そのような司法の逃げ腰に安住して、憲法の骨抜きに営々と勤しんできたのである。実際はそうではないにしろ、国民にそう思われていることが問題なのである。
国民の自由が最大限に保障され、国家との関係において国民の権利が充分に認められてこそ、国民は主権者であることが実感できる。民主国家において、国民は主人であり、国家は下僕(しもべ)である。
絶対王政でもない、独裁国家でもない、ましてや天皇制国家への回帰を目的としているのでもない。
日本が目指すのは、国民一人ひとりが尊重され豊かに幸福に暮らせる国家であるはずである。
政治不信を払拭し、国民が国家と精神的に一体化し、国を愛せるようになるためには「国民の自由と権利の保障、並びに民主主義の保障に関する法律」すなわち「21世紀のマグナカルタ(大憲章)」を制定するべきである。権力者がまず自らの首に鈴を付け、手足に鎖を付けて、その鍵を国民に預けなければならないのである。

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2006/10/25

日本が危ない:献策十講「公共事業改革」

献策十講もようやく第八講である。
周到な準備なく書き始めてしまったため、テーマの大きさや内容の深さがまちまちになってしまい反省することが多い。機会があれば改めて書き直したいと考える今日この頃である。

さて、今回は公共事業を論じてみたい。
財政赤字の最大の原因にして、諸悪の根源のごとく扱われることが多い公共事業だが、その本来果たした役割を思うと、いかにも20世紀的な政策そのものである。
日本における公共事業が、大きく変質したのはかねて指摘されているとおり田中内閣の列島改造ブームからである。公共事業だけではなく、大所高所から国の未来を案じ、遠く将来を見据えた政策を決定するべき国会議員も、その時期変質した。ごく限られた地域(選挙区)の近視眼的経済的利益の確保に血眼になる今に続く国会議員像はこの時期確立したように思う。
戦後、貧しかった日本にとって国費を地元に利益誘導する余裕などなかったことは間違いない。なけなしの財政資金は戦災復興と災害防止の為の不可欠な費用へと消えて行った。戦地から復員した国民の生活を支えたのは、国や地方が政策的に実施していった公共事業にほかならない。その役割を支えたのは戦前からほぼ無傷で温存された国家官僚機構だった。貧しい財源は、その後の経済発展を見据えた基幹産業の再建や国土整備、臨時的な雇用創出事業に巧みに且つ公平に配分された。その基本的な仕組みは、以前にも言及したとおり国家総動員体制が確立した政経連携システムそのものであった。
当時、公共事業は国民生活に不可欠であったし、その全ては有益であった。公共事業により戦争中に荒れ果てた山林や耕地は整備され、市街地は復興していったのである。国内産業の疲弊と失業者を公共事業は確実に救済していたのである。

公共事業の変質
田中内閣の最大の罪は、戦災復興が一段落し高度成長期を迎えた日本において、その財政的余裕を利権化したことにある。経済成長による財政規模の拡大と税収の改善は、租税負担の軽減などの形で広く国民に還元されることなく、余剰の公共事業の形で分配されたのである。確かに当時の国民にとって、道路が舗装され、港湾が整備され、高速道路が延長され、多くの公共施設が建設されることは、日本が敗戦を克服し、世界の一流国に近づくことが実感できることだったに違いない。特に大都市に比較して整備が遅れていた地方都市や農村部にとって、公共事業によって整備が進むことは悲願であったに違いない。その利益誘導を国政においてシステム化したのが田中内閣である。国会議員が、潤沢な国費に裏付けられた公共事業を、いかに地元選挙区に多く誘導することができるかで、評価されるようになったのである。地元産業の組織票を基盤として国会議員が選出され、地元産業を潤す公共事業を引っ張ってくる。与党であり有力派閥に属していることが、その前提であり有力派閥はますます力を持つ。国の財政が政治闘争の道具となったのである。大小の派閥の集合体である自由民主党は、国の財政資金の配分の権限を握ったことで、国費によって政権基盤を盤石にし、全国津々浦々に影響を与えることが可能となったのである。結果として、国家財政は限りなく拡大し、国債と言う借金を続けながら、支持基盤としての産業界に公共事業を配分しつづけているのが、日本の現状に外ならない。

公共事業を本来の姿に
純粋に国政を論じ、政策を立案実行するのに大した費用は必要ない。全国各地から、それぞれの利益を代表する国民を集めて、論じ決すれば良いからである。国防を論じ、外交を論じ、産業政策を検討し、教育政策を決する。それに必要な経費を見積もり、予算として決する。ただ、それだけである。国土交通省に代表される巨額の公共事業の実施場所や時期を決することは、本来、国政の担当分野ではない。それは政治的課題ではなく、純粋に技術的課題であるべきである。大規模公共事業の代表である高速道路や新幹線の整備は、将来の産業ビジョンや地域像が明確化されるなら、まったく技術的に場所も規模も経済的必然性から決定されうるものである。ましてや、河川整備やダム建設など、気象学的必然から場所も規模も決定されざるを得ないはずだからである。
しかし、公共事業や公共投資は確かに必要である。国民一人ひとりや地方自治体では賄いきれない大規模で高価な事業は確かに存在する。それを否定し、地域や個人の責任にすることは、不可能であり不適当だと言わざるを得ない。国富は必要に応じて適切に分配されるべきだからである。

無駄のない効率的な公共事業へ
財政基盤が極めて脆弱で、公共事業など到底実施の余地のなかった江戸幕府。その公共事業実施方法は、大いに参考となる。
一つは、各藩への普請割当である。例えば首都整備とも言うべき掘割の掘削や港湾整備、河川整備など、公的主体のだれかが実施しなければならない公共事業が必要となったとする。幕府は自らの財源により直轄で実施することはしない。一定のルールに従い各藩に割当てそれを行わせたのである。一見すると専制的であるようだが、実は不用不急の無駄な事業を抑制するのに実に効果的な方法である。何を行うかを決定するのは幕府ではない。細かな方法を省略するが実質的には各藩が合議によって決定するのである。各藩は、もしかしたら自身が普請を命じられるかもしれないと考えて、必要にして最小の事業のみを事業決定する。普請を命じられた藩は、その費用はどこからも補填されない。完全な持ち出しである。従って、工法を工夫し経費を節減することに熱心にならざるを得ない。しかも、手抜きなどすれば藩の存亡に関わるだけに真剣である。官民が協力して普請工事を完成させることは至上命令にほかならないのである。
他人の「金」で事業を行い、地元企業が潤う現在の公共事業との本質的違いがそこにある。
道州制導入はともかくとして、地域に対して責任を負う地方公共団体が合議によって公共事業の内容と優先順位と自主的に決定し、自らの直接的負担のみによって事業実施を行う体制が確立できるなら、今日の公共事業の問題の多くは直ちに解決できるに違いない。もちろん、前技術的必然によらない各種の思惑や圧力が完全に排除できることが、当然の前提ではある。
もう一つは、ここ最近になって注目されているPFI方式による事業である。実は徳川幕府はほぼ同様の方式により数多くの公共事業をおこなった先駆者である。
例えば玉川上水がある。江戸の増大する水需要を一気に解決した長大な用水路の建設は、一民間人の手で実施され、一円の「税金」も使っていない。工事を請け負ったのは有名な玉川兄弟である。形式としては、玉川兄弟が用水掘削を幕府に願いでて許可されたことになっている。その代金は、用水使用料を玉川氏が末代まで独占的に徴収してよいとする幕府の約束である(その約束は幕府崩壊まで守られた。)。発想も形態も現代のPFIそのものである。幕府は、橋梁などの都市施設整備、通船、警察、林野管理など、あらゆる分野でこの「請負」形式で多くの公共事業を財政負担なしに巧みに実施していたのである。
PFIは、ごく最近になってイギリスで再発見されたと言っても良い。
日本で実施されているPFIは、現行の公共事業方式により利益を得ている官民の思惑でその本来のメリットが失われた不自然なものである。
公共事業が、国民が共通で必要とする合理的なものであるなら、決して長期的な事業収支が均衡しないことはあり得ない。公共事業とは、必ず収支が合うものなのである。公共事業が長期的に赤字を生み出すのは、事業実施の段階で不当に利益を得ている者がいる証拠にほかならない。
公平且つ合理的に公共事業が計画され決定されるなら、利用料金による初期費用の長期的回収を前提として、民間事業者によって税金を全く使わず事業は実施可能であることは良く認識されるべきである。
そして、公共事業はその規模に応じて、直接に利害がある段階の公的主体により実施されるべきである。
地域の産業振興に必要な道路は、地域がその責任で整備する。当然のことが、当然に行われる。それが公共事業改革の本質なのである。

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日本が危ない:献策十講「文化・学術振興」

政治とは無縁と思われがちな文化・学術・科学技術などの分野であるが、20世紀型福祉国家にとって、あらゆる事柄は政治の対象にほかならない。
西欧国家に特徴的だが、19世紀から20世紀になって文化学術分野は宗教・教会の問題から政治の問題になった。中世から近代まで異端審問などに代表されるように文化・芸術・科学・思想は宗教上の問題であった。科学的学説である地動説や進化論が宗教的規範と機構のなかで弾圧されたことなどが代表である。
社会学や政治学が生み出した理論は、時に政治的変動の原因となり、それ故に国家は特定の学問を公認・振興し、一方で抑圧・弾圧した。
この分野に比較的寛容、いやむしろ無関心であった徳川時代が終わり、明治維新を迎えると、日本の政治においても、文化学術は政治の重要な一分野になった。
天皇制国家主義と称される明治国家にとって、その政治体制の根幹は科学的事実ではなく、一連の哲学大系であったからである。日本国土がどのように造られたかからはじまり、明治維新以後の政治体制(当時の用語で言う「国体」)の正当性までが、その哲学大系によって説明された。国家神道とも呼ばれる思想体系である。
結果として、科学的社会主義や共産主義の基礎となる政治理論はもちろん、キリスト教などの宗教、歴史学、社会学などあらゆる文化学術活動、教育活動が、政府により強制力を持って統制されていたのが、戦前の日本なのである。

戦後の文化学術政策の特徴
その否定を持って誕生した戦後日本にとって、文化・学術は政治と無縁であることが前提であった。学問の自由は戦後日本の大前提である。にも関わらず現実の政治・行政において、常に政治的干渉を受けて続けてきたのが、学校教育に代表される文化・学術活動に他ならない。
現代日本において、表面的に学術研究活動にタブーは無い。天皇制の研究も宗教上の活動も基本的には自由である。しかし、現実には未だ多くのタブーは存在する。戦前に指定された天皇陵の発掘調査は決して許可されることはない。天皇制廃止を前提とした政治体制論議などマスコミで決して取り上げられることもない。などはその一例である。右翼団体などの有形の圧力を利用しながら、国民がタブーを犯すことがないよう誘導しているのが日本の現状なのである。
法令等による露骨な規制を避けながら、国庫補助金や助成金などを利用して好ましい学問や学術研究を振興してきたのが、日本の文化学術政策の本質である。
現在は文部科学省が一元的に掌握することとなった文化振興・学術研究は、国家官僚群が望ましいと思う国民の知識や常識を巧みに誘導し統制しているのである。
結果として、文部官僚と学界の権威は相互に依存しつつ独占的権威を構築した。
いかなる学術的研究も、権威の認める範囲でしか、資金や地位を得られない。異端は、法令ではなく経済的基盤によって「迫害」されているのである。日本には、その意味で学問の自由はないのである。

文化学術振興の国へ
時の政治権力にとって、望ましい学問と望ましくない学問があるのは古今東西を問わない事実である。政治権力の危機は、望ましくない学問によって深く静かに民衆の間に育まれるからである。突き詰められた学問的成果が、現実の矛盾をあばき、時の政治権力を打倒し、次の政治権力の思想的基盤になるからである。
科学は発展するものである。そして、20世紀は間違いなく科学の時代であった。それまで圧倒的影響力を有した宗教権威が、非科学的であるとされ決定的に影響力を失った時代である。文化学術が宗教から解放された時代である。
21世紀も科学の時代であってほしい。根拠のない権威が否定され、常に真実の探求が尊重される時代であってほしい。
そのためには、文化学術は国家によって保護され、促進されなければならない。決して文化学術が政治により圧迫されるべきではない。
国家が保護することと、文化学術の独立性と自由を保障することは、実は両立させることが難しい。保護のための枠組みは、一面で自由を狭めてしまうからである。
その両立には、従って巧みな仕組みが必要なのである。
まずは、文化学術活動の全面的究極的な自由を保障する基本法の制定が必要である。何人も文化学術活動並びにその成果によって経済的政治的圧迫を受けることがなく、国家により保護され救済される権利を明確にすることである。
同時に文化学術活動への経済的援助が、国家機関から独立してなされる枠組みを構築する必要がある。いかに立派な原則であっても、それが文部科学省の担当部局が交付する助成金や補助金によって振興されるとき、行政庁や特定の政治力の介在を完全に防止することはできないからである。
現在も文化学術振興のためには、多額の税金が投入されている。原子力利用・宇宙開発・海洋資源開発など実用的なものから、考古学発掘や地理調査など基礎的なものまでが、国の補助金や助成金により研究されている。
それらの資金を一括し、新たに財団を設立して一元的に運用する制度が望ましい。どの研究に助成するかは、国家官僚ではなく各学術団体が互選により選出する委員会で選定すれば良い。多くの研究者が合議によって資金を配分するならば、少なくても現在よりは政治的意図の影響は軽減されるはずだからである。
もともとは互選により選出されてきた日本学術会議のメンバーが国の任命制になった久しい。その政治的意図はともかく、それによって日本学術会議がより良くなって、文化学術の振興に役立ったとはとうてい思われない。
究極的には、文化学術振興が国家によってではなく、有意の国民の自由な意志によって支えられるのが望ましいのは言うまでもない。経済的に成功した者が、その富を社会に還元するために、財団を設立したり教育機関を設立したりすることは、西欧では当然に行われている。権力者や経済的成功者は自らの名を冠した公共施設を寄附するのは、ローマ時代以来の伝統である。かの有名なノーベル財団がそうであり、最近ではマイクロソフトの創業者であるビルゲイツ氏がその意向を明らかにした。
キリスト教的博愛主義や道徳観が背景にあって、それを裏付ける税制制度などが、西欧での公共施設の寄附や財団設立を支えているのである。
日本には、残念ながらその基盤がない。正確に言うなら失ってしまったと言って良い。東大には安田講堂がある。戦後解体された安田財閥が寄附した講堂である。図書館・病院・公会堂・公園など、実に多くの公共施設が財閥や政治家や文化人などの寄附により建設されてきた。戦前の一時期まで、西欧に倣った寄附は一般的だったのである。ある研究によれば、戦前の福祉施策の経費の3割以上が財閥などの寄附によって賄われていたという。
日本において、そのような個人や企業の「慈善活動」が衰退したのは、偶然ではない。戦後の福祉国家化による公共政策領域の拡大が、福祉や教育の国地方の独占を生み出したのである。特に、公立学校などに講堂や校舎を寄附することは、法律により禁止された。多くは論じられていないが、その背景には学校や福祉施設が自由に寄附を受けるならば運営資金に余裕が生まれ、担当官庁の影響力が結果として低下することを防ぐ意図があったことは充分想像できる。

逆に考えれば、国立大学が独立行政法人化された今日、個人や企業からの有意の寄附を自由に集めることで、政治的に中立的な学問環境が生まれるのかもしれない。
ようやく本論の結論である。
当面は、文化学術振興の役割を国・地方の官僚組織の手から解放し、公権力から独立した強大な振興財団の手に一元化するべきである。その財団の資金は国と地方が無条件で一括で交付するべきである。特別法によって、事業内容への公的関与を禁止する一方で、役員の公選など民主的運営を確実に担保するべきである。
並行して、国民が自らの意志によって、文化学術の保護者になりうる法的枠組みを構築するべきである。極めて限定的にしか認められない税法上の寄附控除を拡大し、国を経由せずに文化学術振興に自らの意志を基に直接援助を与えられるようにするべきである。一方で受け入れ側の学校や文化団体、文化人、科学者などに対しての税制上の優遇措置を充実させるべきである。特に公務員や公的施設などの法的制約を縮小して、自由で自主的な文化学術活動を保障するべきである。
文化学術の自由が最大限に保障されるとき、日本は「美しい国」に一歩近づけるに違いない。

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2006/10/22

日本が危ない:献策十講「産業経済政策」

政治と産業
政治と経済は不可分で密接な関係にある。抽象的ではなく、至って現実的で実利的な意味でである。
現代的な意味で市場経済が誕生し、商品の生産者を含む商業システムが政治と密接に関係を持つようになったのは古く室町・戦国時代まで遡るようである。政治的には存在感が薄い室町時代は、経済的大躍進期であったと司馬遼太郎は言う。教科書にも載る織田信長の「楽市・楽座」は旧体制下の経済システムを破壊し新興商人層を保護育成した政策の総称であり、織田・豊臣政権の基盤は、その新興商人の生み出す富に支えられていた。

徳川幕藩体制はその延長線上にあって、問屋や職業別組合など、実に多様な産業システムが、幕府の公認する経済的特権の代替に納付する金銭を基盤に成立していたと言っても良い。

明治政権も、倒幕運動時から支持を受けていた大阪堺の商人達の支援なくして成立しなかったはずである。結果、明治維新は江戸幕府を支えてきた回船問屋や札指しなど旧来の経済人を没落させる一方で、三菱など新興経済人を隆盛を生み出すこととなった。

明治維新以後、太平洋大戦の敗戦まで、日本の基調は経高政低であった。政治・行政は経済界の意向を受けて内政外交を行ってきた感がある。国民から集めた税金を使って西欧から技術導入をし新産業を育成し、軌道に乗ったあとに民間企業に売却するなどはその典型である。

それが逆転したのが、太平洋戦争を目前に控えた国家総動員体制の確立であった。超整理法などで有名な野口悠紀雄氏が「1940年体制」と名付けた軍事政治優先の官僚統制体制である。初期資本主義の原理原則のまま、政治権力も利用して自由闊達に利益優先の経済活動を行ってきた産業界を、戦争遂行のための国家目的に従属させた緻密で巧みな統制システムである。詳細は同氏の「1940年体制 さらば「戦時経済」」(東洋経済新報社1995年)に譲るが、経済界を業種別団体に編成し、個別法によって活動を統制するとともに企業間の競争を抑制し、また新規参入を抑制する。一方で補助金を交付し企業全体の利益を保護する仕組みである。

同氏によれば、その仕組みは敗戦後も温存され、戦後の高度経済成長を生み出す原動力となったと言う。当初は日本の復興を国家官僚群が総合的に企画立案し、法律で政治的に位置付ける。それを国・地方の奨励的補助金によって実施する。必要なら産業界に替わって投資的に施設を建設し研究や実験も行う。別名「日本株式会社」システムの基幹は、戦前に確立されていたのである。

時代の転換
このような政治と経済の過度に密接な関係が戦後長く日本の特徴であった。小泉政権誕生まで、経済の好況不況は単純に企業の問題ではなく、常に優先順位の高い政治的問題であり続けた。経済界に自主独立の気風は乏しく、官僚群には経済運営に対する使命感のようなものがあった。

従って、戦後半世紀を経て制度疲弊が顕在化しつつあった平成不況に対しても、政治そして官僚は無関心でいることは出来ず、多額の税金を投入して全面的に産業界を支える選択をしたのである。

江戸時代末期、開国に伴う経済的混乱期にあって幕府が多額の借金を抱えつつも経済的支援を既存商人に与えたのに類似しているとも言える。その結末は幕府の崩壊と新興商人に支えられた明治政府の成立であった。

その意味で、小泉政権の誕生とその経済政策は、時代の転換を予感させるに充分であった。政治的支持基盤を財界の主流にほとんど持たないという小泉首相の希有な特徴が、戦後初めて既存産業界の意向を考慮せずに政策を立案できるという状況を生み出した。首相の経済政策を全面的に立案コーディネイトした竹中氏の選択は、既存産業の既得権の否定と新興勢力の育成であった。既得権に安住し既存政策により保護されて生き延びた企業を無慈悲なまでに見離して倒産させ、起業家精神にあふれた荒々しくてギラギラした新興勢力を自由に活動させたのである。結果として、わずか5年で日本経済は復興の糸口を掴むことができた。

小泉・竹中路線への批判非難は、既得権を有する財界からのものが多かった。インターネットを中心とする新しいコミュニケーション手段が誕生していたことは、小泉政権の真意が国民に理解支持されるうえで必要不可欠であったと言うこともできるであろう。既存のマスコミも既存勢力の一翼であり、マスコミ報道のみからは、小泉政権の政策の本質が国民に広く理解されることは難しかったに違いないからである。
大手銀行への公的資金投入や国営化売却など並行して行われた政策の多くは、既存財界と連携した大蔵官僚群が立案実施したものであり、政治的妥協の産物にほかならない。

既存財界勢力は根強く政界や官僚に影響力を未だ保持していて、その政治的巻き返しもここ最近目立っている。安倍政権が小泉路線を継承できるかは、ここ暫くが正念場なのである。

戦後の経済政治システム
産業経済政策を論じる前提は以上のとおりであるが、結論は1940年体制の解体、言い換えれば政経複合体の徹底的解体をせよと言うことである。

軍需産業と軍官僚そして政界が複合体を構成し、国民全体の利益を損なっていると看過したミルズの古典的名著「パワーエリート」がある。同様に日本の経済界と国家官僚群の選択が、国民全体の利益ではなく、特定産業界の利益を最大化するものである可能性は小さくない。

戦後日本の産業政策とは、どの産業を育成し、その産業を消滅させるかを、自由市場に任せることなく、すべて国家官僚群が設計したとおりに誘導することにあった。
世界各国を調査して芽生えさせるべき産業の芽があれば、国家プロジェクトとして研究投資して「育種」する。無事に新産業の芽が出れば、手厚く補助金を交付して大切に育てて、規制法によって外国の先進企業が参入することを防ぐ。軌道に乗れば、無秩序な新規参入によって過当競争など起きないよう規制法によって統制する。衰退が不可避となれば、再び手厚く補助金や税制によって保護して、企業や労働者がダメージを受けないよう調整する。農林水産業・工業・商業などあらゆる産業分野において、そのような保護育成策が実施されてきた。
結果として、日本産業は多くの分野で世界に対抗できるものに確かに育った。一方で巨額の財政赤字も生じることとなった。誤解されていることだが、今日の財政赤字の原因の大部分は、無駄な公共事業でも、ましてや社会保障費や防衛費にあったのでもない。日本経済の復興と発展維持のために投入された(現に今も投入され続けている)産業界への補助金がその最大の原因に他ならない。言い換えるなら、ごく普通の国民が働いて納めた税金に、国が借金を上乗せして、企業に補助金を交付しているのが、日本の財政構造なのである。国と企業の関係で見ると、企業の収支は黒字である。納める税金より交付される補助金と公共事業による利益のほうが大きい。一方で国民にとって、収支は大きな赤字である。納めた税金に見合った公共サービスは不幸なことに国民に提供されていないのである。実に不合理なことである。

自由経済へ
過剰な資本主義、企業優先主義は明治時代の特徴である。その反省と反動が大正時代、大正デモクラシーの原点にある。初期資本主義に特徴的な人間軽視・人権軽視を是正して、個人の権利と幸福を確保することの必要性が社会的に認識された時代である。その現実的担い手は、皮肉にも明治時代に高等教育を受けた国家若手官僚と軍官僚であった。「革新官僚」と呼ばれた彼らは大正末から昭和初期に典型的資本主義国であった日本で、社会主義的・福祉国家的な新政策を立案し実行している。都市計画・公営住宅の建設・医療保険・年金制度など戦後日本が一貫して充実させた政策のほとんどが、この時期に始められている。社会的出身階層によらず個人の能力のみによって地位を得ることが可能であった官僚と軍において、社会的弱者の問題を身をもって体験し真剣に考える人材が台頭した結果である。安倍首相の母方の祖父である岸元首相も、戦前の革新官僚の代表的人物なのである。
革新官僚が生み出し導入した政策が、国家総動員体制をもって完成したのは歴史的皮肉である。自由経済を謳歌した企業を統制する権限を持ったことで、いつのまにか官僚は「国民」ではなく企業の利益を第一に考える責任を負ってしまったのである。

まだ弱々しいものの日本経済が再生の道を歩み始めた今、あえて政治は戦後一貫した政策であった、保護育成策を放棄すべきである。

小泉政権の5年間によって、政治家が官僚依存から脱却し独自に政策を考え実施する環境が整いつつある。官僚システムを分断し、有能なスタッフを独立して組織化できるのであれば、産業経済政策も大転換が可能である。
政治は、国民すべての利益のためにあるべきである。一部の産業や財界人のために政治が行われていることに、国民の多くが気付いたのがこの5年間である。
財界の利益を政策化する国家官僚、国家官僚に依存して政策を運営してきた政治家達。国民総てが1票を持つのに、国民一人ひとりを考えなくても政権党でありつづけることが出来る政治システムのトリックが明らかになってしまったのである。

既存財界の組織を基盤として政権を維持してきたのが自由民主党である。
財界の利益を最優先させる産業経済政策を放棄し、経済からの独立・中立を確立できるかが問われている。

経済運営や産業政策から政治は手を引くべき時代である。基本的には企業の自由に任せることで良しとすべきである。「神の見えざる手」は健在であると信じなければならない。明治時代のように企業が自由に自己責任に活動することで、経済は充分に発展充実すべきなのである。そして、企業が国民の利益を犠牲にすることないよう政治は監視を怠らなければ良いのである。

時代は複雑である。企業は、もはや国家の枠を超え国際経済のなかにある。政治権力と企業との好ましい関係は未だ明確でない。アメリカのそれは企業の利益に偏りすぎていて、国民や他国の犠牲が大き過ぎる。社会主義国のそれは企業と国家の境界があいまいで、自由経済体制であることを否定しない日本には馴染まない。ここで、その理想像を安易に提示するのは不適当であろう。

はっきりしているのは、国家すなわち政治は「企業の守護者」であってはならないのである。すなわち、政治の本質は一人ひとりの国民の幸福が最大の目的であることを忘れてはならないのであり、企業との関係において「国民の守護者」でなくてはならないことである。

最後に具体的な政策提言は次のとおりである。

1 業界団体等への各種補助金制度の全廃

2 業界並びに業界団体への個別法令による規制の撤廃

3 税制・補助金による企業保護政策の放棄

4 内部留保を含む企業利益への適正課税

5 産業育成策の重点化と透明化

6 企業活動から国民を保護するための統一法の制定

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2006/10/18

日本が危ない:献策十講「年金・医療改革」

年金制度改革と医療改革は、国の根幹を論じるなかではごく軽いテーマと言わざるを得ない。しかし、この処理を誤れば間違いなく安倍政権は崩壊するという意味では、あえて改革案を呈示する価値のある重要なテーマである。
その詳細で緻密なデータ収集と分析によって、現行年金制度がごく近い将来崩壊することは霞ヶ関(中央官僚群)では随分と前から「常識」であった。同様に医療制度改革と言う国民負担の急増と医療水準の低下を両輪とする制度改悪も既定の事実であった。それが、今日に至るまで放置されたのは、利害関係の強い政治家の不当な圧力と官僚群が本来有していた「公徳心」とも言うべき、特定の利害より国民全体=国家の総合的利益を優先するという気高い志が摩滅してしまったためと言わざるを得ない。

この両制度の改革を考えるとき、現行制度で利益を受けているのは誰かを良く理解し、国民総体の利益を最大化するべく全く新たな制度を設計する必要がある。

公的年金制度の廃止

誰でが年をとり働くことができない時がくる。その時、誰がその面倒を見るのかということが公的年金制度の基本にある。資本主義社会が一般的になり、共産主義の用語で言う「無産階級」が発生したときから、そも問題は資本主義国家の構造的な弱点であった。自給自足を基本とした社会にあって、老いの問題は家族の問題であり、地域共同体の問題であった。そこに国家の役割はない。大量の労働者を企業が必要とし、都市に労働者世帯が集住するようになって、年老いた労働者の生活の保障は行政的課題になった。初期の資本主義国家は、それを個人の責任とした。結果として、多くの働けなくなった労働者は貧困のうちに健康を損ね死んでいった。それが、労働者のモラルを低下させ潜在的社会不安を醸成し共産主義が台頭するに及んで、資本主義国家が選択したのが、今に続く福祉国家化である。子を産み育て、安心して老後を暮らすことを、共産主義国家も資本主義国家も約束した。その意味で、20世紀は幸せな世紀であったと言えるだろう。

戦後の高度成長のなかで日本もまた高度福祉国家となっていった。年金の支給額は増額され、支給範囲も拡大された。年金財政は健全だった。当然である。戦後生まれの団塊世代が急増し保険料を納付する一方で、給付を受けるべき高齢者は戦災もあってごく少数に過ぎなかったのだから。
年金制度とは本来一種の保険である。自ら支払った掛金を老後に受け取るのが基本である。膨大な団塊世代が掛金を払う以上、数十年先にはそれに見合った年金を支給するのが原則だったのである。にも関わらず、その基本的な仕組みを無視して、年々入ってくる年金原資は、ろくに掛金も払っていない高齢者への手厚い年金給付に充当されたばかりか、意味のない事業や施設建設・運営に浪費されてしまったのである。その当たり前のことが行われていないことを放置したのは、明らかに政治の怠慢である。その意味で、担当官庁はおろか政治主導しても年金改革を成功させることは不可能である。行政はもちろん、政治の無責任を国民は許していないのである。
公的年金制度を廃止する。それが唯一の解決策である。既に給付を受けている高齢者に対する給付は政府の責任において継続する。すなわち、税負担によって賄う必要があるのは言うまでもない。しかし、そのための財源は、当事者でもある高齢者が実は最も多く保有する金融資産と固定資産に対する臨時特別税で賄うのである。長くとも30年ほどで公的年金廃止に伴う国の年金継続義務は完了するはずである。
現行の各種年金制度の現役の被保険者については、破産会社と同様に債権者として清算を行う。すでに納入した掛金額を最低補償として総ての資産を清算して保険契約を解消する。掛金額の総額を下回る資産しか有していない場合には、国が不足額を補償すべきである。
公的年金制度を全廃したうえで、民間年金保険を完全自由化するのである。年金制度は加入の自由を含め国民一人ひとりの選択と判断に任せれば良い。生命保険や自動車保険と同様に、多くの労働者は自らの一生を考えて個人年金保険に加入するに違いない。生命保険と同様に、税制上の控除制度などにより、加入を間接的に促進すれば良いのである。もちろん、童話の「アリとキリギリス」のごとく年金未加入のまま老後を迎える生活破綻者も一定程度は発生することは避けられない。その時、それを初期資本主義国と同様に放置するのか、生活保護制度などにより保護するのかは政策的選択の問題である。放置すれば社会不安が、手厚く保護すれば未加入者を増加させるからである。放置をしないとの政策的選択をするなら、最低限度の生活を補償する老齢給付金を全国民一律に交付すれば良い。租税を原資とする老齢給付金と任意の個人年金への再編が、現時点での現実的解決だと思われる。

公的医療保険制度の廃止

医療保険制度の改革も基本的には年金制度と同様である。基本的に世代間の転嫁を考慮しなくて良い医療制度は、より純粋に保険制度として運用可能である。一見複雑に見える現行制度の問題だが、突き詰めれば医療機関・製薬会社そして患者が、どのようにサービスを交換するかのルールの問題に過ぎない。そこに、保険制度を運営している公的機関の利害が加わって議論が解りにくくなっているだけである。
すでに多くの医療保険が民間保険会社で提供されている現状で、全国民一律の公的医療保険制度を維持する必要性はない。どの程度の医療行為にいくらの対価を支払うべきか、どの薬をいくらで購入するかは、本来は市場原理に任せれば自然と決定されるものである。それを強力な圧力団体でもある医師会や製薬会社の利益を損なわないように決定していることが、医療保険の給付を増大させ、被保険者の国民の負担を増加させているのである。したがって、公的医療保険制度は全廃して総てを民間の医療保険に任せることで、ほとんどの問題は解決されるのである。
年金と同様に医療保険に加入しない、または加入できない国民の問題は残る。これは、基本的には福祉の問題である。保険に加入しないことが有利にならないよう、また、加入できない低所得者が医療に欠けることがないように、制度設計することは、さほど困難な課題ではない。生活保護制度と税法上の控除制度を適当に調整すれば、未加入者は生じないからである。
根本的な問題は、行政が、医療機関や製薬会社の利益のために、国民に自由に決定される場合以上の費用を強制的に負担させている現行制度にあるのである。公的医療保険制度の廃止、それこそが唯一で最良の解決策である。

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2006/10/15

日本が危ない:献策十講「統治機構」

憲法改正が今までになく具体化しつつある。戦後60年、表向きはともかく与野党ともが決して手を触れようとしてこなかった憲法改正である。しかし、その内容と言えば空虚としか言いようがない。自民党の改正案はもちろん、唯一の民間案と言える読売新聞社が公表した改正案のいずれもが、現行憲法を小手先で字句修正しただけの実に情けないものなのである。明治維新後、日本は西欧なみの国家樹立を目ざしていた。その一代イベントである憲法制定は在野勢力が主導し、実に多様な民間案が呈示され議論された。結果として制定されたのは、明治政府のエリートがドイツの憲法を下敷きに作成したものだが、日本古来の政治制度を巧みに取り入れることで、見方によっては随分と工夫されたものであった。それに比して、現行憲法を占領軍の押し付けであるとして、自主憲法制定を党公約としながら、その「押し付けられた憲法」からいくらも変わることない改正案しか呈示できないとは笑止千万である。
憲法は国の基本である。その理念や規程は国のあり方そのものを定義する。今、議論しなければならないのは、21世紀の一世紀を見据えた日本国の姿である。
今日の日本が直面する重大な課題のいくつかは、憲法の定める基本原則に由来することは、もはや否定することが出来ない。その意味で、現行憲法の早期の改正は不可避である。まずは、国の基本を定める統治機構の姿を示したい。

国会の改革
民主国家にとって、主権者たる国民の意志をどう集約し国政を行うかは究極の課題である。19世紀以降の長きに渡り、その役割はほとんどの先進国で代議制議会に与えられてきた。大きくは一院制が二院制に区分に区分される議会は、為政者を選出し、時に暴走する政治権力を監視し、民意を政治に反映させてきた。
現行憲法において日本は二院制である。共に民選議員からなる二院制はある意味で特殊である。選挙方法が異なるとはいえ、それぞれが選出母体である選挙区の民意を代表する議員からなる会議を、二つ設置する意味は基本的にはない。集約された民意は一つであるべきであり、それが分かれることは、民意の集約方法に欠陥があることに外ならないからである。日本の二院制は歴史的背景による妥協の産物にすぎないのである。
その議論を踏まえたうえで、国会は二院制であることが望ましい。一つは民意を直接反映する完全比例代表制の一院。もう一つは、後に述べる地方自治体の首長からなる一院である。
現在の衆議院にあたる直接選挙による会議について、多くを語る必要はないだろう。より民意が議席配分に反映するよう票格差が不可避の選挙区を配して、政策主体に政党を選択する比例代表のみによって選出される議員で構成される。議員数は大幅に削減し100名程度が望ましい。議員の役割は政策の立案と実施であり、地域利益の確保ではない。少数精鋭で、各議員が明確な権限と責任を与えられて政治にあたるべきである。国会の一院は、ブロの政策集団で構成されるべきである。
地域利益は、もう一つの会議で代表される。その議員は、再編成が進む市町村の首長から構成される。統廃合が進行している現在、その数は2000ほどだろうか。最終的には1000人台の議員で構成される。その役割は、第一院の立案した政策の適否を決することにある。地域の行政長が議員を直接兼ねることで、責任ある選択がなされるに違いない。そのあまりに多い議員を、東京の永田町に長期間拘束することは不可能であり、また必要ではない。19世紀そして20世紀の大半の期間には利用不可能であった先端技術がそれを可能にするからである。議案は、ハイテクを利用して地元に配布され、高度技術を利用して相互に議論され、決定されれば良いのである。さらに、首長である議員は、その意志を決定するにあたって、直接住民の意志を確認することも、高度技術を利用すれば可能なはずである。
21世紀の技術段階に応じた効率的で迅速な民主的意思決定システムは構築可能であるし、構築されなければならない。

行政府改革
議院内閣制度が維持されるべきかは大いに議論が必要である。立法・行政の双方が直接公選される大統領制にも重大な欠点があるからである。日本の行政府改革において改革されるべきは、その優秀な官僚群の民主的統制の方法についてである。東大を代表に有力大学が量産する秀才が構成する日本の中央官僚組織は至って優秀である。近年見られる政と官の軋轢は、その能力を削いでしまっている点で重大な問題と言われざるを得ない。本来、日本の中央官僚組織は、議会と別の次元と方法で民意を集約して政策群を立案実行してきた。時代の雰囲気や権力抗争に左右される政治の世界と一線を画して、その情報収集力と分析力、政策形成力は長期的展望の基に日本の未来を築き上げてきたことを、まず認識しなければならない。業界団体を通じて、補助事業などを通じての地方自治体からのフィードバックによって、官僚群は所管分野の政策の展開と改善を図ってきた。米英であれば学界の学識者に負う必要のある政策立案さえ、中央官僚群が自ら行ってしまうのである。
その官僚群は、メリットシステムの保護のもと政治的干渉からも国民からも保護され、独自に意思決定する巨大な行政機構を構成している。それを民主的統制のもとに置くことは至って重要である。
まずは、中央官僚群を政策立案集団と事業実施集団に二分すべきである。事業実施集団は、これまでどおり省庁に分割し事業実施の権限と責任を負わせる。その前提で地方と国の役割分担を再検討すれば良い。
政策立案集団は、中央政策局などの名称で一種のシンクタンクの形をとりつつ、内閣に直属させるのが良い。綜合政策会議などにより内閣総理大臣の直接の責任のもとで政策間の擦り合わせを行うとともに、その決定の全過程を政治システムの監視下に置くことが適当である。言い換えれば政策立案集団は軍で言う参謀であり、実施の責任を実施の長である内閣総理大臣以下各大臣に対して負うべきである。

地方制度改革
地方制度改革が道州制導入で語られることは不幸である。まず議論すべきは、国は何を行うか、言い換えれば何に責任を負うのか、地方自治体は何を行うかなのである。日本の地方制度の致命的欠陥は、廃藩置県以来の歴史的経緯からくる国の政策領域が広過ぎる点にある。あらゆる行政分野に国が関与し、地方自治体に権限も財源も与えないのが、明治維新以降一貫した国の方針である。徹底した分権国家であった徳川幕藩体制を解体し、強力な中央集権国家の樹立を目指した明治政府の方針は未だ健在なのである。米国がそうであるように、中央政府は外交・防衛など限定的権限と責任のみ持ち、地方(米国では州)が一義的に政治責任を負う仕組みが一方である。そのバランスは微妙であり西欧各国でも、その役割分担は様々である。
地方制度改革を考えるとき、中央官僚組織が現在の行政領域を死守することは明らかである。あらゆる組織は自己保身の動機を内在しており、決して自己の存在を否定しないことは常識である。国と地方の役割分担は、従って既得権益とは無縁の人々で公正に議論され決定されなければならない。小泉政権の三位一体改革が成功しなかったのは、それを国の中央省庁に行わせたことが原因なのであり、独自の推進組織の設置に失敗した瞬間から、その失敗は明白だったのである。
地方制度は、広域化した市町村を完全自治体とすることから着手すべきである。まずは、憲法による組織と税収の保障、住民主権の確立が重要である。更に独自法令制定権の保障、司法権の付与が行われなければならない。より広域の取り組みが必要な課題は、各市町村が独自の判断で、上部組織に委任すれば良い。国については、委任のあった範囲で各市町村の事務を代行し、必要な経費を各市町村から徴収すれば良いのである。委任を受けた事務を代行するにあたって必要であれば、道州制で言うところの地方団体を設ければ良い。そこに公選制の首長や議会を設置する必要があるかは疑問である。もし、市町村が一義的な行政主体としてあまりに小規模であると考えるなら、現在の都道府県を5〜10分割した程度の完全自治体を設置し、市町村を廃止するのも良いと思う。
いずれにせよ、現在の国・都道府県・市町村の役割分担、特に国の行政分野を温存したままでの地方制度見直しは全く抜本的とは言えないし、問題の根本的解決にはならないことは重要である。

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2006/10/12

日本が危ない:献策十講「教育政策」

愛国心や日の丸・君が代ばかりが話題となる教育政策であるが、改革すべきことは多岐にわたる。大きくは義務教育と高等教育に二分されるが、それぞれに組織体制と教育内容が再構築されなければならない。
明治維新とともに、日本全土で展開された国家による初等教育が義務教育である。明治政府はその後に国立の帝国大学も設置し高等教育にも着手している。いずれ も西欧型近代国家が必要とする人材を育成することを目的としていた。西欧の教育が、キリスト教的啓蒙主義の思想により、現実にも教会の宗教学校を母体とし て発達したのとはかなり趣が異なる。具体的には、初等教育によって標準語と一般的教養の普及を図り、近代工業社会が必要とする均質な労働者を育成すること。それは同時に、近代軍隊の兵士を養成することに他ならなかった。この狭い日本において多様な方言が無数にあり、有識者である上級武士を除いては相互の意思疎通も難しい状況があったし、「国民」という概念自体が希薄であって、より狭い地域や組織への帰属意識が濃厚であった。近代的統一国家にとって、意識レベルはもちろん言語や教養といったレベルでの国民の均質化は緊急の課題であった。
一方の高等教育は、江戸時代以来の儒教的教養を基本とした知識階級の西欧化を目的としていた。明治政府にとって、西欧各国と対等の国家体制を確立することは重要な課題であった。そのためには、西欧的な多様な知識・教養と常識を身につけた人材の育成が必要であった。その役割を担ったのが東京に設置された帝国大学にほかならない。明治時代とは、その初期を江戸時代が育てた異端の人材が支え、中期以降は明治国家が整備した教育システムが計画的育成した人材が支えたと言っても良いだろう。今日に至るまで、日本の教育システムの根本思想は実は明治時代のままであることは、もっと着目されて良い。
21世紀にどのような人材を育てるか、まさにそれが教育改革のテーマである。

義務教育の民間解放と自由化
義務教育とは不思議な言葉である。自らの子供に教育を受けさせるのが親の義務なのか、あるいは国(地方自治体)が国民に教育機会を与えるのが義務なのか、その根本のところが曖昧のままコンセンサスが成立していない。明治初期のそれが、前者であったことは明白である。かなりの国民が子供を就学させなかったことで逮捕(!)されているのである。後者のと解すれば、それは国民にとっては権利である。就学の機会均等や全国均質の小中学校の整備を理由とした文部科学省の義務教育の解釈は、後者の立場をとってこそ初めて説得力を持つ。
現代社会において、教育(学習)の基本的目的は自己投資である。米国では特にその意識が一般的であるが、教育はより良い職につき経済的に豊かな生活を送るための知識の取得を目的と考えることが重要である。高等教育はともかくとして、いわゆる義務教育とは、それぞれの国民が、その置かれた地域・経済環境に応じて、経済的に自立して生活するために必要な知識と教養を身につけることこそが目的とされるべきである。現在の義務教育の不自然さは、その子供が育ち暮らしていく地域や家庭環境を無視して、いたずらに均質な知識と教養を一方的に教えるところにある。現実的に将来の職業選択が固定されている場合、それに相応しい知識を早期に取得することは望ましい。一方で一生必要ないような知識を、より上級の学校に進学するために取得することは至って無駄なことである。
義務教育ほど、地域を基本として行われるに相応しいものはない。国家が近代社会の労働者と兵士を量産する時代ではないのである。本人の置かれた家庭環境と地域の状況そして基本的能力に応じて、多様な教育カリキュラムが提供されるべきなのである。そのためには、各市町村が国の定めた基準により設置運営する小中学校は不適当である。基本的に義務教育学校は民間が提供するべきであり、その費用は受益者としての本人(あるいは扶養者)が負担するべきである。もちろん、経済的弱者に対する救済は必要である。その能力に応じて公的負担により教育機会は提供されなければならない。
戦後の教育改革の原点に立ち返り、教育委員会制度を抜本的に再構築するべきである。広域化しつつある市町村を単位として、より住民の総意を代表する教育委員会を構成し、その地域における教育内容・学校の施設や教員数の基準を条例化する権限を与えるべきである。国・都道府県の役割は所謂ナショナルミニマムとしての最低基準の規制に限定されるべきであり(例えば一般教科において使用言語は日本語とするなど)、教育委員会の裁量権は最大化され最終化されるべきである。
現行の公立小中学校は、市町村が主たる出資者である株式会社に再編されるのが良い。対等の条件で、複数の民間事業者が運営するそれぞれ魅力的な私立学校と競争することが、国民に良質で多様で安価な教育機会を提供することは間違いない。
その初期においては扶養者である親が、その後期においては本人が、どのような初等教育を受けるかを自由に選択できるようにすることで、現代初等教育が抱える深刻な問題の多くは自ずと解決するはずである。

高等教育の改革
義務教育に比して、高等教育についての基本目的はより複雑である。それを受けるものにとって、高等教育の目的は、より豊かで幸福な生活を送るための知識・技能を習得する点で変わりはない。しかし、国(地方自治体)にあっては、国家にとって必要な次世代の人材を育成する手段として、高等教育は重要な意味を持つからである。
すでに多く指摘されているように、日本高等教育の基本的問題は、教育を受けるものが明確な目的意識を持たないまま、教育を受けていることにあると言って良い。高等学校への進学、大学への進学そのものが目的化してしまい。結果として、大学終了時になって、目標を喪失し無為な日々を送る若者が急増している。まさに無駄な教育投資である。そのためには、義務教育過程の後期において特に重点的に、社会の構造や初等哲学的な人生論を学習する機会を提供するほかないように思われる。そのうえで、高等教育段階における教育は、最終的に将来の経済的豊かさへの自分自身が行う先行投資であると明確化することが必要である。公的な教育ローン制度を創設し、高等教育を受ける希望がある全国民に対して、能力と必要に応じた金額を貸与するべきである。反面、私立学校などへの影響力の源泉となっている一般的な補助金は廃止し、貸与資金の原資とするとともに、私立学校が常にニーズに即したカリキュラムを提供する動機付けを強化しなければならない。
国や地方自治体、大企業が自ら必要とする人材を育成する手法は、より明確である。現在の防衛大学校のごとく、明確な目的を持った高等教育機関をそれぞれに設置することが適当である。教育終了時に、一定の条件の基にその費用負担を免除するなどして、それぞれに必要とする知識や技能を明確な目的意識のもとに教育することが良い。学生も将来の人生設計を踏まえて、目的意識をもって学校を選択することで、卒業時に困惑することなどなくなるはずである。
独立法人化した国立大学であるが、そのような意味で地域や特定の企業・組織との連携を強化できるかが最大の課題である。大学の選択時に、その後の職業生活を中心とする人生設計が明確化できるかがポイントである。

単純に偏差値別に階層化した大学が、概ね均質な人材を生み出すだけの、日本の高等教育システムは「解体的出直し」が急務であると認識しなければならない。

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2006/10/09

日本が危ない:献策十講「防衛・外交政策」

戦後日本に外交はなく、独自の軍事防衛政策もなかった。そこにあったのは対米追従の基本方針だけである。戦後唯一、独自の政策判断をし実行したのは田中角栄だけである。対米追従を否定し、対中関係の改善を軸に極東・東南アジアの経済圏を構想した田中は、その志を果たすことなく(否むしろそれ故に)ロッキード疑獄により失脚したのである。ロッキード事件が米国の政治的謀略工作ではなかったのかと語られる理由はそこにある。以後、日本は再び対米追従に終始し、小泉内閣に至って、米国と総ての利害関係を一致させたがごとくである。 
自衛隊は軍隊ではないとの政府見解の詭弁が影をひそめ、正式に国防軍に「昇格」するのも時間の問題とも思える状況である。ある意味では戦後の虚構を抜け出す段階に到達したとも言えるものの、戦後60年の平和ボケした日本国民が考える以上にそれは重大な政策の転換である。
軍備を否定し平和国家を指向すると国際社会に宣言した憲法があってこそ、世界3位の強力な軍事力である自衛隊は、辛うじて周辺諸国の許容の範囲内にあった。平和憲法が放棄し、自衛の為とは言え軍備と戦争を是認する国家となったとき、対米追従以外に何ら独自の外交政策を行ってこなかった日本が、国際社会特に被占領国が多い東南アジア諸国から疑惑の眼差しで見られることはあまりに明白である。
何ゆえ固執しているのかはともかくとして、最近の日本政府の悲願になりつつある国連の常任理事国入りが一向に遅々として進まないのも、国際社会における独自の外交スタンスの確立を怠った「外交無策」ゆえに他ならない。

自衛隊を国連に信託せよ
日本が対米追従ではない独自の外交スタンスを確立することは、大前提として重要であるが、まずは自衛隊をあらゆる意味で侵略的指向を持たない言葉どおりの自衛力=防衛戦力に位置付けることは重要である。憲法への明記が残念ながら何の保障にもならないことは古今の歴史が証明する事実である。政権を担うものにとって、能動的かつ積極的に保有する戦力を運用することは、極めて魅力的であり対外政策を、より効果的に展開するうえで、実に魅力的な選択肢だからである。
日本政府及び日本国民にとって、あらゆる対外政策を行うにあたって「武力」「戦力」はいかなる意味においても考慮することができない「禁じられた選択肢」であった。まさにそれは「パンドラの箱」であり、明治国家が結果的に滅亡したのも「戦力による外交」の結果にほかならない。
もし、憲法を改正して自衛隊を軍隊に位置づけるなら、同時に自衛隊の指揮命令権並びに運用を国連に信託することは、最も有効な選択肢の一つである。国連憲章にあって未だに実現していない国連常備軍を、日本の自衛隊を母体として創設するのである。
自衛隊の運用を基本的には国連に信託しつつ、日本の領土が侵略された場合に限定して独自の指揮命令権を留保することで、日本の侵略国家化を危惧する周辺諸国の誤解を一掃できることは間違いない。
行税改革と財政赤字の解消が国家的急務とされている今日の日本にあって、巨額の予算を投じて強大な軍事力を維持整備することは非現実的なのである。旧ソ連が冷戦構造を外交的に解決できなかったがために、その巨額の軍事費ゆえに崩壊したことは記憶に新しい。国民生活を犠牲にしてまで軍事大国である必要は日本にはない。
国連常備軍の創設に積極的役割を果たすことで、国家間の軍事的緊張の緩和を現実的に可能とする手段を国連に与える。同時に自国の防衛を万全とすることも可能とする、自衛隊の国連への信託は画期的な選択である。国連常備軍の母体を提供した国を安全保障理事会の理事国に迎え入れることに反対があるはずもない。独自に運用する軍事力を放棄することで、窮極の安全を手に入れることこそ、戦後60年の平和を謳歌した日本の政策として相応しいのである。

不戦条約の締結による全方位外交への転換
最近の米国の外交政策は、世界の平和と発展を指向するより、自国の利益を優先することが目に余る。強大な国がその軍事力を背景に横暴となるとき、世界平和は重大な危機を迎えるに違いない。
あらゆる国にとって、自国の平和と発展はまず第一優先すべき国益である。現在の国際環境にあって対米追従は、日本の国益にとって唯一でもなければ最良でもない。
与野党勢力が拮抗していた一時期、全方位外交が指向された時期があった。実現することはなかったが、日本が平和でありつづけ独自の国益を確保するためには、外交政策の基本を対米追従から全方位外交へと転換すべきである。
具体的には、日米安全保障条約によってのみ形式的に確保されている日本の軍事的安全を、多国間あるいは複数の安全保障条約によるものに転換するべきである。日本周辺の多国間で協議する枠組みがない現状にあっては、周辺各国と個別に条約締結をすることが現実的である。
今や歴史の教科書でしか聞かなくなった条約の一つに「不戦条約」がある。第一次大戦後に多く締結された不戦条約は、国家間の紛争解決に戦争と言う手段を利用しないことを約する条約である。世界のあらゆる地域に多数締結されたにも関わらず、不戦条約は第二次世界大戦は防止できなかった。その理由は複雑だが、自衛戦争が一般に許容されたことや、内戦の形態をとる戦争に無力であったことなどが原因とされている。
今あえて、日本は21世紀的不戦条約を周辺各国と締結するべきである。対等な主権国家として相互に軍事力の行使を放棄する。相手国内の武力紛争に中立を保つ。紛争発生時には国連の仲裁に従う。その保障として査証や関税を免除する。など相手国ごとの状況を考慮した相互にメリットのある条約を周辺各国と個別に締結することが、日本の安全を多角的に守る手段となるに違いない。
今、日本が一番恐れるべきは、日本の国益を犠牲にして、米国の国益のための「捨て駒」にされることである。現在の対米追従外交は日本を不幸にする可能性が高い。それならむしろハワイ州に次ぐ第51番目の州になったほうが日本にとって有益である。そうすれば「日本の国益」は、各州の利益の集合体である「米国の国益」に外ならなくなるし、外貨を稼ぐ能力の高い有力な州を「捨て駒」になど出来ないのだから。

第二次世界大戦の敗戦は、日本と日本国民の心を徹底的に破壊したに違いない。戦前「アジアの盟主」を自認すらした日本国民は、国際社会そして国家としての日本を考えることをも放棄してしまった。皮肉なことにその国際社会への政治的無関心は、戦前以上の経済的成功を日本にもたらした。
ここで、国家としての日本を国民に考えさせるのであれば、戦前の失敗した国家モデルと異なる全く新しく魅力的な国家像の提示が必要である。それは先見性があり幅広い視野を持つ優れた政治家のみが可能なことである。安倍晋三氏にその力量があるかは未だ不明である。

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2006/10/06

日本が危ない:献策十講「税制改革」

 税制改革に関する安倍政権のビジョンはあまりに貧弱である。総裁選を通して明らかになったことは要するに「とりあえず歳出を削減しましょうよ。税金を上げるのはそれから(参議院選後?)と言うことで」と言うことだけである。
 かねて論じてきたように日本人は真面目である。よって、何でこんな巨額の赤字が生まれたのかという原因を追求もしないまま、このままでは国が滅びるとでも言わんばかりに、真剣に我がことのように心配している。
 善良と言えば聞こえは良いが、言ってみれば「アホ」である。自らが選挙で選択したとは言え、ここまで無為無策のまま赤字拡大を許してきた政治家と政権党に、まずは選挙によって責任を取らせ下野させるのが本来なのである。欧米先進国ではそのような方法で、中南米諸国などでは場合によっては暴動や軍事クーデターで政権を交代することで、政策を転換し事態を収拾するのが定石なのである。
 今や税制改革とは、消費税引上げのみに意見が集約されそうな情勢であるが、実は政策的選択肢は多い。その選択肢が提示されないことこそが、財務省官僚の悪意ある意図である。まずは、税制改革から論じたい。

源泉徴収所得税廃止と富裕税の創設
日本の税制において世界的にみて極めて特殊なのが、所得税の源泉徴収制度である。その歴史は、明治時代に旅芸人などからの税金徴収に苦慮した政府が、その謝金を支払う興行主などに予め税金分を差し引くことを義務づけたことに由来する。それが、第二次世界大戦中の行政改革の一環として給与所得者すなわち会社員に拡大されたものが、今日まで継続しているのである。
ご承知のように西欧を中心とする多くの国では、税金は自ら申告し納税するものである。申告する側の負担も大きいが、徴収する側にとっては未申告や過少申告の審査など、源泉徴収に比して極めて大きな事務負担を伴うのである。結果として、一般に所得税の課税最低限を高くすることで納税義務者数を抑えることが必要となっている。
戦後の第一次産業の衰退によるサラリーマンの増加により、所得税は国の主要税目となったが、それは源泉徴収制度なくしてはあり得ないことだったに違いない。
日本の所得税は、サラリーマンの所得捕捉率が100%に近く、国が必要とする徴収コストが極めて低いことから、課税最低限も低く容易な増減税手段として乱用されてきたのである。
ここで重要なことは、源泉徴収制度が本来税金の形で公平に負担されるべき運用コストを、納税義務者である民間企業に過大に負担させていることである。西欧にある企業であれば負担する必要がない、従業員の所得税の徴収と納付に要する負担が各企業に負担されているわけである。源泉徴収制度が廃止されれば、従業員を有するあらゆる企業は、本来は必要ないその膨大なコストを節約できるのである。
最近までその累進性が顕著だった日本の所得税だが、現在はフラット化が進み社会政策的に言う所得再分配機能は著しく低下している。健全な競争社会を実現するためには所得税の累進制は有害であり、社会的公平に必要な限度で一部の高額所得者に限定して富裕税を課すほうが適当である。
また、かねて大きな議論であった所得捕捉率の違いによる税負担の不公平さは、未だ解消されていない。給与所得の捕捉率に較べ農業所得や自営所得の捕捉率が極めて低いため、その納税額に著しい格差が生じている。農家の次男坊などが、所得税が非課税であり保育料を免除されているにも関わらず、子供を高級外車で送迎しているなどは今や笑い話にもならず、どこにも見られる風景になっているのは、憂慮に耐えない。
税制に最も大切なのは、税金を低く抑えることではない。必要な税金を国民皆が公平に負担することである。課税ベースが広い源泉徴収制度による所得税が中心となっている限り、公平な税制は実現不可能なのである。
サラリーマンと善良な企業を苦しめる源泉徴収制度による所得税は全廃すべきである。一方で何億もの所得を受け取るごく一部の富裕層には、それを社会に還元する必要がある。欧米の制度が広く認めるように寄附金非課税制度を大胆に拡大する一方で、高額所得者のみに課税する富裕税を創設するべきであろう。

所得課税の低減と資産課税強化
日本の税制のもう一つの特徴は、「フロー」の所得・消費への課税が過大である一方で、「ストック」への課税が軽微であることにある。すなわち、個人であれ法人であれ活動的であり高収益であるほど、多くの税負担を求められるのである。確かに短期的に収益をあげているものほど担税能力が高いことは間違いないが、それは本質的な部分で活力を低下させることを理解しておく必要がある。累進制の所得税がそうであるが、ある個人が他人以上の努力や苦労をして所得を増やしても、税制により平準化されてしまうなら、誰もが働く動機を失ってしまうのである。
今後の高齢化社会・国際競争社会を乗り切っていくためには、国民と企業の活力は高めることこそ重要であり、活力を削ぐような税制は不適当である。個人・法人の所得税や事業税は、極力課税ベースを狭くし税率も低減するべきである。
一方で、金融資産・土地や建物など固定資産に対する課税は強化するべきである。金も土地も活用され利益を生んでこそ、その価値を高めることができる。この狭い日本にあって、しかも土地価格の極めて高い例えば山手線内にあって、古めかしい2階建ての住宅が建ち、銀行預金の利子で老人2人がわずかばかりの固定資産税を負担して、無為に日々を過ごしているのは、やはり不自然なのである。(決して老人を路傍に放置しろといっているのではない!)しかも、その土地や建物、金融資産までもが、一旦相続の対象となったとたんに税金として徴収されてしまうのである。
フローの所得とストックの資産への課税のバランスは調整されなければならない。資産が活用され所得を生むような税制を設計しなければならない。金融資産は積極的に投資され収益を生む必要があり、その収益は社会に還元されるべきなどである。同様に限られた土地は有効に活用され収益を生むことで、その所有者に所得を生み、安定した豊かな生活を保証されるよう制度設計されるべきである。
ストックの増加が社会を停滞させ活力を削いではいけないのである。

税徴収の一元化と公選制課税委員会の設置
最後に徴税組織の改革を提案したい。現在、税金はその税目ごとに国・都道府県・市町村が独自に徴収している。まったくの無駄である。同一の国民や法人に対して、それぞれが所有や所得を把握し税額を計算し徴収しているのである。例えば土地であれば、売買による取得時に都道府県により不動産取得税が課され、その後は毎年市町村が固定資産税を課す。売買時には国税である印紙税や登録免許税(登記税)が必要となる。すべては一連の行為である。どこかが一括して徴収して分配すれば良いのである。行財政改革を論じるなら、まずはこれらの重複による無駄を排除するべきである。
徴税事務は市町村に一元化すべきであろう。併せて土地や企業の登記事務も国から市町村に移管するべきである。住民基本台帳を有する市町村において、個々の個人や法人の実態を把握し徴税することは比較的容易である。かねて危惧されたような市町村と地元有力者との癒着も、市町村の統合が進み規模が大きくなった今日ではさほど心配する必要もないだろう。もちろん、各市町村に、欧米の自治体などには多く見られる公選制による課税委員会などを設けて、住民による監視を強化するのも良いであろう。
いずれにしろ、一元的に徴収された税金は、国・都道府県・市町村においてその役割に応じて分配されれば良いのである。現在のように、税目ごとに徴収主体が異なるうえ、国の徴税額が不当に大きく恣意的に都道府県等に配分する仕組みは不適当であり、早期に改革されなければならない。

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2006/10/05

日本が危ない:献策十講 安倍政権の誕生にあたって

 良い意味でも悪い意味でも戦後日本政治において「特殊」であった小泉政権が終わり安倍政権が誕生した。
 自民党内とその支持基盤の多くの支持を得て誕生した安倍政権は、その経緯を見ても戦後保守政権の王道、すなわち小泉以前への回帰を指向することが運命づけられた政権である。安倍政権が国民の支持を受けることができるかは、将来にむけた優れたビジョンとそれを支える政策群を提示できるかにある。特殊な小泉政権の政治運営や経済運営に馴染んだ国民にとって、保守の王道を歩むであろう安倍政権の政局運営手法は、国民不在大企業重視の小泉以前の「制度疲弊した末期症状を呈した保守政権の閉塞」を思い出させるに違いない。安倍政権にとって、国民が失望する前に小泉政権を凌ぐ「国民が希望を持つ明るい将来像」を明確に示すことは急務である。
 長く自由民主党の支持基盤を支えた経済団体や大企業、要するに財界との関係の希薄さが5年を超える小泉政権にとっての強みであった。バブル崩壊後の経済の構造的閉塞状況にあって、既存の経済体制を抜本的に変革することは、その当事者である大企業や中小企業を支持母体とする政治家には決して出来ないからである。小泉政権の特殊さとは、財界にヒエラルキー的な支持を持たず、政策特にその経済政策を霞ヶ関の官僚群に依存せず、意思決定を党内の利害調整システムに依ることなく自由に行える仕組みを巧みに構築したことにあったと総括できるだろう。今振り返ると場当たり的に見えた小泉首相の言動が、その目的のために充分意識的に計画的に積み上げられていたことが解る。党内に意図的に「敵」を創造することで、野党の自民党への攻撃を分散させむしろ政権基盤を安定させた手法も見事なら、とかく象牙の塔で空虚な理論を弄ぶ傾向が強い学者(特にその傾向が強い経済学者)から竹中平蔵と言う実務的能力を有する人材を見出して、最大の課題である経済復興を一貫して任せて後悔しない剛胆さも素晴らしい。強いて言うなら、日本遺族会と言う自由民主党の古くからの支持母体を取り込むための靖国参拝の公約が、最後まで大きな制約となって、外交政策の閉塞を生み常任理事国入りなどの課題を積み残したことが残念である。
 党内基盤が強く、広範な経済界の支持を得た安倍政権にとって、一般国民以上にそれぞれ支持母体を持つ党内派閥の利害を調整し、小泉流政策体系を軌道修正することは不可避の作業である。それは、規制緩和を基調として既得権益を持つ古くからの産業界の利益を経済復活の犠牲とした経済政策の放棄に他ならない。規制緩和は基本的には一般国民の利益と一致し、新たな企業を創業する若者達の活力の源泉となった。その放棄は、直ちに国民の失望を蜂起させかねない危険な選択である。それを選択せざるを得ないのが安倍政権の構造的ジレンマなのである。
 一見したところ、新しい世代に属していて政策通であるような印象が強い安倍氏であるが、その提示する主要な政策の多くが「先祖帰り」とも言うべき古くささ・保守性が目立つことが心配である。その原因は、安倍氏自身が学界特に新進気鋭の学者と広い交流を持っていないことや、その政策が各派閥の支持母体の各種団体のそれを焼き直していることにある。そして、優れたブレーンを持たないことで、小泉政権下で冷遇されていた霞ヶ関の官僚群が「起死回生」を図って提供しつつある「新たな政策」を、充分取捨選択できないままに安易に取り入れていることも、その保守性を際立たせているようである。
 バブル崩壊への対応が急務であった小泉政権において、経済政策を主体とした「骨太の方針」を国民の多くは支持した。21世紀、曲がりなりにも深刻な経済状況からの脱却に成功した今、少なくとも100年を見据えた明確で整合性と現実性のある体系的な総合的国家ビジョンが必要である。どんな幸せな人生を歩むことができるのか、それを日本という一つの国家がどのように保証してくれるのかを国民は知りたいのである。どう学び、どう働き、どう暮らし、なにを楽しみ、なにに満足するのか、その具体的政策とロードマップ(工程表)を明示してほしいのである。それに応えることが政治の本来の指名である。
 アメリカの大統領選挙そして就任演説で語られるのは、まさにそれである。そのビジョンが支持されることで新たな大統領が誕生し、そのビジョンが失われたとき政権は国民に見放される。そんな健全な民主主義が政治の世界に根付いていることを羨ましく思わない日本国民はいないだろう。
 安倍政権にとって必要なものは、安定した支持母体や党内基盤ではない。国民が期待する政策群を生み出す優れたブレインこそが必要なのである。利害関係のある業界団体を多数有する霞ヶ関の各省庁の政策立案能力は極めて高いが、それに互角に対峙し凌駕する政策集団を構築できるかが重要である。既得権に絡みとられた霞ヶ関官僚が立案する「業界寄り」の政策を否定し、真に国民の利益を具体化する政策を立案できるかが問われているのである。
 古くは中曽根政権がそれに成功している。その手段は広く学界から人材を集め審議会や私的諮問委員会などを活用することであった。子飼のブレインがいなくても政策集団を創造することは可能であることの良い例である。霞ヶ関の各官庁から10名ばかりの優等生官僚を推薦で集めたところで、何の革新もできないことはあまりに明らかである。

 そのために一人の人間ができることはあまりに少ない。しかし、何もしないで不満のみを語ること国民の一人として卑怯であるように思われる。

 古来、中国では新しい政権が誕生すると、学者達が新たな政策を献上し自らの仕官を争ったと言う。現在のアメリカにおいても、時の政権に自らの学説が採用されその責任者に任じられることは学者にとって最大の名誉である。しかし、日本において学者は実践を尊ばない。自らが政権に席を置き学説を実践した例な極めて希有である。政策を論じ実践することは、日本においては官僚の独断場なのである。

 そのような状況だが、このブロクでは「献策十講」と題して主要分野ごとに安倍政権において実現にむけ努力すべき政策を、これから10回にわたりあえて提案してみたい。既存の政策と方向性も違い、充分な研究もしていない「骨太なアイディア」に過ぎないものもある。しかし、それが与野党の論戦のなかで何らかの役割を少しでも果たすことがあるかもしれないと考え、まずは提示することから始めたい。

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2006/10/03

105円の本達:景山民夫「トラブル・バスター」

トラブル・バスター

景山民夫著
マガジンハウス刊

お気に入りの日本の作家の一人、景山民夫の出世作が「トラブル・バスター」。
後にシリーズ化され映画化(料理の鉄人の鹿賀丈史主演の超駄作)もされました。
TV局の社員、後始末が専門の宇賀神邦彦が主人公。アメリカのTVドラマ定番の私立探偵物の雰囲気を巧みに日本に置き換えたアイディアが見事です。
この作品、雑誌連載の短編から生まれたものです。
景山氏が小説家としても立派に食って行くことができると確信したのが、この作品だと言われています。
ドロドロした愛憎劇やややこしいトリック、荒唐無稽なスパイ小説、派手でうるさいだけのアクションドラマに飽きたとき、最後に行き着くのがこんな手軽な日本版探偵物だと思うのです。
何と言っても単行本の厚みと重みが心地よいので、見つけたらぜひご購入を。105円なら後悔は絶対しない一冊です。

トラブル・バスター

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2006/10/01

105円の本達:寺崎央「ワーズワースの冒険」

 ワーズワースの冒険
シャ・リオン「ワーズワースの冒険」のテーマ

久しぶりの本の紹介です。
以前ご紹介した「ワーズワースの庭で」はオタク系道楽人の元祖とも言うべき松山猛でしたが、姉妹編とも言うべきこちらは寺崎央です。

「ワーズワースの庭で」はTV番組とも内容が違った脱線がちなコラムでしたが、こちらはキチンとTV番組の内容と一致しています。
軽妙な文体が特徴の寺崎氏ですが、今読むとずいぶんと時代を感じてしまいます。
ここ10年の不景気とメール文化の浸透からか、プロならではの計算されつくされた文章は今や「レッドブック」ものと言わざるを得ません。いずれにせよ、バブルの名残が色濃く残っていた90年代半ばならではの内容そして文章と言えるでしょう。
ご存知内容は、蘊蓄(うんちく)と道楽そして良い道具のご紹介。
現在も文庫本で入手可能ですが、イラストも大きい単行本がお薦めの一冊。
もし目にすることがあったら、迷わず購入してください。
何しろ流行廃りと最も遠いところにあるべきなのが、ワーズワースシリーズが取り上げた世界。いまだその内容は古びるはずはありません。
でも、いくつかは「何それ、昭和?」と言われてしまうものもあります。すなわち、番組の企画者が流行物であることを見抜けなかったと言うことです。プロでも目利きは難しいと考えれば、それはそれで楽しいのです。

Book ワーズワースの冒険

著者:寺崎 央
販売元:フジテレビ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


シャ・リオン「ワーズワースの冒険」のテーマ シャ・リオン「ワーズワースの冒険」のテーマ

販売元:サニーサイドミュージック
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