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2006/10/15

日本が危ない:献策十講「統治機構」

憲法改正が今までになく具体化しつつある。戦後60年、表向きはともかく与野党ともが決して手を触れようとしてこなかった憲法改正である。しかし、その内容と言えば空虚としか言いようがない。自民党の改正案はもちろん、唯一の民間案と言える読売新聞社が公表した改正案のいずれもが、現行憲法を小手先で字句修正しただけの実に情けないものなのである。明治維新後、日本は西欧なみの国家樹立を目ざしていた。その一代イベントである憲法制定は在野勢力が主導し、実に多様な民間案が呈示され議論された。結果として制定されたのは、明治政府のエリートがドイツの憲法を下敷きに作成したものだが、日本古来の政治制度を巧みに取り入れることで、見方によっては随分と工夫されたものであった。それに比して、現行憲法を占領軍の押し付けであるとして、自主憲法制定を党公約としながら、その「押し付けられた憲法」からいくらも変わることない改正案しか呈示できないとは笑止千万である。
憲法は国の基本である。その理念や規程は国のあり方そのものを定義する。今、議論しなければならないのは、21世紀の一世紀を見据えた日本国の姿である。
今日の日本が直面する重大な課題のいくつかは、憲法の定める基本原則に由来することは、もはや否定することが出来ない。その意味で、現行憲法の早期の改正は不可避である。まずは、国の基本を定める統治機構の姿を示したい。

国会の改革
民主国家にとって、主権者たる国民の意志をどう集約し国政を行うかは究極の課題である。19世紀以降の長きに渡り、その役割はほとんどの先進国で代議制議会に与えられてきた。大きくは一院制が二院制に区分に区分される議会は、為政者を選出し、時に暴走する政治権力を監視し、民意を政治に反映させてきた。
現行憲法において日本は二院制である。共に民選議員からなる二院制はある意味で特殊である。選挙方法が異なるとはいえ、それぞれが選出母体である選挙区の民意を代表する議員からなる会議を、二つ設置する意味は基本的にはない。集約された民意は一つであるべきであり、それが分かれることは、民意の集約方法に欠陥があることに外ならないからである。日本の二院制は歴史的背景による妥協の産物にすぎないのである。
その議論を踏まえたうえで、国会は二院制であることが望ましい。一つは民意を直接反映する完全比例代表制の一院。もう一つは、後に述べる地方自治体の首長からなる一院である。
現在の衆議院にあたる直接選挙による会議について、多くを語る必要はないだろう。より民意が議席配分に反映するよう票格差が不可避の選挙区を配して、政策主体に政党を選択する比例代表のみによって選出される議員で構成される。議員数は大幅に削減し100名程度が望ましい。議員の役割は政策の立案と実施であり、地域利益の確保ではない。少数精鋭で、各議員が明確な権限と責任を与えられて政治にあたるべきである。国会の一院は、ブロの政策集団で構成されるべきである。
地域利益は、もう一つの会議で代表される。その議員は、再編成が進む市町村の首長から構成される。統廃合が進行している現在、その数は2000ほどだろうか。最終的には1000人台の議員で構成される。その役割は、第一院の立案した政策の適否を決することにある。地域の行政長が議員を直接兼ねることで、責任ある選択がなされるに違いない。そのあまりに多い議員を、東京の永田町に長期間拘束することは不可能であり、また必要ではない。19世紀そして20世紀の大半の期間には利用不可能であった先端技術がそれを可能にするからである。議案は、ハイテクを利用して地元に配布され、高度技術を利用して相互に議論され、決定されれば良いのである。さらに、首長である議員は、その意志を決定するにあたって、直接住民の意志を確認することも、高度技術を利用すれば可能なはずである。
21世紀の技術段階に応じた効率的で迅速な民主的意思決定システムは構築可能であるし、構築されなければならない。

行政府改革
議院内閣制度が維持されるべきかは大いに議論が必要である。立法・行政の双方が直接公選される大統領制にも重大な欠点があるからである。日本の行政府改革において改革されるべきは、その優秀な官僚群の民主的統制の方法についてである。東大を代表に有力大学が量産する秀才が構成する日本の中央官僚組織は至って優秀である。近年見られる政と官の軋轢は、その能力を削いでしまっている点で重大な問題と言われざるを得ない。本来、日本の中央官僚組織は、議会と別の次元と方法で民意を集約して政策群を立案実行してきた。時代の雰囲気や権力抗争に左右される政治の世界と一線を画して、その情報収集力と分析力、政策形成力は長期的展望の基に日本の未来を築き上げてきたことを、まず認識しなければならない。業界団体を通じて、補助事業などを通じての地方自治体からのフィードバックによって、官僚群は所管分野の政策の展開と改善を図ってきた。米英であれば学界の学識者に負う必要のある政策立案さえ、中央官僚群が自ら行ってしまうのである。
その官僚群は、メリットシステムの保護のもと政治的干渉からも国民からも保護され、独自に意思決定する巨大な行政機構を構成している。それを民主的統制のもとに置くことは至って重要である。
まずは、中央官僚群を政策立案集団と事業実施集団に二分すべきである。事業実施集団は、これまでどおり省庁に分割し事業実施の権限と責任を負わせる。その前提で地方と国の役割分担を再検討すれば良い。
政策立案集団は、中央政策局などの名称で一種のシンクタンクの形をとりつつ、内閣に直属させるのが良い。綜合政策会議などにより内閣総理大臣の直接の責任のもとで政策間の擦り合わせを行うとともに、その決定の全過程を政治システムの監視下に置くことが適当である。言い換えれば政策立案集団は軍で言う参謀であり、実施の責任を実施の長である内閣総理大臣以下各大臣に対して負うべきである。

地方制度改革
地方制度改革が道州制導入で語られることは不幸である。まず議論すべきは、国は何を行うか、言い換えれば何に責任を負うのか、地方自治体は何を行うかなのである。日本の地方制度の致命的欠陥は、廃藩置県以来の歴史的経緯からくる国の政策領域が広過ぎる点にある。あらゆる行政分野に国が関与し、地方自治体に権限も財源も与えないのが、明治維新以降一貫した国の方針である。徹底した分権国家であった徳川幕藩体制を解体し、強力な中央集権国家の樹立を目指した明治政府の方針は未だ健在なのである。米国がそうであるように、中央政府は外交・防衛など限定的権限と責任のみ持ち、地方(米国では州)が一義的に政治責任を負う仕組みが一方である。そのバランスは微妙であり西欧各国でも、その役割分担は様々である。
地方制度改革を考えるとき、中央官僚組織が現在の行政領域を死守することは明らかである。あらゆる組織は自己保身の動機を内在しており、決して自己の存在を否定しないことは常識である。国と地方の役割分担は、従って既得権益とは無縁の人々で公正に議論され決定されなければならない。小泉政権の三位一体改革が成功しなかったのは、それを国の中央省庁に行わせたことが原因なのであり、独自の推進組織の設置に失敗した瞬間から、その失敗は明白だったのである。
地方制度は、広域化した市町村を完全自治体とすることから着手すべきである。まずは、憲法による組織と税収の保障、住民主権の確立が重要である。更に独自法令制定権の保障、司法権の付与が行われなければならない。より広域の取り組みが必要な課題は、各市町村が独自の判断で、上部組織に委任すれば良い。国については、委任のあった範囲で各市町村の事務を代行し、必要な経費を各市町村から徴収すれば良いのである。委任を受けた事務を代行するにあたって必要であれば、道州制で言うところの地方団体を設ければ良い。そこに公選制の首長や議会を設置する必要があるかは疑問である。もし、市町村が一義的な行政主体としてあまりに小規模であると考えるなら、現在の都道府県を5〜10分割した程度の完全自治体を設置し、市町村を廃止するのも良いと思う。
いずれにせよ、現在の国・都道府県・市町村の役割分担、特に国の行政分野を温存したままでの地方制度見直しは全く抜本的とは言えないし、問題の根本的解決にはならないことは重要である。

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