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2006/11/27

105円の本達:中島らも「ガダラの豚」

ガダラの豚〈1〉

中島らも唯一の長編小説です。
現在は文庫本3冊になって発売されています。
さて、評価は残念ながら星一つです。
アフリカの呪術と超能力をテーマに、日本とアフリカを舞台に物語は進んでいくのですが、小説ならではの「広がり」とか「荒唐無稽さ」とか「緻密さ」に欠けているのが不満として残ります。
らも氏得意のユーモアが散りばめられた文章そのものは結構魅力的なのですが、数少ない登場人物が全体として有機的に連携していないようなチグハグさがあるのです。
その原因は、どうやら中島らも氏が劇のシナリオを得意とすることにあるようです。一つひとつの物語が、こじんまりした舞台の一場面のようなのです。場面が積み重なって物語となるのが舞台劇の特徴なのです。
結果として、ダイナミックな空想の世界が描ききれなかったと言うことなのでしょう。

ガダラの豚〈1〉 ガダラの豚〈1〉

著者:中島 らも
販売元:集英社
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2006/11/24

105円の本達:宮部みゆき「心とろかすような マサの事件簿」

心とろかすような―マサの事件簿

再び宮部みゆきなのです。
初めて読んだ一冊がなかなか良かったと言うことで、気にして探していたらこの一冊があったのです。
初期の短編小説で、とある小さな探偵社が舞台、狂言まわし役に元警察犬だったジャーマンシェパード。「犬目線」で綴られる探偵ものなのです。
こう書くと「なかなか面白そうじゃない!」と言う感じなのですが、結果は残念。

父親と姉妹、そしてシェパード。扱う事件はどちらかと言えば小さな日常的な事件なわけですが、素材も舞台も悪くないものの、細やかな描写は筆力不足を感じるしストーリー展開もギクシャクとしています。犬目線と言う目の付けどころは良いものの、小説家としての未熟さが目立つ結果となってしまっています。アマゾンサイトのレビューは好意的なものが多いのは意外だったのですが、いわゆる宮部ファンの多さゆえかなと。

どちらかと言うと評価が定まった作家の小説しか読まないため、今まで気がつかなかったのですが、小説家は「うまくなっていく」のだと本作を読んで改めて感じます。
処女作から文句のつけようのない作家は、やはりごく一部の天才だけなのだなと改めて気がつきます。
宮部みゆきの最近の作品は、間違いなく現在活躍中の作家のなかでは一級品なのです。その初期の小説が、水準以上とは言えこの程度とは、ある意味驚きだったのです。

心とろかすような―マサの事件簿 心とろかすような―マサの事件簿

著者:宮部 みゆき
販売元:東京創元社
Amazon.co.jpで詳細を確認する



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2006/11/21

105円の本達:林望「テーブルの雲」

テーブルの雲—A book for a rainy day

林望氏が人気絶頂だっと90年代のエッセイ集です。
まさに旬の作家の勢いがあって、初期の作品のような妙に小難しい言い回しなどもなくなって、気楽に楽しめる一冊です。
テーマは様々。得意のイギリスのもの、大好きな料理の話、学問論やちょっと昔の記憶など。
日頃考えることをしなくなっている現代人が、はっと思うようなことを鋭く且つユーモア一杯に切り取る手法は見事です。
短いエッセイ一つが、友人との話のキッカケになったりもするのです。

テーブルの雲—A book for a rainy day

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2006/11/18

BravePS:「機動戦士ガンダム 一年戦争」ゲームレビュー

機動戦士ガンダム 一年戦争

PS3が発売になり、再び一年戦争を舞台にした「ターゲットインサイト」も発売されたこの時期に、ガンダムファンのサイトでは散々な言われようの「機動戦士ガンダム一年戦争」をレビューします。
いまやアマゾンでの取り扱いも終了し、家電量販店では1000円以下の処分品扱い、中古品に至ってはワンコイン(500円)で購入可能な「一年戦争」です。

このゲーム「言われるほどには酷いものではない」との感想です。
左右のアナログスティックを使用する操作系は「ターゲットインサイト」にも踏襲されていて、方向キーなどを利用するそれまでのものより自然にガンダムを操作できる点がなかなか魅力的だからです。
数多いガンダムゲームの最終型だと思うと納得いかない気持ちもわかりますが、新たな操作体系の実験的作品と思えば、少なくとも1000円を出す価値は充分あります。このゲームでガンダムの新たな操作方法を習得して、PS3が豊富に流通するまでの間に「ターゲットインサイト」へのチャレンジに備えましょう。

*** ストーリー、ゲームの内容 ***

ご存知、一年戦争をほぼ忠実に再現した28のステージで構成されます。使用する機体はアムロ仕様のRX78−2のみ。ステージ一巡後は、連邦軍の他モビルスーツが使用可能となりますが、ステージ内容は全く同じです。
各ステージは、基本的にはアムロに成り代わってガンダムに搭乗してジオン軍MSと戦闘していきます。いくつかのステージでは、他機種やホワイトベース機銃を操作します。特定のステージで原作に忠実な動作をすることで、印象的場面がメモリアルアクションとして再現されます。
ステージは数分程度で終るものがほとんどで、この短さがガンダムゲームファンの不満の一つとなっています。

*** ステージ内容、戦闘 ***

場面は大きくわけて地上と宇宙。特に3次元に機動する宇宙空間の戦闘は非常に面白く、アナログスティックによる操作系が最大限に効果を発揮しています。
ガンダムの機動力と火器の貧弱さが原因で、クリアが難しくなっていることが、ガンダムゲームファンの不満のもう一つです。「戦艦の主砲なみ」であるはずのビームライフルは、ザクでされ数発が直撃しなければ撃破できず、スラスターはほんの数秒しか動作しないため、敵の攻撃や追跡がなかなか困難なのです。
さらに、水中での緩慢な動作(水の抵抗がリアルに設定されすぎなのです。)のストレスと、異常なまでに高機動なMSグアブロ。このステージで挫折したプレーヤーは数知れないようです。
しかも、最終ステージ近く、ジャンプ力ぎりぎりに設定されている所謂「階段のぼり」のステージ。相当長い戦闘を続けた最後にあって、時間制限ぎりぎりで、しかも何となく空しい試練が落伍者を増加させているようです。
そしてララーの搭乗するエルメスのあまりの強さ。幻想的な空間描写はともかく、自らがニュータイプとして本当に覚醒しない限りクリアできないほどの難しさです。

しかし、攻略本を入手してでも、ともかくも1回ストーリーモードをクリアしてしまえば、このゲームを徹底的に楽しむことができます。
ノーマルモードクリア+メモリアルアクション全クリアで使用可能となるRX78−3さえ入手すれば、どのステージも互角の戦闘が可能となり、なかなか壮快なのです。ビームライフル、ビームサーベルの威力は原作のイメージに近いほど強力になっており、ダッシュやジャンプもより長く高く可能となるからです。

フリーモードで、お気に入りのステージのみをRX78−3で戦闘する。これが一番のように思います。

*** 操作方法、操作系 ***

説明書に「このゲーム独特の」と制作者みずからが書いている操作方法なのですが、以前の操作方法を知らないものにとっては、実に良く出来ていると言うことができます。

日本のレバーと「音声コントロール」で操作されていた鉄人28号のごとき操作系です。「いけ鉄人! パンチだ!」両手でレバーを前後させる正太郎少年が目に浮かびます。

え?古すぎて解らない。ぜんぜん違うよ。

ファーストガンダム世代、鉄人世代両方から抗議が殺到しそうです。

ごもっともです。「懐かしのアニメ特集」などでちょっと見ただけで、解ったふりをしてみました。あくまで、2本のレバーで操作しているところに共通点を感じただけです。

真面目に説明しましょう。
ゲーム中に使用するのは、左右のアナログスティックとRL123のボタンのみ。おわかりのように、親指・人指し指・中指は固定位置のままで、戦闘が行えます。これが最も優れている点です。従来の操作方法では、コントローラー上のボタンに移動や兵器使用が割り当てられていたため、ガンダムコックピット内の操作イメージとだいぶ異なっていました。
ご存知のとおり、最新戦闘機などでは操縦桿から一切手を離さずに操縦と火器操作の全てが可能ですが、このゲームで採用された操作系ではデフォルトのコントローラーでほぼ同様の機能を実現したところが評価できます。

左手に割り当てられたのが機体の操作系。アナログスティックで前後左右への移動が可能です。倒す角度により歩行から走行まで無段階で変化することはもちろん、斜めへも自然に移動する優れものです。L1はダッシュ。スラスターが動作して前後左右に素早く移動できます。L2はジャンプ。地上戦ではもちろん、宇宙でもスラスター噴射によって垂直に移動します。

右手に割り当てられたのは戦闘系の操作。右アナログスティックはガンダムの「視線」で敵MSやミサイルなどの目標を捉えるために使用します。連動してガンダムの姿勢や向きが変化します。複数の敵がいるときに、目標を切り替えるのも特別なボタン操作ではなく、やや強引にスティックを移動させることで行えるのが現実的だったりします。火器の照準はほぼ自動ですが、本格的FMSのように危険度によって優先順位が付くわけではなく、とりあえず近いものに照準されるので、目標変更の必要は結構あります。
照準は、相手方との距離や移動速度によってリアリティーがある不正確さで、赤く照準していても、遠距離・側面からの射撃ではほとんどヒットしません。これが実はガンダムゲームファン最大の不満点のようですが、とても現実的で機体の巧みな制御によって射撃をヒットさせたときの快感は格別だと思われます。
R1はビームライフル、R2はビームサーベルに割り当てられ、R1は三連射まで、R2は状況に応じて様々な角度で自動で斬りかかります。

意外に重宝するのがRL3共通に割り当てられた頭部バルカン。前方の全域をほぼ網羅して自動照準され、射撃時間の制限はありますが、ほぼ無限に発射できます。敵MSの攻撃にはもちろん、実体弾の迎撃はバルカンの独壇場です。敵MSにサーベルで攻撃する際に、バルカンを連射しつつダッシュすればほとんどの被弾は防げます。

左右両手でコントローラーをしっかり保持して、左右親指の操作を中心に行う戦闘は、鉄人28号そのままです。(またか!)
ゲーム内容はともかく、この優れた操作系が正当に評価されないまま放棄されるのはあまりに惜しい。ぜひこの操作系を採用した新たなゲームが発売されることを願ってやみません。
両手でしっかりと握れるレバーが2本ある専用コントローラーが発売されるなら、まさにアニメそのままの戦闘が楽しめることは間違いありません。
4点式ベルトを装着して、シート両側のレバーを操作してガンダムを操縦する。永遠の憧れを実現できる操作系だと評価します。

*** ゲーム総括 ***

確かに酷評されるに値するゲームでもある「機動戦士ガンダム一年戦争」ですが、その全てを否定するにはあまりに惜しいゲームでもあります。
最大の間違いは、一年戦争の基本プロットを誤ったことです。
過大なまでに高性能なガンダムと未熟なパイロットであるアムロ、そして性能に劣るものの優れた技量によって互角以上の戦火をあげるシャー。これが、やはり一年戦争の基本構図です。
ガンダムの性能を抑えることで難易度を上げたのはやはり間違いです。未熟な技量をガンダムの性能に助けられるところに、一年戦争・ファーストガンダムの基本的設定としての楽しさがあることは否定できません。それを体験できないことが、このゲームの評価を不当に低くしているのです。
明らかに性能に劣るザクが、技量に優れたジオン兵により有効に運用されている。後半は、ガンダムを性能面で凌駕する新MSが登場する。これが、やはり一年戦争の戦闘の世界なのです。
とは言うものの、漆黒の宇宙空間に浮かぶムサイの主砲の閃光や青き地球など、他のゲームでは味わえない魅力です。あえて続編、そしてPS3版の発売を期待したいところです。
最後に要改良点について報告します。

・ガンダムの性能全般の向上
 RX78−3並みの機動性と火力を初期設定にすべきでしょう。操作に不慣れな前半こそ、その高性能が必要とされるからです。

・ステージ内容の充実
 戦闘内容の貧弱さは、やはり補強されるべきです。特に宇宙空間での戦闘ミッションは良くできているだけに、その操作性を生かしたより長いストーリー性のあるものが、ぜひ欲しいところです。

・ジオンMSでの戦闘
 ファーストガンダム世代に人気なのはやはりザク。基本性能に劣るザクで、連邦軍の新モビルスーツを撃破するのは夢です。それは、ジオン目線でガンダムを見たいとの願いでもあります。続編の本命は、ジオン側から各ステージを戦うゲームなのでしょう。そう、シャーである必要はないのです。ジオンの一兵士として、ザク、グフ、ゲルググなどで戦闘したいのです。

機動戦士ガンダム 一年戦争

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2006/11/15

105円の本達:宮部みゆき「天狗風」

天狗風―霊験お初捕物控 2

ある人にすすめられて宮部みゆきを読んでみました。
人気作家で105円コーナーで見かけることはないのですが、この一冊がありました。江戸を舞台にした推理小説、ちょっと変わった作品でした。
時代小説は時代考証がいい加減だったりして、どうもしっくりこないものも多いのですが、これはよく江戸の街の雰囲気がでています。
作品の性格上、内容はノーコメントとしておきますが、切れが良くてスピード感がある文体は魅力的です。
わりと多い登場人物も、性格付けが巧くて描写も確かです。狂言回し的役割で、話ができる猫を登場させるところなど、非凡な才能を感じさせるのです。
どんな小説でもそうですが、場面や情景をいかに描きだせるかと、人物がどれだけ生き生きと動き出すかが大切だと思うのです。

宮部みゆき。いい作家に出会ったと思います。


天狗風―霊験お初捕物控 2 天狗風―霊験お初捕物控 2

著者:宮部 みゆき
販売元:新人物往来社
Amazon.co.jpで詳細を確認する



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2006/11/12

BravePS:終戦「機動戦士ガンダム一年戦争」

機動戦士ガンダム 一年戦争 コンプリートガイド

機動戦士ガンダム ターゲット イン サイト

長かった戦争が終った。
9月末から一月半。メインカメラを失った満身創痍のガンダムが、天空のジオングにビームライフルを打ち上げて。
PS2用ソフト「機動戦士ガンダム一年戦争」を戦った日々も今や懐かしい。

アムロ・レイの一年間を追体験する28のステージは「厳しい戦闘」の連続であった。水中でのMAグラブロとの圧倒的不利な戦闘、愛おしきララのエルメスとの幻想的な戦闘は、特に印象深い。

攻略法のサイトを読みあさり、ゲームコーナーの攻略本コーナーに通いつめたのも良き思い出である。

これまでテレビゲームなど無縁だった者にとって、そのバーチャルな体験は予想以上に感動に富んだ有意義なものであった。

テレビドラマ、映画、読書と、人は「他人の人生」や「感動」を追体験したがるものだと思う。今回の体験で改めて気づかされたことがある。そのいずれの追体験もが「間接的」であることである。
監督や脚本家あるいは作家が、題材とした人物の経験や感動を客観化する。それを観客や読者は、その意図に沿って体験しているからである。

テレビゲームのそれは「直接的」である。ゲーム制作者が巧みにその結果を設計しているとはいえ、自らの「判断」や「動作」により直接に何らかの感動が生じるからである。

左アナログスティックでガンダムを前進させる。レーダーが感知したザクに右アナログスティックで照準を合わせ、右の人差指でビームライフルを撃つ。崩れ落ち爆発するザク。
あるいは、ヒートロッドを振りかざした敵MSが眼前に急接近するのを、巧みに横にダッシュして避ける。

バーチャル(仮想)の出来事であり、誰が死ぬこともなく、自らの生命が危険がないこともわかっていても、何らかの感情が生じることは不思議な体験であった。

ファーストガンダムの熱烈なファンになるには早く生まれすぎた者にとって、また平和ぼけした豊かな日本に平凡な青春を過ごした者にとって、それは未知の体験であった。
憲法が改正され、徴兵制が敷かれることがあっても、もはや予備役ですら徴兵されない年齢に達しつつある者が、例え仮想空間のなかであっても「戦闘」を直接体験する機会を持つことは決して無駄であるとは思われない。

今回のテーマとは少し外れるが、北朝鮮やイラクとの戦争を論じる識者や議員達は、もはや「戦争を知らない子供達」が中心なのだと言うことをよく認識しておく必要があることに気づく。戦争そして戦闘の体験は「記憶」ではなく「記録」でしか知らない世代なのである。その論戦が抽象的で観念的なのが心配なのである。

個人の意志に関わらず理不尽な状況が強制する「合法的殺人」それが戦争である。たかがテレビゲームの仮想空間の戦闘でさえ、その当事者の心は傷み傷つく。

日本が平和憲法を廃棄して、戦争ができる国になるべきであると主張する政治家にあえて言おう、例え仮想空間であろうと自ら戦闘を体験してみよと。
あえて問おう、愛する家族そして子供がその戦闘で死んでも是とするのかと。

まもなくPS3が発売である。「機動戦士ガンダム一年戦争」の続編と言えなくもない「機動戦士ガンダム ターゲットインサイト」も同時発売される。
実写さながらの画像のなかで、一兵士としてガンダムに搭乗してリアルな戦闘に従事するソフトである。感受性の高い子供達こそ、その仮想の戦闘によって、戦争の空しさを知るに違いないように思う。



機動戦士ガンダム 一年戦争 コンプリートガイド 機動戦士ガンダム 一年戦争 コンプリートガイド

販売元:エンターブレイン
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機動戦士ガンダム ターゲット イン サイト 機動戦士ガンダム ターゲット イン サイト

販売元:バンダイ
発売日:2006/11/11
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2006/11/08

BraveBook:三浦展「下流社会 新たな階層集団の出現」

下流社会 新たな階層集団の出現

総中流社会が崩壊し、格差社会になりつつあるとの指摘を良く目にするようになった。
昨年秋に出版された「下流社会」はそのネーミングの巧みさでベストセラーになった。どうやら105円コーナーには当分登場しないようなので、新古本で購入して読んでみた。
作者の三浦氏は自ら調査研究所も持っていて、これまでもいろいろと考現学(懐かしい!)的な著書を出版しているようである。
分析の基礎となっているのは、独自に調査したアンケートなのだが、結論は面白いが標本数がやや少なくて信頼度には?がつくようである。
しかし、この手の本は時代の雰囲気をいかに先取りするかが命なだけに、下流社会化を実感している人が相当多くなってきたことだけは確かなようだ。規制緩和、そして再チャレンジとは、格差是認を前提にしか成り立たないはずである。農耕民族的な平等社会を是としてきた日本に、格差社会は馴染むのだろうか?

ネットで検索してみると、講演活動も行っているようである。11月29日には埼玉県で開催される。どんな話をするか聞いてみたいとも思う。


下流社会 新たな階層集団の出現 下流社会 新たな階層集団の出現

著者:三浦 展
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006/11/06

BraveLife:本田美奈子.あれから一年

wish(DVD付)

あれから一年。
生きるということを初めて真剣に考えた一年。
人はなぜ生きるのか。生きることに意味はあるのか。どう生きることが幸せなのか。後悔しない生き方とは。

一人のアーティストの死は、つぎつぎと考えるテーマを生みだしていく。

最終的な結論はまだでない。ただ、だれか他人に評価されてこそ「人生」に意味があるように思う。

古くローマ時代、最大の刑罰は死刑ではなかった。その人物の一切の記録を抹消することが最も厳しい刑であった。
善良なローマ市民は、自らの人生を記録し残した。子孫や将来の市民が、永遠に自らとその人生を記憶して、讃え、懐かしんでくれることを心から望んだ。

生きることの意味を知ることは、哲学や宗教の領域にある。
自らが死を迎える時、後悔だけはしたくないと思う。

時は偉大だ。限りなく深い悲しみを確実に過去のものとしていく。
わずか一年でも、傷みが大きく和らいだことを感じる。
その死の衝撃を思いだすために、昨年末に書いた追悼文を掲載しておこうと思う。

来年、彼女の死はさらに少し遠くなるのだろうか?

*****************************
 追悼 本田美奈子
*****************************
2005年11月6日 本田美奈子 逝去。
まだ38才の若さだった。

遠い昔の恋人、遠い国で活躍していると聞いていた懐かしい人の突然の不幸を知らされたような、なんともいえない悲しみ。まだ38才の若さだった。
その無念を思うとき、どうしようもない、やり場のない悲しみを感じる。

彼女にとって、デビュー以来の20年は努力と挑戦の日々だった。
アイドルとして、ミュージカルスターとして、そしてクラシック歌手として。

彼女の将来には、未だ誰もなしえなかった素晴らしき成果があったに違いない。
彼女が自分で納得できるだけの結果をなし得なかったことが悲しい。
そして、多くの人に感動を与えたに違いないそれが永遠に失われたことが悲しい。
彼女が最後まで、生きることの努力を続けたことを知ることで、悲しみは一層深まる。

しかし、彼女の20年間の足跡が、
常人をして一生かかっても成し遂げられないほど素晴らしいものであったことが、
わずかにその悲しみを和らげてくれる。

80年代のアイドルのレコードやビデオの、ほとんど全てが廃盤となった今も、
彼女の素晴らしき楽曲のほとんどが販売されつづけている。

ミュージカルスター、そしてクラシック歌手、本田美奈子にとって、
アイドル時代は、決して過去のものでもなく、未熟な通過地点でさえなかったに違いない。
常に、その時々で自分のベストを尽くしてきた彼女にとって、
過去に後悔などなく、過去に成し得たことは、すべてはその時点での自らの到達点を示す、貴重な記念碑であったに違いない。

そんな彼女だからこそ、永遠に失われてしまった未来を嘆くより、
その20年に彼女が生み出した素晴らしき成果に、最大限の賞賛を送りたい。

今もDVDの鮮明な画像で楽しめるアイドル時代。
そのステージは、アイドルがアイドルであることを求められる時代にあって、
今見てもその完成度の高さに驚かされる。
抜群の歌唱力、ダイナミックでリズミカルなダンス。
今のミュージシャンが失った無垢な笑顔も眩しい。
武道館でのファーストコンサート。コーラスをつけず、バックダンサーもいない広いステージに、
心から楽しみ、ファンを楽しませるプロのミュージシャンの姿が既にある。
3年目、ロック色を強めたステージ。
「セクシーなアイドル本田美奈子」のレッテルが消え去った今、
改めて見るとどんなロックミュージシャンにも勝るとも劣らない素晴らしいステージ。
21世紀の今、アイドルはもちろんニューミュージック系のアーティストでさえ、
これだけのステージを行えるのは、ほんの数えるほどしかいない。

若い女性が音楽の才能を示すにはアイドルでなければならなかった80年代。
アイドルの枠に収まりきらない自らの才能と可能性に苦悩する、
早く生まれすぎたアーティストがここにいる。

アイドルの副業程度に思われたミュージカルへの転身。
アイドルとしての活動を一切休止して、発声法すら一から学びなおした真剣な挑戦であった。
生まれながらの優れた表現力に磨きをかけ、他の役者に一歩も劣ることのない素晴らしい演技。
彼女にとっての歌の意味を大きく広げた挑戦は、日本におけるミュージカルの位置づけを、
より多くの人に楽しめるものへと、明らかに変化させた。
彼女なくして、今の日本語ミュージカルの人気はなかったと断言できる。

彼女の90年代は、ミュージカルとともにあった。
彼女が新たな才能と可能性に挑戦しつづけた、第2ステージである。
代表作「ミスサイゴン」をはじめ彼女の舞台は残念ながらDVD化されていない。
その素晴らしい姿をもう一度見てみたい。

世間ではなぜと思われたクラシックへの再度の転身。
ミュージカルスターとして確かな位置を築いてきた彼女にとって、
歌そのものの魅力への追求の当然の帰結だったのだろう。
ミュージカルスターとして、その役を完璧に演じれば演じるほど、
与えられた言葉と与えられた感情しか許されないことに、もどかしさを感じたに違いない。
彼女にとって、ジャズであれボサノバであれあらゆるジャンルの歌唱を選択出来たはずである。
母国語である日本語で自由な歌唱ができるクラシック、
自分自身の言葉で、自分自身の心を伝えられることの魅力、れが彼女の選択だったのだろう。彼女自身が作詞した磨かれた一語一句には、彼女の心とメッセージが込められている。
残された2枚のアルバムの彼女の歌声の完成度は驚くほど高い。
澄みとおった繊細の歌声。
わずかな単語しか音律に乗せることのできない日本語の限界を感じさせない豊かな表現。
独自の閉鎖された世界にいる日本のクラシック界に、
新たな衝撃を与えるに十分すぎる彼女の歌声は、あまりに美しい。

彼女にとって、新たな歌の世界への挑戦は、自分自身への可能性への挑戦であると同時に、
彼女が愛する歌の魅力を、より多くの人々に知ってほしいとの願いからのものであったのだろう。
「元アイドル歌手・本田美奈子が」挑戦することで、
確実に新しい歌の世界に興味を持つ人々が増えた。
ミュージカル、クラシックいずれもすばらしい歌の世界でありながら、
多くの人には無縁であることが、彼女の挑戦の動機であったのに違いない。

限りなく挑戦を続ける彼女が到達できたであろうことを思うと、
心から残念で、彼女の無念を思わずにはいられない。
しかし、わずか20年で彼女が成し遂げたことは驚くほど大きい。
その感動は、その想いを継ぐものを生み、新たな素晴らしき歌の世界が開かれていくに違いない。
彼女の生み出したものに、惜しみない賞賛を送ることで、せめてもの慰みとしたい。

彼女には永遠の眠りは似合わない。
生まれ変わってほしいと心から願う。
彼女の才能は、21世紀の今でこそもっと大きく花開くに違いないのだから。


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2006/11/03

日本が危ない:献策十講「国民が誇りに思う素晴らしき国へ」

政治は夢である。
政治とは「夢」である。そして、政治家とは「夢の伝道師」であるべきである。
日本人が政治を語る時、「政治」と「行政」が混同されているように思う。政治家自身が、「政治」を「行政」と誤解しているようでもある。
国民そして国家自身の課題や問題を着実に解消していくのは「行政」である。行政の役割は、科学的合理性に基づいて最も良い政策を立案し実行することにある。

もちろん、英米に代表されるように政治がそれを行う国もある。政治家や政党のスタッフが政策立案の実務を担い、行政官は政治が決定した政策の実行のみに責任を負う国である。そのような国では、政治は全ての政策に直接の責任を負う。国民は、選挙による政党の選択を通じて、政策を選択する。

日本は事情が違う。日本の政治家の最大の役割は「夢」語ることにあった。具体的な政策は優秀な官僚群に「丸投げ」してしまい、大きな夢を語ることこそが大物政治家の条件であった。
もちろん、官僚から転身した政治家も多い。具体的政策にも精通ている彼らも、選挙においては「政策」ではなく「夢」を語ってきた。
古代中国の英雄豪傑の政治的伝統を隠然と引き継ぐ日本。大物政治家の条件は、政治を「夢としての政(まつりごと)」として語り、民衆に夢を見させることにあった。

最近になって政策を論じる若手政治家も増えてきた。それに影響されたのか、あるいはアメリカの大統領選の公開討論に影響されたのか。日本の総理総裁となる人物のテレビ討論は「政策」を論じるのみであった。それも必要ではある。しかし、現代国家にとって「政策」は、あらゆる領域を網羅する複雑なシステムそのものである。税制一つを独立して論じることは表面的には可能だが、その政策変更の影響は実に広範である。その全体を理解することなく、それを安易に論じることは無謀なことであり、結果的に極めて無責任なことなのである。そのことは、行政が造る総合計画を見れば良くわかる。あらゆることが相互に関連する結果、行政の計画は常に総花的であり総論的であり留保事項に覆われている。
そのごく一部を抽出して、政治的課題として論じることには、実はほとんど意味はない。
報道するマスコミの論調はともかく、自民党総裁選や党首討論の論議に国民が無関心である本当の理由はそこにある。
古き時代を知る世代はもちろん、若い世代もまた、夢を語る政治家を待ち望んでいるのである。
若さの特権の一つは「夢」を見ることが出来ることにある。ケネディやブレアなど、新しい世代の若いリーダーが誕生したとき、国民はその「夢」に共鳴し共感したのである。夢見る若き指導者と現実に精通した老練な支持者が、新しい時代を拓くのである。そのどちらが欠けてもいけない。両方が必要なのである。民主党の前原前党首の誕生、そして今回の安倍総理の誕生にも、国民の熱狂がないのが気にかかる。若きリーダーに国民が期待するものが決定的に欠けているからである。
現代日本の政治を見る時、悲しいことに「夢」を語るリーダーの不在は厳然たる事実なのである。

夢の本質
安倍総理の「美しき国」は夢ではないのか。残念ながら、それは夢ではない。小泉内閣の「構造改革」や「骨太の方針」と同様に、単なる国家の基本政策体系に過ぎない。言い換えれば、行政システムとしての日本国がここ暫くこんな方針で政策を実施していきますと言っているだけである。国民が望むものを具体化したものでさえなく、既存の国家システムが許容できる範囲での「想定の範囲内の」政策オプションが総花的に記述されたものである。

夢とは何か。それが重要である。
夢とは「絵に描いた餅」のことではない。もちろん、荒唐無稽な戯言でもない。政治における夢とは、国民が顕在的・潜在的に欲している状況を具体化したビジョンである。
様々な制約のなかで現実と妥協をしてしまえば「夢」ではなく、具体性に欠けたり実現性が低ければやはり「夢」ではない。広く国民が望む夢を「夢」として示すことは、凡人には難しい、やはり優れた資質にめぐまれた一部の者にしか出来えないことなのである。

明治の夢、それは「殖産興業」「富国強兵」「不平等条約の解消」「欧米列強と並ぶ近代国家化」「脱亜入欧」など多様であって一貫性が感じられる。政治的スローガンや標語でもあるため、特定の一政治家の夢とは言い難いところはあるが、誰か一人が描いた夢が共有されたものに違いない。幕末の混乱と危機を実感した国民が、徳川300年の遅れを一気に取り戻そうとした気概を今も感じることができる。
昭和の夢「亜細亜の盟主」「世界の一等国」「大東亜共栄圏」。
歴史的評価はともかくとして、当時の国民の感情はそれを支持した。あまりに悲惨な太平洋戦争の敗北を知っている現代人にとって、尊大で侵略的で無謀な構想であり夢である。しかし、日清・日露両戦争に勝利し、経済的にも軍事的にも西欧並みに発展した昭和初期。日本人は政治的混乱の極地にあった中国に代わって、アジアのリーダーでなった日本を誇りに思っていた。政治はそれを具体化し、軍もまたその期待に支えられていたと言ってよい。その意味で、太平洋戦争が国民の意志を無視した一部軍部の独断独走であったとの評価は誤りである。
そして戦後。「所得倍増計画」「アジア初の東京オリンピック」「アジア初の大阪万博」「全国総合開発計画」「国土改造計画」。戦災から逞しく復興した日本を誇りに思う国民が、その事実を具体的に確認できるイベントが政治の描いた「夢」にほかならなかった。

日本において政治が夢を失い、国民が夢を見なくなったのはいつからか。それは若者が大人になったことを意味するのか。
誤解してはいけない。国民や国は生物としての人間とは違うのである。常に新しい国民が生まれ加わる国家は、健全である限り夢を見続ける必要がある。4年に一度の大統領選挙は、若きアメリカ国家が自らの「夢」を確認し選択する重要な政治的行事である。一時は老大国と呼ばれた大英帝国は、一人の若き指導者の誕生により、見事に再生した。遥かに長い歴史を持つ中国においても、政治の夢は活力の源である。
国が夢を失ったとき、衰退は始まる。政治家が夢を語らなくなったとき、国民は政治に興味を失うのである。

夢、愛、誇り
夢のある国とは、そこに住む国民が誇りに思う国であり、愛すべき国である。
国家は、それ自身が存在することに意義があるのではない。国家は、国民一人ひとりが「夢」を実現する「手段」に過ぎない。
天皇制国家主義の影響か、国家自体が独立した存在であり、国民は国家のためにあると考える傾向は未だに根強く残っているように思われる。
愛国心教育論議を見る時、それを強く感じる。愛国心、国を愛する心。言葉の定義はともかく、国自体があり、それに対置された若しくは従属する国民が存在するがごときである。
人を愛する。ごく自然な人の行為である。では、人を愛することは教育すべきことか。ましてや社会が強制するべきことか。そう考えれば、愛国心論議の不可思議さがわかる。人は自然に愛すべきものを愛す。人は愛されたいと思う時、それを相手方に強制するのではなく、自ら愛されるべき存在に変えるのである。相手の気持ちを考え、好意を持たれるよう努力するのである。
国においても、それは全く同様でなければならない。愛は教育や強制ではなく、努力により獲得されるべきものなのだから。
夢多き人を人は愛す。その夢を共有することに人は大きな満足を覚える。そして、その愛を独占したとき人はある種の誇りを感じる。国家が夢を語るとは、つきつめるとそういうことなのである。

政治は夢を描けるか
国民が誇りに思い愛を感じる日本を創造することは、政治の最大の課題である。そのために新たに描かれ語られる夢は何であろう。
現在の国家システムが直面している課題や問題の処方箋を総花的に描くことでないことははっきりしている。それは夢ではなく、単なる政策に過ぎない。

「世界のどの国より優れた工業製品を作り出す勤勉で有能な国民が住む国」政治が多くを語らないにも関わらず、多くの国民が日本を誇りに思う大きな理由の一つである。
「狭い国土が無惨に開発され、自然が破壊され汚染され、国民の安全で健康な生活が犠牲にされている国」国民が日本を卑下し情けなく思う大きな理由の一つである。

「巨額の貿易黒字を有し、高い所得を得て電気製品などがあふれる生活が一般庶民でも実現している世界有数の豊かな国」国民はもちろん、諸外国がイメージする日本である。
「仕事優先で家庭生活の犠牲は当たり前であり、高くて狭い家に住み一年中、満足に休暇も取らず通勤地獄に苦しむ生活」国民の多くが一般にイメージする日本である。

あきらかに相反することが、実は同じ政策選択の結果生じている例である。夢とは、ある種の単純化である。多数の官僚そして官僚組織がシステム化して個別に対応するのが政策群であるなら、夢はもっと大きなビジョンである。

「自然豊かな美しい国土に、経済的にも精神的にも恵まれた豊かな生活が営める国」例えば、このようなビジョンが夢である。それを優秀な官僚が、現実に実現するための政策群として立案実行して、その夢が実現するのである。

「所得を今の2倍にして、経済的に豊かな国民生活を実現する。」有名な池田内閣の所得倍増計画である。このビジョンは、当時の国際環境や日本産業の状況から充分実現可能であることを前提としていて、現に実現した。単なる政策群の実行結果にすぎないものが、国民の夢となりビジョンとなった貴重な例である。
この例でわかるように、独創的でも荒唐無稽でなくとも夢は創造できる。

何が実現可能であり、どう実現すれば良いのかを明確に理解していることは大前提なのである。そのうえで、国民が期待していることを具体的なビジョンにすることが夢の創造なのである。
今の政治家の言動は評論家のようであり医者のようである。ここに問題があり、こんな状況である。そのためにはこんなことをしなければならない。政治家は、そのようなことばかり語っていてはいけないのである。
不治の病を患った患者に対してさえ、生きる望みと闘病生活に望む勇気を与えてこその名医である。
政治家は「名医」でならなければならない。
国民に壮大な夢を語り、国民が愛し誇りに思う国を描く。官僚群を巧みに使いそれを確実に実現していく。

政治家とはそうあってほしいものである。

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