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2007/02/01

政策対話編:税制改革について

第1回のテーマを税制改革とした理由はなんですか?

どの政策課題も、まだまだ論じられるべきことが多いのですが、税制改革については「個人増税・企業減税」という方向が既定方針化しつつあります。
ここで税調会長が交代したこともあって、十分な論議もないままに、財務省主導で詳細が決定されてしまう可能性が高くなっています。
今後の道州制議論なども考えると、その財政的裏付けである税制がどう改革されるべきかは、もっと広範な議論が必要と考えます。
特に最近の改革は、戦後日本の税制の骨格を基本から変えるような内容です。その抜本改革に対し国民的コンセンサスが形成されているのかが、まずは疑問です。
そんなことから、最初のテーマに選んでみました。

抜本的な改革であるなら、まずは税制の基本理念が重要ですね。

まさにそのとおりで、今回の税制改革案は既定の小泉改革路線を踏襲しているだけで、基本的な理念が今一つ明確ではありません。国民との対話にもう一つ積極的でなかった前政権の欠点ですね。
はっきりしているのは、企業減税を一層行い日本経済の国際競争力を強化すること。その不足分を個人所得税などの増税で賄うこと。所得税の累進構造を更に緩和して低所得者からより多くの税金を徴収すること。そして、暗黙の了解として消費税を相当程度増税して累積した財政赤字を解消することなどがあります。
その思想は、80年代のアメリカでマネタリスト経済学者が主唱して「レーガノミックス」と称された一連の経済改革と基本的には同一でしょう。

「レーガノミックス」とはどのような考え方で税制ではどんな政策が実行されたものですか?

従来の平等主義を基本原則とする税制体系から、強者優遇による経済振興と波及効果を重視する考え方です。
その根本思想は「経済的強者の活力を促進し、国際経済における優位を確立することで、富を国内に蓄積する。豊かな経済活動が税収を増加させ、雇用を通じてその富は広く国民一般にも波及する。」ざっと言えばそんな考え方です。
税制について具体的に行われたのは、最高所得税率の大幅な引き下げ・累進構造の緩和・控除制度などの廃止による税構造の簡素化、そして新規投資や創業などに対する優遇税制などでしょうか。
それ以前のアメリカは、ニューディール政策以来の福祉国家志向が強くて、税制においても高額所得者から多くの税金を徴収して、財政を通じて経済弱者へ再配分するとの考え方が主流でした。
米民主党が伝統的にそのような政策を支持しているのですが、戦後は共和党・民主党とも程度の差はあっても、財政政策による平等社会の実現を志向していましたね。
別名「大きな政府論」とも言われますが、アメリカ経済の弱体化によって、貿易収支が悪化し、財政赤字が巨大化する原因ともなりました。

レーガン政権が発足して「強いアメリカ」政策が展開されましたが、軍事的な意味合いだけではなかったのですね。

軍事的にはタカ派で、経済的には「小さな政府論」でした。規制を緩和して、企業や個人の自由な活動と競争を促進するのが一番との考え方です。連邦政府や州政府の積極的な財政政策はもちろん、過剰な規制も有害との認識です。税負担は最小に、そして全ての人々や企業が公平に負担するとの考え方です。

「レーガノミックス」の結果、IT産業がアメリカにおいて急速に発展しクリントン時代に花開いたということですね。

共和党のレーガン政権が実施した自由主義的経済改革が、本来は社会主義的な傾向が強く平等主義的傾向が強い民主党のクリントン政権で全盛を迎えたのは何とも皮肉としか言えません。まさにクリントン政権の8年間は「レーガノミックスの収穫期」そのものだったと言えるでしょう。
レーガン政権時代の斜陽化したアメリカ経済。当時「双子の赤字」「三つ子の赤字」といわれた危機的状況は見事に解消し、クリントン政権はいたって健全な経済運営を行うことができました。

「レーガノミックス」の特徴を一言でいうとどうなりますか?

特に経済システムで顕著ですが「規制を撤廃し、健全な競争を促進し、強きものが生き残り、弱きものは去る」。今、日本で問題視されている格差社会を全面的に肯定する思想です。
強きものの豊かさが、結果として社会すべてを豊かにするというある種、資本主義の原点に帰ったようなところがあります。別名で新自由主義とも言われましたね。
小泉政権下で竹中さんが主導した規制緩和は「レーガノミックス」の日本版と言えるでしょう。

さて本題の税制なのですが、税制の理念とはどんなものでしょう?

大前提として、税制の役割について大きく二つの違った理念があることが重要です。
一つは伝統的な考え方で、国家は真に必要で不可欠なことだけを行うべきであって小さくあるべきだとの考え方です。税金の負担は出来るだけ小さくあるべきであり、国家の構成員が公平に負担すべきであると主張されます。「税金」とは、その構成員が国家から受ける利便への対価に他なりません。よって、国家の構成員(個人・法人)は所得の大小に関わらず同額を負担することが理想とします。さすがに現実には難しいので、所得に比例して負担することとなります。1億円の所得でも100万円の所得でも税率は同一10%などです。それでも、高額所得者は100倍も税金を払っていると考えるのが自由主義者なのです。
もう一つは20世紀に一般的になった考え方で、福祉国家化の思想的根拠となったものです。社会主義国家の成立などの影響も大きいのですが、社会の不平等、特に富の偏在は個人の責任ではなく、社会構造の問題だと考えます。
国家はその解決に積極的役割を果たすべきだと、その支持者は考えます。具体的には高額所得者からは多くの税金を徴収し、国や公共団体の福祉政策=財政支出によって低所得者へ配分するのです。
税金は富の再配分の重要な手段で、極めて高い最高税率と累進課税が行われます。先ほどの例で言えば、1億円の所得には70%の税率が課せられ7000万円が税金として国家に徴収されます。一方で100万円の所得しかなければ税金は0円。むしろ生活保護など様々な給付が国家からなされることでしょう。
このように、明らかに異なる理念があって、両立しないことを理解しておかなければなりません。

なるほど、そうなのですね。二つの理念は根本から違うようですが、その違いが生じる最大の理由は何でしょうか?

この差違は、人々の貧富がなぜ生じるのかについての基本的認識の違いから生じるものです。
資本主義的思想においては、それは人の能力、主に努力の差により生じると考えます。富める者は成功者であり、尊敬すべき目標とすべき人物に他なりません。
富 は成功の証であり肯定すべきものなのです。もちろん、富める者が篤志家となり社会貢献をするこ とは道徳的に称賛すべきことです。アメリカの経済的成功者達は、病院や図書館、公共施設などを争うように寄附しています。でもそれが決して法的義務だとは考えません。ましてや、税金として徴収し国家によりそれらが建設されることが適当だとは決して考えないのです。
人や企業は存在することで国家から便益を受けます。それは富の大小とは基本的には関係がありません。従って、すべての人や企業は同じ額を負担するのが公平だと考えるのです。
社会主義的思想においては、特に貧困は本人の能力や努力で生じるのではなく、社会構造によって生じると考えます。貧困の主な原因は、富める者による搾取なの です。結果として、富める者は悪であり、過剰な富は国家により回収し、貧しい者に配分することこそが正義と考えるのです。従って税制は高度に累進的なものになり、所謂 「資本家」の資産に対する課税も懲罰的傾向が強くなります。共産社会を理想としつつも、資本主義国家において次善の策として税制と財政による富の再配分を 行うことが指向されるのです。

見方によれば、歴史的経過による違いとも言えるでしょうか?

そうですね。産業革命以降の資本主義隆盛期は自由主義国家論が一般的です。国家の役割は最小に。「夜警国家論」が一般的でした。その結果として、社会不安が生じるほど貧富の差が激しくなってしまったわけです。
そこに共産主義論・社会主義論が労働者階層に普及し、ロシアで革命が成功する。それに対応する形で、資本主義国家においても福祉政策が取り入れ、20世紀に福祉国家化が進行した。
簡単に言うとそんなところでしょうか。

19世紀と20世紀では、資本主義国でも国家理念が変化したと言うことですか?

20世紀型の福祉国家とは、富める者から国家が多くの税を徴収し、国などの財政を通じて貧しい者へ配分することを「善」とし肯定します。
一方で、19世紀型とも言うべき初期資本主義においては、国家は必要最小限のことしかしません。
財政・税は極力小さいことが「善」です。税は、すべての国民が公平に納めるべきもので、国家による所得の再配分を否定します。
アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権以降、20世紀型福祉国家の再見直しが行われていると言うことができます。
見方によっては、19世紀型資本主義への「先祖帰り」とも言えるでしょう。

日本についても同様なのでしょうか?

明治維新以降、戦前までの日本は19世紀的自由主義的傾向が強い国でした。ただ、官僚主導で産業誘導が行われたりと若干欧米とは違った歴史を歩んでいます。特に、太平洋戦争前の国家総動員体制が整備される過程でむしろ主要産業が国家統制されるなど社会主義的傾向が極端に強まって、戦後まで影響していることは特徴的です。
戦後の日本はその意味で、スタート時点から社会主義的政策が実施しやすい経済構造となっていて、それを基盤として20世紀的福祉国家を徹底的に追求した国でした。
所得税は高度に累進的で最高税率は70%を超え、譲与税や相続税も極めて高い水準でした。総中流国家は税制と財政政策により意図的に実現されたと言って過言ではないでしょう。

その流れを踏まえると、小泉政権による税制改革とはどのようなものだったのですか?

派手な規制緩和路線の陰に隠れて目立たなかったのですが、小泉政権の期間に行われた税制改革は一貫して反福祉国家的でした。
高額所得者や資産家、企業に対する税金が巧みに引き下げられる一方で、中低所得者に対する実質税率は据え置き又は引き上げられています。さらに、それらに対する福祉的財政支出を切りつめることで、税制と財政を利用した所得再配分機能は徹底的に縮小されたと言って良いでしょう。
その意味で、小泉改革とは新自由主義的改革で、レーガン政権やサッチャー政権の改革と同一の考え方に基づくと言えるでしょう。

政権が変わって改革の方向に変化はあるのでしょうか?

小泉政権による税制改革の重大な方向転換は、未だに国民に、更には政治家にも十分理解されていないように思われます。
税収の総額そのものをまず縮小する。そのうえで、新自由主義「公平」を実現する改革がです。
格差拡大を前提としつつ「新たな自由主義国家としての豊かで活力ある日本」を築く。それが小泉改革の目標でした。
ところが、戦後半世紀続いた「平等な社会主義的福祉国家としての日本」を、税制と財政政策によって実現するのだとの認識が、国民や政治家の間では未だに一般的であるような印象があります。
例をあげれば、公平な競争の結果として倒産に瀕している中小企業があれば、政府保証による低利運転資金の融資を行うべきだとなる。それには、税金か国債発行が必要となるわけです。
そんなことはしない。倒産すべきは倒産させる。それが小泉改革の本質です。
能力が不足して失業する国民がいる。生活保護で最低限の生活の面倒は見るが、あとは自助努力で何とかしろ。それが小泉改革です。
それを「再チャレンジ政策」で救済すべきだとする。そのためには、税金によって施設を作り補助金を交付する必要がある。明らかに小泉改革と逆のベクトルを持っています。
全体の方向は一貫して同じで、小泉政権時代だけが別の理念で別の方向性を持っていたのだ言うほうが適当かもしれません。

小泉政権の改革は国民の広範な理解と支持を受けていたと、一般には言われていますが、そうではないと?

支持されていたことは事実ですが、理解されていたかは正直のところ疑問もあります。厳しい経済状況のなかで国民がある程度の負担と我慢が必要との共通理解はあったように思いますが、景気回復までのことと思っていたのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、小泉改革すなわち新自由主義の考え方では、国家が国民の政策や貧富(格差)解消に積極的役割を果たすことはありません。「勝ち組」と「負け組」は自由な競争によって決定し、国家がそれに関与することは「悪」なのです。従って「負け組」を国家が救済することはありえないことなのです。「負け組」はただ消え去るのみ。それが嫌なら自助努力あるのみです。
ニートが増えた。子供が少ない。子育てが大変だ。と言っては、国家=政府の責任を追求し政策対応を求めるのは、小泉改革の本質を理解していないと言わざるを得ないでしょう。
小泉改革が目指していたのは、自由な競争を促進して「勝ち組」を造り出す。「勝ち組」が勝ち続け「負け組」を吸収することで、最終的に全体が豊かになることです。まさに、80年代「レーガノミックス」でアメリカが行い成功した改革と同じものなのです。

確かに企業の活力を高め、国際経済のなかで「勝ち組」にならなければ、最終的には国民も豊かにならないと言う考え方はもっともだと思うところもあります。だからと言って国民に増税して企業を減税すると言うのは、なんとなく納得がいかない気がしますが?

そうですね。本来、企業減税と個人増税は別問題です。財務省による悪意ある議論のすりかえと言っても良いでしょう。
「レーガノミックス」的競争促進とは、企業と個人の関係では基本的にありません。
具体的に言えば、「勝ち組企業」に対する優遇税制と累進課税緩和を行う。一方で「負け組企業」に対する延命治療的な優遇控除や補助金を削減する。それでも良いわけです。
「負け組企業」への補助金や控除を廃止することで、財政支出が削減され、当然その財源も不要となる。その余剰財源で「勝ち組企業」を応援すれば良いわけです。
それが、長く「福祉国家」をしてきた日本の官僚においては、自らの利権との関係もあって「負け組企業」を負けさせるわけにはいかない。と考えるわけです。
結果として、延命治療的な補助金は削減できない、ではどこから取るかとなると、利権に関係しない庶民からとなるわけです。

なるほど。いよいよ現在の税制改革の問題点の核心にせまってきたようですが、随分と長くなってしまいました。この続きは次回にしましょうか?

そうですね。なにぶんにも対談相手が自分自身と言うことで話が多少脱線しても非難されない(笑)。「対談」の暴走が止まらない(笑)

普通なら「それはどうですか?」と言われるような暴論でも納得されてしまうとか(笑)。

次回こそ、今議論すべき税制改革の問題点を話したいと思います。

よろしくお願いします。

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コメント

トラックバックありがとうございました。
しかし、すばらしい記事ですね。
ただものではない専門性が溢れています。
TBがうまくいきませんでした。
今後定期的に訪問させていただきます。

投稿: 日暮れて途遠し | 2007/03/06 23:02

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