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2007/03/30

BraveCD:Y.M.O.「BGM」

BGM

前回に引き続きY.M.O.です。

今も忘れられることのない衝撃的な2枚のアルバム
「イエローマジックオーケストラ」と「ソリッドステートサバイバー」をリリースした彼らですが、3枚目は意外にもスネークマンショーとのコラボレートアルバムでした。
あまりに時代を先取りしすぎた試みが、多くのファンを戸惑わさせることとなりました。

そんな事情もあって後期のアルバムはあまり知られていません。
この「BGM」は彼らの実質的に最終アルバムで、数多くの実験的な試みも満載の1枚です。
重厚で複雑な楽曲群は、初期の楽曲と同じグループのものとは思われないほどですが、コアなファンの間では「最高傑作」と評価されています。
このCDを聞くと「時代はまだ彼らに追いついていない」のではと感じます。


BGM BGM

アーティスト:YMO
販売元:Sony Music Direct
発売日:2003/01/22
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2007/03/23

BraveCD:Y.M.O.「SOLID STATE SURVIVOR」

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

懐かしい3人がCMに帰ってきています。
Y.M.O.
そう、イエローマジックオーケストラです。

繊細で洗練された「RYDEEN」は未だ時代の先端にいます。

3人のデビューは衝撃的でした。
1978年。
バブル景気の気配もない、ある意味で停滞と倦怠の時代。
センターに置いたシンセサイザーと真っ赤な人民服。

当時まだ遠い先のことのようだった「21世紀」が突然出現したような驚き。

デジタルリマスタリングされたこのCDで聞くと、本来の楽曲の完成度の高さを実感できるのです。
発売当時のLPレコードでの印象とは全く異なっていることに驚かされます。

「ピコピコしている」だの「機械のような音」だのと酷評されたものですが、今聞くとむしろ「古き懐かしき日本」の楽曲の影響を強く受けていることがわかります。
当時の販売戦略でもあるのしょうが、欧米人好みの「オリエンタル」なメロディーに溢れた至って情緒的な印象のアルバムなのです。

ちなみにCMで流れている「RYDEEN」はアップルストアでダウンロードできます。オリジナルと聞き較べるのと30年近い歳月を実感します。


ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

アーティスト:YMO
販売元:Sony Music Direct
発売日:2003/01/22
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2007/03/15

政策対話編:続続続続続・税制改革について

いや〜長かったですね。
ここまでお付き合いくださった読者の皆様に感謝(笑)

本当ですね。タイトルの「続」の多いこと。(笑)

「危ない刑事」を超えていますね。(笑)

しばらくしたら「税制改革リターンズ」とか(笑)

冗談はそのへんで、本論に入りましょう。
最後に、現代日本が資産課税に移行しなければならない理由について、お聞きしたいのですが?

最近、なにかと話題の団塊世代ですが、資産課税の必要性も実にここにあります。
ご存知のように、日本の人口構成は非常にイビツなものです。現時点での60歳前後が非常に多くて、40歳前にもう一山があり、それより若い世代はどんどん少なくなっているわけです。
最大の問題は、今まで所得税を支払ってきた団塊世代が、ここ数年、遅くとも10年のうちに所得がなくなって年金を貰う年齢になることです。
年金問題とは、まさに団塊世代に払う年金財源の不足にほかなりません。本来、一人ひとりで収支が均衡すべき年金が、制度設計のずさんさから支出超過になってしまうのです。
今のままでは、団塊世代の退職によって所得税を中心とする税収が大幅に減少する一方で、団塊世代への年金や福祉給付のために財政支出が激増することは不可避なのです。
そこで、資産課税が必要だと考えるわけです。

具体的にはどう言うことですか?

今のままでは、減少していく勤労者で増大する支出を賄うことになりますから、勤労者、特に一般のサラリーマンへの所得税は際限なく増加せざるを得ません。
すでに多くの一般サラリーマンの税率は20%となっていて、年金財源となる社会保険料負担を加えれば40%を超えているわけです。
つまり、一年間働いて稼いだ金額の約4ヶ月分が「広義の税金」として徴収されています。
それが、更に増えることは、国民の勤労意欲を削ぎモラルハザードを招くことが、真剣に危惧されます。

確かに1年の半分を税金を払う為に働きたくはないですね。江戸時代の農民より悪いかもしれないですよね。

一方で、経済的に成功した日本全体として保有している資産は莫大です。
バブル当時には、日本の資産でアメリカ一国を買ってもお釣りが来るとまで言われていました。
その資産の多くは、企業が外国債券などの形で所有していますが、国内資産についていえば、国民個人も相当程度保有しています。
なんといっても金額的に大きいのは土地家屋です。バブル崩壊によって随分と目減りしたものの、世界的にも特異なほど高価格の土地が、国民の資産の中心なのです。
そして、その土地や家屋を圧倒的に所有しているのが、団塊世代にほかなりません。
その理由は、すでに述べたところですが、団塊世代が所有する固定資産と金融資産の合計は、国民個人の総資産の7割にも達するとの推計さえあります。
所得がなくなり、破綻に瀕する公的年金を受給をする団塊世代は、実は余生を送るには「余るほどの資産」を所有する世代でもあるのです。
勤労者や企業の所得への課税には限界があります。
重税は勤労意欲を削ぎ、企業活力を低下させ、国民と企業の海外移転を促進させます。これは、長期的にみて日本の為にならないことは明らかです。
この先数十年間続く財政支出増大の原因が明らかである以上、原因者である団塊世代に相応の負担を求めるのは、至って合理的です。
ちょっと聞くとひどいですが、理由があります。
すでに述べたように、団塊世代は、経済成長と人数の多さが幸いして税や社会保険料の負担が極めて少なかった世代なのです。
つまり、現在のままで改革をしなければ、団塊世代に限っては国との関係において「生涯収支が黒字」なのです。
資産課税を大幅に強化することで「収支均衡」にすることが、他の世代との関係における「正義」と言えると考えます。

団塊世代が読んだら激怒しそうな理屈ですね。(笑) でも、現在の20〜30歳代の「生涯収支」は明らかに赤字でしょうから、世代間で負担調整が必要なことは否定できませんね。少なくても、「生涯収支を均衡」させない限り、現在のニートやフリーター、年金未加入問題は解決できないように感じられます。

日本人は総じて学歴も高く有能ですから、損得勘定にも敏感です。江戸時代以降一貫して文化として「商人的」なところがあります。
戦後の高度成長期を通じて、国民であってサラリーマンであることが、自分自身にとって「得」であったからこそ、勤勉に一生懸命働いてきたように思います。それは、日本民族の本質的属性ではなく、ここ数十年の「損得勘定の結果の選択」であったと思うのです。
国民は、この長引く不況と企業システムの崩壊、財政の破綻などを国の官僚が思っている以上に客観的に観察しています。
その損得勘定の結果は、世代毎に大きく異なっていることが重要です。
特に不確定要素が多く、現実問題として選択の自由度が高い若い世代が、どう損得勘定するかをもっと真剣に考えるべきなのです。

団塊も世代も損得勘定をしてきたのではないですか?

現在の税制改革や年金改革を主導している団塊世代には、国民個人が損得勘定しているとの認識が希薄なように思います。
団塊世代は、戦後の経済成長を主導した世代ではありません。
もう一世代上の世代が描いた戦後日本の設計図に従って、ひたすら働いてきた世代なのです。その設計図は優れていて、成功しました。
結果として団塊世代は、損得勘定をして人生を選択する必要のなかった「幸福」な世代でした。
男性は、良い大学に入り大企業に入社して出世する。女性は、そんな男性と結婚して幸せな家庭を築く。団塊世代に限っては、そんな単一の理想像を共有できる「幸せさ」を持っています。
したがって、今や政治や行政を主導する年齢になった団塊世代にとって、自らの子供や孫の世代が、反旗を翻して国を見捨てるなど、全く想像ができないのではないのでしょうか。
与野党問わず団塊世代に有力政治家がいないのは、偶然ではないように思われるのです。

すなわち、若い世代が「損得勘定」した結果として、この国に住み続け働きたいと思うような国の未来像を示さなければならないということですか?

特に現代の若者に限ったことではありませんが、若い世代とは常に革新的で合理的存在です。団塊世代自身もかつてはそうでした。
若者は、長い人生をどう生きるかを考えて、最も有利な選択をするものです。
サラリーマンになることが最も良ければそうするし、海外に移住して創業するのが良ければそうします。
若者は、そう考え、そう出来る自由があります。
家族があり、子供があり、家のローンがある中高年にはない自由があるのです。
その若者に「夢」を提示できない国家に未来はありません。
その意味で「夢」を語らず「危機」ばかりを語る、現在のこの国の官僚は「失格」です。そしてそれは、年功序列を基本とする官僚のトップが、団塊世代であることと無縁ではないと思うのです。
政治の主役の「松明(たいまつ)」は、団塊世代から10歳は若い安倍総理の世代に、団塊世代を飛び越えて渡されました。
同様に、日本国最大のシンクタンクであり頭脳である霞ヶ関官僚群も、一気に世代交代をしなければならないようです。

「損得勘定」で得をする世代が残り、損をする世代は国を捨てる。そんな国は存続自体が危ぶまれますね。

どの世代にとっても「損得勘定が均衡」している国家の将来像を早急に構築しなければなりません。
繰り返しになりますが、それを明示できなければ、若い世代を中心とする国民と合理的行動を基本とする企業は、この国を見離して「海外逃亡」するに違いないと確信します。

「損得勘定」がわかれるのは、だいたいどの位の年齢なのでしょう?

今後の経済情勢など流動的な部分も少なくありませんが、現在60歳前後の団塊世代以上が「黒字」で、あとはすべて「赤字」なのではないでしょうか。
ただ、30歳代後半以上の国民は、家庭があったり、会社で相応の地位に居たりと失うものも多いだけに、現実的には国を捨てる余地は少ないですね。
すなわち、国家との損得勘定だけではなかなか、海外移住して一から出直すわけにはいかないように思います。このままでは、現在の40〜50歳位の国民が「最大の被害者」となる可能性が高いですね。

「損得勘定」は確定しているのですか?

今回提案している所得課税の全廃と資産課税の強化で、各世代の「損得勘定」すなわちバランスシートを将来にむけ大きく変えることができます。
そんな観点からの税制改革論議が、もっと真剣になされなければいけません。
税制を目先の利害得失で論じると「国家百年の大計」を誤ることになります。
今のままでは、若者と企業が海外に流失して、少子高齢化が一層深刻化せざるを得ません。
そこに、母国で「損得勘定」で大きな損をしている外国人ばかりが流入して日本そのものが「別の国」になってしまうことさえ危惧されます。
まさに「領域としての日本」のみが存続し、国民・主権・領土で構成される「日本という国家」が「滅亡」してしまうのではないかとさえ思われるのです。

別論でも指摘していましたが、「政治家よ、夢を語れ」ということですか?

そうです。
「夢物語」や「夢想」ではなく、しっかりとした裏付けのある「将来の夢」を国家の責任で、若者に対して示さなければなりません。
「夢」は、漠然とした「美しい国」などという「標語」ではありません。
そもそもが「美しい国」は具体的イメージが収斂せず拡散してしまう性質の言葉です。語感の良さ以上の意味を持たない用語は政治には不適当なのです。
だれにとっても具体的にイメージができる明確な国家ビジョンが提示されるべきなのです。
つまり、具体的な政策体系であって、しかもそこ「夢」がなければなりません。
もちろん、税制改革にも「夢」を語ることができます。
世界の先進国のどこも実現できない「所得税のない国、日本」
個人の努力と成功の象徴である「資産への公平な課税がなされる国、日本」
国民を信頼し活力を最大化する為の「先進国最低水準の租税負担率の国、日本」
そんな国なら、若者が流失しないだけでなく、世界中から日本に移住したい人が殺到するに違いありません。

税制改革には「夢」がなくてはならない。税制改革は「未来の夢」の一部に過ぎないということですね。
随分長くなりましたが、そろそろ本論を締めたいと思います。最後になにか一言を。

未来に「夢」があれば、人は結婚し子を産み育てるものです。堅実で確実な明るい国の未来の設計図を公開することこそが、最大の少子化対策なのです。
たかが税制、されど税制です。
税制を制度論としてのみ論じるのは誤りです。
理想の国家像を想定した、大きな政策体系の一貫として税制論議をしていかなければなりません。
「国家の未来像」は抽象論ではなく、ひとつ一つの政策の総体として具体的に構築されなければなりません。

残念ながら、税制について適当な名言を知りませんので、建築界の名言で締めくくりましょう。
偉大な建築とは何かとの問いへの答えです。

「神は細部に宿る」

建築は大建築であるだけでは名建築ではない。それを構成する部材の細部や造作が優れていてこそ名建築である。
税制改革に通じるものを感じます。

本当に長いあいだお付き合いいただきありがとうございました。

ありがとうございました。
読者の皆様もありがとうございました。
本論は、左側の「政策原論」で通読いただけます。
ぜひご意見・ご感想などお寄せください。

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2007/03/08

政策対話編:続続続続・税制改革について

また1回空きましたね?

そうなんです。また、大前研一氏のコラムなんです!
大前氏は以前から税制の抜本改革を提言していますが、このタイミングで改めて改革案を再提案しました。
内容は「ごもっとも」の一言。実に良い改革案なのです。
提案しようとしていたものと、ほぼ同じ内容なのです。当然、あとからアップしたこのブログが「パクリ」だと思われますよね。
「誠に遺憾です。」が、相手は大評論家、こちらは無名で匿名の「何者か」では勝負になりません。
というわけで、改革案の具体案についての記述を簡素化して、その理由や背景の記述を大幅に加筆してみました。理想の税制については「大前案」を全面的に支持しますので、併せてご一読ください。

なるほど。
やはり最近の税制改正への疑問が、有識者の共通認識だということでしょうか。
では、本論に入りましょう。
前回はずいぶん脱線してしまいましたが、いよいよ理想の税制のあり方の話に進めたいと思います。
献策十講では、主に源泉徴収制度に焦点をあてて廃止を提言していましたが、やはりそのあたりがポイントになってくるでしょうか?

そうですね。
献策十講では源泉徴収制度に絞って論じてしてみましたが、21世紀の日本の状況を踏まえた抜本的な改革を提言したいと考えます。

と言いますと?

税金とは、基本的には金銭の「動き」や「蓄積」に対して課せられるものですが、今後は「所得」から「消費」へ、そして「動き」から「蓄積」へと課税の重点を移すべきだと考えます。
これには、大きく二つの背景があります。
一つは、産業構造の変化や国際化によって金銭の「動き」を捕捉することが非常に困難になってきていること。そして、もう一つは金銭を活発に「動かす」ことが、日本経済にとって有益であることです。

「所得」から「消費」ですか?

現在「動き」に対する課税体系は、「受け取り=所得」時に捕捉することを原則としています。
所得税がその基幹税ですが、法人税や有価証券税など、全ての「所得」に対して課税されるわけです。
「所得」に対置されるのは「消費」ですが、現在は消費税がほぼ唯一の主要税目と言って良いでしょう。
製造業が主要産業であって、労働者も会社員や工員であった時代は「所得」を把握し課税することは、相対的には困難ではなかったと言えるでしょう。
その当時でも、例えば農業所得や個人商店の所得などの捕捉率の低さが問題視されていましたが、今日から見ればまだまだ捕捉は容易であったと言うことができます。
今日のように産業のサービス化と多国籍化などが進行すると、法人個人を問わず「所得」を把握することは至って困難になります。
知的創造物や付加価値が主要な商品となり、その販売先や方法も多様化した状況下で、最終的にどこまでが純粋な「所得」であるのかを見極めるのはほぼ不可能であると言ってよいでしょう。
産業形態の変化により生じる「所得」の複雑化と、場当たり的で緊急避難的な控除制度の追加などが、高額所得者や法人企業に対する「公平」で「適正」な課税を阻害していることは間違いないところです。
特に個人において単純な給与所得者などが減少し、法人化・個人事業主化・請負契約化などが節税対策として一般化することで、「公平」な課税がなされなくなっていることは、もっと注目されなければなりません。

確かに、少し前まではサラリーマンと農家や商店との実質的な課税負担の不公平性が問題視されていましたね。最近は、むしろ会社員がいかにして税金を「節約」し、手取りを多くするかなどの雑誌記事が多くなっているような気がします。
それへの回答が、「所得」から「消費」や「蓄積」への課税対象の変更と言うことですか?

正確に言えば
「動き」への課税から「蓄積」への課税へ。そして、「所得」への課税から「消費」への課税へ。
と言うことです。
相対的に「動き」に偏っている現在の税金を、「貯蓄」にウェイトを置いたものにするべきです。
ただ、税制には政策的な側面もあることから「動き」に対する課税が一切必要ないとは考えません。「動き」については、捕捉がより容易で確実な「消費」の段階での課税に一元化することが適当だと考えます。

もう少し詳しくご説明ください。

いくつかの理由があります。「消費」課税へのシフトからお話ししましょう。
既に指摘したところですが、税制の役割が変化していることがあります。
日本では戦後、税制によって所得の再分配を図る政策が採られてきました。
すなわち、高額所得者から高率の累進課税により多くの税を徴収し、財政支出を通じて低所得者に配分する仕組みです。
それが、小泉改革の一環としてほぼフラットなものに改められました。
もちろん、累進構造は残っていますが、それまでとは比較にならないほど平準化しています。その効果は、最近の格差拡大が証明しています。
累進型の税制を公平に運用するためには、すべての「所得=収入の動き」を的確に把握しなければなりません。総体として所得の大きい人に高い税率を適用するためには、一人ひとりの「金銭の動きの合計」が性格に把握できなければなりません。その点で「所得」は「消費」より把握が楽だったわけです。
例えば、サラリーマンの給与所得はほぼ完全に捕捉できますし、副業の所得も基本的には把握できるのが一般的でした。
しかし、「消費」となると「どこで」「いつ」「なにに」使ったかを把握することは実際上ほぼ不可能といえるでしょう。

確かに、給料はいつのまにか消えていきますね。(笑)家計簿をつけようとすると何に使ったかわからない金額が馬鹿にならない。(笑)

良い例えです。

どこから受けとったかはよく解りますが、どう使ったかは本人でされ把握できないものなのです。
したがって、「動き」に対して累進税制をとる以上「所得」を課税対象とするしかなかったわけです。
一方で、平準型の税制であれば「所得」の総体を把握する必要はありません。
低額所得者でも高額所得者でも、基本的に同一税率なのですから「動き」のどの段階に課税しても良いわけです。
そして、「所得」への課税と「消費」への課税を比較したとき、圧倒的に事務負担が軽いのは「消費」への課税です。
そうであれば、「所得」への課税を全廃して「消費」への課税に一本化することが適当なわけです。

「所得」への課税を全廃し「消費」への課税に一本化するとは大胆ですね。でも、「消費」への課税は本当に容易なのでしょうか?

すでに導入されて久しい消費税ですが、より厳格で精密な制度に改良することで、すべての「消費」に公平に課税することは、そんなに困難な課題ではありません。
欧米各国や発展途上国でも、いわゆる消費税は基幹税目です。
その最大の特徴は、商取引を追跡することで納税者が限定され金額を概ね捕捉できることにあります。
消費税は基本的に付加価値に対する課税なので、原材料が商品になるまでに付け加えられた価値の合計が、原材料価格と製品価格を比較することで簡単に概算できます。
従って税収の総額がまず捕捉され、その納税義務者が商取引を追跡することで特定できる構造を持っているのです。よって、脱税の発見も楽ですし納税額の見当も容易にできるわけです。
そのためには、日本の消費税の仕組みは不十分なのですが、欧米で既に定着して効果をあげているレセプト方式などを導入することで、それは簡単に解決できます。

そして所得課税を廃止する?

むしろ、重要なのは「所得」に対する課税をすべて廃止することなのです。
一つの「動き」に対して重複して課税することも適当ではありませんし、なにより課税徴収のための機関と要員が削減できないからです。
現在の国・都道府県・市町村毎に別々に設置された徴税機関ほど無駄なものはありません。その多大な人員と予算が「所得」への課税のために割かれていることからも「所得」への課税を全廃することのメリットは非常に大きいと言えるでしょう。
「動き」への課税を「消費」への課税に一本化する。併せて国・都道府県・市町村の徴税機関も全廃して、改めて共同徴税機関を設置する。
もしくは、今はやりの民間委託をすることで徴税コストを大幅に削減できるわけです。

「動き」から「蓄積」にシフトさせることについては、どういう理由なのでしょうか?

こちらは、より複雑です。
一つは普遍的な理由、もう一つは現在の日本の状況を踏まえた理由です。
言い方を変えれば、税は公平に確実に徴収するべきだとの基本原則に基づく理由と、現在の日本では高齢者に資産が偏在していて、しかも資産への税金が所得への税金に比して著しく軽いという状況によるものです。
現在のままでは、国民や企業間での税負担が極端に不公平になることは明らかなので、公平な税負担との観点から「蓄積」に対する課税の割合を大いに高めるべきだと考えています。

では、まず普遍的な理由のほうからご説明いただけますか?

歴史的に見ると、金銭の「蓄積」に対して税金は課せられてきました。「動き」に対して税金が課せられるようになったのは、近代以降と言ってよいのではないでしょうか。
国や時代によって名称などもまちまちなので、税目では簡単に比較はできないのですが、基本的に税とは簡素で確実に徴収できるものに対して課すものでした。
例えば、人頭税です。今で言う住民税の均等割です。
そこにいる人の数に応じて一律にかなり高額の一定額が課せられます。基本的には収入があろうがなかろうが同額が課せられます。従って、これは「人的資源」という「蓄積」に対する課税です。
その最大の利点は、ほぼ確実に捕捉できることにあります。
人々が国から何らかのサービスを受けるためには「自らが存在する」こと公的に証明する必要があるわけで、サービスを受けるための手続きが、直ちに課税の基礎作業となることから、非常に合理的です。
人頭税の課税を逃れるために「自らが存在する」ことを秘匿すれば、国からのサービスも受けられなくわけですから、公平性の点でも優れた税といえるでしょう。
人頭税は決して旧式の税ではなく、最近ではサッチャー政権下で導入されたことがあります。

「人頭税」は日本では馴染みがありませんね。ほかにはどんな税がありますか?

固定資産税や物品税などがあります。
同捕捉が簡単で公平な課税が可能な「蓄積」として代表的なものは、やはり土地や建物です。
「不動産」と呼ばれるとおり、基本的に移動することができず、誰の目にも存在や価値がおおよそ明らかであることから、課税対象としては至って優れています。
高級車など「動産」でも、相当程度大きくて生産者や流通ルートが限定された高額品は、同様に課税対象として優れているわけです。
日本においても消費税が導入する前まで「贅沢品」に限定して課税されていました。当時はまだ贅沢品と看做されていた自家用自動車などが課税対象でしたね。

たびたび出てくる「優れている」とはどういうことですか?

税にとって非常に重要な原則がいつくかあります。
その一つに、課税対象が確実に捕捉でき、公平な課税が可能であることがあります。その点で「蓄積=資産」に対する課税は、「動き=所得=消費」に比べて、非常に優れているわけです。
「蓄積=資産」に対する課税を基本とする際に、特に留意すべき点がひとつあります。
課税対象とする「蓄積=資産」を極めて限定することです。より多くの人が所有を希望し、長期に存在し、生活に不可欠なものが最適です。逆に言えば、所有をやめることが容易であり、代替物があるものは適当ではないのです。
具体的には、土地・建物・株債券・資格免許・住民登録などが良いでしょう。現代的なものとしては携帯電話への課税も良いかもしれません。
課税を効率的に公平に行うためには「優れた」課税対象を選ぶ必要があります。

確認になりますが、歴史的に資産課税としてはどんなものがありましたか?

さきにあげた人頭税は、ヨーロッパからアジアまで広く行われていました。
古代ローマでは、例えば建築用の煉瓦などに課税されています。1個につき税額が決まっていて、納税済の煉瓦は刻印が押されて、脱税煉瓦は一目瞭然でした。
面白い例では、江戸時代の「株」と呼ばれる営業権があります。特定の商品を独占的に運搬・販売する幕府公認の権利なのですが、これもある意味で資産課税でしょう。
高額の対価を幕府に納めることで、少数の大商人達のみに「株」の権利が与えられます。あくまで権利であって、権利を行使した結果の「利益」に課税されるわけではありません。この「株」は売買することができることで「資産」とみなして良いものです。これは、なかなかユニークな資産課税と言えるでしょう
資産が必ずしも「物」でなくてもよいことは重要です。工夫次第で課税対象を「創造」することが可能なのです。。
ついでに、江戸時代の年貢についてなのですが、これも基本的には「所得」課税ではなく「資産」課税です。
荘園制度の中世はともかく、江戸時代になると「年貢」は、田圃の広さやグレードなどで、ほぼ一律に額が決められていました。
この点は誤解が多いのですが、年貢は、実際に採れた米の量で毎年決めるのではなく、予め決められていたのです。
これは、現在の固定資産税と同じ考え方です。
従って、品種改良などの努力によって標準以上の収穫があれば、その分は非課税となります。更には、新たに開墾して「新田」を作れば一定期間は年貢の対象とならない仕組みとなっていました。日本各地に「〜新田」という地名が多くあるのはそのせいです。
これなど、農民一人ひとりが実際の手取りを増やすために、品種改良や新田作りに励むような仕組みを内在した、実に良く考えられた税制度だと思います。
また、年貢は村に対して割り当てられます。農業は共同作業が基本ですから、これも合理的な方法です。
江戸時代、村内のことは自治が原則ですから、年貢をどう割り振るかに幕府は関与していません。濃厚で継続的な人間関係の村落のことですので、意外に公平に税は負担されていたようです。

歴史的には資産への課税から所得・消費への課税へと税制度は遷移してきましたが、その意味では「先祖返り」ですね。

所得課税に重点が移った最大の理由は、共産主義革命の結果として貧富の差が社会的原因で生じるとの認識の一般化したことがあげられるでしょう。
国家の責任で、富める者から貧しき者への「富の再配分」を行うべきだとのコンセンサスが20世紀に至り資本主義国家でも一般化した結果なのです。
そのために、税構造は累進制であることが必要でした。より多くの富を得ているものに、より多くの税負担をさせる仕組みです。
資産への課税に累進制を持たせることは、技術的に困難です。ある企業や個人が全体で何をどれだけ持っているかを合計することが難しいからです。
その結果、ある年の「所得」と特定の高額な資産への課税が一般化しました。
そのような変化があった19世紀から20世紀初めの、現代に比較すれば遥かに単純な社会構造では、それが合理的であり可能だったと言うことです。
当時の常識では、高額所得者とは「資本家」であり「富の生産手段の保有者」であったからです。工場などを所有し莫大な富を築き上げた少数の「高額所得者」に高率の税金を賦課することが目的だったのです。
所得税とは、現代の日本のようにごく普通のサラリーマンまで万遍なく課税するようなものではありませんでした。
大正時代の普通選挙実施まで、所得税の納税が参政権の条件であったことからも、それはわかります。高額所得者からは多くの税をとる、そのかわり「政治」に関与する権利や名誉を与える。そんな構図がありました。

20世紀的な税構造が崩壊しつつあるのですね?

所得を得る手段が多様化し国際化した今日、個人や企業毎の総所得を正確に把握することは実質的に不可能です。
真の高額所得者が、各種の控除や特別措置、会社組織・為替相場や投資などを巧みに組み合わせて「見かけ上の総所得」を少なくすることが、あまりに一般的になりすぎています。
その結果として、高額所得者が「効率的に節税」する一方で、ごく普通の給与所得者の所得税ばかりが「適正に課税」されることとなってしまい、累進税制本来の目的を果たすことが出来ない現状があるのです。
社会構造による貧富の格差の解消は、基本的に税制以外の手段によるべき段階にきていると言わざるを得ないのです。
政府官僚にもその認識はあるようで、小泉改革の期間中、一貫して累進率は縮小されてきました。所得税に連動する地方税に至っては、今年から累進制度を放棄して10%の単一税率に改められます。
そうであるならば、課税の対象として「動き=所得=消費」を重視する必要性はありません。より簡素で効率的で公平な課税対象を重視するべきなのです。
すなわち、消費税そして資産課税です。

なるほど。現在の日本の税制を踏まえて、特に課題や改善点がありますか?

すでに述べたことと重複しますが、所得への課税は原則として全廃します。個人所得税や法人事業税・各種譲渡所得税・相続税などです。これによって、徴税組織を簡素化し徴税コストを削減することは重要です。
そのような努力によって、行政コストを削減することがまず重要です。
同様に間接税も、消費税に一本化します。益税などが生じないように制度改善したうえで、必要不可欠な支出にあてるに足る税率にするのが良いでしょう。
資産課税については、固定資産税の対象を土地・建物に限定したうえで基幹税目にします。
そのため特に改善すべき点として、土地家屋の登記制度があります。
明治時代の地租改正に際して整備された登記制度ですが、歴史的経緯もあって固定資産税との連携があまりに不完全だからです。
現在は国が所管している登記所を廃止して、登記事務を課税機関に移管すべきです。土地や家屋の所有者は、権利保護の観点からほぼ必ず登記をするわけですが、課税制度との連携が不十分なため、課税に過大な手間を要しているからです。
土地の価格・売買・相続・所有、家屋の価格・新改築・売買などの実態を、課税機関に一元化しすれば確実に課税額を把握することができます。土地や家屋の所有者が自らのためにする登録を課税の基礎とすることは、至って合理的なのです。

いずれにせよ、税目は極限まで絞り込み、課税機関は一元化しなければなりません。
また、新自由主義の基本的考えに従い、税収と政府財政は最小化が図られなければなりません。言い換えれば、税制改革の主目的は、税収の増大ではなく、税収の削減にあるべきです。
少ない税収と小さな政府。税は、国民と企業の活力を削ぐ「悪」である。
それが、累進課税を否定と表裏一体の「新自由主義」の考え方なのです。

なるほど。
財政赤字解消のための税制改革。歳入増大のための改革は、小泉改革が指向したものとは異質なものなのですね。
資産課税に関しての現代日本の特殊事情を最後にお聞きしたいと思いますが、長くなりましたので、それは次回と言う事で。

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2007/03/03

105円の本達:猪瀬直樹「ミカドの肖像」

ミカドの肖像

今や評論家・文化人のように扱われることの多い猪瀬直樹の出世作です。
ジャーナリスト猪瀬直樹の実質的なデビュー作と言ってよいでしょう。
初版時に600ページ以上もある分厚い一冊です。
随分以前に読んだのですが、ほとんど記憶に残っていなかったのであらためて読んでみました。
内容は天皇と皇族を共通テーマにした諸々を扱ったレポートです。
プリンスホテルの敷地は終戦時に堤康次郎が「裏技」で購入したことや、明治天皇の肖像と広く思われているものが実は西洋人が描いた油絵であって全然本人と似ていないことなど、いくつかの興味深いものはあります。
しかし、それだけです。
天皇をテーマとしたオペラや日本風景論など、そのほとんどは大して価値も無い膨大な資料の「抜き書き」と「引用」であって、改めて読むに値しないものです。インタビューや聞き取りも表面的で解釈も恣意的です。
優れたジャーナリストであれば、その膨大な資料から帰納的に何らかの識見や隠された真実を描き出すことに成功するはずですが、この著書に関しては単なる羅列が延々と続くだけで正直『がっかりだよ!』なのです。
徒に小難しい文体や表現で取り繕っても、その内容の希薄さは隠すことはできません。
道路公団改革でその力量と限界をみせた猪瀬氏は、残念ながらジャーナリストとしても著述家としても一流ではないのでした。

初版からすでに20年。
西武帝国は崩壊し、原宿の国土建設本社ビルも解体されありません。
原宿の皇室ホームが利用されなくなって久しく、丸の内には超高層ビルが林立する21世紀の今。この一冊にどんな価値があるのか?
同時期の田中康夫の世相を鋭く切取ったコラムに価値を見出すのは私だけではないように思われます。

ミカドの肖像 ミカドの肖像

著者:猪瀬 直樹
販売元:小学館
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