« 新献策十講:憲法改正手続法の制定 | トップページ | 新献策十講:「国民の権利と自由の保護省」の創設 »

2007/08/08

新献策十講:自由教育法の制定

安倍首相のもう一つのこだわりが教育である。
極めて乱暴な強行採決の連続で教育基本法が改正されたのは記憶に新しい。
では何をどう変えたのか? 実質的な討論もなかったことで、改正内容の全体像さえ国民の多くは知ることもないままである。
何が問題で、何を理想の教育とするか。
その基本認識さえコンセンサスが得られないまま、文部官僚主導で作成された改正法に未来はない。
何しろ戦後半世紀、今日の教育の荒廃を招いた当事者が立案したのである。
「泥縄」どころか「泥棒本人に自らを縛る縄を綯わせた」のである。
当事者として確かな教育システムを構築できなかった文部官僚に教育の理想は語れない。

教育の理想像、理想の教育システムを明確に提示することは、現時点で優先順位の高い魅力的な政策課題である。

教育については、自由と選択をその基本原則としたい。
今回放棄された「ゆとり教育」の失敗の本質は、「ゆとり」の内容までをも統制しようとした現在の画一的で中央集権的な教育システムそのものにある。
教育そして学習は、本来的に国民の自由権に属するものであることを再認識しなければならない。

普段なにげなく使っている「義務教育」とは何か?
「誰の」「誰に対する」「義務」なのか?
「義務」に対応する「権利」とは何かを考えてみたことがあるだろうか。

日本において「義務教育」は明治維新から間もなく開始された歴史の古い制度である。戦前においては「義務教育」も無料ではなく、多くの貧しい国民にとってその学費の負担は相当のものであった。
しかも、自らの子供を学校に通学されることは国民の「義務」であった。
通学させないものは、犯罪として処罰の対象にさえなったのである。
「義務教育」とは国(正確には市町村)が設置する小学校に、子供を通学させる義務を国民が負うことに他ならないのである。

では義務教育導入前、江戸時代の国民の就学率は低かったのか?
経済的にも裕福になり、商品経済が発展していた江戸末期において、国民の就学率は高い。特に江戸や大阪での就学率は驚くほど高かったのである。
幕府が強制するまでもなく、庶民は自らの稼ぎと必要に応じて子供を寺小屋や手習い師匠に通わせた。江戸の教育は「読み書き算盤」と言われるように実学そのものである。子供は教育を受けることで、確実に良い生涯を送れる可能性が高まるのである。

明治維新後、導入された国による「義務教育」は不評であった。全国画一に実施される教育は地域の実状を反映せず、子供が将来つく職業を考慮しない。「農民の子に教育はいらない」少し前まで聞かれた言葉である。その一言が明治以降の義務教育を象徴している。農民にとって教育は必要である。作物を育て売り捌くには様々な知識と経験が必要だからである。職業毎に必要な知識は異なる。
それを無視し一方的に国家が必要とする知識を教えるだけの教育は、当初から国民自身には必要とされなかったものである。
当時の国家が必要とした知識とは何か?
将来国の中核を担う官僚を選別するための知識のための知識。共通の日本語を話す均質な国民。勃興する企業が必要とする最低限の読み書きができる従順な国民。上官の命令が理解でき命令書が読める従順な兵士。
そんな「国民」を育てるのが「義務教育」の役割だった。

戦後も義務教育は残った。
一旦は市町村教育委員会に分割され自由化された義務教育は、独立回復後早々と戦前の画一的で中央集権的な仕組みに戻されたのである。
戦後教育の歩みは不幸である。
基本理念は常に混乱し、国民的コンセンサスは一度も成立したことがないと断言できる。
事実としての義務教育は、高度成長期に大量に必要とされた均質なホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者を量産し続けたのである。
均質で無個性で非創造的な国民は、戦後義務教育の成果にほかならない。

教育をどうすべきか?
結論は、国・地方公共団体はその過程から「全面撤退」することである。
教育機関や教育内容は国民の自由に任せるべきなのである。自由に任せさえすれば、時代に即して企業や社会が必要とする人材を育成するための多様なプログラムが多くの民間企業により提供されるのである。

国はなにをするべきか?
まずは国家自身が必要とする人材を育成するための高等教育機関を設置する。明治維新後まもなく創設された帝国大学の再興である。
それから各種職業が必要とする技能の認定、すなわち国家資格の認定である。社会や企業が必要とする人材像を明確に定義し、試験を行い資格を付与する。これを的確に行えば、教育の過程に国家が関与する必要はない。自動車運転免許が国家試験により与えられるにも関わらず、その教育は民間に任されているのと同じである。
試験に合格できない悪質な民間教育機関は自然に淘汰される。それが自由経済の原理である。
経済的理由で教育を受けられない国民への援助は重要である。国家の責任で基金を創設し、憲法が保障する教育権を実現するための無利子貸付制度や奨学金制度を創設するのである。
教育は国民一人ひとりが、より豊かで充実した人生を生きるための自己投資である。国家のための人材育成ではない。国民自らの成長が教育の目的なのである。

最後に自由教育法の骨格を示しておきたい。
・自由教育法を定め、教育基本法等の既存法は一切廃止する。
・教育の原則は国民の自己実現にあることを明確にする。
・就学義務を廃止し、一切の教育は国民の自由とすることを明確にする。
・文部科学省及び都道府県教育委員会を廃止する。
・義務教育小中学校は廃止し全面的に民営化する。
・高等学校以上の高等教育機関は原則として廃止し一部を独立行政法人化する。
・私立学校に関する全ての規制を撤廃し、設置者・教育内容とも自由とする。
・国、地方公共団体が自らの必要に応じて学校を設置運営できることを明確にする。
・職業等に関する国家資格を整理統合し、資格認定制度を一元化する。
・国立学習援助基金を創設し、だれもが教育に必要な資金の援助を得られるようにする。
・中長期的な教育課題や標準的な教育カリキュラムを明らかにするため、中央教育会議を創設する。
・悪質な教育機関を監視処分する行政委員会として、市町村教育委員会を再構築する。
・教育委員会を公選制に復帰する。

|

« 新献策十講:憲法改正手続法の制定 | トップページ | 新献策十講:「国民の権利と自由の保護省」の創設 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/46036/7414216

この記事へのトラックバック一覧です: 新献策十講:自由教育法の制定:

« 新献策十講:憲法改正手続法の制定 | トップページ | 新献策十講:「国民の権利と自由の保護省」の創設 »