« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008/05/21

日本が危ない:年金税方式試算の偽装〜政府よ!おまえもか〜

政府が基礎年金を社会保険方式に変えて税方式にした場合の試算を公表した。
いかにも突然の感じがするこの発表は、社会保険方式を維持したい意図があまりに明白すぎる。
これは「政治的意図」を超えて「偽装」と呼ぶべき悪意がある。
善良な国民をある目的を持って騙すのは犯罪である。「政府が国民を騙す」日本が太平洋戦争の敗戦で学んだ最大の教訓は、もはや失われてしまった。
日本が危ない。だが、どうすれば良いのか。真剣に考えないといけない。

具体的に「偽装」を検証しなければならないが、厚生労働省HPで公開されている資料は、それを挫くかのように詳細で多くの仮定のうえに試算されている。詳細に読み解くには相応の知識と根気が必要であり、現時点では十分には把握できていないのは事実である。
しかし、ごく単純に考えてもいくつもの疑問が生じる。まずは、その指摘をしてみたい。

厚生労働省の記者クラブに提供されたであろう発表資料は、通常ごく要約され簡単に新聞記事にできるようポイントのみが記されたものである。つまり、この記 事を書いた記者は実際の試算結果を詳細に読むことなく、官僚が「特定の意図」のもと要約したコメントをそのまま記事にしていることが大半である。なにし ろ、発表後数時間で記事を入稿するためには、数十枚以上にびっしり記載された報告など読む時間などないのだから。

まず認識すべきは、「現状と同一の年金給付をする」ことを前提として試算するなら、「それに必要な費用の総額」は「必ず同一」でなければならないことである。
年金給付の総額が増減しないのに、それに必要な費用が増減することはないのである。
今回試算は、国民一人ひとりの基礎年金額が同一との前提なのだから、費用の徴収方法がなんであれ、費用が増加することは決してない。
すなわち「税方式にすると負担が増える」ことはないのである。
試算の「偽装」により、そう誤解させられているのである。
試算の結果、一般国民の負担が増加するとの誤解を生じるのは、いくつかの偽装が巧みに組み合わされているためである。
試算そのものが誤っているのではなく、誤解を生じるように加工されているのである。
したがって、じっくりと「正しく」読めば、それが誤解だとわかるようになっている。それが、霞ヶ関の官僚の常套手段であり、責任回避能力である。
明晰で優れた頭脳は、もっと有意義で建設的なことに活用してほしいと心から思う。

「全額を税方式にすると、現状と比較して大幅に国民の負担が増える」

この解説の最大の問題点は、税方式にした場合の負担を「現時点」の負担と比較していることにある。同一時点での「税方式」と「保険方式」を比較するなら意味があるが、時点が異なるものを比較する意味はない。将来の国民の負担が増えることは事実だが、それは「保険方式」でも同様である。すなわち、税方式にした場合の試算であるとの先入観が、将来国民の年金に関する負担が増えるという事実の原因を、税方式に変更したためと誤解させているのである。
年金に関する国民の負担が増えるのは、年金受給者が増えるためである。それは税方式でも保険方式でも変わらない。

「一般サラリーマン世帯の負担は保険方式の場合より高くなる」

この解説の意味するところは複数の要素が複合している。一つはサラリーマンの負担は所得により増減しているがそれを平均にしていることである。現在の社会保険料負担に上限が設けられていることから、相対的に高所得のサラリーマンの負担は増加し、低所得のサラリーマンの負担は軽くなっているはずだが、それを平均化することで大多数を占める「低所得のサラリーマン」の負担も高くなるように誤解させている可能性が高い。消費税は累進制も逆進性もないので、高所得で高消費の国民が上限なく納税する。すなわち、消費税方式にすれば負担が増加するのは高所得者のはずである。
もう一つはサラリーマン以外の世帯の負担である。自営業者などが対象の現在の国民年金は定額制である。その納付率は低く減免者も多い。そもそも所得補足率が低いため、実際の所得と国が承知している所得が大きく違っている。国民年金加入世帯の実負担額は大きく増加するはずであるが、それこそが税方式移行の最大の利点であり効果にほかならない。それでこそ社会的公平が確保できるのである。
もう一つある。

「税方式にした場合、全額を消費税とすると税率は18%になる」

この試算の最大の悪意は、税方式への変更の前提として全額を消費税としていることにある。すなわち、企業の年金負担額をゼロにしてしまっていることである。
現行の社会保険方式では、原則として年金の費用は労使折半である。将来の年金受給者である国民が負担する保険料と同額を使用者である企業が負担する。自営業者の国民年金では、同額を国が負担する仕組みである。(現状は1/3)
年金の財源は、労働者である国民が半分、使用者である企業が半分、それが現在の仕組みである。それを全額を国民が負担し、企業が一切負担しないのであれば、国民の負担が倍増するのがしごく当然である。
企業の年金負担が一切廃止されることは試算の大前提であるのに、よくよく注意しないとわからないほどに、他の仮定に紛れるようにしか説明されていない。当然に、記者向けの資料にもほとんどコメントされていないのだろう。この重大な事実を記事にしているのは、ごく一部の有能な記者がいる新聞だけである。
年金制度が、歴史的に企業年金として発展して来た歴史から、年金は労使折半が合意された前提である。それを踏まえて税方式も検討するのが当然であろう。
すなわち消費税を「国民の負担」と考えるなら、現在の企業負担額と同額は法人税の増税で賄われなくてはならない。
将来の消費税額を試算するためには、「将来の年金給付額 - 年金財源分法人税の増税」を、総消費額で除すべきなのである。
いつのまにか企業の年金費用負担義務を免除してしまい、すべてを国民だけの負担としてしまうのは「偽装」以外の何ものでもない。

また、消費税率は全品目が同一税率である必要もない。食料品や医薬品など必需品と贅沢品は別税率であっても全く問題がない。消費税の逆進性を問題にするとき、複数税率が可能であることを忘れてはいけない。高額所得者特有の消費パターンがある。正しく税率を設定すれば、消費税にも累進性を持たせることは十分可能である。
それにより、一般サラリーマン世帯の負担を低減することは十分可能である。


「税方式にすると未加入者が得をする」

よく見かける議論だが、根本的に間違った認識である。年金は現行方式でも加入者に経済的権利を与えているものではない。ひたすら年金掛金を払いつづけても支給年齢前に死亡してしまえば年金は一切支給されることはない。もちろん相続されることもない。逆にぎりぎりの加入年数でも長生きすれば掛金よりはるかに多くの年金が給付される。法律が改正すれば年金額を増減させることも一切問題はない。そもそも、福祉国家・日本では原因が何であれ経済的に困窮した国民は国家の責任で生存することが憲法で保証せれている。すなわち、年金見未加入者が生活に困れば、善良な国民が納めた税金で生活保護費が支給されるのである。
もし税方式に移行するのであれば、現行保険方式はその時点で「清算」する。それが正しい姿である。その時点までに支払った掛け金に応じて、残余財産を分配する。それを徹底すれば良いだけである。未加入者には一切の払い戻しはない。真面目に掛金を払ってきた国民には公平に残余財産を分配する、それだけである。
もし、現行年金制度を清算して掛金総額より少ない払い戻ししかないとしたら。それは、すでに現行年金制度が崩壊していた証明にしか過ぎない。そのツケはいずれ国民に回るのだから、早くに清算することこそが最大の解決策なのである。将来支払うべき年金財源がない。それがバレルのが怖くて厚生労働省が税方式への移行を必死で拒否している可能性は高い。


「現行方式(保険方式)のほうが税方式より国民の負担が低い」

今回試算を見て(ほとんどの人は報道された記事やニュースを見て)、多くの国民が誤解するであろう結論であるが、実際の試算資料には、そのようなことは全く書かれていない。
この試算は、税方式の場合の負担額などを試算したもので、現行方式の場合の試算と比較できるようには整理されていない。いくつか比較したものも含まれているが、例えば年金未納率などが現実的でないほど高く設定されているなどして、公平に比較ができるようにはなっていない。
国民が納得できるような前提・仮定のもとで現行方式での同様の試算をすれば、結論はほとんど同様に国民の負担が激増する結果になるはずである。
なぜなら、最初に指摘したように給付総額が同一なら費用総額も同一だからである。
労使折半の年金負担を、労働者だけの負担にして、国民の年金負担額が増えないわけがない。


「税方式はダメ」すなわち「現行方式が良い」

こんな誤解を生じさせる「偽装」を国が行う。
日本はひどい国だと言わざるを得ない。
だが、そのひどい国を作ったのが主権者である国民自身なのだと、まず認識しなければならない。
そうすれば、それを抜本的に正す権利が国民にあるのだと理解することができる。

官僚は敵ではない。
僕(しもべ)である。
主(あるじ)は僕に使われてはならないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/06

BraveBook:カフカ「変身」

変身―カフカ・コレクション (白水uブックス)



東急線の各駅で無料配布されている「SALUS」5月号の書評欄にカフカの「変身」が紹介されていた。
出版社とのタイアップで新刊の書評ばかりの昨今、「SALUS」は古今東西の名作を改めて紹介する唯我独尊さがすごい。ちなみに前号は谷崎潤一郎の「細雪」。

名作は知識として知っていても、なかなか改めて読んでみようとは思わないもの。
しかも、この「名作のツボ」を担当している やました・あつし氏の書評が良いのです。
単なるあらすじ紹介でなく、と言って博識ぶりをひけらかす訳でもなく。
21世紀の今日、現代人が名作を読んでの素直な感想や感動が素直に書かれていて、名作を読む敷居をぐんと下げてくれるのです。

さてカフカの「変身」。ある朝起きたら自分自身が虫になっていたという不条理文学の代表作。その程度は国語の授業で習った覚えがありますが、そう要約されてもわざわざ読まないです、ね。
やました氏の凄いのは、まず虫になったセールスマン氏が、虫になったことより、寝坊したことや上司にどう言い訳しようかとまず考え尽くすところに着目したこと。彼によれば、これはカフカの徹底的なボケと言い切ってしまうこと。
更に凄いのは、後半家族から迷惑がられ無視されていく虫になったセールスマン氏を、現在のニートやフリーターと重ねあわせてしまうこと。これでグッと不条理が現実味を帯びることなのです。
「変身」の書かれた時代背景を学ぶことは結構面白いのですが、その不条理を現代社会に焼き直すことを通じて、普遍性が浮かび上がってくるのです。

改めて読んだ「変身」は陰湿で悲惨で淀んだような陰鬱な作品でした。
それでいて教訓的で社会や家族が持つ本質的不条理さを再認識させるやはり名作なのでした。

ある日、脳梗塞で倒れた時、交通事故で半身不随になった時、医療事故で植物人間になったとき。
誰もがカフカの描く「虫」になるのです。
なぜ虫になったのかと問うことの意味すらない本人と家族の悲惨な状況は、100年を経た21世紀の日本においてもほとんど変わらないことには愕然とします。

福祉国家を指向したこの100年は何だったのか。喜ぶべき長寿・長命を「後期高齢者」と分類し社会の「負担」としか認識しないこの日本で、言葉を理解できても話すことのできない「虫」の悲惨を痛感したのです。



変身―カフカ・コレクション (白水uブックス) 変身―カフカ・コレクション (白水uブックス)

著者:フランツ カフカ
販売元:白水社
Amazon.co.jpで詳細を確認する



| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/05/04

BraveBook:馬場喜信「浜街道」

浜街道—「絹の道」のはなし  かたくら書店新書

幕末から明治、日本にも「絹の道」がありました。
横浜と八王子を結ぶ道。
いまでは、ほとんど道筋を辿ることもできない、約半世紀だけ隆盛を極めた道です。

忘れ去られた「絹の道」別名「浜街道」が再発見されたのは、ほんの数十年前。
多摩ニュータウンの一画の丘陵地。
幹線道から外れていたために、往年のままの街道がわずかに残っています。

この本は、それ歴史、地理などを中高生向けに書いたものですが、実に簡潔でガイドブックとしても良くできています。

幕末の横浜開港の主役は絹、正確には生糸でした。
江戸時代から八王子に集荷され、江戸(東京)に出荷されていた生糸は、横浜貿易が開始されると浜街道により出荷されるようになります。
その主役となったのが浜街道の中程にある鑓水商人。
有名な横浜の原三渓など「売り込み商人」に生糸を売って、彼らもまた莫大な富を得たのでした。

巨富を築いた鑓水商人は、三多摩から秩父地区の繁栄の基盤でした。
幕末に活躍した新撰組。明治初期の自由民権運動。
すべては幕末の生糸貿易と密接に関係しています。

明治17年。その繁栄は突然終焉をむかえます。
歴史教科書には多くは語られない、その理由は謎が一杯です。
ともかくも、その年を境にして横浜、八王子、秩父を結ぶ「線」と繁栄は消え去ってしまうのです。

横浜暮らしを機会として、最近その「謎」を解明しようと研究を始めています。
ぼんやりと浮かび上がってきたのは「政治の影」。
歴史教科書が原因とする「欧州の生糸不況」はどうやら幻のようです。
幕末の動乱を発端とする旧幕府勢力と明治新政府の確執。商売敵・高崎地区への明治政府の強力な肩入れ。司馬遼太郎なら波乱万丈の大河小説の一つも書き上げるであろう、意図的に隠された「真の歴史」が見えてきつつあります。
研究成果は、いずれこのブログで発表しましょう。

まずはこの一冊で横浜にあった「絹の道」の基礎知識を学んでみていただきたいと、ご紹介します。

浜街道—「絹の道」のはなし  かたくら書店新書




| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »