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2008/08/30

横浜「絹の道」物語 3

2 横浜が独占する生糸貿易

当初試行錯誤があった輸出品だが、まもなく茶そして生糸が横浜では圧倒的割合を占めるようになった。

生糸の産地は信州から上州にかけての山間部である。外国貿易が禁止されていた江戸時代にあっては、集荷された生糸は主に上方(関西)に送られて絹織物に加工されていた。その南端にあって集荷・加工の重要拠点であったのが八王子である。上州方面からは中山道で、信州方面は甲州街道経由で、秩父方面から大小の陸路で、八王子に集荷された生糸は江戸湊に送られ、大型廻船に水路で上方に送られていたのである。

八王子と横浜は地図で確認すると意外にも近い。横浜と江戸・日本橋そして八王子をそれぞれ線で結ぶと、ほぼ等距離の30キロほどである。一方で八王子と日本橋は40キロ近くある。
横浜開港により生糸が有力な貿易品とわかると、八王子から生糸は横浜に直送されるようになったのである。

八王子には生糸の市場があった。そこで生糸を買って横浜に持ち込むのである。商品経済が成熟していた江戸末期の市場では生糸の売買は実質的に自由である。横浜で一儲けしようと思う投機的商人が多数登場し、事実として生糸貿易で莫大な富を築いていくのである。
生糸(絹)は、重量あたりの単価が高く利幅の厚い商品として、輸出入双方にとって魅力的な商品であった。

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