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2008/09/13

横浜「絹の道」物語 4

B  生糸の流通経路
  1  養蚕と集荷

生糸は古くからの日本の産品である。土地や痩せ米穀などの生産に適さない山間地では、盛んに養蚕が行われ生糸が生産された。現在の長野県から群馬県の山間部に広くその生産地は分散している。

養蚕は基本的に農家の副業である。狭い田畑を耕作しつつ、養蚕を数少ない現金収入得るための副業とすることが盛んであったといわれる。生糸から生産される絹織物は贅沢品である。農家がそのまま衣服とすることはなく、山間の村落で加工・消費されることも稀であった。
繭から生糸に加工された絹は、地元の商人の手によって近隣の宿場の問屋へと集荷され、江戸を経由して京都などへ送られたのである。
個々の農家を回って生糸を集める商人から、問屋へ。問屋は江戸の取り扱い商人に集荷された生糸を纏めて送り、江戸の生糸商人は回船問屋を使って上方の商人にそれを売る。上方の生糸商人が京都・西陣などの絹織物業者へ、それを販売する。そのような流通システムが江戸末期には完成していた。

関東から東北に至る養蚕地帯だが、生産された生糸は、主要な織物産業が集積する関西への輸送に便利な、最南端の八王子周辺に集荷されるのが一般的であった。

八王子には生糸取引の市場があって、取引する商人で大変に賑わっていたという。大小の商人の手を経て、八王子の生糸市場に集荷された生糸は、その多くが江戸・日本橋の商人に売却され、中山道や相模川によって江戸湊に輸送されていた。関東近郊で消費される低品質の絹織物を生産するのも八王子近郊であった。

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