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2008/09/20

横浜「絹の道」物語 5

2  横浜「絹の道」の誕生

甲州街道の宿場である八王子は、関東平野の西端に位置している。小仏峠を越せば甲州盆地である。ゆったりした平地で多摩川にも近いことから、八王子は水運・陸運の結節点として大いに賑わった。八王子地域は、東京西部きっての物資集散地そして加工地であった。
信州・甲州から甲州街道を経て運ばれてくる物資、五日市・青梅から秩父地方に至る物資、多摩川の水運による物資が八王子に集まり、再び街道や水路で遠く江戸・日本橋までにも送られていた。

江戸・日本橋は別名を江戸湊という。隅田川の河口にあたる江戸湊は、上方(関西)や東北・北海道からの廻船、通称千石船の終着点である。また、関東平野の中小の河川の水運により関東平野の産品も集荷されてくる。全国各地の産品が江戸湊に集積され、日本橋の無数の蔵に保管され、取引後に再び全国各地へと送られていくのである。日本橋・江戸湊は関東最大の流通拠点であった。
甲州や武州の名産であった生糸もまた、陸路で八王子に集荷された後に、多摩川の水運又は甲州街道によって江戸・日本橋の生糸商人のもとへと送られていた。八王子で取引される品質の良い生糸は、菱垣廻船などの海運によって、大阪を経て京都西陣などに輸送され、高級呉服の生地に加工されるのである。

横浜開港の初期、輸出用の生糸は江戸・日本橋の商人により水路で横浜へ運ばれていたといわれている。

続きはこちらからお読みください。

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