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2009/01/21

日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 2

戦前の労働環境
 
明治維新によって始った近代日本だが、労働環境に関しては江戸時代以来の歴史的背景による日本独特のものも少なくない。欧米の多くの国が産業革命後に、中世の停滞から突然急速に資本主義的経済制度に変化したのに対し、江戸期の日本は経済制度においては既に相当に商品経済が発展していたためである。
 資本論で単純化されるように、欧米各国においては「生産財」を独占する資本家と土地所有者、そして「労働力」以外をもたない労働者しかいない。資本家は「商品」を生産するための「資源」の一つとして「労働者」を必要とする。すなわち労働者も一つの「財」として「雇用」されるものであった。初期資本主義体制下にあって、労働者の保護立法や団結はこのような背景のもとに発展していったのである。
 日本においては、封建体制下にありながら商品生産と全国的流通が江戸時代に相当に発達していた。大小の商品生産者がいて、それを流通させる回船などが運行され、消費者に販売する商店も組織化されている。その各段階で労働力が必要とされ、実に多様な雇用関係が成立していたのである。
 その意味で、欧米の近代的労働法制は明治期にあって、すでに日本の労働環境に十分適合できなかったと言っても良い。例えば、奴隷的労働の象徴のように思われている芸伎・女郎や丁稚奉公だが、実は江戸時代的な法体系ではあるものの立派に「法の保護」を受けている。いずれも一定年限の労働により契約は終了し自由に身になる。しかも「雇用期間中」の解雇や懲罰などについても厳しい規制があった。そのような複雑な労働契約に、皮肉なことに明治維新後の近代法制は十分対応できなかったのである。
 明治維新後、戦前まで時代の進行とともに労働環境は急激に変化したが、日本的労働環境として特徴的なものの一つに「請負」「人夫供給」があげられるだろう。いずれも、工場や建設現場など労働者を必要とする所へ「労働者を供給する」事業である。労働者を必要に応じて提供することが「仕事」なのである。
「請負」は現在では「請負契約」として法的枠組みが明確化しているが、前近代から存在する「請負」の意味はより広い。ある人は何かの仕事をしてもらったり、何かを作ってもらったりする一切が「請負」に含まれる。現在の「委託」や「代理」をも含めるとイメージが近くなる。その「請負」を行う組織が「組」である。今でも建設関係の会社に残る呼称であるが、基本的には抽象的な法人ではなく「人の集合体」と考えたほうが実態に近い。
「人夫供給」も基本的には「組」が行う。熟練を要しない単純労働などが中心で「組」に所属する者を個人単位で提供する仕組みである。もちろん、組織だって作業する場合の統制は「組」が行うが、通常は供給を受けたものが直接指揮をしたようである。今で言う日雇派遣はこれに極めて近い。
 「組」は人の集合体で常にある組織である。従って「請負」仕事がないときなどは組の構成員の面倒は「組」がみる、これが基本である。従って仕事が少ない不況のときなども「組」に所属する労働者は、とりあえず食うには困らないのである。「組」にとって構成員である労働者こそが肝心であって、大きな「請負」仕事を受けたときや好景気のときに人手不足にならないように、通常は過剰な労働者を抱え込む必要があったからである。熟練した労働者はどの「組」にとっても大切な資源であって抱え込む価値があった。熟練労働者を育てるのには多くの金と時間が必要で、容易には調達できない貴重な「資源」そのものだからである。
 その「組請負」と「人夫供給」が、明治以降の工場生産現場や建築現場などに幅広く取り込まれたのである。
財閥系の大資本が建設する工場には数少ない社員がいるが、生産現場そのものは傘下の複数の「組」が「請負」をし、労働者を提供するわけである。同じ工場内で所属する「組」の異なる労働者が共同作業することも珍しくなかったようである。その労働者の直接の監督者が「組」の労働者であり、財閥系会社の正社員がその監督者達を統制する。請け負った「組」が更に傘下の「組」に仕事を下ろすこともある。そんな重層構造を、日本の近代工業の現場はその当初から持っていたのである。
 財閥系企業は機械設備などのみを自己調達し、労働力の調達は「組」に依存することで、景気変動によるリスクを低減することができた。逆に言えば景気動向によらず如何に安定的に「請負」を受けられるかが「組」の器量の見せ所であり、親会社への絶対的忠誠心や不況時の組の構成員の抱え込みなどが常態化する背景となった。
 戦後改革の視点から見れば、この構造は「間接雇用による中間搾取のための構造」に他ならない。ある生産物を作るために労働者に支払われる賃金は、「組」が請負うことで1段階減少し、下請けに出されることで更に減少するからである。
 戦後、法的には廃止された「組請負」や「人夫供給」であったが、その実態は事実上温存されたのである。それは、何より旧財閥系大企業が絶対的に必要としたからであり、戦後の極度に疲弊した日本経済にあって労働者自身も求めたことだからである。米軍占領下にあって、違法的な存在をどう存続させたのか?
その手段は至って単純である。官労使の「暗黙の合意」のもとで、書類上・形式上だけ全てが合法的に偽装されたのである。そして、その監督機関である労働基準監督署には極めて少数の職員しか配置されず、その法的権限の行使も限定的に制約されたのである。戦後から高度成長期にかけて、非合法な雇用関係は数限りなくあっても実質的な取り締まりは労働基準監督署しか出来ず(警察は基本的に労使関係など民事事件には介入できない)、その労働基準監督署の数は少なく係官はわずかであった。しかも、労働基準監督官には高度な中立性と公平性が求められ、労働者保護管的役割は与えられることはなかった。
今でもその基本は変わっていない。もし、貴方が賃金支払いなどで会社側とトラブルになったら最寄りの労働基準監督署に相談してみれば、そのことがすぐ実感できる。
まず、よほど運が良くなければ歩いていけるほど近くに労働基準監督署がない。そして相談は平日昼間しかできない。しかも、電話では誤解があるといけないとの理由で来庁するよう求められる。そのうえで、本当にそのような支払いの約束があったかの証明を用意するように求められる。書面による証拠がなければそこで終わり。貴方が慎重で書面を取り交わしていたとして、労働者である貴方に「違約」行為がなかったかが厳しく審査され、いよいよ会社に非があるとなれば「指導」となる。ただし、実名を明かさなければ「直接指導」は行えない。匿名の場合は内偵捜査が行われるが何ヶ月もかかるのが一般的で確証が得られなければ会社が処分を受けることはまずない。
すなわち、貴方が解雇され以後何の関わりもない状態にならない限り、労働基準監督署に期待できることはほとんどない。
それが、この国の労働行政の実態なのです。

次回は、日雇派遣が禁止された場合に予想される新たな労働問題を考えてみたい。

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