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2009/01/18

日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 1

 年末の日比谷公園「年越し派遣村」で一躍注目を浴びた日雇派遣だが、大手マスコミの新聞報道はいつものことながら、一部の人気評論家の解説を読んでも、日雇派遣問題の本質がよく解っていないように思われる。
 解散が先送りとなり停滞する日本政治とシンクロして、硬い話題への情熱を失って久しい本ブログだが、派遣労働を巡る労働問題については、若干研究したこともあることから、今回は久々に硬く論じてみたい。

 歴史を振り返ることで物事の本質は理解できることが多い。日本の労働問題は、そのようなアプローチが最も効果的な分野の一つと言って良いだろう。
以下、日本の労働環境が大きく変化した3つの時期に区分して考えていきたい。

戦後民主改革による労働環境
 明治維新により幕をあけた近代日本の労働環境は、戦後の米軍による一連の民主改革により激変した。意外に思われるかもしれないが、戦後間もなくに形作られた労働環境を支える法体系や労働行政や雇用保険制度などは、50年を経た現在も驚くほど変わっていない。
 戦後改革の一貫した基本は、使用者(雇用者)と労働者に「介在するもの」の徹底的な排除にある。労働者は工場所有者などの雇用者が直接雇用すること、その徹底にあった。
 それはすなわち、労働者供給事業・労働者派遣事業・労働者紹介事業などの禁止を意味する。労働者を「商品」として、工場所有者など「資本の所有者」に提供することを禁止したのである。
 労働者を「商品」として第三者に「販売」「貸与」するような事業は、洋の東西を問わず広く存在してきた。最も有名なものをあげればアフリカからアメリカに奴隷を「販売」した奴隷商人をあげることができる。日本においても例外ではなく、江戸時代から「口入れ屋」などの職業紹介業者や「人買い」と呼ばれる労働者斡旋業者が数多く存在してきた。
 更には、戦時体制の強化により、労働者の離職・転職・就職の自由は極度に制限され、国の機関によってほぼ完全に統制されているのが、敗戦時の日本の状況であった。
 戦後改革により、労働者は原則として全て資本の所有者に直接雇用されるものだけに、少なくとも法的には整理された。その労働者が、雇用の形態により「正規労働者」と「非正規労働者」そして「日雇い労働者」に分類されたのである。
 正規労働者は労働基準法などが完全に適用される常用労働者であり、非正規労働者とは労働時間が短い・労働日数が少ないなど「常用」されているとは言いにくいあらゆる労働形態を含む、所謂パート・アルバイトと呼ばれる人々である。そして、日雇い労働者は後述する歴史的要因により、法的・制度的に別扱いとされた日々雇用される労働者である。
 労働基準法は労働環境の基本法であり、戦前の工場法などを拡充したものであり原則として全労働者に適用される。ただし、その水準は第一次大戦後まもなくのILO条約とほぼ同じであり、当時の欧米各国に比べて随分と見劣りするものであった。これが後々日本バッシングの要因となるが本論の趣旨とは関係ないので、ここでは詳述しない。常用雇用者は失業保険(現在の雇用保険)制度により保護される。概ねその3/4の労働を行う非常用雇用者も同様である。日雇い労働者には、別途日雇い労働者だけの別保険制度を作る。それが戦後の労働環境を維持してきた法制度である。では、常用雇用の3/4に満たない非常用雇用者はどうしたのか?民間職業紹介事業などが原則として一切禁止され、国の公共職業紹介所が労働仲介の一切を独占している状況下での強力な行政指導により、そのような短時間の雇用を使用者に対し基本的に認めなかったのである。すなわち、そのような労働者は「制度適用上は存在しない」それが建前として、ごく最近まで通用していたのである。日雇労働保険は、港湾労働や建設現場の作業員などに極めて限定的・例外的に適用され、一般の短時間労働者や臨時労働者には適用されることはない。この状況は今も同じである。
 最近の「日雇い切り」批判を受け、厚生労働省は日雇労働保険(正式には「日雇労働求職者給付金」)が日雇派遣労働者にも適用されるとの広報を始めている。ところが、実際には普通の日雇派遣労働者が、この給付金を受け取る可能性は限りなく小さい。まず、この保険の対象者となるためには日雇手帳の交付を受けなければならない。ところが、この取り扱いを行うハローワークは平成20年12月現在で全国でわずか6カ所だけなのである。

  1. 船橋(千葉県船橋市)
  2. 新宿(東京都新宿区)
  3. 名古屋中(名古屋市中村区)
  4. 大津(滋賀県大津市)
  5. 大阪東(大阪府大阪市中央区)
  6. 神戸(兵庫県神戸市中央区)

関心のある方ならすぐ分かるが、いずれも港湾労働者などが集中する地区にあって、近隣は独特の雰囲気がある。
もし日雇手帳の交付を受けたとすれば、1日雇用されるたびに雇用者(派遣労働者なら派遣会社)から証紙を一枚貼付してもらわなければならない。その枚数が直近2ヶ月で26枚あれば、職が得られなかった「その日」に上記6カ所のハローワークに早朝(ハローワークによって異なる)出頭することで、その日の昼前頃に給付金が支給される仕組みなのである。しかも、出頭時にはハローワークでは「通常の」日雇仕事の紹介を行う。これを拒否すれば当然に給付金は支給されない。
これでは、実質的に日雇派遣労働者が給付金を受けられる可能性はないわけである。

次回は、戦後改革によって禁止され消滅した「はずの」明治〜昭和戦前期の労働環境を検証してみたい。間接雇用と中間搾取の温床となった日本的労働環境は姿を変えて生き残ったのである。
その「原点」を知ることで、日雇派遣を禁止することで、どのような労働環境が出現するのかが明確になる。日雇派遣を禁止すれば、常用雇用が増加するとの認識はあまりに歴史を知らないがゆえの「幻想」に過ぎない。
戦前の亡霊を復活させないための「新たな雇用者への法規制」を伴わない限り、日雇派遣の禁止は、労働環境の戦前への回帰を生み出すだけである。
それは、誰も望まない結末のはずである。あるいは未だ戦後改革の幻想の中にいる旧労働官僚は、それを望んでいるかもしれないのだが。

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