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2010/07/17

MacLife:美術工芸品としてのiPad

今回は、iPadのハードウェアとしての魅力を語ってみたい。

iPadは、今、手に入れられるあらゆる工業製品のなかで、最も美しい製品であると思う。
航空機や列車、自動車、テレビ、照明器具など、あらゆる分野の製品には、それぞれベストデザインとしての美しい製品があるが、iPadは将来、21世紀を振り返ったとき、その一つに間違いなく上げられる「美しい製品」である。
最近のアップル社の製品のほとんどが、その候補であり、iPhoneもまたその一つであるとも言えるだろう。

iPadの素晴らしさは、板上のディスプレーという、やもすれば平凡になりがちな製品でありながら、しっかりと細部までデザインがなされているところにある。

一枚のアルミ板から削りだされた筐体は、何の迷いもない直線が美しいが、裏面は単純な数式では表現できない、柔らかなカーブを描き、中央には漆黒のアップルマークがしっかりと存在をアピールしている。

表面の光沢あるガラスは、あくまでも透明で、その下には液晶パネルと判別できない漆黒のパネルがしっかりとはめ込まれ、エッジ部分に角度をつけたアルミ筐体になんの隙間もなくピタリと収まっている。
中央下部の起動ボタンは、まったく主張がないにも関わらず、初めて使う人にも、その目的がはっきりと解り、エッジに配置された数個のスイッチも、控えめでいてその目的どおりにデザインがされている。

iPadやiPhoneに共通するデザインコンセプトは、所有する喜びをはっきり感じさせることにこそ、あるのではないかと思う。
それは、20世紀の初頭の懐中時計やシガレットケース、ライターや万年筆などの、当時の洒落者や社会的成功者のステータスとしての工業製品、いや工芸品と共通するものである。

20世紀の後半の工業製品を支配した人間工学的配慮の行き届いた製品群とは、明らかに異なったデザインコンセプト。それを、最近のアップル製品には感じる。

振り返ってみると、アップル社のマッキントッシュはハードウェアとソフトウェアが一体化した、最高に魅力的な人間工学的配慮が徹底された、優れたパソコンであった。
デスクトップを模倣することで、コンピューターOSをコマンドから開放し、マウスを多用することで、パソコン操作をキーボードから開放した功績は、今も輝きを失っていない。

その成果のうえで、自らの製品群に工芸品的価値を付加することこそが、現在のアップル社のテーマなのだと、最近特に強く感じる。
アップル社が既に習得しているポリカーボネイドの筐体を使用し、蓄積されたユーザー経験を活用すれば、今よりはるかに軽量で落下の心配をしないですむiPadやiPhoneを製品化することは、何の苦労もないはずである。
それにも関わらず、アップル社が決して、そのような製品を発売しないであろうことは、今や誰の目にも明らかになりつつある。

スティーブ・ジョブス氏のこんな呟きが聞こえないだろうか?
「手に馴染むグリップがついたiPad?ハンドストラップを通す穴?液晶画面が傷つかないためのカバー? そんな不格好な製品を本当に持ちたいのかい? 少なくとも僕の心地よい書斎に、そんな物は決して置きたくないと考えているよ。」

あるいは、こう考えるといいかもしれない。
貴方が、多少とも社会的成功者で、自宅のテーブルウェアを買い替えるとしたら、実用性に優れ、食器洗器を当たり前に使える、大手スーパーでごく安価に買える諸食器を購入しないということである。
個人の趣味に属することなので、その選択は様々だろうが、バカラのクリスタルグラスやジノリ、マイセン、ウェッジウッドなどの食器を、貴方は購入する。
なぜなら、それが社会的成功者の証明であり、自己満足を最大化させる選択だからである。

もし、あなたがウェッジウッドのジャスパーのコーヒーカップ(もちろん、好みによってバカラのウイスキーグラスでも同じだが)を買ったとき、その繊細な表面が傷ついたり、誤って落としてしまわないよう、最大限の注意を持って取り扱うに違いない。
それは、貴方にとって「面倒くさくて」「やっかいな」ことではなく、そのような高価で繊細な製品を所有していることの満足感を高めてくれることなのである。

iPadは、そんな製品に仕立て上げられているのである。

iPadに、滑り止めや傷防止の透明カバーを付けたり、革のジャケットを付ける人は多い。

「パカラのグラスに、それを付ける人はいない。その意味がわかっているのかい。」

そんなスティーブの呟きが再び聞こえてくるような気がするのである。

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2010/07/09

MacLife:iPad読書ノススメ

iPadを使いはじめて、早いものでもう1月
ずっと前から、使っていたように、今ではすっかり生活の一部になっています。

iPadについては、書きたいことが沢山あるのですが、まずは誤解の多い「読書のための機械としてのiPad」についてです。

残念ながら、2010年7月現在で期待されたiBooksStoreには、日本語書籍はほとんどなく、まるで見知らぬ国の洋書店に迷いこんだような気持ちになった方は多いと思います。
クリック一つで、日本語の新刊本が手に入るのには、まだしばらくかかりそうな様子です。

では、それまでiPadで「読書」ができないのか?
そんなことはありません。
いくつかの専用アプリで、本や雑誌を読むことができます。
まだまだ、発展途上で、操作性が悪かったり、掲載されているのが一部だけだったりと十分とは言えませんが、日に日に環境は良くなっていると思います。
いずれも、iPadのAppStoreアプリから、簡単に探すことができるので、ぜひ利用してみましょう。

その中でも、何といっても一押しなのが「SkyBook」です。
そこには、無数の明治から昭和初期までの名著が溢れているのです。
アプリも本も一切無料。
アプリをダウンロードしたら、「作品追加」ボタンをクリックして本をダウンロードする、そんな仕組みです。
写真やイラストはなし。従って容量も小さめで数百ページの本もあっと言う間にダウンロードが完了します。
とは言っても、通信料がかかる3Gではなく、Wi-Hiでの利用が良いでしょう。

実はこのアプリは「青空文庫」のiPad版なのです。
なぜアプリの名称を「SkyBook」としたのかは不明ですが、「青空文庫」なら知っている方も多いはず。
全ての本は、著作権の切れたものばかり、電子化作業は全てボランティア。それが全て無料の理由です。
でも、無料だからこそわざわざ購入したりしない、明治や大正の文豪達の名著を気軽に読めるのです。
学校の教科書で、ほんの一節だけ読んだことのある小説を、改めて読んでみるのは、思った以上に感動的な体験です。
また、多数のボランティアの方々が、個人的な趣味で電子化しているが故に、小説に限らず、今や絶版となった随筆やコラム、書簡などまでが読めるのも感動的。
名前しか知らない作家達の、人間性がわかったりして、100年たっても人間なんて一緒なんだななどと感慨にふけったりもできます。

横表示に対応していないなど、アプリケーションそのものの操作性は、ちょっと独特で慣れが必要なのですが、フォントやサイズ、紙の種類(!)までもが自由に設定できて、真に「読書」を楽しむことができるのです。
iBooksが軌道にのるまで、ぜひSkyBook読書を楽しみましょう。

ちなみに、iPadでの読書には書見台が最適だと思います。
もちろん、ソファーで横になって見るのも良いのですが、名作や名著を読むならば、しっかりと机に向かって読みたいもの。
スタンドでは、やや角度がありすぎて読みずらく、といってそのまま置いたのではやはり読みにくい。
自由に角度がつけられる書見台は本当に便利です。
個人的には、iPadというハイテク機器だからこそ、あえて木工製品で瀟洒な彫刻など施されたクラシカルなものが気分です。
アマゾンで検索しても、どうもピントくるものがないのが残念。
近いうちに、西荻窪あたりの骨董店などを探検してみようと思っているのです。


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