カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2011/06/26

BraveBook:かわぐちかいじ「ジパング 14」

米軍機の猛攻にさらされる「みらい」
「みらい」への被弾を防ぐため「海鳥」の機首を真下に向ける佐竹一尉
死を覚悟した「特攻」
一方、操縦不能になり「みらい」に向け真っすぐに墜落していくB−17
搭乗員の命を救うため、必死に操縦桿を引き上げ、衝突を回避するハットン中佐
同じ「死」でも、その意味するところは全く違います。

巻頭いきなりのクライマックス
日米の違い、特に国と国民の関係の違いは、作者かわぐちかいじ氏の関心の一つなのでしょう。
戦闘機や特殊艇による「国民の死」を前提とした「国家のための死」、「特攻」
それを「是」とし、「美談」とした大日本帝国とその国民
その思想を根本的に理解できなかったであろうアメリカ合衆国とその国民
太平洋戦争では、その「相互理解不能」が生み出した悲劇がいくつもあります。
そんな思想の違いを端的に描き出した名場面から、この巻は始ります。

日米終戦に向けたワシントンの思惑、「みらい」の運用を巡る艦幹部の思惑、南京での原爆製造の準備と、物語は足早に展開していきます。

巻末に阪神大震災での海上自衛隊の活動を描く外伝が掲載されています。
角松一尉と梅津阪神基地隊副長との出会い、二人の考え方の違いが上手く描かれています。
今回の東日本大震災では、海上自衛隊の活動はあまり目立ちませんでしたが、それが阪神大震災以降に陸上・海上両自衛隊の連携と一体運用が日常化した結果だと信じたいと思います。


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2009/01/23

日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 4

「派遣切り」をどう解決するかのいくつかのアイディア
 一部評論家などが主張するような「日雇派遣の禁止」、すなわち派遣業法の再改正によって、日雇やごく短期の派遣、そして製造・建設などの業種への派遣禁止をすることで、この問題が解決しえないことは、以上みてきたように明らかである。
 戦後日本は労働基準法など法や行政制度上の建前では、直接雇用を原則とし日雇労働を例外として、間接労働を認めない国であった。しかし、その実態は、戦前からの労働者供給事業そして請負制度が実質的に温存され、大企業の工場内でさえ「社外工」「臨時工」さらには社内のみ通用する符牒で区別される下請企業の労働者が多数存在する国であった。大企業正社員と下請企業社員では歴然とした賃金格差や待遇格差が存在したが、法の建前と整合性をとるため名目的に職務に差異を設けるなどして、それを労働行政が黙認するような国であった。
 日雇派遣の禁止は、その格差を解消するどころか、労働環境を再び「戦後改革の建前」へと押し戻してしまうだけであり、何らの解決にもならないことは、あまりに明らかである。

 では、この問題はどう解決されるべきだろうか。どれも決定的とは言えず、別の問題も新たに引き起こす可能性があることを予め断りつつ、次の2つを提案したい。

  1. 労働契約書面化義務化と解雇規制の導入
  2. 同一労働同一賃金原則の法制化と雇用保険制度の抜本改正

 現行法では、労働契約は書面によることを求められていない。そのため、ひとたび転勤や減給・解雇などの問題が生じると、そもそもどのような条件で雇用されていたかを客観的に証明することは相当に困難である。それが、使用者に対して労働者が弱い立場におかれる大きな原因の一つである。
労働の内容、就業場所、賃金、期間などを雇用開始時に契約書として取り交わすことで、多くの問題は予防できる。この書面化の義務づけが法制化できない最大の理由は大企業が反対しているからである。事後的解決を容易にすることで、不当解雇などが予防できることは疑いがない。
 解雇規制にも、大企業を含む多くの雇用者は反対である。戦後長い期間、労働者の安易な解雇は公共職業安定所などの行政指導で抑制されてきた。その法によらない事実上の規制が一気に撤廃されたのが「小泉改革」のことである。確かに行政機関による恣意的な規制は好ましくない。労働者保護の観点にたって、労働基準法などに明確に解雇要件を限定列挙するのが法治国家であろう。
 ただし、この2つの導入により、短期的には求人需要は大きく減少することは避けられない。容易に解雇できればこそ、企業は雇用に積極的になるという側面は決して否定できないからである。したがって、解雇が横行し求人ニーズが減少している時期に、このような法規制を導入することは実際問題として不可能である。
 ワークシェアリングの導入が経済団体から提起されている状況では、2点目の同一労働同一賃金原則の法制化と労働行政諸制度の抜本改正が現実的解決策として有力である。
 賃金総額の圧縮・労働時間あたりの雇用者数増加などの側面だけで、ワークシェアリングは検討されるべきものではない。日本における少子高齢化の進行と労働者数の長期的減少などを前提として、労働者の労働条件の多様化の視点で論じられるべき大きな課題なのである。
重要なのは「同一労働・同一賃金」の原則である。同じ仕事なら時給単価は同じでなくてはならない。いかにも当然に思えるが、それが実現していないのが日本の実情である。正社員と派遣社員が全く同じ仕事を一緒にしていても、手取総賃金(ボーナスや年金額などを含む)は大きく異なる。労働者自身も何となくそれが当然と思っている、それが日本である。
 確かにある仕事の価値を客観的に金額に換算するのは難しいが、同じ仕事をしているときに、それを「誰」が行おうが同じ金額を払うことは、さほど難しいことではない。「同一労働・同一賃金」とはそのような意味であって、存在するどの仕事とどの仕事が同じ価値を持つのかを決めることではない。
 ボーナスや年金などを含め、この原則が適用できるよう法規定を整備することは、さほど難しい作業ではない。すべてを時給換算し比較可能となるよう「標準的な換算方法」を明確にするだけだからである。
 むしろ、より直接的な問題として雇用保険制度を抜本改正することが重要である。いくつもの案が考えられるが、最も現実的なのは現在の日雇雇用保険の仕組みを洗練・整理して、すべての労働者に適用させるとのアイディアである。
 現在、月給・年俸などにより給料が支給されている場合は、各種手当・ボーナスなどを加えた総額を、総労働時間で除して時給換算する。そのように、労働形態に関わらず、すべての賃金を時給に統一したうえで、時給あたりの納入印紙額を決定し、納付済印紙額を労働者個人毎に交付する雇用保険カードに記録するのである。
納付は実際に印紙である必要はなく、現行の源泉徴収と同様に会社で一括納入も認める。
 いざ失業状態になれば、雇用保険カードに記録された印紙納入額に応じて、失業手当に日額と期間が決定する。年間30日労働した人も、何十年間も勤続した人も、単純に金額換算した労働価値に応じて給付を受けられれば良いのである。
雇用の形態別に保険制度を細分化するのが愚である。時代の変化とともに、雇用形態多様化し変化するたびに、制度が複雑化し無理が生じるのは避けられない。
そのようなシンプルなセーフティネットを整備し、「同一労働・同一賃金」を法に明文化し徹底することで、日雇派遣で顕在化した「労働をめぐる格差」は抜本的に解消できるはずである。

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2009/01/21

日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 2

戦前の労働環境
 
明治維新によって始った近代日本だが、労働環境に関しては江戸時代以来の歴史的背景による日本独特のものも少なくない。欧米の多くの国が産業革命後に、中世の停滞から突然急速に資本主義的経済制度に変化したのに対し、江戸期の日本は経済制度においては既に相当に商品経済が発展していたためである。
 資本論で単純化されるように、欧米各国においては「生産財」を独占する資本家と土地所有者、そして「労働力」以外をもたない労働者しかいない。資本家は「商品」を生産するための「資源」の一つとして「労働者」を必要とする。すなわち労働者も一つの「財」として「雇用」されるものであった。初期資本主義体制下にあって、労働者の保護立法や団結はこのような背景のもとに発展していったのである。
 日本においては、封建体制下にありながら商品生産と全国的流通が江戸時代に相当に発達していた。大小の商品生産者がいて、それを流通させる回船などが運行され、消費者に販売する商店も組織化されている。その各段階で労働力が必要とされ、実に多様な雇用関係が成立していたのである。
 その意味で、欧米の近代的労働法制は明治期にあって、すでに日本の労働環境に十分適合できなかったと言っても良い。例えば、奴隷的労働の象徴のように思われている芸伎・女郎や丁稚奉公だが、実は江戸時代的な法体系ではあるものの立派に「法の保護」を受けている。いずれも一定年限の労働により契約は終了し自由に身になる。しかも「雇用期間中」の解雇や懲罰などについても厳しい規制があった。そのような複雑な労働契約に、皮肉なことに明治維新後の近代法制は十分対応できなかったのである。
 明治維新後、戦前まで時代の進行とともに労働環境は急激に変化したが、日本的労働環境として特徴的なものの一つに「請負」「人夫供給」があげられるだろう。いずれも、工場や建設現場など労働者を必要とする所へ「労働者を供給する」事業である。労働者を必要に応じて提供することが「仕事」なのである。
「請負」は現在では「請負契約」として法的枠組みが明確化しているが、前近代から存在する「請負」の意味はより広い。ある人は何かの仕事をしてもらったり、何かを作ってもらったりする一切が「請負」に含まれる。現在の「委託」や「代理」をも含めるとイメージが近くなる。その「請負」を行う組織が「組」である。今でも建設関係の会社に残る呼称であるが、基本的には抽象的な法人ではなく「人の集合体」と考えたほうが実態に近い。
「人夫供給」も基本的には「組」が行う。熟練を要しない単純労働などが中心で「組」に所属する者を個人単位で提供する仕組みである。もちろん、組織だって作業する場合の統制は「組」が行うが、通常は供給を受けたものが直接指揮をしたようである。今で言う日雇派遣はこれに極めて近い。
 「組」は人の集合体で常にある組織である。従って「請負」仕事がないときなどは組の構成員の面倒は「組」がみる、これが基本である。従って仕事が少ない不況のときなども「組」に所属する労働者は、とりあえず食うには困らないのである。「組」にとって構成員である労働者こそが肝心であって、大きな「請負」仕事を受けたときや好景気のときに人手不足にならないように、通常は過剰な労働者を抱え込む必要があったからである。熟練した労働者はどの「組」にとっても大切な資源であって抱え込む価値があった。熟練労働者を育てるのには多くの金と時間が必要で、容易には調達できない貴重な「資源」そのものだからである。
 その「組請負」と「人夫供給」が、明治以降の工場生産現場や建築現場などに幅広く取り込まれたのである。
財閥系の大資本が建設する工場には数少ない社員がいるが、生産現場そのものは傘下の複数の「組」が「請負」をし、労働者を提供するわけである。同じ工場内で所属する「組」の異なる労働者が共同作業することも珍しくなかったようである。その労働者の直接の監督者が「組」の労働者であり、財閥系会社の正社員がその監督者達を統制する。請け負った「組」が更に傘下の「組」に仕事を下ろすこともある。そんな重層構造を、日本の近代工業の現場はその当初から持っていたのである。
 財閥系企業は機械設備などのみを自己調達し、労働力の調達は「組」に依存することで、景気変動によるリスクを低減することができた。逆に言えば景気動向によらず如何に安定的に「請負」を受けられるかが「組」の器量の見せ所であり、親会社への絶対的忠誠心や不況時の組の構成員の抱え込みなどが常態化する背景となった。
 戦後改革の視点から見れば、この構造は「間接雇用による中間搾取のための構造」に他ならない。ある生産物を作るために労働者に支払われる賃金は、「組」が請負うことで1段階減少し、下請けに出されることで更に減少するからである。
 戦後、法的には廃止された「組請負」や「人夫供給」であったが、その実態は事実上温存されたのである。それは、何より旧財閥系大企業が絶対的に必要としたからであり、戦後の極度に疲弊した日本経済にあって労働者自身も求めたことだからである。米軍占領下にあって、違法的な存在をどう存続させたのか?
その手段は至って単純である。官労使の「暗黙の合意」のもとで、書類上・形式上だけ全てが合法的に偽装されたのである。そして、その監督機関である労働基準監督署には極めて少数の職員しか配置されず、その法的権限の行使も限定的に制約されたのである。戦後から高度成長期にかけて、非合法な雇用関係は数限りなくあっても実質的な取り締まりは労働基準監督署しか出来ず(警察は基本的に労使関係など民事事件には介入できない)、その労働基準監督署の数は少なく係官はわずかであった。しかも、労働基準監督官には高度な中立性と公平性が求められ、労働者保護管的役割は与えられることはなかった。
今でもその基本は変わっていない。もし、貴方が賃金支払いなどで会社側とトラブルになったら最寄りの労働基準監督署に相談してみれば、そのことがすぐ実感できる。
まず、よほど運が良くなければ歩いていけるほど近くに労働基準監督署がない。そして相談は平日昼間しかできない。しかも、電話では誤解があるといけないとの理由で来庁するよう求められる。そのうえで、本当にそのような支払いの約束があったかの証明を用意するように求められる。書面による証拠がなければそこで終わり。貴方が慎重で書面を取り交わしていたとして、労働者である貴方に「違約」行為がなかったかが厳しく審査され、いよいよ会社に非があるとなれば「指導」となる。ただし、実名を明かさなければ「直接指導」は行えない。匿名の場合は内偵捜査が行われるが何ヶ月もかかるのが一般的で確証が得られなければ会社が処分を受けることはまずない。
すなわち、貴方が解雇され以後何の関わりもない状態にならない限り、労働基準監督署に期待できることはほとんどない。
それが、この国の労働行政の実態なのです。

次回は、日雇派遣が禁止された場合に予想される新たな労働問題を考えてみたい。

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日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 3

労働者供給事業の不思議
 職業安定法第45条に「労働組合等が、労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業を行うことができる」という不思議な規定がある。前条で労働者供給事業が全面的に禁止されているが、その唯一の例外を認めた条文である。戦後の労働環境改革の主眼は、間接雇用の禁止による直接雇用への一元化であったわけだが、なぜこのような例外規定が設けられたのか。
 ここには、理想や建前ではどうにもならない日本の必要悪としての伝統的雇用慣行があった。この規定の適用が想定されたのは、主として港湾・鉄道荷役と土木建設作業である。曲がりなりにも欧米諸国を模範として近代日本に定着した工場労働やオフィス労働には、実態はともかくとして間接雇用が不可欠であるとの「言い訳」は難しい。ところが、労働時間が不定期で天候などにも影響されて仕事量の変動が大きい労務作業については、いわゆる日雇労働者がどうしても必要であった。日雇労働者を商船会社や建設会社が直接雇用することは、素人が考えてもいかにも困難である。
 米軍の指令により間接雇用は廃止しなければならない、しかし直接雇用が難しい労役作業は現に存在し、しかもそれは戦後日本にとって不可欠な港湾作業や建設作業である。いかにも日本の秀才官僚が考えつきそうな「解決策」が職業安定法第45条である。
 この条文の目的とすることは、戦後合法化され民主化の一環として設立が奨励された労働組合が、新たに労働者供給事業を開始することを促進することではない。戦前から「組」により担われてきた港湾荷役・鉄道荷役・土木工事・建設工事などへの労働者の提供を「合法化」することを目的としているのである。
 その仕組みはこうである。従来「組」が労働組合として届け出るのである。労働者の自発的に結成する労働組合には、戦後に制定された労働組合法によって雇用者はもちろん行政も組織や運営につき関与できない。その理由は労働組合運動への不当な干渉を排除することにあったが、それを逆手にとるわけである。実質的な組の幹部を含め労働者を支配する側の者をも「労働者」としてしまうことで、「組」全体を「労働組合」とする。そうすることで、従来の支配関係も指揮命令系統もそっくり温存されたまま、合法的に港湾荷役などに労働者を従来どおりに派遣できるというわけである。
 この例外的労働形態として残存した日雇労働者のために、行政が用意したのが先に説明した日雇雇用保険(日雇労働求職者給付金)である。
日雇労働者には、いくつかの特徴がある。まず日々別の雇用主に雇用されるのが一般的である。就業場所が一定しない。雇用主においては労働者を特定する必要がない。などである。
 その結果、日雇雇用保険は、例外的に労働者が「個人」で加入する形となっている。すなわち、1日雇用されるたびに、雇用主が購入した印紙の交付を受けて保険料を納付するのである。その印紙を手帳に貼付しておくことで、いざ仕事がない時には日当がハローワークから支給される。
 通常の雇用保険(失業保険)は継続する雇用関係があることを前提として、保険料は労使が折半し、雇用者が一括して国に納付する。失業給付を受けるに際しても解雇等をした雇用主が離職票などを発行するなど、むしろ事業所単位に運営されている感があるのと対照的である。
 労働者供給事業を合法化したこの条文は一度も改正されることはなく、今も日雇労働者の雇用形態を合法化する根拠となっている。この戦後改革ですらアンタッチャブルであった分野に、新たな雇用形態として、労働者派遣法により合法化されたのが日雇派遣であると考えると分かり易い。
 したがって、日雇派遣労働者は、正規雇用者・非正規労働者はもちろん、通常の日雇労働者とも法的・行政制度的には異質な存在なのである。

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2009/01/18

日本が危ない:歴史で学ぶ「日雇派遣」問題の本質 1

 年末の日比谷公園「年越し派遣村」で一躍注目を浴びた日雇派遣だが、大手マスコミの新聞報道はいつものことながら、一部の人気評論家の解説を読んでも、日雇派遣問題の本質がよく解っていないように思われる。
 解散が先送りとなり停滞する日本政治とシンクロして、硬い話題への情熱を失って久しい本ブログだが、派遣労働を巡る労働問題については、若干研究したこともあることから、今回は久々に硬く論じてみたい。

 歴史を振り返ることで物事の本質は理解できることが多い。日本の労働問題は、そのようなアプローチが最も効果的な分野の一つと言って良いだろう。
以下、日本の労働環境が大きく変化した3つの時期に区分して考えていきたい。

戦後民主改革による労働環境
 明治維新により幕をあけた近代日本の労働環境は、戦後の米軍による一連の民主改革により激変した。意外に思われるかもしれないが、戦後間もなくに形作られた労働環境を支える法体系や労働行政や雇用保険制度などは、50年を経た現在も驚くほど変わっていない。
 戦後改革の一貫した基本は、使用者(雇用者)と労働者に「介在するもの」の徹底的な排除にある。労働者は工場所有者などの雇用者が直接雇用すること、その徹底にあった。
 それはすなわち、労働者供給事業・労働者派遣事業・労働者紹介事業などの禁止を意味する。労働者を「商品」として、工場所有者など「資本の所有者」に提供することを禁止したのである。
 労働者を「商品」として第三者に「販売」「貸与」するような事業は、洋の東西を問わず広く存在してきた。最も有名なものをあげればアフリカからアメリカに奴隷を「販売」した奴隷商人をあげることができる。日本においても例外ではなく、江戸時代から「口入れ屋」などの職業紹介業者や「人買い」と呼ばれる労働者斡旋業者が数多く存在してきた。
 更には、戦時体制の強化により、労働者の離職・転職・就職の自由は極度に制限され、国の機関によってほぼ完全に統制されているのが、敗戦時の日本の状況であった。
 戦後改革により、労働者は原則として全て資本の所有者に直接雇用されるものだけに、少なくとも法的には整理された。その労働者が、雇用の形態により「正規労働者」と「非正規労働者」そして「日雇い労働者」に分類されたのである。
 正規労働者は労働基準法などが完全に適用される常用労働者であり、非正規労働者とは労働時間が短い・労働日数が少ないなど「常用」されているとは言いにくいあらゆる労働形態を含む、所謂パート・アルバイトと呼ばれる人々である。そして、日雇い労働者は後述する歴史的要因により、法的・制度的に別扱いとされた日々雇用される労働者である。
 労働基準法は労働環境の基本法であり、戦前の工場法などを拡充したものであり原則として全労働者に適用される。ただし、その水準は第一次大戦後まもなくのILO条約とほぼ同じであり、当時の欧米各国に比べて随分と見劣りするものであった。これが後々日本バッシングの要因となるが本論の趣旨とは関係ないので、ここでは詳述しない。常用雇用者は失業保険(現在の雇用保険)制度により保護される。概ねその3/4の労働を行う非常用雇用者も同様である。日雇い労働者には、別途日雇い労働者だけの別保険制度を作る。それが戦後の労働環境を維持してきた法制度である。では、常用雇用の3/4に満たない非常用雇用者はどうしたのか?民間職業紹介事業などが原則として一切禁止され、国の公共職業紹介所が労働仲介の一切を独占している状況下での強力な行政指導により、そのような短時間の雇用を使用者に対し基本的に認めなかったのである。すなわち、そのような労働者は「制度適用上は存在しない」それが建前として、ごく最近まで通用していたのである。日雇労働保険は、港湾労働や建設現場の作業員などに極めて限定的・例外的に適用され、一般の短時間労働者や臨時労働者には適用されることはない。この状況は今も同じである。
 最近の「日雇い切り」批判を受け、厚生労働省は日雇労働保険(正式には「日雇労働求職者給付金」)が日雇派遣労働者にも適用されるとの広報を始めている。ところが、実際には普通の日雇派遣労働者が、この給付金を受け取る可能性は限りなく小さい。まず、この保険の対象者となるためには日雇手帳の交付を受けなければならない。ところが、この取り扱いを行うハローワークは平成20年12月現在で全国でわずか6カ所だけなのである。

  1. 船橋(千葉県船橋市)
  2. 新宿(東京都新宿区)
  3. 名古屋中(名古屋市中村区)
  4. 大津(滋賀県大津市)
  5. 大阪東(大阪府大阪市中央区)
  6. 神戸(兵庫県神戸市中央区)

関心のある方ならすぐ分かるが、いずれも港湾労働者などが集中する地区にあって、近隣は独特の雰囲気がある。
もし日雇手帳の交付を受けたとすれば、1日雇用されるたびに雇用者(派遣労働者なら派遣会社)から証紙を一枚貼付してもらわなければならない。その枚数が直近2ヶ月で26枚あれば、職が得られなかった「その日」に上記6カ所のハローワークに早朝(ハローワークによって異なる)出頭することで、その日の昼前頃に給付金が支給される仕組みなのである。しかも、出頭時にはハローワークでは「通常の」日雇仕事の紹介を行う。これを拒否すれば当然に給付金は支給されない。
これでは、実質的に日雇派遣労働者が給付金を受けられる可能性はないわけである。

次回は、戦後改革によって禁止され消滅した「はずの」明治〜昭和戦前期の労働環境を検証してみたい。間接雇用と中間搾取の温床となった日本的労働環境は姿を変えて生き残ったのである。
その「原点」を知ることで、日雇派遣を禁止することで、どのような労働環境が出現するのかが明確になる。日雇派遣を禁止すれば、常用雇用が増加するとの認識はあまりに歴史を知らないがゆえの「幻想」に過ぎない。
戦前の亡霊を復活させないための「新たな雇用者への法規制」を伴わない限り、日雇派遣の禁止は、労働環境の戦前への回帰を生み出すだけである。
それは、誰も望まない結末のはずである。あるいは未だ戦後改革の幻想の中にいる旧労働官僚は、それを望んでいるかもしれないのだが。

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